苛々の理由

「で?」



金曜の夜、行き付けの焼き鳥屋で、憲子が呆れたような顔をして訊ねる。




「ひっひゃたいた…」




ぼんちりを噛み締めながら言うと、




「はぁ~~~」




盛大な溜め息を吐いて、憲子が手で額を抑えた。




「あんたって、ほんっと、阿呆だよ!」




わかっています。



串を口に銜(くわ)えながら縮こまる。




「たとえその、なんだっけ、中堀さんがね?花音を利用したとしても!叩く理由はないでしょ?!」




ごもっともです。




「皆の期待に応える噂の耐えない救いようのない馬鹿よ!」




存じております。



だって。



「無償に腹立ったんだもん」



おちょこに入ったお米のお酒をぐびっと飲む。



「あのね!私に言わせて見れば、彼氏が居なくなったやつあたりとしか思えないよ。別に好きですとも付き合おうとも言われてなくて、しかも落し物を届けてくれてランチまで奢ってくれようとする男子ならもう騙されようよ。」



憲子は中堀さんにかなり同情している。



正直、私も心の中ではやりすぎたって思ってる。



やりすぎたどころじゃない。



初対面に近い親切なジェントルマンを、公衆の面前でひっぱたくなんて。





「それに、本当に騙してたっていう確証もないんでしょ?花音の憶測でしょ?」




憲子の容赦ない追求に、私は苦い顔をしつつ、黙って徳利から酒を注ぐ。



「社会人としての常識がなさすぎるよ」




よく、言われます。



さすがにちょっと落ち込む。




自分でもよくわかんない。


でも未だに苛々する。


あの後、中堀さんがどうなったかは知らない。


でも会社の中にまで追いかけてはこなかった(当たり前か)。





私は案の定、沢山の同僚達に目撃されており、後ろ指さされることとなった。



憲子も早くに噂を聞きつけており、



やれ『アホウは今度はものすごいイケメンと不倫し離婚を迫っている』だの、



『実は佐久間と二股かけていて、本命はそっちだった』だの、



『高校時代に付き合っていたイケメンのストーカーが原因で、佐久間とは駄目になったからひっぱたいていたんだ』とか、



事実に数え切れないほどの尾ひれがついて広まっていた。



もう、どーでもいい。



だけど、憲子には一応真実を知っておいてもらいたい、と思ってこうして焼き鳥屋に来ているわけだけど。



「こんなアホな花音の話を聞くために、私は今日裕ちゃんとの約束を断ったんじゃない」



憲子がブラック憲子になっている(裕ちゃんとは憲子の彼氏)。



憲子と裕ちゃんは随分長いこと付き合っている。



5年くらい?かな。



裕ちゃんとは大学で知り合ったらしい。



年は1個下だけど、すごくしっかりしてそうで、確か就職先もパソコン関係のエリートだったような気がする。



憲子と買い物した後に、車で迎えに来てくれた時に二言三言挨拶を交わした程度だからはっきりとは知らないけど、話に寄ると憲子のことを本当に大事にしてくれているのがわかる。



自分以外なら、見る目はあると思うのに。



自分の為に、誰かを選ぼうとすると、途端にわからなくなる。




「良い男の定義って何だろう?」




私がぼそっと呟くと、憲子が、あんた人の話聴いてないのねという顔をしてから、




「尽くしてくれる男よ」




答えてくれた。



尽くしてくれる男、かぁ。



でも、でもさ。




「顔とか、背の高さとかルックスは?お金どのくらい持ってるかとか、良い時計してる、とか。どれくらい美味しい店知ってるかとか…」





「そーいうのが花音の中の良い男なの?」





「…違うの?」





同い年なのに、何故か自分よりも憲子の考えの方がしっかりしていて正しいように思える私は、素直に憲子の指示を仰ぐ。





「違うっていうか…そーいう男ってのは、良い男なんじゃなくて、女慣れしてるって言うのよ。顔が良いなら尚更ね。」




そっか。



目から鱗。



確かに。




中堀さんは、女慣れしていそうなタイプだ。




自分が格好良いのをわかってるし。



気配りも歩調の速さも抜群だった。



そういえばさりげなく道路側を歩いてくれていたような気がするし、


ドアも開けてくれていたし、


腕を掴んだりするのも、しっかりというよりは遠慮がちに。



メニューを見せる時も、触れそうだったけど、結局触れなかった。




女心を知り尽くした感じ。




「あれはきっと無類の女好きの、女慣れしている男!」



だけど―



「私から見たら花音も十分男慣れしているけど。あしらい方とか。なのになんでその人にいつもの花音を見せられなかったの?」



憲子が不思議そうに首を傾げて、ジョッキに口をつけた。



私は無言で徳利とおちょこをくっつけた。



自分でもわかんないんだもん。



調子が狂った。




男の人にあんなにドキドキすることなんて、今までなかった。




そして、キレイな女の人が居て、利用されたんじゃないかって思った瞬間、苛々した。



別に、私のものじゃ、ないのに。




「あー、もうどうしよう!わかんない!」




わーんと机に突っ伏した。



「もう今更どうもできないでしょ」




憲子さん。


冷静なツッコミをありがとう。




「…うん…」




朝ぶつかった場所だって、たまたま用があって居ただけだと言っていたし。



会社に来てくれたのも、私が社員証落としたからだし。



暴走した私は中堀さんをひっぱたいたわけだし。



挙句『気安く名前を呼ぶな』という捨て台詞まで残したし…


だからきっと二度と逢わない。


逢えない。




「忘れるしかないでしょ。人間失敗はつき物よ」




ぽんぽんと肩を叩いて、憲子が慰め役になる。



酔うと、私が泣き上戸になることを知っているのだ。




「ふぇーん」




おぉ、よしよし、と赤ちゃんをあやすみたいに憲子が私の頭を撫でるフリをする。




嘘泣きして小さく声を立てながら、私はふざけた。




甘い香りが嗅覚に残っている気がするようで。



原因不明の苛々が治まらなくて、お酒を美味しく飲めなくて。



そのことに憲子に気づかれないようにと。



ただひたすら、お酒を飲んで、忘れて、なかったことになったらいいのに、と思いながら。



========================



「じゃ、花音。ちゃんと真っ直ぐ家に帰るのよ?」



4WD車の助手席に乗り込むと、憲子がウィンドウを開けて言った。



憲子は暫く私に付き合ってくれたけど、結局なんだか悪くなって、裕ちゃんとの予定が間に合うなら裕ちゃんの所に行ってと私が言って、迎えにきてもらうことになったのだ。



「うん。わかった。ありがとう」



ほろ酔い気分なので、すこぶる寒くは感じないが、吐く息は白い。



運転席の裕ちゃんにも軽く会釈して、発車するのを見送った。




「いいなぁ…」




一人っきりになってから、コートのポケットに手を突っ込み、知らぬうちに零れる言葉。




男に依存していると言われればそれまでだ。



だけど、一人で生きていける程、私は強くない。



一人は寂しい。



憲子の様に、上手に生きれたらいいのに。



そしたら、私にも今頃あんな彼氏、居たかな。



考えても仕方のないことを思った。



腕時計に目をやると、時刻は22時を過ぎた所。



繁華街はまだまだこれから輝きを増していく。



ぴかぴか光るネオンを見ながら、思う。



どーせ家に帰ったって、一人だし。



寒いし、真っ暗だし。



やることないし。



もう少しだけ、飲んで行こうかな。




薄く靄(もや)のかかった頭で決める。




BARなんか、いいかも。




お洒落なBARないかな。




見回しながら、悩んでいると。


響いてくる、重低音。



ズンズンって。



これ、クラブかな?



実は余り飲み歩いていない私。



BARも初めて挑戦しようかなって今思ったばかりだし、クラブなんてもっての外。



きょろきょろと辺りを見渡す。




「あ。」




あれだ。



少し先に見える黒い扉。ちょっと派手な感じの子たちが入っていくと、開いた隙間から曲が漏れる。




自分の服装の確認をする。



うーん。派手ではない、か。



でも、場違いって程でもないか。



BARでしんみり飲むのもいいかなと思ったけど。



ふふふと酒の勢いが手伝ったのか私は一人笑う。



クラブ、いいかも!



ちょっと怖いけど、自分の中にぐるぐる回る消化できないムカムカを、



すっきりさせてくれるかも。



私は誘われるように、目の前のクラブの扉に近づく。



何事も初めてのことってわくわくするもので。



頭の中で色々想像しながら、扉を引っ張った。



「うわ」



開けた瞬間に飛び込んできた初体験の世界に思わず驚きの声が出る。




すごーい。



人がいっぱい。



何の曲かわかんないけど、大音量で曲がかかってて―



やばい。



自分の口の端が吊り上るのがわかる。




テンション上がる。




「あ、おねーさん、ここでお金払っていってね」



大きな会場の手前の入り口で、男の人に呼び止められ、首を傾げた。



「今日はパーティーだから」



「?誰の?」



私が訊ねると、男の人が、え、という顔をする。



「あれ、もしかしておねーさん、クラブ初めて?」



頷くと、男の人は親切に色々説明してくれた。



クラブでいうパーティーは主催者の趣旨によって参加できる物、参加できない物があること。



今日は有名なDJを招いてのイベントなので、参加可能であること。



「フリードリンクだし、覗いていってみたら?初めてでもきっと楽しいよ」



そう言われて頷くと、免許証の提示を求められて、それからお札を3枚くらい取られた。



なんか、よくわかんなかったけど、やっぱり楽しそう!



再入場する時に必要とかで、手首に渡されたリボンを巻いて、改めて中を見回した。



薄暗い会場内。



沢山人が居る中で、私はとりあえずカウンターを探し、そこで飲みなおそうと決める。



「何を飲まれます?」



ん、惜しいなぁ。70点かな。



顎鬚を蓄えている人は、×なんだよなぁ。



ついつい、私はバーテンダーのおにーさんを品定めしてしまう。



「お姉さん?」



不思議そうにこちらを見つめる視線にはっとして、謝った。



「すいません…シャンディガフで…」



不愉快な顔などひとつせずに、彼は「畏まりました」と微笑んで作り始める。



ん。75点にアップ。




心揺さぶるような音楽。


楽しそうに踊る人たち。



グラスを傾けながら私はカウンターに背を向けて、フロアに目をやった。



なんか、いいなぁ。


ふわふわ、ゆらゆら。



つまんない日常じゃない。


いつもと違う、楽しい夜の時間。



クラブっていいかも。



「ねぇ、一人?」



ぼけーっとしていると、横からトンと肩を叩かれた。



「え?」



見ると―



お、85点。中々。



茶髪、格好いい、だけどきっと遊び人な、ややたれ目の男。




「ん。」



短く返事をして、私はカウンターに向き直った。



「名前、なんていうの?」



これ、クラブではよくあるのかな。


ナンパ?


でも、これもきっと出逢い。


大事にしなくちゃ。


いつ運命が転がってるかわかんないもんね?



「かのん」



「カノン?」



軽く頷くと、彼は、



「かわいい名前だね」



と言って笑った。



やばい。コイツは軽いわ。




私も軽い女ですけどね。



「貴方は?名前なんていうの?」



お世辞を交わして訊ねる。



「タカ」



「タカ?」



「うん。」



「ふーん」



自分で訊いた癖に広がらない会話に内心ダメだしをしていると、急にタカが横から私の顔を覗き込む。



「…ねぇ、ここにくるの初めてでしょ?」



うーん、中々の上目遣いね。



冷静に分析している自分が怖い。




「…うん、ハジメテ」



目を逸らすことなく答えると、タカはにやっと笑う。



「こんなキレイな子、今まで見なかったもんねー」



本当に、軽いな。


私は知ってる。自分はそんなに眼に止まるような人間じゃないってことを。



「これから予定あるの?」



「別に無いよ」



「じゃ、一緒に飲もうよ」



そう言うと、タカは新しいカクテルを私の前に置く。



「…いいよ」



夜は長い。


クラブの盛り上がる時間は深夜を過ぎた辺りだという。


まだまだ、一人になりたくない。




========================





―今、何時かな。





「タカ。もうやめとけよ」





お酒を勧められるまま飲んでいると、バーテンダーのおにーさんが隣の男を止める。





「なんでだよ。まだ大丈夫だって。な?カノンちゃん?」





「あい。まだいけますれす」





会場の熱気も手伝って、私の頬は火照っている。




大分朦朧としている頭の中で、自分でもわからないけれど、一本の線で意識が繋がっているような感覚。




わかっちゃいるけど、帰りたくなかった。




まだ、誰かと一緒に居たい。




「潰す気か?」



諌めるようにおにーさんが言っているのが遠くで聞こえる。




「どっちでもいーじゃん。この子と俺の勝手じゃん?」




さぁすが、遊び人のタカ!




心の中で思って、クスリと笑う。




「カノンちゃんは楽しいんだもんなぁ?」



そんな私に気付いたのか、タカが訊いてくる。




「んー!たのしー」




へへへ。心から同意!





「…タカ…そうやって何回持ち帰ったよ…客喰うのやめてくれよ。」





心底呆れたようにおにーさんが言う。




やっぱりなぁー。



そういう人なんだよね。



別に私じゃなくても、ここに座った女の子には声掛けてるんだよね。




心の隅でがっかりする自分を引き止める。



しょうがないじゃん。




運命、なんて。


転がってないって。


出逢うべくして出逢う人なんて、絶対居ないんだって。



頭のどっかでは、わかってる。



人生は、自分の選択で成り立ってる。



今日は何しようかな。


朝、何時に起きようかな。


何着ようかな。


どこへ行こうかな。


何食べようかな。


誰と、、


過ごそうかな。



必然なんてことはない。



だから、偶然に力を借りる。


そのためには、どんどん色んな場所へ行って、


色んな人と逢わなくちゃならない。



「カノンちゃん?眠たいの?送ろうか?」




突然黙り込んで、俯いた私に、タカは心配そうに声を掛ける。



一見、労わるようなこの言葉が、実はそうじゃないことも、わかってるつもりだ。



トロンとした視界で、ぼやける輪郭を見つめる。



んー。遊び人、だけど。



いいか。



85点だし。



今日はこの人と一緒に居れば。


そしたら、寂しくないか。


明日はこの人と一緒じゃなくても。


今だけは。




「カノンちゃん?」



返事をしないでただ見つめるだけの私に、目の前の男は立ち上がって、甘く呼ぶ。





あなたもー




あなたも私の名前を呼ぶのね。




ちゃんと覚えてくれるのね。




「行こう」




手を少し強引に引いて、力の入らない私の体を立たせようとする。





「ーう「だめ」






頷こうとした肯定の言葉に被せられた拒否する言葉。




タカに引かれた手の肘の部分をクイっと違う力で反対側に引かれた。




へ?






酔っ払った私の頭では、この一瞬の出来事を上手く処理する事が出来ない。




「…なんのつもりだよ…」



タカが驚いているような声で呟いた。




「俺こいつに用があるんだよ」




背後から聞こえる声。




どちらもぼやぼやしていて、よくわかんない。ていうか、この状況何?



「まさかそれ今回のターゲット?」



違う方から声が掛かる。多分、バーテンダーのおにーさんだと思う。



「まさか。こんなのターゲットにしたら元が取れないよ」




馬鹿にしたように笑うから、なんだか癪に触る。



こんなのですみませんでしたねー。



酔っ払いでも悪口はわかるんだよーだ。




「だけど当たらずとも遠からずってトコかな。ターゲットじゃないけど仕事に必要な役者だ。」




そう言うと、私の腕を力強く引っ張った。





「うわっ、とと…」




そのせいで椅子から立ってよろけた所を、後ろから抱き寄せられる。




こ、腰に腕を巻かれている…




普段なら抵抗したい所だが、酒のせいで廻る目が、相手によっ掛かるままにさせている。




うーん、気持ち悪い…




ふらふらする。





「そーいうわけだから、借りるねー」




背後の男がそう言うと、タカは私に向かって伸ばしていた手を名残惜しそうに引っ込めた。



あ…れ…?




フワリ、鼻を掠めるこの香り…



何処かで…



胸が締め付けられるような、どきどきする香り…




好きな香り…




意識を失いかけながらも、私は必死に記憶を手繰り寄せようとする。




「今日は結構な挨拶をどーも」




少し不機嫌な声音でそう言うと、彼は私を一度解放しー




「この借りは返させてもらうよ、櫻田花音さん?」




くるりと回転させて、私と目を合わせた。




目の前には。




金髪のー




男の子。




おお、100点満点。




心の中で呟く。




だけどー




私を知っている?



誰だ?




そしてこんな状況で私が思うことは。




この人かなりタイプだ、ということで。



つまり私はやっぱりダメ女だということだ。


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