29

 弾薬が底を突いた時、変身は終わっていた。

 全身緑色に染まった阿部は、飛竜を従えて甲板へ向かった。志水兄妹が、両脇を歩く。彼らの計画を知らない兵士たちは、脅え、逃げ惑った。取り乱して銃を向ける者を、志水が制止する。彼女は、必死に涙を堪えていた。

 甲板に出ると、副大統領が阿部を迎えた。彼はもちろん英語を話したが、阿部にはその意味が日本語で感じ取れた。

〝事情は聞いた。君の勇気には、全人類が敬意を表している。成功を祈っている。神の御加護を〟

 阿部は笑った。

〝こいつはいい。努力もせずに英語が分かるようになるとはな!〟

〝お父さん、近づいているわよ!〟

 激しい波動が、大気を震わせる。マスター・ブレインは、怒り狂っている。

「奴が来る! みんなは下に!」

 船体に、衝撃が走った。巨体がぶつかっただけの震動ではない。阿部は、マスター・ブレインが船底に張り付いたことを感じた。

 志水が、精神波の圧力に頭を抱える。

「凄いエネルギー……」

 阿部は圧倒的な力に打ちのめされ、健造に囁いた。

「俺がやられたら、核を使え。奴だけは、生き残らせるな。大陸に上がったら、止める方法はない。ただ……」

 阿部は、悲しげに志水を見つめた。

 健造が、阿部の気持ちを察してうなずいた。

「妹は何とかして逃がす。大切な頭脳だからな。あなたのデータは南極都市に電送してある。たとえ私たちは死んでも、人類は戦える。幸運を!」

 マスター・ブレインは、海中から無数の触手を伸ばしてきた。その姿は、獲物を狩るタコに似ている。触手は両舷から這い上がって甲板を覆い、兵士を餌食にした。彼の怒りは、自分と戦うために変身した阿部に向けられていた。

 阿部は、迷った。緑人の身体は手に入れたものの、体力では勝負にならない。失った左腕さえ、まだ再生していないのだ。しかも、相手は圧倒的に大きい。海水に対する耐性も得ている。阿部は、海水に浸れば死ぬし、身体を変形させる方法さえ訓練されていないのだ。頼れるものは、頑迷とも言えるほどの意志の強さしかなかった。

 どう攻めるか……。

 武器は、精神力だけだ。阿部は、決断した。

 だが、その迷いが、悲劇を生んだ。

 のたうつ触手の一本が、凄まじいスピードで志水の首に絡み付いた。

 阿部は、跳んだ。志水の腰にしがみつく。飛竜が、触手を食いちぎろうと噛みついた。

 だが、遅かった。マスター・ブレインは、強力だった。飛竜は、巨人の手で振り払われたように、甲板に叩きつけられた。

 志水は、悲鳴を上げることもできずに、首を捩切られた。

〝畜生!〟

 志水の身体とともに甲板に落ちた阿部は、とっさに転がる首を押さえた。そして、かすかな波動を感じた。

〝私を同化して!〟

 阿部は、片腕で首を抱き締めた。そして、願った。

 その瞬間、首はすっぽりと阿部の胸に入った。

 志水の〝意識〟は、他人の意識の中に放り出され、戸惑った。だが、反発することはなかった。互いに、一体になることを願ったのだ。そうして果たされた融合は、二つの意識が共存することを認めていた。

 阿部はつぶやいた。

〝俺の身体に、ようこそ〟

〝もう、離れないわ! ……父さんも、感じる〟

〝やはりそうか。他人の俺には、はっきり分からないがな〟

〝いいのよ。あなたはあなたで〟

 栄美子が叫ぶ。

〝外を見て!〟

 触手が、迫る。撥ね飛ばされた阿部は、鋼鉄の壁に背中から激突した。痛みは、感じなかった。

 阿部は、船体のパイプを握りしめた。その腕に、触手が叩きつけられる。阿部は、空中に放り出されそうになるのを必死に堪えた。

〝なかなか使い心地がいい身体じゃないか〟

 痛みを感じないことが、阿部の脅えを消し去った。冷静さが戻る。

 マスター・ブレインは、阿部を船体から引き剥がそうと狙っている。海に叩き落とすためだ。彼の力をもってすれば、握り潰すことはたやすい。首をもぎ取れば、簡単に勝負はつく。なのに触手は、巻き付こうとはしない……。

 阿部は、自信を持った。マスター・ブレインは、融合されることを恐れている。敵対する〝意志〟が繋がれば、対決は避けられない。人間の身で戦い続けた阿部の意志力には、マスター・ブレインも一目置いているのだ。

 阿部は、二人の〝女性〟に尋ねた。

〝奴に同化してもいいかな?〟

〝もちろん〟

 二人は同時に答えた。飛竜の唸り声も、賛成している。

〝飛竜! 食いつけ!〟

 マスター・ブレインに牙を立てれば、阿部の意志は飛竜を通して入り込むことができる。N17が、中島を倒した方法だ。

 飛竜は、触手を捉えた。だが、またしても撥ね飛ばされて甲板に落ちる。

 志水がつぶやく。

〝狙いを見抜かれている……〟

 阿部は命じた。

〝一つになった方が、同化しやすい。飛竜! 来い!〟

 飛竜は、阿部の足に歯を立てた。栄美子と飛竜の意識が、阿部に流れ込む。肉体も、瞬く間に一つの人間の形に変わった。失った腕も、生えている。志水の父を含めた四人の人間と、闘争本能を剥き出しにした一匹の犬の精神エネルギーが、融合した肉体に充満した。

〝何とも賑やかだな〟

〝ちょっと窮屈ね〟

〝でも、居心地はいいわ〟

 三人は同時に会話した。飛竜の唸りが、せき立てる。

〝さて、どうやって奴の脳味噌をこじ開ける?〟

 マスター・ブレインは、狂ったように彼らを打ちつける。だが、身体が接触するのは、一瞬に過ぎない。阿部たちは、短い時間に他人に侵入する技術を学んではいなかった。

 それでも、試すほかはない。

 阿部は、触手を握った。根を下ろせ、と念じる。だが、同時にマスター・ブレインの触手は切り離されていた。

 志水が言った。

〝これでは融合できないわ〟

〝何度やっても同じか。どうすればいい……〟

 焦った。焦りが、隙を生んだ。

 マスター・ブレインは、船体を揺さぶった。同時に、パイプを引きちぎる。甲板によろめき出た阿部は、撥ね飛ばされ、舞い上がった。

 海面に激突した阿部は、塩水に息を詰まらせた。身体が、急速に重く、固くなる。水の冷たさと塩分が、エネルギーを奪う。激しい痛みが、全身を覆う。

 栄美子が叫ぶ。

〝船に上がって!〟

 だが、勢いを付けて落下した身体は、さらに沈みつつあった。泳ぎ上がろうにも、身体が動かない。

 志水がつぶやいた。

〝できることは、やったわ。一緒に死ねて、嬉しい……〟

 だが、阿部は諦められない。志水の心を、凍てついた海で果てさせたくはない。阿部は悔しさを噛み締め、ぼんやりと見えるマスター・ブレインの巨体に毒づいた。

〝汚い手を使いやがって。なにがインディオの戦士だ。まともに戦うこともできない臆病者が!〟

 マスター・ブレインの波動が、高まった。初めて、〝箱〟から言葉が発せられた。

〝臆病者だと?〟

 阿部は、その一言に、誇りを傷つけられた怒りを嗅ぎつけた。

〝そうだ。貴様は、戦うことが怖いだけの、くずだ。貴様の部下でさえ、堂々と渡り合ったんだぞ。あいつは、本当のインディオだった〟

 マスター・ブレインは、言った。

〝挑発には乗らない。私には、地球を守る使命がある〟

〝滑稽だな。人間一人さえ恐れる虫けらが、思い上がった口を叩くな〟

 阿部の作戦を理解した栄美子が、笑い声を立てた。

〝坊やは、女が怖いのね。マザコン? それとも、怖いのは、犬? 他の緑人がそれを知ったら、命令も聞かなくなるんじゃなくて? まともな女なら、そんな坊やはお断りよ〟

 マスター・ブレインは、ついに言った。

〝よかろう。私の中に入るがいい。そして、ここで死ななかったことを後悔するのだな〟

 マスター・ブレインは、触手で阿部を突き刺した。

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