24

 二日後の未明、木更津の浜に黒焦げの球体が打ち上げられた。自衛隊は、米軍機撃墜を公表していない。潮干狩りの客を待ち受ける漁師たちに、それがどれほど危険な物か分かるはずもなかった。

 世界は断末魔の息に喘ぎ、日本が受けた傷も深い。それでも、ゴールデンウィークの海岸には、観光客が押し掛けていた。むしろ、海外旅行が不可能になった分だけ、渋滞の列は延びている。

 漁師たちは、貪欲に砂浜を漁る彼らを失望させるわけにはいかない。韓国から大量に輸入してあったアサリを、朝日が昇る前にばら撒かねばならない。彼らは、忙しい。邪魔物の詮索に、時間を割く余裕はなかった。〝障害物〟は、悪態を重ねる若者たちに運ばれ、ごみ捨場に置き去られた。

 数時間後、緑人は活動を再開した。殻を割って身体を持ち上げ、ごみから這い出す。

 近くの駐車場では、スペースを求める家族連れたちがゆっくり車を動かしていた。ひしめく車は、互いの進路を塞いでクラクションを鳴らし合っている。

 緑人は殻を振り落とし、丸まった。数十メートルを跳び、スポーツカーの前面に貼り付く。吸盤状になった身体を収縮させると、フロントガラスが砕けた。若いカップルは、ほんの数秒間悲鳴を上げただけで緑人に吸収された。

 活性を高めた緑人は、次々と車を破壊し、エネルギーを補充した。

 数分後に駆け付けた警官は、解体された人間の山を目にして、胃を空にした。

 その時には、緑人はすでに、海岸で戯れる観光客に種を乱射していた。

 マスター・ブレインの指令は、単純だった。

 日本を、破壊せよ。

 マスター・ブレインは、アメリカの頭脳と日本の技術力を最大の敵と見なしていたのだ。


 横須賀で客船の警備態勢をチェックする佐々木に、GM対策本部からの連絡が入った。

 佐々木は、ともに艦内を見回っていた阿部に言った。

「緑人が、東京に入った」

「上陸から、たった一時間で?」

「途中で種を乱射している。犠牲者は処理したが、完全だとは言えない。繁殖力を回復したら、手が付けられない事態になる。出港は、今夜だ」

「君は?」

「船団の警護を命じられたよ。命令が下れば、従う。おかげで南極に逃げ込めるチャンスもできた」

「日本はどうなる?」

「戦える者は戦う。それだけだ」

「せめて、東京の人間を避難させられないのか?」

「緑人は、人間を追ってくる。食料であり、植物化を防ぐ特効薬だからな。正直なところ、日本は終わりだと思う。ただ分からないのは、日本に入った緑人が仲間を増やすことに専念していることだ。他の国では、総数は増えていないんだが……」

 阿部は、少し考えた。

「混乱を起こすのが目的じゃないか? 行政機能が止まれば、検疫をくぐり抜けることもたやすい。増えすぎた緑人は、それからでも始末できる。N17には、訓練されていない緑人を殺すことなど簡単だからな。それとも、日本を完全に破壊する気なのか……」

「反撃プランが悟られたのか?」

「だとすると、狙われるのは船団だ……」

 二人は、恐怖に顔を見合わせた。


 東京が持ちこたえたのは、一日だけだった。千葉で変身した第二世代の緑人が到達すると、破壊が爆発的に広がったのだ。その惨状は、海外の都市とは比べ物にならなかった。

 原因は、緑人自身がパニックに陥ったことにあった。彼らは、人間を食えば寿命を延ばせるという知識しか与えられていなかった。自ら緑人への変化を望んだわけでもない。それだけに、精神は荒れていた。

 彼らはひたすら人間を追い、捕らえ、食った。超人の力で、欲望を満たした。そうする他に、虚無感を忘れることはできなかった。破壊を拒否して植物への道を選んだ者は、ほとんどいなかった。

 攻撃する側も全力を挙げ、戦いが破壊を拡大した。在日米軍の指揮下に入った自衛隊が首都を爆撃し、歩兵と警官が狩り出す。戦闘に関して知識も経験もない緑人は、たやすく首を落とされた。それでも、汚染の拡大は防げなかった。

 大阪で緑人が確認されたのは、二日目だった。

 緑人が現れない都市にも、暴動は広がった。日本を破局へ突っ走らせたのは、民間テレビが流したスクープだった。選ばれた者だけが南極へ逃亡したという事実は、国民の恐怖と怒りを爆発させた。結果は、緑人がもたらした荒廃よりも悲惨だった。

 物言わずに社会に従ってきた日本人は、枠が消えた瞬間、行動の基準を失った。残ったのは、本能だけだった。

 一斉に、法が犯された。始まりは、万引きや引ったくりといった些細な犯罪でしかなかったが、取り締まる側は崩壊している。法が無意味だと証明されると、流れは急激に変わった。力が理性を支配する世界が、訪れた。

 殺人、略奪、強姦……。人間による破壊は、凄惨を極めた。常に行動を指示する規範に寄りかかってきた日本人は、破壊がマニュアル化された途端、自動的に従い始めたのだ。孤立しても理性的に生きるいう者は、少数派でしかなった。

 それは、他の国の反応とは決定的に異なっていた。緑人に狙われた都市は、どこも廃墟と化した。しかし、人は生き、抵抗し、連帯を強めている。息の長い戦いに向け、組織作りを始めていた。緑人の侵入を待たずに消え去った都市は、一つもない。

 日本は、一週間で滅びた。


 テレビが沈黙した時、佐々木はつぶやいた。

「日本は、こんなにやわな国だったのか……」

 阿部はしかし、希望を捨てきれない。

「生き残っている人間はいる。都会が全てじゃない」

 だが、内心は空虚だった。船団が陸地から離れるまで、阿部は客船に同乗していた。そこに乗り込んだ者たちの言動が、現実を見せつけたのだった。

 彼らは、母国の瓦解を無表情に見守った。まれに身を切られるような叫びを上げたかと思うと、原因は国に残した財産の消失にあった。赤坂の豪邸の焼失、自社ビルの崩壊……。関心は、それだけだった。

 年老いた誰かが、別の老人を励ます。

「日本は元に戻るさ。敗戦だって、円高だって、乗り切ったんだ……」

 阿部は、彼らの本性を思い知った。船団には、母国のサロンと同じ顔ぶれが集まっていただけなのだ。行動も感覚も、変わっていない。

 若い女たちの嬌声。その身体を舐め回す、男たちの視線……。

 男には、女を同伴させる権利が与えられていた。それは、人類の繁殖を計るために、不可避な判断だった。しかし、妻を選んだ男は、半数にも満たない。男たちは今までそうしてきたように、連れの女の容姿で〝能力〟を競っていたのだ。

 金と権力に魂を売った男たち。男たちに媚びる女たち。彼らに、人々の悲鳴は聞こえない。脱出できたことを喜び、パーティーに明け暮れるだけだった。

 船団は、三度襲撃された。米軍の艦船と航空機を奪った緑人は、無謀とも言える攻撃を仕掛けてきた。佐々木の臨機応変な指揮で、危機は退けられた。客船の男たちは、誰一人銃を取らなかった。変化は、パーティーのざわめきが止まることだけだった。

 阿部は、スイスに大量の金塊を預けていると噂される組長が、女優と乗船していることを知った。そして、佐々木の船に移ることを願い出た。少なくとも護衛艦にいるのは、命を賭けて戦った仲間なのだ。飛竜も、そこにいる。


 佐々木の部下が、ヘッドホンを外して言った。

「弱い救難信号が発信されています」

「距離は?」

「五キロ以内でしょう」

 考え込んだ佐々木に、阿部が言う。

「助けないのか?」

「罠かもしれん」

「確認すべきだ」

「客を危険には曝せない」

「あんな連中、どうなっても構わん。本当に助けを求めている人間がいるなら、俺は行くぞ」

 佐々木は微笑んだ。

「多くの装備は割けない。人員を二人付ける」

 阿部も笑った。

「やっと身体を動かす仕事ができたな。飛竜も連れていく」

「頼んだ」

 阿部は、久々に日本刀を取った。

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