第六章 崩壊・日本

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 東京は、平和だった。

 防衛庁で阿部を迎えた佐々木は、地下指令室の扉を開けながら言った。

「志水君は、アメリカに残ったそうだね」

 阿部は、騒音と人いきれが充満した指令室を見回した。

「ペルーで救出された科学者たちと、チームを組んだ。俺は向こうで、知っていることは話してきた。一緒にいたって、役には立てない。彼女の世界は、研究所だ。君が戦争に戻ったようにな」

 ホールの前面には、世界地図を描いた巨大なボードが据えられていた。人口が密集している都市に、光点が輝いている。日本の都市は全てグリーンだったが、海外は半分以上が赤い。赤は、緑人が人間を襲い始めた印だった。特にアメリカには赤が多かった。阿部は、西部にグリーンの明かりを発見したが、それは見る間に赤く変わった。ボードの脇のスクリーンには、CNNの画面が映し出されていた。画面に向き合い、五列のテーブルが置かれている。百人近いオペレーターには、それぞれモニターとコンピュータが割り当てられていた。

 佐々木は阿部を後ろの席に案内し、自嘲ぎみに笑った。

「悪夢に引きずり戻されたのさ。みんな、失敗を恐れている。トップの指揮官は、教科書にない状況に対処できんし、しくじれば地位を失う。だが、部下のミスなら頬被りしていられるからな。それはそれとして、世界中から押し寄せる情報を分析して、私の失敗は不可避の事態だったと結論が出た。かくして、敗者復活の栄誉が与えられたというわけさ」 

 米軍の高速機で横田に送られてきた阿部は、その間に世界で何が起こっていたかを詳しくは知らない。

「ひどいようだな」

 佐々木は、スクリーンを指さした。CNNが、ワシントンDCの惨状を伝えている。ホワイトハウスは、燃える瓦礫の山に変わっていた。

「ロンドン、パリ、ベルリン……大都市は、戦争状態だ。麻薬組織員として潜伏していたGMたちが、暴れ出したのだ。警官と麻薬常習者が、一緒に銃を取っているよ。勝つのはいつもGMだがな。人間は連帯する価値を学んだ瞬間に、抹殺されてしまうわけだ。しかも、GMは少しずつ増えている」

 阿部の脳裏に、マスター・ブレインの冷静さが蘇った。

「急激には増えていないんだな」

 佐々木は、大きな溜め息をついた。

「爆発的に増えてしまえば、自分たちが食料を奪い合うことになるからだろう。都市の中枢を破壊し、人間を囲い込み、食料を確保する。長期戦を想定した戦術だ」

「マスター・ブレインのコントロールが効いているんだ。世界中、同じか?」

「例外は、一つだけだ。この日本さ。東京の能天気な様子を見ていると、世界が日本を騙しているんじゃないかと、疑いたくなる」

「日本が異常なんだ、いつだって」

 佐々木がうなずく。

「あなたが中島を始末してくれたおかげだ。ついでに、マスター・ブレインとやらも片付けてくれたら助かったんだがね」

 阿部は、首を横に振る。

「彼がいなかったら、緑人は中島のような怪物の群れになる。人類は一週間と生き延びられないぞ。どのみち、俺一人の力では、マスター・ブレインは倒せん」

「その通りだろう。まあ、今のところ日本はよく持ちこたえている。今は、検疫に全力を注いでいる。疑惑が残る貨物や乗客は、国内に入れない。鎖国の歴史がある国だからな、得意技さ。得意技はもう一つ。技術力だ。ここ数日で、日本はスターにのし上がってしまった」

「特別な計画があるのか?」

「トップの技術者たちが、集結した。そこに、アメリカでの研究成果が送られてくる。緑人を殲滅する手段を量産して、世界に送り出そうというプランさ。アメリカが考え、日本が作る。おなじみのやり方だな。問題は、何を作ればいいのか皆目検討がついていないことだけだ」

 阿部は、言った。

「そんな計画がばれたら、たちまち攻め込まれるぞ」

「それを防ぐのが、私の仕事だ。研究にめどが立つまでは、守り抜きたい」

「難しいな。しかも東京は、緑人には住みやすい街だ。酸素は少ない、隠れ場所に事欠かない、餌が多い……。緑人は必ず来る。どうするんだ、その時は」

 佐々木は、阿部を見据えた。

「そのことで頼みがある。もちろん、隊は全力を挙げて戦う。だが、日本人を根絶やしにさせるわけにはいかない。技術者も守らねばならん。そこで、脱出計画が立てられた」

 阿部は、佐々木の意図を見抜いた。

「南極か? 技術者は、分かる。だが、避難するのはそれだけではないのだろう? 他には誰を? 政治家、官僚、財界人……金でチケットが買えるなら、暴力団の幹部もか?」

 核心を突かれた佐々木は、うろたえた。

 阿部は、南極に巨大都市が建設されていた事を知っている。アンダーソンから耳打ちされた、極秘事項だった。アンダーソンは、阿部を研究者の護衛に付けようと考えたのだ。だが阿部は、要請を断った。申し出を受ければ、志水とともに暮らせることは分かっている。それでも、母国を見捨てることはできなかった。志水も、阿部に同意した。お互いに、自分がいるべき場所は承知している。

 南極都市は、日本を除いた主要先進国が協力し、2万人以上が一年間は暮らせるスケールで完成されていた。今は、防御システムと生産施設が、急ピッチで建造されている。都市建設の資金の多くは、日本から出た。破綻した共産国への援助、大量に購入する海外の国債、科学研究機関への賛助金。黒字を減らすために放出される資金が、密かに南極に投入されていたのだ。

 佐々木には、阿部に嘘をつく気持ちはない。

「そういうことだ。普通の人間は、このバスには乗れない。南極で受け入れられる日本人は、千人までだ」

 阿部は、溜め息をついた。

「俺も君も、外されるわけか。で、何をしろと?」

「護衛だ。皇室などの超VIPは政府専用機で飛んだ。他は、民間の客船を使う。大型タンカーと護衛艦を付けて船団を組むんだ。君には、客船に同乗して欲しい」

「断ったら?」

「首相の要請だ。ヒーローを、身近に置いておきたいそうだ。断るなら、直接言ってくれ」

「専用機に乗らないのか?」

「乗れないのさ。首相の存在理由など、その程度のものだ」

 阿部は肩をすくめた。

「出発はいつだ?」

「正確には決まっていない。GMの上陸が確認されたら、すぐだろう。リストに載っている連中は、とっくに横須賀で待機しているがね」

 佐々木の部下が割り込んだ。

「羽田からです。米軍輸送機が緊急着陸の許可を求めてきました。許可しますか?」

 佐々木は言った。

「横田に回せ」

「燃料漏れで、時間がないと言っています」

 阿部が口を挟んだ。

「どこから飛び立った? 日本に来る目的は?」

 佐々木はうなずいて、厳しい口調で命じた。

「米軍に照会。少しでも疑問が残れば、攻撃する。地上に降ろしてはならない。できれば海上で撃破しろ」

 部下は顔色を失った。

「しかし……」

「横田を呼べ。コナーズ大将に掛け合う」


 在日米軍は、混乱状態にあった。本土の基地は壊滅し、通信網が分断されている。緑人は、戦う能力を持った者から、抹殺を開始した。警察、軍隊、政治家たちが餌食だった。頭脳と腕力を失った人間は、餌の集団に過ぎない。明確には知らされていなかったが、彼らは大統領も緑人の手に掛かったものと諦めている。

 デイビッド・コナーズは、緑人の上陸は駐留部隊の危機に繋がると判断していた。日本に緑人に対抗する潜在能力があることも、理解していた。

 デイビッドは、日本を守ることは、世界を守ることだと確信している。

「C130は、負傷兵を乗せているというんだな。確認は取れないのか」

 副官は呻いた。

「どこかの基地に無線がつながっても、出る人間がいない状態です。信用するほかにないでしょう」

「着陸させたいのか?」

「同胞ですよ」

 コナーズは溜め息をついて、保留させていた電話を取った。相手は佐々木だ。

「待たせた。攻撃を許可する。成功を祈る」

 受話器を置いたコナーズに、副官が噛みつく。

「ニップに仲間を殺させるんですか⁉」

「君が出撃するかね? C130は、罠のような気がするのだ」

「死んだのが部下だったら、気のせいだったと言うんですか⁉」

「家族が残っていれば、いくらでも謝る。しかし、GMが上陸すれば、日本も廃墟だ。人類は、未来を失う」

 それでもコナーズは、苦渋の色を隠し切れなかった。


 十機のF15からミサイル攻撃を受けたC130は、羽田沖に沈んだ。護衛艦が急行し、残骸を調査するダイバーを送り込んだ。

 五人のダイバーは、黒焦げの機体をビデオに収めてから、ミサイルが開けた穴をくぐった。内部は、浸水した海底トンネルのように見えた。上には一部、空気が溜まっている。ライトを受けて輝いた水面に、黒い塊が三個漂っていた。一人が上官に合図し、ビデオカメラを向ける。

 上官の無線機に、本船から警告が入った。ビデオの映像は、リアルタイムで本船に送られているのだ。

「その物体に近づくな。GMだ。ただちに撤退せよ」

 物体の一つが、割れた。

 緑の触手が、ダイバーの胸を貫く。同時に、触手は茶色に変色した。

 上官は命じた。

「パニックを起こすな! 活動を止めた! 他のGMには近づくな。カメラをセットして、撤退しろ」

 狂ったようにもがく部下を、仲間が取り押さえていた。外れかけたレギュレーターから、空気が噴き出す。上官は、触手に手をかけた。変色した触手は、枯れ枝のように折れた。

〝海水だ……塩水に浸かって、枯れてしまったんだ。もしそうなら、こいつらを殺せるぞ!〟

 その事実は、神の福音のように思えた。

 しかし彼は、機体の裂け目から二つの燃えかすが漂い出ていたことを、知らなかった。

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