22

 阿部は、それでも食い下がった。

「人類が地球を滅ぼす前に、植物が人類を滅ぼそうというのか⁉」

 バーバンクは笑った。

〝人類に、地球を滅ぼす力などない。たとえ、地球上の核兵器がすべて使用されたとしても、緑は蘇る。何万年かかろうと、植物には一瞬のことだ。彼らは数十億年という時を費やし、今の地球を作り上げたのだからな。滅びるのは、人類自身と、巻き添えにされる動物たちにすぎない。動物とて、いつかは廃墟から立ち上がるだろう〟

 阿部は言った。

「それなら、なぜ人類を攻撃する? 緑人の破壊を、植物は楽しんでいるのか⁉」

〝植物は膨大な時間を掛けて、ともに生きる動物を産み、選び、育ててきた。人類ごときにその努力を踏みにじられることは、自尊心が許さない。ほとんどの動物は、地球の一員としての役割を全うしているのだからな。地球の主人は、植物だ。生命の存在しない荒れた星を改造したのは、植物だ。彼らは酸素を生み、土を生み、動物を生み、生態系というシステムを生んだ。植物の庇護なしに生きられる動物は、いない。それでも彼らは人類に、過ちに気づくチャンスと、生き方を改めるに足る時間を与えてくれた。幼い人類の暴虐を、限りない優しさで包んで許した。ここ百年間の傲慢ささえ、大目に見てきたのだ。しかし、我慢にも限界はある。人類は、真の神である植物たちを怒らせてしまった〟

 阿部はしかし、納得できなかった。納得してはならないと、言い聞かせていた。

「緑人の狂暴さを、知っているのか? あの残忍さが、植物の望みだと言うのか⁉」

〝破壊を望んでいるのは、人間自身だ。ヒトは、植物に変化する過程で、無限とも言える力を身に付けたのだぞ。植物は、超人に変わる手助けをしたに過ぎない。植物に授けられた力をどう使うかは、人間の自由だ。植物は、選択の機会さえ与えている。まさに神の御業というべき公平さではないか〟

「おとなしく植物になっていく人間だっているさ。だが、元々狂暴な奴らはそうはいかない。このままでは、人類は共食いで滅びてしまう!」

〝しょせん人間は、その程度の生き物でしかなかった、ということだ〟

 口をつぐんでいた志水が、ぽつりと言った。

「人類は、どうすればいいのでしょう……」

〝考えるのだな。君たちが文明と呼んでいる幻想は、滅びざるを得ない。しかし今すぐ手を打てば、ヒトという種を残す方法は見つかる。私は、そのチャンスを与えるために、君たちを招いた。今、世界中で始まっている変化がどれだけ重要なものかを、間違いなく認識して欲しかったからだ。君たちは生きてヒトの世界に戻り、事実を伝えるのだ。そして、未来を選択しろ〟

 阿部は、それでも言った。

「だが、貴様はN17の神なんだろう! 人類に牙を剥いているのは、貴様の部下だ! あんな化け物を送り出していながら、そんな勝手な理屈があるか!」

〝私は、彼らに何も指示してはいない。人の言葉で意志を伝えたことさえない。彼らは、君たちを連れて来いと命じた時に、初めて私が言葉を使えることを知ったのだ。私は、それを望む者に植物の生命力を分けただけだ。神と呼ぶのは、彼らの誤解だ〟

「しかし奴らは、現実に組織を持っているじゃないか!」

〝組織化は、マスター・ブレインが行った。彼は、初期に緑人となった若者だ。今では、王として君臨している。世界中の緑人は、彼がコントロールしているコカインを通じて、一つに束ねられている。東京に現れたはみ出し者は、例外中の例外だ。マスター・ブレインは、ゲリラの一員だった。同時に、近代文明という名の暴力に抑圧された、インディオでもあった。私は彼にも、言葉をかけたことはない。しかし、同情している。インディオは――いや、君たちが野蛮だと蔑む先住民族たちは、植物と共存する哲学を理解していた。地球という生命体の一員として、正しい在り方を体現していた。それゆえに、抹殺されていった。おびただしい量の森とともに。彼は今、代償を要求しているのだ。たとえ私にその力があっても、彼の行動を止めはしない〟

「だが、奴らは生物学者を集めている。目的は、人類の支配じゃないのか? 自分たちはいつまでも緑人として生き、人間を奴隷にする。それが奴らが求める世界なんだろう? やっていることは、他の人間と同じじゃないか!」

〝仕方あるまい。強い者が弱い者を支配する……人類が作ったルールなのだからな。チャンピオンは、変わるものだ。だが、それも長いことではない。現実を認識していないのは、彼らも同じだ。一度緑人化した人間は、元に戻ることはできない。緑人は、必ず植物に変わる。ヒトの体内に組み込まれた、運命なのだからな〟

「奴らは、無駄にあがいていると?」

〝考え方しだいだな。あがくのが嫌なら、植物になればいい。動物への執着が捨てられない者は、人間を食らって生き続けるしかない。だがいつかは、地球は落ち着くべきところに落ち着く。百年後か千年後か……いずれは新しい世界が始まる。それがどんな世界なのか、今は知りようもないがね〟

「無責任な……」

〝その非難は、君に返そう。ヒトは、地球を次の段階に導くために智恵を与えられた。しかし、責任を自覚する知性さえ得ることができなかった。人類よりも遥かに長い時間を生きた恐竜たちも、地球が自分たちのものだと過信し、自らを滅ぼした。ヒトは、彼らより賢いかもしれない。それは、これからの行動が証明するだろう。だが、これだけは忘れるな。植物は、もはや人類を必要としていない。彼らは、時間を味方に付けている。やり直しができる。人類が消えたら、他の動物を育てればいいだけだ。それでもなお、私は一抹の期待を抱いている。人類が正しい道に戻ることを、願っている。そのこともまた、忘れないで欲しい〟

 バーバンクの言葉が途切れた時、志水はすがりつくように言った。

「次の段階とは何ですか⁉ 未来を知っているんですか⁉」

 バーバンクは、優しく囁いた。

〝将来の心配よりも、今の困難を切り抜けることを考えなさい。道は曲がりくねっていても、目的地に続いている。それを断ち切らせないことが重要だ〟 志水は叫んだ。

「ヒトには、まだ役割があるんですね! 人類は、試されているんですね!」

〝全ての生物に、役割がある。それを行うものは生き残り、忘れたものは滅ぶ。それが、定めだ……〟

 バーバンクの言葉は、次第に小さくなっていった。

「待って! お願い、教えて! 人類は、何をすればいいんですか⁉」

 阿部は、志水の肩にそっと手を置いた。

「行ってしまったよ……」

「だって! 未来が分かるかも知れないのよ! 人類の発生の秘密が掴めるのかも知れないのよ!」

「彼は、答えを置いていったよ。人類がなすべきことは、生き続けていれば明らかになる」

 その時、栄美子が叫んだ。

〝緑人が来る! みんな、興奮している……いいえ! 怒っているわ!〟

 怒りに包まれた空気の震えは、阿部と志水のセンサーも揺さぶった。

 志水は脅えた。

「何? 彼ら、どうしたの?」

 栄美子が言った。

〝神が我々を裏切った……そう叫んでいる〟

 阿部はうなずいた。

「今の話を聞いたんだ! 神に見捨てられたと思ったんだ!」

「逃げたほうがいい?」

「もちろん!」

 小屋を飛び出すと、無数の緑人がバーバンクの木に走り寄るのが見えた。手には、ゲリラの武器が握られている。緑人たちの怒りは、狂気に近い。ドームに充満しているのは、神をなじる罵声ばかりだ。

 一際大きな一人が、バーバンクの木に腕を突き立てた。

「なにが神だ! 裏切り者め! 死ぬ!」

 声には、いつか必ず植物に変わるのだという恐怖が、剥き出しになっていた。攻撃的な意識を、巨木に叩きつける。バーバンクは、抵抗も、反撃もしなかった。さらに何人かが、巨木に取り付いた。しかし木は、揺らぎもしない。

 緑人たちは精神波による攻撃を諦め、人間の武器を取った。ロケット砲や手榴弾が、バーバンクの根本で炸裂する。枝に撃ち込まれた砲弾は、葉を炎で包んだ。それでも彼は、沈黙を守った。

 阿部たちは、走った。気配を悟られないように祈り、穴の周囲を走り続けた。阿部の息が切れた時、岩陰から押し殺した声が飛んだ。

「ミスター・アベ! こっちだ!」

 ビルが、助け出した数十人の科学者を引き連れて、身を隠していたのだ。

 阿部は、志水の手を引いて岩の割れ目に転がり込んだ。喘ぎながら、言った。

「よく助け出せたな」

「奴ら急に興奮して、あの有様だ。誰も人間なんかに構っていない。何があったんだ?」

「説明は後だ。脱出できるか?」

「通信機も置きっぱなしでね。救助は、間もなく着く。強引な作戦をぶちかますぞ。クレーターの蓋になっている植物にミサイルで穴を開けて、ヘリコプターを下まで突入させるんだ」

 言葉が終わらないうちに、頭上の森林に炎が広がった。空中に、ナパーム弾の燃える油が舞った。

 阿部が叫んだ。

「もっと奥に! 焼かれるぞ!」

 無線に取り付いたビルは、内部の様子をヘリに伝える。その傍らに、日本刀が立てかけてあった。阿部は刀を取り、入口を塞いだ。しかし、緑人が襲ってくる気配はない。

 五分後、二機のUH1ヘリコプターが穴の底に舞い降りた。阿部は、先頭を切って裂け目を出た。

 緑色の影が、阿部の視界を掠めた。ヘリコプターとの間に、小柄な緑人が立った。緑人は、阿部を見つめた。その波動は、弱い。しかしその奥に、巨大な闇があった。さざ波一つ立てない、底無しの湖のように。

 背後から飛び出すビルたちを制して、阿部は刀を構えた。阿部は、自分の意識を探る波動の先端を、ぴりぴりと感じた。冷静で、自信に満ちた、力強い波動が高まる……。

 阿部は、悟った。

「マスター・ブレイン……」

〝ミスター・アベ……。よくもここまで来られたものだ〟

「そして、出ていく」

 緑人は、波動の放出を止めた。脳に思考を閉じ込め、考えを巡らしている。

 そして、言った。

〝今回だけは、神の意志を尊重しよう。行け。そして、神の言葉を人類に伝えろ〟

 マスター・ブレインは、大きく跳ねて、消え去った。

 阿部たちは、ヘリコプターに突進した。待ち構えていたヘリは、一気に上昇した。炎に包まれた緑の絨毯を貫き、晴れ渡った空中に踊り出る。

 ようやく全身を弛緩させたビルが、大声で叫んだ。

「あいつ、なんで攻撃してこなかったんだ⁉」

 阿部には、理由が分かっていた。

「科学者は役に立たないと分かったからだ。奴らは、必ず植物になる。それを先に延ばすのは、人間を食うことだけだ」

「なに? どういうことだ?」

「戦争が始まるのさ。もう、待つ理由はない。組織すら、要らない。緑人は、ひたすら人を食う。そうしなければ、木になってしまうんだ……」

 阿部は、眼下のジャングルに目をやった。バーバンクの木は、炎に包まれ、黒煙を上げている。

「マスター・ブレイン……いつかは、戦わなければならないだろうな」

 志水が、阿部の腕にすがった。

〝その時は、私も一緒に〟

 栄美子は脅えていた。

〝あの力……とんでもない深さがあったわ。彼と戦うなんて……方法はあるの?〟

 阿部は、腹を括っている。

〝さあな。その場になったら、思いつくさ〟

 そして彼らは、バーバンクの穏やかな声を聞いた。

〝私は滅びない。植物は、永遠だ〟

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