20

 突風が硝煙を吹き払い、緑の匂いが阿部を包む。

 森がざわめき、三体の緑人が巨木から跳んだ。リーダーの脇に降りた緑人は、森の精霊のように静かに阿部たちを見つめる。

 阿部の背後にいるのは、負傷者を含めて五人の兵士のみ。戦える者は、いない。

 阿部は、乱暴に唾を吐いた。

「たかが人間相手に、束になってくる気か! それでも超人だと? 笑わせるんじゃねえ!」

 緑人は、不愉快そうに答えた。

〝下手な演技だ。決闘が望みなら、はっきり言え〟

「やるか?」

〝受けよう。戦うのは、私とお前だけだ〟

「飛竜もだ」

〝要求を出せる立場だと思っているのか?〟

「犬が怖いか?」

〝好きにしろ。武器も、自由だ〟

「俺たちが負けても、他の人間は逃がせ」

〝いいだろう。人間の世界に戻って、我々への抵抗が無駄だと教えるがいい〟

「俺が勝ったら?」

 緑人は笑った。

〝望みを叶えよう。部下が、学者たちの所へ案内する。女も、そこにいる。できるものなら、助け出すがいい〟

「やってみせるとも。貴様の部下が約束を守る保証はあるのか?」

〝私が言ったことは、実行される〟

 リーダーは、わずかに腕を振った。後ろに控えていた緑人は、森に溶け込んで、消えた。

 ビルが、たまりかねて叫んだ。

「何をしている! 私たちをどうする気だ⁉」

 阿部が、なだめるように囁く。

「戦うのは、私だけだ。勝っても負けても、君たちは国に帰れる。下がって見ていろ。救助は呼べるか?」

 ビルは、肩に担いだ通信機のパックを見せた。

「衛星通信のキットは無傷だ」

「ここで見たことを、正確に話すんだぞ。それが、君の役目だ」

 阿部は、緑人をにらみつけた。緑人の思考は、〝箱〟に閉じ込められたままで、探ることはできない。阿部が聞けるのは、緑人が語りたいことだけなのだ。しかも、阿部の思考は全てを読み取られていると考えなければならない。

〝勝てるのか、こいつに……〟

 しかし、身をすくませるような恐怖は消え去っていた。阿部の中には、怯えている自分を冷静に受けとめる、もうひとつの意識が生まれている。彼が危機を乗り越える力を発揮できるのは、常にその冷静さを失うことがないからだった。

 頭の中に、ゴングが鳴った。

 飛竜が、十メートルを一気に跳躍した。緑人が、触手で宙を斬る。だが、その攻撃は鋭さを欠いていた。大量に撃ち込まれた駆除剤が、ようやく効果を現してきたのだ。飛竜は空中で触手に牙を立て、振り回された。

 緑人の腹から、数本の細い触手が発射された。阿部は、その動きを正確に感じることができた。戦闘に慣れた緑人といえども、体細胞に攻撃を命じる波動までを消し去ることは不可能だったのだ。

 阿部は自動的に緑人の懐に飛び込み、刀を閃かせた。腹を探り合いながらの勝負には、全身が馴染んでいる。緑人も、阿部の思考を読んで反撃を避けた。だが阿部の反射神経は、斬り合いでは引を取らない。しかもサイバーアームのスピードは、人間の域を遥かに超えていた。一方の緑人は、飛竜からも攻撃を受け、阿部に意識を集中できずにいる。駆除剤で変形機能を弱められていることもはっきりと感じられた。

 阿部が身をかわし、刀を振るたびに、触手がばらばらと落ちた。しかし、下草の間でうごめく触手は、阿部を襲おうとはしない。緑人は、姑息な攻撃を嫌ったようだった。

 緑人は、飛竜を撥ね飛ばそうと触手を振った。食い込んだ牙は、離れない。触手は、飛竜の胴に巻き付いた。

 阿部は、念じた。

〝身体に力を入れろ!〟

 飛竜が息を吸い、全身を膨らませた。触手も、締めつける。細く延びた触手は、力では勝てなかった。ピアノ線がちぎれるように、触手は弾け飛んだ。地上に立った飛竜は、すぐさまもう一本の腕に食いつく。

 阿部は触手を次々に斬りながら、叫んだ。

「首を狙え!」

 緑人は、ヘルメットを引っ込め、呻いた。

〝蠅どもめ!〟

 飛竜は、再び触手に搦め捕られた。無数の根が、触手から伸びる。だが、飛竜の皮膚は細い根が貫けるほど柔らかくはない。

〝飛竜! 離れろ!〟

 栄美子が言う。

〝このままじゃ、いつかは殺される。私たち、こいつの中に入って戦うわ。首を取ってね!〟

〝無茶だ!〟

 が、阿部も危機を認めないわけにはいかない。小競り合いでは互角に戦えても、勝負が長引けば疲労が致命的なミスを招く。

〝だって、飛竜が戦いたがっているんですもの……〟

〝だめだ!〟

〝志水さんを助けてね!〟

 飛竜は、力を緩めた。

 栄美子の意図を察した緑人は、嗤った。

〝精神力で戦おうというのか! 思い上がるな!〟

 弛緩した飛竜の表皮に、無数の根が突き刺さる。圧倒的な緑人の〝意志〟が注ぎ込まれ、脳に襲い掛かった。

 阿部は、緑人の本体に刀を突き刺した。腹を斬り裂く。ヘルメットを捜し、脳を突き刺すのが目的だった。だが緑人は、阿部を振り払おうともしない。傷はすぐに癒着し、痕跡さえ残らない。

 栄美子の恐怖が、阿部の脳で炸裂する。

〝熱い!〟

 が、次の瞬間、叫びは大きな精神エネルギーに包み込まれ、攻撃から守られた。飛竜の意識が、表に現れたのだ。

 飛竜は、栄美子を愛していた。栄美子を守り、栄美子を傷つける者と戦うことが、己れに課した使命だった。強靱な生存本能を伴った猟犬の怒りは、人間を遥かに凌ぐ攻撃力を放った。

 阿部は、飛竜の意志を実感した。それは、強烈なパワーの奔流となって、緑人に襲い掛かっていった。

〝な……なんだと? 化け物か⁉〟

 叫んだのは、緑人だった。

 飛竜の精神エネルギーは、緑人の不意を突いたのだった。しかもその強靭さは、緑人の予測を凌駕していた。激しく叩きつけられる飛竜の怒りが、緑人の精神ブロックを緩ませた。

 緑人の全身が、高圧線に触れたかのように痙攣した。表皮が、急速に加熱される。肩の細胞がぷつぷつと沸き立ち、濃い煙が吹き出す。ヘルメットが盛り上がった。緑人はヘルメットを開け、激しい呼吸を繰り返した。若いインディオの顔は、白煙に包まれている。〝箱〟から、緑人の恐怖が吐き出された。

 阿部は力を振り絞ってジャンプし、首に刀を振り下ろした。一瞬、遅かった。阿部の攻撃を察した緑人は、ヘルメットを引き込んだ。刀は鉄の塊にぶつかり、大きく刃こぼれした。地上に降りた阿部は、再び刀を構えた。

 緑人は、ヘルメットを完全に収納できずに、呻いた。開いたままの前半分が、胸につかえている。冷静さを失った意識では、駆除剤に弱められた身体を完全にコントロールできなかったのだ。

 緑人はつぶやいた。

〝馬鹿な……〟

 飛竜が噛みついていた腕が、切り離された。腕とともに落ちた飛竜は、打ち込まれた根を引きちぎり、阿部の傍らに立った。緑人は顔を出し、激しく息をつく。意識が混濁している。

 阿部は命じた。

「飛竜! もう一度だ!」

 飛竜は、緑人の肩に飛びついた。猟犬の闘争本能が炸裂し、緑人の脳に襲いかかる。

 緑人は、獣のように吠えた。

〝お父さん、今よ!〟

 阿部は、刀を引いて力を貯めた。そして足場を固め、一気に跳んだ。

 緑人も、必死だった。肩から伸びた太い触手が飛竜を搦め、さらに自分の首に巻き付く。首を落とすには、飛竜を分断しなければならない。

 阿部は、振り下ろした刃先を辛うじて逸らした。刀は、肩を切り込んだ。傷口が急激に盛り上がり、柄に絡み付く。自分が捕らえられる前に、手を離すしかなかった。

 よろめきながら退いた阿部は、茫然と戦いを見つめるビルに命じた。

「銃をよこせ!」

 我に返ったビルが、握りしめていたM16を差し出す。

「こんな物で……」

「違う! 拳銃だ!」

 ビルは、阿部が銃の扱いが苦手なことを思い出した。装備からコルトM1911を取ると、安全装置を外して手渡す。

「引き金を引くだけで撃てる」

 阿部はうなずき、再び緑人と対峙した。

 緑人は、飛竜を首に巻き付けたまま動けずにいた。飛竜は身体の自由を奪われながらも、互角に戦っている。静止した彼らの中で、激突する精神エネルギーが高熱を発していた。ヘルメットは開いたままで、立ちのぼる白煙も薄れていない。緑人は脳を守るブロックの保持に全力を投じ、視覚も運動能力も失っていた。

 阿部は、意識を集中させた。

〝栄美子! 飛竜! 合図で力を振り絞れ!〟

 阿部が放った波動は、飛竜と栄美子に吸収され、気力を奮い立たせた。

 阿部は、心を落ち着けようと、深呼吸を繰り返した。娘を守るためには、この攻撃に全力を注ぎ込まなければならない。力が沸き上がってきた。

 阿部は叫んだ。

「今だ!」

 阿部の心と飛竜の身体は、空間を覆う波動の場で繋がっていた。三つの精神エネルギーが収束し、緑人の体内を駆け抜け、脳のブロックに激突する。〝箱〟が、砕け散った。

 緑人は悲鳴を上げ、飛竜を放り出した。

 緑人は、揺らいでいた。ヘルメットの中の目は、焦点を結んでいない。

 阿部は、その眉間に向けて、引き金を引いた。全弾を撃ち込んだ時、緑人はどっと後ろに倒れた。

 飛竜は触手を噛みちぎり、足を引きずりながら阿部に擦り寄った。

 そして、倒れた。

「栄美子! 飛竜!」

 栄美子が囁いた。

〝大丈夫……。この子、疲れたのよ。私も……少し……休ませて……〟

 阿部は膝を突いて飛竜を抱えると、頬をうずめて、泣いた。

「ありがとう……お前は、強いな……ありがとう……」

 その時、倒れた緑人がつぶやいた。

〝銃を……使うとは……〟

 阿部は、はっと身構えた。

「武器は自由だ、と言った」

〝心配するな。お前の勝ちだ。神の命令に従わなかった私が、愚かだったのだ。神のもとへ行くがいい。これを、持っていけ〟

 身体から、日本刀がせり上がった。歩み寄った阿部は、肩で息をつきながら、刀を引き抜く。

「なぜ、これを?」

〝私は、インディオだ。戦士の誇りは、命に勝る。お前のような勇敢な戦士に敗れるのなら、悔いはない〟

 そして、沈黙した。

 森から、三体の緑人が滲み出た。一人が言う。

〝ついて来い〟

 阿部は、喘ぎながら懇願した。

「休ませてくれ」

〝十分やる。仲間の人間たちにも、そう伝えろ〟

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