19
太陽が、姿を現した。
阿部は、背丈を超えるシダに囲まれている。尖った葉を無数に付ける木からは、絡み合った蔦がいく筋も垂れ下がっていた。フキに似た植物が群生していた。その間を、濃い霧が漂う。爆撃の震動と硝煙は、やや収まっている。
しかしそこは、阿部が想像していたような〝密林〟とは違った。下草も少なく、巨木の幹を避けていくだけで前進できる。木々が広げる葉が太陽光線を遮るために、低い植物は成長を抑制されるためだった。
阿部は、思わず口に出した。
「釣りのヤブコギよりは簡単だな」
ビルが囁く。
「静かに」
兵士たちは、手で触れられるほどの緊張感を漲らせ、隊列を組んだ。阿部は、彼らに守られた。リーダーは、耳にかけたヘッドフォンで、他の隊との連絡を取っていた。マイクを取り付けたアームが口に伸び、両手は自由に使える。
前方に、大きな炎と爆発音が上がった。先頭のヘリが、飛び去る。仕上げにありったけの弾薬を吐き出し、機体を軽くしたのだ。後は、地上部隊の仕事だ。
ビルが聞いた。
「緑人を感じるか?」
阿部は、何も感じない。飛竜に確認する。
〝奴らは?〟
〝近くにはいないわ〟
阿部は、首を横に振った。
それが、基地攻撃の合図となった。
兵士たちは簡単な身振りで意志を伝え合って連携を保ち、進んだ。ゆったりとした物腰に、自信が蘇っている。緊張感は、霧とともに消えた。戦場は彼らの職場で、ジャングルは庭だ。〝常識〟が通用する作戦は、正体の分からぬ怪物に脅えるよりは耐えやすいのだ。
阿部は、彼らについていくだけで息を荒くしていた。心臓が喉につかえ、目がくらむ。
反対に飛竜は、力を溢れさせている。
〝栄美子、怖くないのか?〟
〝怖いわ。でも、飛竜が守ってくれる。この子に任せるしかないもの……〟
小隊が止まった。リーダーの合図が、隊員に伝えられていく。
阿部は、ビルを見た。ビルは、伏せろと手のひらで命じた。途端に銃声が轟き、植物が揺れ、枝が散乱した。
阿部は前に跳んで、顔を地面に付けた。湿った土の匂いが、鼻を突いた。大きな甲虫が、目の前を悠然と横切っていく。その背中に、薬莢が降りかかった。側面で手榴弾が炸裂し、熱風が渦巻く。
〝くそ! これが戦争か〟
兵士たちは、なすべきことを知っていた。位置を確保し、反撃し、敵の布陣を探る。リーダーの指示で何人かが場所を変え、逆転のきっかけを作り出していった。
ワインの栓を抜くような音が、立て続けに起こる。グレネード・ランチャーの発射音だ。
巨木の間に、爆発が続いた。
兵たちが突進し、銃撃を加える。戦闘は、それで終わった。
阿部は、腰を抜かしていた。刀を杖に、ようやく立ち上がる。
ビルが、軽蔑を表情に見せた。
「進むぞ。緑人は?」
阿部は、恥ずかしいとも思わなかった。平然と人を殺せる方が、異常なのだ。警官とはいえ、治安のいい日本の人間が、本物の戦闘に脅えないはずがない。
「まだ感じない」
小隊は、警戒を緩めずに前進した。兵たちは、ビルにすがる阿部を横目で笑う。阿部は視線を無視して、足もとに注意を集中した。下草が濃くなる。シダを掻き分けると、視界が開けた。
炎に包まれた、コンクリートの建物があった。周りには、鉄道のコンテナが並べられている。いずれも砲弾を浴び、原形を失っていた。
先に着いた小隊が、辺りを警戒していた。リーダーが打ち合わせし、ビルが阿部に結果を伝える。
「最低限の目的は達成しました。今、地下の掃討を進めています。一時間以内に、廃墟にしてみせます。これまでで一番規模の大きいコカインの精製所を、破壊できたわけです。しかし、緑人が現れないなら、これで引き揚げるしかありません。私たちにとっては、無駄骨でした。あなたには、ラッキーでしょうが……」
ビルには、阿部が怪物と渡り合ったとは信じられなかった。阿部が緑人との遭遇を願っていることが、分かるはずもない。
阿部は、念じていた。
〝来い! 来るんだ! お前らが来ないなら、彼女も助けられないじゃないか〟
と、飛竜が耳を震わせた。
〝来たわ! やつらよ!〟
阿部は、飛竜を見た。
「本当か!」
阿部も、背中に痛みを感じた。
ビルが、阿部の変化を察した。
「どうしたんですか? 緑人ですか⁉」
阿部は微笑んで、刀を抜いた。
「よかったな、無駄骨に終わらなくて」
ビルが叫ぶ。
「GM!」
阿部は、接近を感じた方向を指さした。緑人は、急速に近づいている。しかしその感触は、たちまち分散した。
「三人以上だ! 囲まれるぞ!」
緑人たちの動きが、阿部の頭の中で狂った蜂のように飛び回る。
「だめだ! 場所が掴めない!」
飛竜が唸る。しかし、動きが取れない。
〝四体よ! 動き回っている! 二人、地下に入った! だめ! 地下の兵隊が殺される!〟
阿部は叫んだ。
「地下だ! 兵を逃がせ! 皆殺しにされるぞ!」
ビルは、リーダーに命じた。小隊は、ジャングルに向けて臨戦態勢を固めた。一番大きい兵が、五十口径の機関銃を地面に据えて這う。駆除剤を装填した連発式ライフルを握った二人が、先頭に出た。
阿部のセンサーは、はっきりとした感触を掴んだ。巨木の上を指さす。
「あれだ!」
巨大な蛇が、巻き付いていた。エアライフルが連射された。銃が、一斉に火を噴く。無数の弾丸が、叩き付けられる。砲弾が炸裂し、木が折れ、倒れた。
銃撃が、止んだ。
硝煙が風に払われると、前方に緑色の塊があった。
それは、表面を震わせると、撃ち込まれた弾丸を吐き出そた。
兵士たちは、不気味な物体に目を奪われ、攻撃を忘れた。阿部は兵士からエアライフルを奪い、残った弾を撃ち込んだ。弾倉が空になるとライフルを捨て、すかさず刀を構える。
緑人は、変色しなかった。抗体を身に付けているのだ。
背後で、悲鳴と銃声が起こった。別の小隊が攻撃されている。我に返ったリーダーが、攻撃命令を飛ばした。間に合わなかった。
緑色の塊は、ふわりと跳ね、小隊の中心に降りた。触手を乱射し、兵士を刻む。血しぶきが舞い上がった。小隊は、機能を失った。
阿部は身をかわしながら、呻いた。
「あれだけ毒を打ったのに、どうして変形できるんだ……」
精神力の強さが、毒の効果を遅らせていたのだ。
阿部は、ビルと緑人との間で、刀を振った。そこには触手が、弾丸の速さで伸びていた。センサーがサイバーアームとシンクロし、目まぐるしく動いた。斬り落とされた触手が、防弾チョッキを付けた阿部の胸に当たり、ぱらぱらと落ちる。それを飛竜がくわえて、放り投げた。触手は飛竜の体内に潜り込もうとうごめいたが、皮膚を突き破ることはできなかった。
緑人は、人間の形を取った。盛り上がるヘルメットを見て、ビルが小便を漏らした。
緑人は言った。
〝来るな、と言ったはずだ〟
中島を殺した緑人だった。
〝大事なものを取り返しに来た〟
〝仲間になる意志はないのか? お前は、殺すには惜しい……〟
阿部は、刀を握り直した。飛竜が寄り添う。
辛うじて生き残った兵士が、背後に集まった。片足を失ったリーダーが、うわ言のようにを攻撃を命令する。しかし、従う者はいない。
放心していたビルが、我に返った。
「部隊は、全滅だ……。地上にも地下にも、通信に応える者はいない……。たった数分で……グリーンベレーを……」
緑人が、再び阿部に言った。
〝女はくれてやってもいい。マスター・ブレインは、寛大だ。それほどに、お前を欲している。仲間になるのだ。お前の才能を、こんな出来損ないどものために消耗するのはやめろ〟
阿部は叫んだ。
「いやだ! 俺は貴様らとは違う! 人間だ!」
〝その人間が、出来損ないだと言っているのだ。人類は、奴隷となる運命にある。神の世界に入るチャンスは、これで最後だ〟
「そんな勝手はさせない。彼女も必ず取り返す! 邪魔はするな!」
〝……分かった。では、ゲームを楽しもう〟
二人は、じりじりと間合いを詰めた。
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