第五章 神の密林・アンデス
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UH1ヘリコプターの片隅に座った阿部は、場違いな思いに、吐き気さえ覚えていた。
中には、米陸軍第八特殊部隊の兵士がひしめいている。密林のゲリラ戦をくぐり抜けてきた、猛者ばかりだ。ジャングル仕様の迷彩服。顔に塗られたカムフラージュのドーラン。両手で握りしめた大型火器。その姿が、外の闇に目を慣れさせるための赤いライトに浮かび上がっている。敵地に立つ瞬間を待つ兵士は、限界にまで高められた緊張感を放射していた。
緑人との戦いは、阿部しか経験していない。だが彼は、軍人ではない。絶え間ないガスタービンの轟音と振動、暑さと恐怖が絞り出させる兵士たちの体臭には、慣れることができなかった。足の間に挟んで握りしめた日本刀が、玩具のように頼りなく思える。
阿部は、指揮官が勧めた重火器には関心を示さなかった。使用法を教えられても、使いこなせるはずがない。武器は日本刀と、はなから決めていたのだ。
兵士は、その選択を笑い飛ばした。阿部には、特殊部隊員たちが、鋼鉄のロボットのように頑丈そうに見える。阿部は、武器の選択を誤ったのではないかと後悔し始めていた。
〝なんだって、こんな所まで来ちまったんだろう……〟
阿部の足もとでうずくまっていた飛竜が、首を上げた。
〝分かっているくせに〟
〝そうだな。彼女を救い出すのは、俺の責任だ〟
飛竜は、笑ったようだった。
〝私なら、いいのよ。志水さん、素敵な人ですものね……悔しいけど〟
〝どういうことだ?〟志水が掛け替えのない女性となっていることに、阿部は改めて気づいた。唐突に、娘の言葉の意味に思い当たる。〝馬鹿な。あの人は、お前と大して違わない歳だぞ。しかも、学者だ〟
〝そして、女。私は、ちょっと苦手だけど……。きっと、私に似ているからね〟
〝勘違いするな。それどころか、俺は避けられているんだぞ〟
〝脅えているのよ、彼女。気持ちに素直になれないだけ。なにか、訳がありそうよ〟
〝GMセンサーの効果だよ。こいつを付けていると、心が通う〟
〝心が通うことを、愛って言うの。好きになったら、きっかけなんてどうでもいいんじゃない?〟
〝親をからかうな〟
阿部は苦笑しながら、志水の顔を思い浮かべた。一見冷たいが、意志の強さが毅然とした美しさを放っている。阿部はセンサーを取り付ける前から、その魅力に惹かれていたのだ。彼女には、命を賭ける価値がある。
栄美子が、くすっと笑う。
〝ほらね。でも、助け出すのが先。きっとできるわ、お父さんなら〟
阿部は、小さくうなずいた。
〝やらなければな……〟
中島が死んだ翌日、アンダーソンは阿部に、米軍が緑人の基地を叩くと打ち明けた。偵察衛星が発見した大規模なコカイン精製所が、本拠地になっているらしいというのだ。場所は、ペルーのキヤバンバ近く。それが単にコカインの供給源だったとしても、アメリカには壊滅させる意味がある。緑人組織の中心であれば、生物学者たちが監禁されている可能性も高い。
機密を漏らしたアンダーソンには、阿部が同行すれば緑人の存在を感知できるという計算があった。緑人との戦闘経験者が加われば、成功の確率も高まる。利益が一致すると分かり、阿部の参加はその場で決まった。
パナマの特殊部隊基地でのブリーフィングで、阿部は兵士たちの厳しい視線に曝されながら、経歴を紹介された。英語を知らない阿部には、何を言われているのか分からなかった。しかし、ちびの東洋人を嘲笑っていた彼らが、アンダーソンの話が進むに連れて真剣な眼差しを向け始めたことは理解できた。
それでも大半は、話のほとんどを疑っているようでもあった。CIAの情報には眉に唾を付けるというのが、兵の習性だったのだ。
アンダーソンは、ビデオテープを見せた。ソルトレイク研究センターでの死闘を写したものだった。阿部たちの戦いは、細部まで記録され、分析されていたのだ。
この映像は、兵士から言葉を奪った。そして阿部は、戦場に生きる者としての尊敬を得たのだった。
飛竜も、最初は気味悪がられ、敵視された。しかし、たった一日の訓練で、実力は誰もが認めることとなった。
飛竜はもともと、猟犬として最高の素質を持っていた。しかも緑人細胞で強化され、栄美子の意識を宿している。どんな犬でも、命令に従わせることは可能だが、リーダーの意識を読み取り、自分で判断を下すことは、飛竜にしかできない。そして何よりも、緑人の行動を予測できるということが評価された。
阿部たちは必然的に、作戦の中核に組み込まれた。
しかし阿部は、現地に向かうヘリの中でも落ち着くことができなかった。言葉が通じないことは別にしても、職業軍人とは共通点がないのだ。行動様式、思考の方法、価値観の序列、全てが異なる。ジャングルに降り立って何ができるのか、自信がなかった。
阿部の不安を感じ取ったのか、通訳代わりのCIAの若者が、エンジン音に負けないように叫んだ。彼の名は、ビル・ヘインズといった。
「あなたは、これまでのように戦えばいいのです。人間相手の戦闘は、彼らが専門ですから」
阿部は、疑問を口に出した。
「どこで日本語を覚えたんだ?」
「東工大。物理学が専攻でした。今は、量子生物学を研究しています」
「学者か? なんだってCIAに?」
「志願したんですよ。情報機関も変わりましてね。遺伝子の研究では、民間より資金が豊富です。ダブル・オー・セブンは、軽い財布に泣かされています」
「生物兵器の開発?」
「ノーコメント」
「それにしたって、こんな場所まで来なくても……」
「フィールドワークは、学者の命ですからね。それに、軍隊経験もあります。親父は、ここにいる兵の教官でした」
「恐れ入ったよ。君から離れないように、心がけよう」
冗談のつもりだったが、若者は真剣に答えた。
「それが利口です。緑人が現れる前に流れ弾で死んでしまったら、笑い話にもなりませんからね」
ヘッドフォンを付けたリーダーが、身振りで合図を飛ばす。兵士たちは互いに時刻を確認し、装備の最終点検に取り掛かる。
「近いのか?」
「五分で開始です」
目的地上空に達しても、阿部のセンサーは波動を感じなかった。志水もいない。
ビルの通訳でそれを知った指揮官は、作戦を基地破壊に絞った。
数分後、機体は爆発音と大気の震えに包まれ、激しく揺れた。
硝煙の臭いに脅えた阿部は、ビルに尋ねた。
「下はどうなっている?」
「地獄です」
ヘリコプターが密造所に接近すると、ジャングルから数発のスティンガー赤外線誘導ミサイルが発射された。ヘリは分散すると、ミサイルのセンサーを妨害する熱源を散乱させる。第一波攻撃をかわしたヘリは、衛星情報を分析したマップに従って、それぞれの目標に向かった。
攻撃は、苛烈を極めた。十機を超す兵員輸送機は、倍の地上攻撃機AH64に警護されていた。弾薬を満載した攻撃機は、巨木に隠された施設に攻撃を浴びせる。三十ミリ機関砲弾、七十ミリロケットが、スコールのように降り注ぐ。逃げ惑うゲリラたちは、衝撃と熱で粉砕されていった。
ゲリラの基地は、巨大だった。八〇年代にメデジン・カルテルがカケタ州に建造した、伝説のキャンプをさえ凌いでいる。仮設滑走路から延びた蜘蛛の巣状の通路に、精製所が分散されていた。周囲には倉庫や整備工場、居住区、クラブハウス、診療所までが置かれている。そこはまさに、コカイン生産の巨大プラントだった。それぞれの建物は距離をおいて建てられ、木造の建築物に偽装されていた。
ロケット弾を浴びた建築物は、呆気なく炎に包まれた。ジャングルが、燃え上がった。ヘリコプターが巻き上げる黒煙が、大気を曇らせる。
しかし地下シェルターには、近代的な施設が隠されていた。地上に現れた建物は、入口でしかなかった。
反撃は、素早く、確実だった。炎を貫いて放たれたミサイルがヘリを捉え、三機の攻撃機が空中で飛散した。
阿部の傍らで、ビルが叫ぶ。
「降下用意!」
兵士たちは、天井のワイヤーにロープのフックを掛けた。阿部もビルにせきたてられ、彼らを真似た。低空でホバリングする機体から、ロープで地上に降りるのだ。阿部は、リペリングと呼ばれるその降下方法を、特殊部隊基地で集中的に訓練させられた。だがその時には、銃弾もロケット弾も飛んではこなかった。
阿部は、脅えた。
飛竜が叫ぶ。
〝お父さん、やるのよ!〟
〝分かってる!〟
攻撃機が反撃を封じ込めている隙に、兵員輸送機は基地を囲んだ。高度を下げる。
ドアが引かれた。
熱気と轟音、そして人間が焼ける臭いが阿部に襲い掛かった。兵士たちは、ある者は雄叫びを上げ、ある者は無表情に飛び出していく。彼らの動きは、機械のように滑らかだ。阿部は自分の番が来ると、すくんだ。
うっすらと明るくなったジャングルの中で、大地が燃え上がっている。炎に包まれた人間が、走り回っている。大木がたいまつのように燃え、弾けていた。周辺に浮かぶヘリからは、次々と兵士が降下していく。と、施設の中央に、火の玉が膨れ上がった。
ビルが叫んだ。
「兵器庫を殺した! 行け!」
阿部は、背中を押されて落ちた。ロープにしがみつく。革の手袋が火を噴きそうに熱い。その脇を、飛竜が飛び降りた。飛竜は、十メートルを超える高さからのジャンプにも、たやすく耐えた。植物の色に溶け込み、ジャングルで生まれた猛獣のように目を輝かせる。 今度は、栄美子が脅えた。
〝喜んでいる……。狩りが嬉しいんだわ〟
地上に立った阿部は、日本刀を握りしめてつぶやいた。
「俺は、今からでも帰りたいよ。お前、人を殺す気か?」
〝飛竜に聞いて。私の言葉が聞こえないほど興奮しているの〟
阿部は、娘を戦場に連れてきたことを、悔やんだ。
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