16

 阿部とアンダーソン、そして在日米軍司令官のデイビッド・コナーズは、横田基地の滑走路でC130を迎えた。着陸した輸送機が停止する前から、阿部は背中に強い痛みを感じた。

 タラップの上に現われたのは、黒いヘルメットを被った三人の巨漢だった。ヘルメットには、N17の文字が記されている。阿部のセンサーは、狂ったように警報を鳴らした。

 滑走路は、戦車に囲まれていた。その前に並ぶ無数の兵士は、大型のエアライフルと重火器を構えている。

 緑人たちは、兵士たちを見渡す。

 阿部のセンサーに、緑人の不快感がかすかに届いた。米軍の大がかりな布陣を知って抱いた恐れが、的中したのだ。

 阿部は言った。

「怒っているぞ……兵を引けないか?」

 アンダーソンは、不安げにコナーズを見た。

「軍が出した条件だ。私の一存では……」

 コナーズは、小さく首を横に振る。

 阿部は、司令官をにらんだ。

「招いたのはこっちだぞ。どうせ、戦闘になったら勝てやしない」

 コナーズはタラップを見上げて、緑人たちに叫んだ。

「下りてきたまえ! これでは話もできん!」

 背後に控えた指揮官が、兵士に命令を発したらしい。銃口が、一斉にタラップに向かう。

 阿部は、緑人たちの不快感が敵意に変わるのを感じた。コナーズに向かってつぶやく。

「ばかな……お前の部下じゃないんだぞ」

 緑人たちは、進もうとしない。

 誰一人動けぬまま、数分が過ぎた。

 阿部は、腹を決めた。アイデアを出したのは、自分なのだ。責任は、全うしなければならない。

 阿部は、ゆっくりと前に出てタラップを上り始めた。

 アンダーソンが後を追う。

「何をする気だ⁉」

「礼儀は守れと、親父に叩き込まれた」

 阿部は、緑人たちの正面に立った。言葉は通じなくとも、気持ちは伝わるという確信があった。

 先頭の緑人に向かって、右手を差し出す。

「軍の不作法をお許しください。怯えているのです。日本へ、ようこそ。感謝しています」

 緑人は、確かな波動を放出している。だが、阿部には意識の中身までは読み取れない。意識の奥に、ぽっかりと黒い空間が浮かんでいるのだ。緑人たちはその〝箱〟に、思考を閉じ込めているようだった。中島の意識には、なかったものだ。後に控える二体からは、存在の波動さえ感じられない。

 阿部は、高度に訓練された緑人の能力に、底知れぬ恐怖を抱いた。

 緑人は、動かない。阿部も、握手を求めたまま凍りつく。阿部は、ヘルメットの奥に、自分の心を覗き込む視線を感じた。

〝俺の腹を探っているのか? まさか、本当に戦う気なんじゃ……〟

 招きに応じると見せ掛けて潜入し、日本を支配するのではないかという危険性は、多くの関係者が指摘していた。それでも取り引きを申し出たのは、N17が中島を滅ぼしたいと願っているというCIAの判断があったからだ。しかし、CIAが常に正しいとは限らない。阿部は、N17に祖国を踏み躙る口実を与えたのかもしれないのだ。

〝米軍の臆病者どもめ……俺は嘘はついていないのに……〟

 と、先頭の緑人が英語で何事かを言った。

 アンダーソンが、安堵の溜め息を漏らす。阿部に通訳した。

「あなたの顔が見られて嬉しいと……。有名人だそうだ。GMを相手に、あなたほど果敢に戦った人間はいない。尊敬に似た感情を集めているようだな。軍の包囲は、意に介していないようだ」

 緑人が、阿部の手を握った。その瞬間、阿部は、思考をガードする〝箱〟をはっきりと確認した。しかし、敵意と思えたのは、力が劣る人類に対する憐憫だったようだ。

 阿部は、緊張を解いた。

「礼を言ってくれ」

 アンダーソンは言った。

「我々の見解は間違っていなかった。彼らも、中島の暴走に腹を立てている。中島がN17の指令を拒んだ時に、排除は決定されていたそうだ。彼らは、招かれたことを喜んでいる。奴を倒すことは、お互いの利益になる。あなたの狙いも、正しかった」

「条件は呑んだか?」

 アンダーソンは、緑人に質問した。

 緑人はヘルメットの中で、再び阿部の目を見つめたようだった。そして、答えた。

 アンダーソンが言った。

「なぜ、そのようなことを望むのか、と」

「個人的な恨みだ。家族を殺され、もう失うものもない。俺には、人類の未来より、復讐の方が重要だ」

 緑人は、阿部の態度に決意の強さを見た。通訳を待たずに言う。

「OK」

 阿部は、自らを囮にして、中島をおびき出すことを承知させたのだった。


 緑人掃討作戦は、〝期待通りの成果を上げた〟と報道された。多くの日本人は、危機は去ったと安堵している。政府の決断を恨んだのは、身内が巻き込まれたり財産を破壊された者だけだった。新宿の繁華街は破壊されたが、都庁の機能が辛うじて生き残ったことが幸いした。核攻撃の可能性があった事実がマスコミに漏らされたことも、好意的な風潮を作り出した。憎まれ役は、アメリカ政府が背負い込むことになった。米大使館は、抗議デモに取り巻かれながらも沈黙を続けた。

 中島は、姿を見せていない。暴力団関係者からも、部下や麻薬が襲われたという報告はない。警察は、原因不明の死者や行方不明者を洗い出したが、緑人の活動は確認できなかった。

 防衛庁幹部は、中島は爆撃で死んだと公言し始めていた。佐々木は慎重論を唱えたが、すでに信望は失われている。

 志水は、緑人の生命力の強さを科学的に解析し、警告を発した。しかし、膨大なデータに裏付けられた予測は、無視された。官僚や政治家が警告を聞かなかったのは、志水が女だからという一点に尽きた。

 阿部たちに敬意を払ったのは、CIAの特設チームだけだった。アンダーソンは、阿部の奇策を承認した段階で、核攻撃の延期を日本政府に通告した。それが、緊張感に水を差したのだった。

 日本政府による意図的な情報のリークは、アンダーソンを落胆させた。その結果、緑人の来日は政府には秘密にされた。日本人の行動様式を知り抜いた彼は、はなから信頼を寄せてはいない。日本国民から非難されるだけでパニックが防げるなら、〝安い〟取り引きだと割り切ってもいた。彼らの使命は、自国が生き残る道を確保することに尽きる。それには、日本の経済力の助けが不可欠だ。日本政府と東京が救われたことは、アンダーソンにも幸運だったのだ。

 N17の到着を待つ間、阿部と志水はアメリカ大使館で情報の収集に明け暮れていた。志水にも都合が良かった。アメリカからは、最高機密がリアルタイムで届く。日本国内のデータも、CIAの権威をちらつかせることで、それまで以上に円滑に流れ込んできたのだ。

 阿部も、満足していた。飛竜は、阿部のもとにおかれた。アンダーソンたちは、珍しいペットのように飛竜を扱っている。阿部は、娘との〝会話〟にも慣れ、ゆっくり傷を癒すことができたのだった。


 阿部は緑人たちとともに、ヘリコプターで大使館に戻った。

 志水の仕事は完了している。彼女が割り出した中島の居所は、新宿の廃墟の下だった。

 志水はブリーフィングルームで、緑人たちを前にした。

「彼は、殻の中で仮死状態になっていると思われます。でなければ、どこかに生命活動の痕跡を残しているはずです」

 阿部には不満だ。

「おびき出すことはできないのか?」

「目を覚ますまでは無理ですね。その代わり、見つけ出すのは簡単でしょう。お仲間になら」

 緑人が、かすかにうなずく。

 アンダーソンが質問した。

「札幌の時のように、小さな塊になっているのか?」

「築地では、巨大な個体でした。殻を破っても、ゴリラ程度の大きさはあるでしょう」

 阿部はうなずいた。沈黙を続ける緑人たちを見る。

「それだけ見つけやすいわけだ。よし、お客さんを案内するか」


 焼き払われた新宿は、民間人の立ち入りが禁止されていた。志水の結論はアメリカの調査結果として防衛庁に伝えられ、自衛隊員が〝死体〟を発見すべく這い回った。しかし、しらみ潰しに掘り返すほかはない彼らが、成果を得られる望みはない。

 阿部とN17の三人は、米軍のUH1ヘリコプター三機に分乗して現場に急行した。

 自衛隊は立ち退きを求められ、廃墟を囲む全長五キロ以上のフェンスを警護していた。アンダーソンと米軍の幹部は、志水とともに上空で待機している。機内は電子装置で満たされ、地上をモニターしていた。もう一機は、最新兵器を満載している。目的は、自衛隊とマスコミの航空機を締め出すことにあった。アンダーソンは、日本の航空機を撃ち落としてでも、緑人の秘密を守り通す覚悟を決めていたのだ。

 阿部は、地上ぎりぎりでホバングするヘリから、東口駅前の広場だった所へ飛び降りた。続いて、飛竜が飛び出す。

 飛竜は、外に出られたことを全身で喜んでいた。だが阿部は、惨状に呆然となった。

 地上は熱く、高熱で熔かされた建物の中からは、まだ炎と煙が上がっている。駅ビルは形を失い、地下街に陥没していた。鉄道の線路はひしゃげ、引きちぎられた死体から飛び出した血管のように見えた。高層ビルの破片に押し潰された人間は、骨まで熔けているはずだ。死体が焼ける匂いだけが、その存在を物語っていた。

 阿部は、内戦で破壊し尽くされたベイルートの写真を見たことがある。そこにさえ、建物の原形は残っていた。人の生活さえもが、続けられていた。だが、今の新宿には、何もない……。

 阿部はつぶやいた。

「俺は、余計な事をさせちまったんだろうか……」

 新宿の破壊を提案したことを、後悔した。だが、東京が生き延びる可能性を得たことは、確かなのだ。阿部は、佐々木の苦悩を理解した。

 飛竜が、焼けた地面に鼻を寄せる。

〝土よ! こんな所にも、土があったのね〟

 焼き尽くされたアスファルトの下に、黒い地面が顔を出していた。阿部は、熱が残る土を拾い上げた。それはナパーム弾の油にまみれ、熔け、握りしめるとぼろぼろと崩れた。が、確かに土だった。欲望を掻き立てて増殖し、自然を征服したかのように見えた巨大都市。その果てに、同じ人間の手によって仮面を剥がれると、変わることのない大地があったのだ。人間は、地球のほんの表面に、一瞬で消し去ることができる程度の印を付けていたに過ぎなかった。

「そういえば、新宿で土を見たのは、箱庭みたいな公園でだけだったな……。このままにしておけば、いつかは草も生えるんだろうか……」

 飛竜がはっと顔を振り、遠くを見つめた。そして、ほっとしたように言った。

〝ネズミね……〟

 阿部は、少し笑った。

「もう、生き物はやって来ているのか……。人間など、弱いものだな」

 ヘリコプターが、舞い上がった。

 三体の緑人が、彼を見つめている。

〝中島という男を感じる〟

 阿部の脳に聞こえた言葉は、栄美子の声ではなかった。飛竜も、緊張して緑人をにらみつけている。

 阿部は、先頭に立った緑人を見た。

「君の声か? 日本語が話せるのか⁉」

〝やはり聞こえるのだな。私が話しているのは、言葉ではない。テレパシーのようなものだ。これで、お前が脅威になる理由が分かった〟

 阿部の背に、寒気が走った。刀の鞘を払う。飛竜も、歯を剥く。

「ここでその脅威を始末する気か⁉」

〝そういう命令は受けていない。危害は加えない。少なくとも、今は。当面の敵は、中島という愚か者だ〟

 阿部は、緊張を解いた。彼らの言葉は、信用できる。そう感じるのだ。

「近くにいるんだな?」

〝ついてこい〟

 緑人たちは、歌舞伎町方面へ跳んだ。

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