13

 築地市場の冷凍倉庫は、いつもと変わらない静けさに包まれていた。午後二時という時間は、市場にとっては深夜だ。一日平均六万もの人間がごった返す雑踏のピークは、朝の七時から八時にかけてなのだ。太陽が輝く真昼に活動するのは、清掃業者だけだった。

 築地川と隅田川に囲まれた一角には、フォークリフトやターレットが行き交っている。しかし、作業員の顔ぶれは、昨日とは違っていた。全員が、暴力団員だ。コカインの警護という名目で掻き集められた命知らずたち。彼らは、それが緑人をおびき出す罠であることを知らない。

 最初に緑人の接近に気がついたのは、ごみを運ぶふりをしていた若者だった。足元にかすかな物音を聞きつけ、手を止めた。衿に付けた小型マイクに、囁く。

「マンホールに何かいる」

 途端に蓋が撥ね上げられ、緑色の巨人が顔を出した。組員は、ポリバケツに詰めた魚の頭の中からサブマシンガンを抜き、撃った。黒ヘルメットを被った巨人は、マンホールの蓋をフリスビーのように投げた。鉄の円盤は若者の胴を分断して、倉庫の壁に突き刺さった。

 作業員たちが、銃を構えた。大地から沸き起こったような轟音が、辺りを覆う。彼らは発砲しながら合図を交わし、全身を現した緑人を取り囲んだ。

 冷凍倉庫から、携帯用のロケット砲やグレネードランチャーを握った組員が駆け付けた。砲弾は、容赦なく撃ち込まれた。地面が揺らぎ、炎と黒煙が膨れ上がり、砲弾の破片が飛び散る。作業員の数人が、爆風で地面を転がり、血まみれになった。それでも出世を焦る若者たちは、包囲の網を狭めていった。 どこからともなく発せられた合図で、攻撃が静まっていった。硝煙が、ゆっくりと風に運ばれる……。

 緑人は、仁王立ちになっていた。首が消えている。

 誰かが叫んだ。

「首を取ったぞ!」

 歓声が湧いた。が、喜びは、すぐに絶望と恐怖に変わった。ゆっくりと首がせり上がり、緑人の全身から鉄の破片が押し出されていく。緑人は、包囲が縮まるのを待っていたのだ。

 目を剥く組員たちに、緑人は宣告した。

「死ね」

 緑人は、両手でヘルメットを覆ってしゃがんだ。無数の触手が凄まじい勢いで八方に伸びた。組員たちは身体を貫かれ、悲鳴と鮮血を吐いた。触手は彼らの胴に巻き付くと、締めつけた。苦しみに喘ぐ組員たちは、やみくもに撃ちまくった。弾丸は、仲間の身体に撃ち込まれていく。

「苦しめ! もがけ! 俺の恐ろしさを思い知れ!」

 緑人は、何十人もの男を引き寄せた。たくさんの頭を持った生き物のような塊に変わる。緑人は高らかに笑い、触手に力を込めた。組員たちは、爆発したように粉々の肉片に変わった。立ち上る血しぶきの中で、真っ赤に染まった緑人は笑い続ける。血液は、瞬く間に表皮から吸収された。

 緑人は、マンホールに叫んだ。

「見ろ! 人間など、敵ではない。来い!」

 新たな緑人が、続々と現れた。二十体を超えている。彼らは、倉庫に殺到していった。


 勝どき橋の袂に立つ高層ビルの最上階で、佐々木は微笑んだ。

「マンホールのセンサーにかかった緑人は、二十四体。全員が倉庫に入った。中島が組織したのは、これで全部だろう。罠を閉じる」

 横に立った阿部は、何も応えずに双眼鏡を下ろした。目には、まともな死体さえ残せずに命を絶たれた男たちが焼き付いている。それが、かつての敵であっても、笑うことはできない。

 志水が、自信なげにつぶやく。

「一体でも取り逃がしたら、一からやり直しね……」

 佐々木は、志水に冷たい視線を向けた。

「奴らがコカインを食ったら、もっと強力になる。チャンスは今しかない」

 阿部は、肩をすくめた。

「あんたの計画だ。やってみるさ。自衛隊が手柄を立てれば、俺も休める」

「倉庫は、厚さ二センチ以上の装甲板で補強した。逃げ場はない。たとえ脱出できても、部下が押さえる。東京を廃墟にはさせん」

 阿部は不意に、佐々木は自分に言い聞かせているのだと気づいた。その目には、かすかな脅えが揺らめいている。

「自信があるなら、どうして俺が必要なんだ? 今からでもいい、帰らせてくれ」

 佐々木は胸を張って阿部をにらみつけ、傍らの部下に命じた。

「第二段階を発動」

 阿部は双眼鏡に目を戻し、つぶやいた。

「幸運を祈るよ。俺のために、な」

 部屋に詰め込まれた電子機器の操作員たちが、活発に動き出す。無線の交信と機械の騒音が充満した。

 一人が言った。

「モニターをご覧下さい」

 凍結したマグロに殺到する緑人が映し出されていた。コカインは、冷凍マグロの体内に隠されている。アルミニウムの密閉容器に詰め、冷凍前に埋め込まれたのだ。麻薬捜査犬でも、容易には発見できなかっただろう。

 緑人たちは、電動ノコギリでも簡単には切れないマグロを叩き割って、コカインを貪った。引きちぎったアルミケースから白い粉末を飲み込むたびに、力が増すのが見て取れる。

 阿部は、不安を隠せなかった。

「本物を用意しなくても、罠はかけられだろうが……。手が付けられなくなるぞ」

 佐々木が答えた。

「リスクは計算した。罠だと気づかれる前に、全員を閉じ込めることが重要だった。一度に侵入するとは、期待してもいなかったからな。素人丸出しだ」「化け物なんだぜ。遠慮なんかするか」

「その油断が命取りになる。必要な時間は、もうもらった」

 倉庫の扉は、リモートコントロールで封鎖された。コカインに群がる緑人たちは、その音には関心を示さない。

 ボンベを積んだトラックが入口に乗り付け、自衛隊員たちが鉄の扉を溶接していく。

 隣接する倉庫からは、戦車や装甲車が進み出た。装甲車は、扉を封じる位置に停止した。大型車両の間を、三台のGMアーマーが埋める。阿部と志水がアメリカから移送してきたものだ。

 三機のヘリコプターが現れた。対ゲリラ戦用の重火器を装備した、地上攻撃機。さらに上空には、ジェット戦闘機が飛び交っている。

「ここまで入れ込んだ意地は、認めてやってもいいが……」

 阿部のつぶやきは、佐々木の耳には入らなかった。

「第三段階発動! 冷凍マグロにしてやれ!」

 モニターの中に、白い霧が噴出した。液体酸素が放出されている。

 緑人たちの動きが鈍った。コカインから顔を上げ、辺りを見回す。

 阿部は、中島に注目していた。

「罠に気づいた」

「遅い」

 中島は、そうは考えなかった。噴き出した霧が細胞の活力を奪うと見抜くと、ためらわずに行動を起こした。指示を仰ぐために集まる部下の首を、次々と叩き落としていく。

 佐々木には、中島の意図が分からなかった。

「何をしている……? 仲間を殺して、どうする気だ?」

 阿部も、志水を見た。

 志水は、冷静に分析した。

「死体を吸収するのよ。体積を大きくすれば、冷凍に時間がかかるし、脳も守れる。ナパームで焼かれた時と同じね。もしかすると、中心の細胞は、酸素でも活性が奪えないかもしれない……」

 志水の予想は、的中した。中島は〝死体〟を融合させ、巨大化していった。頭部を、身体の内部にめり込ませる。球状に変形すると、床を転がった。

 阿部が言った。

「なぜあんな不様な格好に?」

 志水が答える。

「人間の形態を保てる限界を超えたんでしょう。緑人でも、重力には勝てないのよ」

「骨がないからか? 身体を堅くもできるんだから、骨の代わりぐらい作れそうなもんだが……」

 志水は、しばらく考えてから言った。

「常に細胞壁を硬化し続けることは、完全に植物になるのと同じと言えるでしょう。地面に根を下ろす覚悟がなければ、できないんじゃないかしら。動物特性を捨てずに硬度を高めることは、一部分で短時間しかできないと考えて間違いないと思うわ。そもそも、意図的に堅さを強めるには、膨大な精神力を必要とするのかもしれないわね。それに、丸くなっている方が脳を守るにも都合がいいし……」

 苛立った佐々木が、割って入った。

「何をする気だ⁉」

 志水は、佐々木にきつい目を向けた。

「分かるもんですか! 行って聞いてくればいいでしょう!」

 答えはすぐに出た。

 中島は、無数の触手を伸ばして辺りを探り、暴力団員たちが残していった武器を集め始めたのだ。動きは、鈍い。触手は、液体酸素の霧に触れてぽろぽろと折れていく。それでも中島は、次々と触手を送り出して、作業を続けた。

 佐々木はつぶやいた。

「奴ら、あんなに弾薬を持ち込んでいたのか……」 倉庫に武器を隠すことは、認められていた。武器は多い方が、敵を弱められると判断されたのだ。だが、その武器が、今は中島の手に渡っている。

 佐々木は、寒気を感じた。

 阿部が、中島の狙いに気づいた。

「火を点けたら、どうなる?」

 答えたのは、志水だった。

「倉庫は酸素でいっぱい……。並の爆発ではすまないわね」

 佐々木が息を飲んだ瞬間、中島は触手で拳銃を撃った。モニター画面は一瞬真っ赤に染まり、ノイズに埋め尽くされた。

 倉庫はむっくりと膨れ上がり、壁が剥がれ落ちた。入口が、吹き飛んだ。扉を塞いだ装甲車が、子どもに蹴られたミニカーのように転がる。爆発の圧力は、溶接したばかりの扉を一気に破壊したのだ。

 入口から噴き出した炎が消えると、大きく歪んだ壁面が確認できた。壁に固定されていた配管が外れ、亀裂から漏れ出すガスが土埃を巻き上げている。そのガスの中に、黒い球体が転がっていた。

 阿部がつぶやく。

「出やがったぞ……」

 佐々木が呻いた。

「まさか……こんなに簡単に……」

 中島は、炭化した殻を割った。中から、むくむくと人間の形が盛り上がる。中島は、配管から噴き出すガスに包まれて、背を伸ばした。その目が、壁の配管に注がれる。にやりと笑ったようだった。

 予想もしなかった展開に凍りついた包囲網の中で、中島は両腕を振り上げて雄叫びを上げた。

 双眼鏡を離せないまま、阿部が言った。

「建物から出ているガスは何だ⁉ 酸素じゃないぞ! 元気になっている!」

 志水が叫んだ。

「アンモニア! 冷凍倉庫では、フロンの代わりにアンモニアを冷媒に使っているんだわ!」

 佐々木がパニックを押さえながら、つぶやいた。「アンモニアは毒だ……」

「動物にはね。でも植物には、アミノ酸を合成する栄養素よ!」

 佐々木は、ぽっかりと口を開けた。

 阿部が双眼鏡を外し、叫ぶ。

「どうする、佐々木。決断しろ!」

 隊員たちの視線が集まる。

 佐々木は、かすれた声をしぼり出した。

「第四段階だ。総攻撃……」

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