第四章 武装都市・東京

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 東京。

 阿部は、志水とともに、防衛庁の地下会議室に招かれていた。同席していたのは、佐々木と数人のアメリカ人、そして日本の首相たちだった。

 サミュエル・アンダーソンと名乗った男が、最初に発言した。日本語で語られたCIAの見解が、参加者の口を重くさせている。

「あなた方がGMの繁殖を食い止められないのなら、我々は実力を行使せざるを得ません。内政干渉だという抗議があろうと思いますが、GMの問題は一国の政府が判断を下せる段階を越えました。人類の存続を願うなら、東京が消滅することも止むを得ないでしょう」

 戦術核兵器の使用を意味していた。

 阿部たちが日本を離れている間に、東京では緑人が組織化されつつあったのだ。その中心は、札幌から脱出した中島だと確認されていた。

 中島は、〝超生命体〟の特権を、巨大都市の地下世界で復活させたのだ。

 彼は、暴力組織に浸透し、緑人化した人間を配下に加えた。食料として襲われる人間は、暴力団幹部に限られていた。大組織の組長が警察に保護を求めるほど、事態は深刻化している。なのに、誰も緑人の数さえ把握していない。

 沈黙を破って、志水が立った。

「随分と思い切ったことをおっしゃいますね。今や、世界中の中核都市が汚染されつつあるんですよ。東京以外では最初から組織化が進んでいて、表面に現れにくいだけです。しかも、治安の悪い都市では、百人単位の人間が蒸発しても誰も気に留めません。その陰で、破壊は進んでいます。強盗や略奪、食料を得るための無差別誘拐。すでに数万人が餌食になったというデータさえあります。なぜ東京だけを?」

 アンダーソンの反論は、明快だった。

「問題は、東京のGMが組織されていないという一点に尽きます。確かに、他の国々にも緑人は浸透しています。この国以上の規模で、もっと奥深く。しかし彼らは、節度を心得ているのです。取り引きができる理性を備えています。人類の存続を脅かしてはいるが、戦略を立てて行動を自己規制しています。東京の集団だけが、緑人の世界的組織からはみ出していることは明らかです。彼らが、何を狙っているのか、どのような行動に出るか、全く予測ができません。共存を考えるには、不安材料が多すぎます」

 阿部は、腹立ちを押さえ切れなかった。

「あんたら、N17と取り引きしたのか? 何を約束したか知らんが、信用できるものか。時間稼ぎに過ぎん」

 アンダーソンは、阿部の目を見据えた。その視線には、敬意が込められている。日本の政治家たちをにらみつけた時の厳しさは、消え去っていた。

「それこそが重要なのです。N17は何かを待っている。それが実現されるまでは、人類への宣戦布告も行えない。総力戦は、自分たちの生存をも脅かすと、承知しているのです。我々にも、対策を練る猶予が与えられているわけです。しかし、東京のGMは、そんな事はお構いなしです。暴走を許せば、無軌道なGMが世界中に広がってしまいます。人類は、戦闘態勢を整える時間すら失ってしまうのです」

 音もなく部屋に入ってきた係員が、志水の前にファイルを置いた。表紙に赤いインクで、〝至急〟と記されている。彼女は討論を気にしながらも、報告書を開いた。

 防衛庁長官が言った。

「N17が何を待っているのか、あなた方は把握しているのですか?」

 アンダーソンの口調は、棘のあるものに変わった。

「彼らにも、植物化を防ぐ完璧な方法が分かっていないのだと判断しています。彼らは、植物になりたくてGMへの変化を望んだわけではありません。最終的な目的は、人類の支配でしょう。しかし今の段階では、いつかは大地に根を下ろすことを運命づけられています。それが、彼らの恐怖です。その恐怖を克服できた時に、初めて人類へ対する戦略が決定されるのです」

 志水が素早くめくっていた報告書から顔を上げて、質問した。

「世界中から優秀な生物学者が誘拐されているのは、そのためだと?」

 アンダーソンは、深くうなずいた。

「私は、東京を破壊したいのではありません。確かに、それを望む人物はいます。合衆国の時代を取り戻そうという幻想に駆られた、石頭どもがね。彼らは、緑人の恐ろしさを理解していない。今、日本が経済的に行き詰まれば、緑人対策の資金が危うくなります。私は、それを恐れます。しかしそれすらも、東京がGMの都市と化すよりはましです」

 首相が初めて口を開いた。

「今のうちに殲滅する他はない、というのだね」

「我々も全面的に協力いたします。作戦が成功すれば、東京は生き延びられます。そうなることを、願います」

 防衛庁長官が、重い溜め息を交えて言った。

「では、GM掃討作戦の概要を説明いたします。佐々木君」

 立ち上がった佐々木は、淡々と語った。

「今回の作戦は、警察と暴力団の協力の下に進行します。すでに暴力団関係者には、大量のコカインが陸揚げされるという情報が行き渡っています。実際に、合衆国政府から譲り受けたコカインが、築地の冷凍倉庫に搬入されている頃です。GMは、必ずこのコカインを奪いに現れます。我々は、彼らを倉庫に閉じ込め、液体酸素によって凍結します」

 首相が、不安げに言った。

「暴力団などが信用できるのかね?」

「GMの発生で被害を受けているのは、現在のところ彼らだけです。命を賭けているという点では、最も信頼がおけます」

「東京の――いや、日本の命運がかかっているのだ、くれぐれも間違いのないように」

「もちろんです」

 報告書を読みふけっていた志水が、唐突にあっと叫んだ。

 佐々木が、不愉快そうに彼女を見下ろした。

「どうしたね?」

 志水は、興奮を押さえ切れずに立ち上がった。

「緑人化のメカニズムが解明されたんです!」

 全員の視線が、集まる。

「原因は、ウイルスです。緑人は、レトロウイルスの感染によって発生するんです!」

 佐々木が言った。

「我々にも分かるように説明できるか?」

 志水は、報告書から目を離せずに、さらに数ページを素早く繰った。佐々木が答えを促そうとした時、目を上げた。

「もちろん。阿部さんの犬が植物化したことはご存じでしょうか。その犬の排泄物から、未消化の緑人の種が発見されたのです。これは、犬が発芽によって植物化したのではないということを実証しています。詳しいいきさつは省きますが、研究班は、種の殻に寄生していたウイルスが喉の粘膜に感染したことを突き止めました。人間がインフルエンザに感染するのと同じです」

 阿部が言った。

「飛竜は、種を撃ち込まれて植物になったのではないのか?」

「ええ。種は、直接には植物化に関係していないようです。重要なのは、寄生ウイルスです」志水は、もう一度報告書をめくった。「これを仮に、緑人ウイルスと呼びましょう。緑人ウイルスが人体に感染すると、細胞内のDNAに作用して特殊な酵素を作り出します。この酵素は赤血球を葉緑素に変え、コラーゲンをセルロースに近い物質に置き換えていきます。ヒトの身体の構成要素を、根本的に変質させてしまうのです。しかも、この変化には正方向のフィードバックが働き、ドミノ倒しのように連続し、加速され、爆発的に進行します。全身が緑人化されるまでは止まりません……」

 官房長官の咳払いで、志水は顔を上げた。

「専門用語が多くて、理解しづらいな。人間と植物という懸け離れた生き物が、君が言うほど簡単に移り変われるものなのかね? 黴菌ごときに、そんな大それた事が……」

「正確に理解していただくには、相当時間の講義が必要になります。ですが、分子生物学の視点から生命を見ると、動物と植物は、懸け離れた存在とは言えないのが常識です。見かけは違っていても、本質的な構造は非常に似通っているのです。また一方で、生物の進化の過程で、ウイルスが重要な変化をもたらしたという研究もあります。例えば無脊椎動物から脊椎動物への飛躍です。ある種のウイルスに感染した細胞が、軟骨に変化することは大分以前から知られていました。それが進化のある時期に起こったとするなら、人類は……いいえ、ほとんどの動物は、ウイルスがなければこの世に産み出されなかったことになります。この事はぜひご理解いただきたいと思います」

「それにしても、人間を全く変えてしまうなんて……」

「昆虫の変態を考えてください。卵からかえった幼虫――例えば青虫が、サナギの中で蝶に変わることは小学生でも知っています。彼らは、自分自身を一度完全に分解し、似ても似つかない個体を組み上げるのです。なぜそうするのか、どうすればこんな離れ業が可能なのか、我々は何一つ知りません。しかし彼らは、そんな大変化を、事もなげに行っています。同じことが、ヒトに起こったわけです」

 阿部が言った。

「ウイルスが退治できれば、緑人は倒せるのか?」

 志水は、つらそうに続けた。

「残念ながら、そうではありません。ウイルスは、変化のプロセスを開始させるだけなのです」志水は、声を止めて興奮を静めた。「我々のチームは、全てのヒトの遺伝子に緑人化がプログラムされている、と結論しました……」

 会場は、騒然となった。誰かが叫ぶ。

「なんだと⁉ 人間が植物になることは、遺伝子で決まっているというのか⁉」

 志水はうなずいた。

「ヒトの遺伝子で役割が解明されていた部分は、数パーセントに過ぎません。大部分は、何のために存在するのかさえ分からなかったのです。そこに、緑人化への設計図が隠されていました。そのプログラムは、レトロウイルスによってイントロンやスペーサーが省かれ、初めて機能を発揮します。そして、ヒトを植物へと変化させていくのです」

 誰もが予測し得ない事態だった。

 阿部でさえ、信じられなかった。

「なんで、今まで人間は植物にならなかったんだ? 間違いじゃないんだろうね」

 志水は首を振った。

「これと似た現象は、実は日常的に起こっています。例えば、ガン細胞。ヒトの遺伝子には、Cオンクと呼ばれるガン遺伝子が含まれています。この領域は、発生、分化、増殖といった、生命に欠かせない発達を管理しています。ところが、Cオンクの末端から十二番目のアミノ酸が一個だけ変異すると、たちまちガン化し、自分自身を死に至らしめます。この変異を引き起こすものが、紫外線や発ガン物質です。ヒトに欠かせないガン遺伝子は、たった一つのアミノ酸による鍵だけで、暴走を食い止められているのです。報告書によると、緑人遺伝子には、桁外れの数の鍵が掛かっているようです。数百から数千。それほどのアミノ酸が一度に変異することは、自然状態ではあり得ません。ところが、緑人ウイルスの逆転写酵素は、その鍵を一気に外してしまうのです。マスターキーのように働くと考えればいいでしょう。そうして、無意味だと思われていた遺伝子が、緑人化を引き起こす状態に組み直されてしまうのです」

 アンダーソンがつぶやいた。

「オー・マイ・ガッド」

 志水はうなずいた。

「まさに、神のみがなせる業です……」

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