7
警報を聞いた阿部は、緑人が蘇ったことを知った。顔色を青くした志水に、言う。
「あんたらは、甘い。あいつは、不死身だ」
志水は、インターホンを取った。誰にも連絡が取れない。電話口に、応えるべき人間がいないのだ。
阿部は、焦る志水を見つめた。
「俺は、娘を連れて逃げる。もう化け物と渡り合うのは御免だ」
正直な気持ちだった。妻を失ったことで、本当の仕事は家族を守ることだと気づいた。中島への復讐心も、桁外れの力の前に消え失せている。
志水はうろたえた。
「あなたが必要です」
「私に必要なのは、娘だけだ」阿部はそう応えると、栄美子に向き直って言った。「行くぞ」
阿部は、ベッドを降りた。一瞬、足もとがふらつく。栄美子も、うなずいてベッドを降りた。飛竜が、栄美子の足もとに立つ。その姿は、王女を守る騎士のように自信に満ちていた。
志水は食い下がった。
「でも、二人とも身体が……」
「自分の心配をしろ。奴が来たら、誰にも守れん。脳味噌を食われる前に、逃げることだな」
廊下に出ると、完全武装の小隊が目の前を過ぎた。手にしたライフルには、小さなガスボンベが取り付けてある。
阿倍の後ろで、志水が叫ぶ。
「武器は、完成してます。今度は、倒せます!」
阿部は、振り返った。
「祈っている。君のためにな」
緑人は、炭化した殻の中でも、外の様子を感じ取る感覚を保っていた。
植物は、生命活動を停止したままでも外界の変化を察知できるのだ。化石に埋もれて数千年を経た種子が、水を与えられて芽を吹く事さえある。中島は、植物化してその能力を知った。動物が、固有の波動を放射していることも学んだ。それは、指紋のように同じものがない。植物が感じるのは、その波動だ。中島は、鋭い勘と集中力によって、生体の波動を感知できるよう、自らを鍛えたのだった。
中島がすぐに殻を破らなかったのは、敵を見極めるためだった。今、彼は、自分の生存を脅かす相手を知っている。自衛官の佐々木。生物学者の志水。そして、阿部……。彼らが死ねば、緑人殲滅の計画は遅れる。己れの王国を築く時間が得られるのだ。
廊下に立った中島は、波動を探った。無数の恐怖と敵意が、渦巻いている。特定の波動を探し出すには、膨大なエネルギーを必要とした。中島は諦めなかった。神経を集中させ、佐々木と志水が階下にいることを突き止める。
中島は、精神力を視覚に戻した。廊下の外れに、数人の自衛官が現れている。武器は、圧搾空気で注射器を発射するものだ。
隊員が引き金を引く寸前に、中島は跳んだ。身体が小さくなっていたことが、有利に働いた。いくつかの注射器が脇を擦っただけで、針は刺さらない。彼は、小隊の中に着地した。
小さな身体が、せわしなく動く。鮮血と肉片が飛び散る。隊員の防弾チョッキは、強力な腕に引きちぎられ、たちまちぼろ布と化した。
さらに二つの小隊が、エアライフルで挟撃する。
中島は、床にしゃがんで背中から触手を伸ばした。死体の群れを巻き取り、引き寄せる。中島は、詰み上がった死体にすっぽりと覆われた。次々に撃ち込まれる毒は、死体に阻まれて表皮には届かない。中島は悠然と、床に拳を叩きつけていった。厚いコンクリートと鉄筋が、発泡スチロールの模型のように崩されていく。兵たちが至近距離から弾丸を撃ち込んだ時には、中島は階下に消えていた。
志水の急報を受けた佐々木は、建物の出口で阿部を捕まえた。後ろに、血の気を失った志水が続いた。
佐々木は、苛立ちを剥き出しにした。
「君はチームの一員だ! 勝手な真似は許さん!」
阿部は、栄美子を鋼鉄製のドアから押し出し、飛竜に命じた。
「栄美子を守れ」
飛竜は小さく吠えると、栄美子に続いた。栄美子と目が合う。阿部は、大きくうなずいた。栄美子もかすかにうなずき返し、背を向けて走り去った。
阿部は出口を背で塞ぎ、佐々木と対峙した。佐々木は丸腰だが、付き添っている二人の制服は、脇のホルスターに手をかけている。左手にエアライフルを握っていた。
阿部は、佐々木をにらみつけた。
「もう、守らなければならない秘密はない。緑人のことは、日本中が、いや世界中が知っている」
「だが、奴らを倒す方法は、完成していない。協力しろ」
「部下に抵抗されるのが、気に入らないのか。そういう下司野郎だ、貴様は」
「抵抗するなら、処分すると言ったはずだ」
制服が銃を抜いた。勝ち目はない。
阿部は、肩を落とした。
「栄美子を見逃すなら、残る。貴様が食われるのを見届けてやるさ」
佐々木は、冷静さを取り戻してうなずいた。
「娘さんは解放しよう。二階のモニタールームに戻るぞ」
彼らがモニタールームに着く寸前、天井が崩れて、中島が降り立った。距離は、十メートル。制服は、ほんの一瞬ひるんだだけで、注射器を胸に撃ち込んだ。
中島は、動きを鈍くした。注射器が刺さった皮膚を、えぐって捨てる。だが、壁に張り付いた皮膚組織は、変色しなかった。
志水が呻いた。
「耐性ができたんだわ……」
中島は、志水の言葉を聞きつけてかすかに笑った。
「勝負はついたな。ここが貴様らの墓場だ」
中島が、触手を飛ばす。が、それは数メートル伸びただけで、阿部たちには届かない。
志水が叫ぶ。
「毒素が変形を押さえている!」
毒は、細胞を破壊する力を失っても、変形力を抑制していたのだった。
中島は吠えた。天井から、埋め込まれていた鉄筋を引き抜く。くの字に曲がった鉄筋を両手で延ばすと、槍のように投げた。制服が、腹を貫かれて転がった。
新たに現れた小隊が、佐々木たちの前に出て、小銃を乱射する。変形力が完全ではない中島には、通常兵器でも効果があった。弾幕が前進を阻んでいる。
中島は、辺りを見回した。嵌めごろしの窓を見つけ、針金入りのガラスを突き破った。窓枠を揺すぶり、レールを剥ぎ取る。
隊員は、素早く退いた。毒の作用を見極めるために身を乗り出した志水が、先頭に出てしまった。
阿部が、反射的に飛び出す。
「さがれ!」
中島がレールを投げた。
志水が避ければ、阿部を直撃する。志水はとっさに身体を傾けた。迫るレールを、がっしりと右脇に抱え込む。身体がずるっと退いた。
だが、レールは志水の腕に止められた。その先端は、ほんの数センチにまで阿部に迫っていた。
ぽっかりと口を開けた阿部と、目が合う。
志水の中に、怒りが炸裂した。
「勝手な真似を!」
志水は、軽々とレールを掴み直すと、中島に向かって投げ返した。
どよめきが広がる。か細い女が発揮した爆発的なパワーが、理解できなかったのだ。阿部も、言葉を失った。中島にとっても、信じ難い展開だった。
反撃を予測しなかった中島は、退くタイミングを逸した。辛うじて沈み込ませたヘルメットの上部に、レールが火花を散らす。脳を揺さぶられた中島は、無様に尻餅をついた。
中島は、すかさず立ち上がる。
「こいつも受けてみろ!」
手を伸ばし、指を広げる。
志水が叫ぶ。
「伏せて! 種を飛ばすわ!」
志水は、阿部の前に立った。中島の指から、何かが発射される。それは、志水の腕に当たって軽い金属音を立てた。
中島は甲高く笑うと、窓から飛び出した。
我に返った佐々木が、叫ぶ。
「早くモニターを!」
彼らは、モニタールームに駆け込んだ。無数の画面の前で、研究員たちが青ざめている。外の風景が映し出されていた。見慣れた路面電車に気づいた阿部は、茫然とつぶやいた。
「お前ら、街のど真ん中にこんな研究所を……」
札幌の市内だった。路面電車の線路が直角に曲がる、藻岩山の麓だ。
志水が言った。
「医療レベルが高く、首都から離れた都市が選ばれたのです。ここに緑人が現れると分かっていたわけではありません」
阿部には、志水の口調が変わらないことが、奇妙に思えた。緑人の攻撃を超人的な力で防いだ女だとは、信じられない。そもそも、人間の力で成し得る技ではない。
自分を見つめる阿部に、志水は言った。
「あれを!」
画面の一つに、栄美子の後ろ姿が映っている。急いではいるが、身体が思い通りに動かせないようだ。そんな栄美子を、飛竜がエスコートしていた。
阿部が呻いた。
「早く逃げろ……。早く……」
祈りは、裏切られた。同じ画面に、中島が現れた。阿部は言葉を失った。
佐々木が、マイクを取った。
「ケースコード・D。エリア6の処理を準備」そして、志水に尋ねた。「種を作っているんだね」
志水は、右腕を差し出した。かすかに、金属が軋むような音がする。白衣が破れて露出した皮膚に、中島に撃ち込まれたものが見えていた。形も大きさも、アーモンドのようだ。
「危険に瀕すると、子孫を残す本能が働きます」
「君は大丈夫か?」
「フレームに当たっただけですから」
阿部は、裂けた白衣の下に露出した金属に気づいた。
「まさか……あんた、ロボット……」
「説明は、後。それより――」
モニターの中で、パニックが起こっていた。緑の怪物に襲われた人々が、逃げ惑っている。逃げ遅れる栄美子を、飛竜が庇う。中島から、百メートルと離れていない。
と、中島が動きを止め、背中を丸めて座り込んだ。アップの画面では、緑色の背中が沸き立つようにうごめいている。
その背中が、むくむくと盛り上がった。
志水は、涙声を出した。
「だめ……種をばら撒く気よ……」
佐々木は、握りしめたマイクにつぶやいた。
「こちらは、失敗した。エリア6を焼却せよ」
阿部は、佐々木の衿を鷲掴みにした。
「焼却とは何だ⁉」
佐々木は、手を振り払おうともしない。無表情に答える。
「ナパーム弾で焼く。そうしないと、種を撃ち込まれた人間が、緑人にされてしまうのだ」
「まさか……」
手を離した阿部は、モニターを見つめた。
緑人の背が、弾け飛んだ。何百という種が、弾丸のスピードで放出される。人々が、ばたばたと倒れた。血まみれになってもがきながら、這って逃げる。
栄美子も、倒れていた。飛竜が身を寄せ、頬を舐めている。額の出血に気づいた阿部は、固く目をつぶった。
「娘が……化け物になるというのか……」
志水が、つらそうにつぶやく。
「あれが、普通の繁殖方法なの……。でもまさか、こんな人込みで……」
スピーカーから、ジェット機の轟音が聞こえた。それはたちまち部屋を揺るがす振動となり、阿部の目を開かせた。
数秒後、画面が真っ赤に燃え上がり、建物がぐらついた。攻撃機が弾薬を撃ち込むたびに、足もとが震え、画面が白熱する。
佐々木が、冷静に言った。
「この建物は、耐えられる。今度こそ、奴も死ぬ」
阿部は、娘が焼かれるのを感じた。冷たいナイフを、胸に突き立てられたような感触だった。言葉も涙も、出ない……。
と、誰かがモニターを指さした。
「犬だ! 犬が生きている!」
阿部は、はっとしてモニターを見た。
飛竜だった。全身が焦げ、煙を引いて走っている。口に、黒い物をくわえていた。
佐々木が、つぶやく。
「何という生命力だ……」
飛竜が走るスピードが、急速に鈍る。
志水が、モニターに向かって身を乗り出した。
「何をくわえているの……?」
阿部は叫んだ。
「もっと大きく見られないか!」
同時に飛竜は、力尽きて倒れた。画面が拡大された。
志水がつぶやいた。
「人間の皮膚かしら……?」
黒焦げになった飛竜がくわえていた物には、焼けて縮れた髪が付着している。
そして、飛竜は痙攣した。首から、焦げた毛が剥げ落ちる。その下は、緑色に変色していた……。
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