緑色の生命体は人間を装い、正面から中央警察署に侵入した。暗い色のトレンチコートを着た男が三人、にこやかに奥へ進む。ホールを行き交う警官たちは、不審を抱かなかった。

 インフォメーションに歩み寄っても、彼らは笑顔だった。案内係の太った巡査が声をかけようとした時、先頭の小柄な男が手を伸ばした。

 いきなり衿を掴まれて、巡査は叫んだ。

「何ををする⁉」

 緑人は、笑ったまま巡査を席から引きずり出した。そして、軽々と振り上げる。

「こうするんだ」

 十メートル以上も離れた壁に投げつけた。

 ホールのざわめきが、静まった。何が起こったのか、すぐに理解できる者はいなかった。凍りついた室内に、壁に張り付いた巡査が落ちる音が響く。全身が不自然に折れ曲がっていた。

 悲鳴が湧き上がり、人々は逃げ惑った。

 ぼんやりと棒立ちになった老婦人が、二番目の緑人に捕まった。緑人は、婦人の白髪と肩を掴み、ぐいと引く。首が、すっぽりと抜けた。身体は真っ直ぐ立ったまま、血液を噴き出させる。

 警官の一人が、銃を抜いた。

「やめろ! 動くな!」

 緑人は、首を投げつけた。腹で受け止めた警官は、腰を折って数メートルも後退り、自分の足を撃ち抜いた。銃声がホールに反響し、警官たちの意識を目覚めさせた。二十を超える銃口が、三体の緑人に向かう。

「動くな! 撃つぞ!」

 緑人は、跳ねた。昆虫を思わせる動きだった。発砲に慣れていない警官たちは、素早い動きを追うことができない。緑人たちは分散し、銃を構えた警官の近くに降り立った。

 殺戮が開始された。

 ある者は、銃を握った腕を捩切られた。ある者は、鼻を脳に叩き込まれた。一人を殺すと、緑人たちはまた跳ね、次の獲物を血祭りに上げる。彼らが跳ぶたびに、鮮血と肉の断片が飛び散り、断末魔の呻きが広がっていった。彼らはにこやかに、跳び続ける。

 警官たちは、市民を庇いながら逃げ場を求めた。机やソファーを倒して身を隠し、銃を乱射する。しかし、ほとんどが的を外れた。まれに命中しても、動きを鈍らせることさえできなかった。

 特別機動隊員が突入した時には、息をしている人間は片手で数えられた。隊員たちは、ホールの中央に固まった三体に、ショットガンの狙いを定めた。 指揮官が、叫ぶ。

「君たちは何者だ⁉ 目的は何だ⁉」

 リーダーらしい緑人が、甲高い声で怒鳴る。

「教えろ! どうすれば俺たちが生き延びられるのか、教えろ! サツは情報を握っているはずだ!」

「何を言っている! 分かるように話せ!」

 緑人は、コートを引き裂いた。首から下が、緑色の表皮に覆われていた。

「元に戻す方法を教えろ! できないなら、殺す!」

「化け物め……。撃て!」

 ショットガンが火を噴いた。

 緑人たちは、両腕で顔を覆い、動きを止めた。銃撃は、一分以上も続いた。指揮官の合図で、銃口が上がる。轟音が収まり、硝煙が薄れていった。

 緑人たちは、同じ場所に立っていた。コートはちぎれ、無数の銃弾を浴びた表皮が露出している。だが、血や体液らしいものは流れていない。しかも、腕を下げた彼らは、まだ笑っていた。いくぶんか、悲しげに。

 と、緑色の皮膚が波打った。弾丸が押し出され、リノリウムの床にカチカチと音を立てて転がった。

 リーダーが、無念そうにつぶやく。

「治せないようだな。では、死んでもらおう」

 機動隊員たちは、逃げ腰になっていた。だが、指揮官は、〝腕〟に遭遇した男だった。敵を観察する冷静さを、保っていた。

「頭を撃て!」

 我に返った隊員たちは、再び引き金を引いた。緑人の反応も早かった。一人が跳んで、隊員の中に降り立つ。リーダーは、身を引いた。最後の一人は頭を吹き飛ばされたまま、機動隊に突入した。

 脳を失った緑人は銃弾を浴びながらも、手に触れた人間を解体していく。首をつけた緑人は、両腕を振り回しながら進んだ。その腕は、ナタのように隊員を切り裂いた。だが彼も、側面から首を撃ち抜かれた。皮一枚で繋がった首を背中にぶら下げて、彼は外に走り去った。リーダーは、窓を破って逃げていた。


 二台の大型トラックは、宅配便の配送車に偽装されていた。一台には、佐々木と志水、そして無理を押して乗り込んだ阿部がいた。もう一台には、重武装の小隊が待機している。周辺の道路は封鎖され、民間人は見当たらない。

 佐々木と志水は、戦闘部隊とともに裏口から突入した。阿部は、出ることを許されなかった。現場に詳しいという理由をこじつけて、同行させるのが限界だったのだ。

 気力は回復した。しかし、鎮痛剤が切れれば痛みにのたうつことは分かっている。それでも、病室で寝ていることには我慢できなかったのだ。

 阿部は、病室で睡眠薬を注射された。研究所の位置を悟らせぬための措置だ。目が覚めるまでにどれだけの時間が過ぎたのかは、分からない。だが、戦闘部隊の緊迫した動きから、緑人がまだ近くいることは確かめられた。研究所は、札幌からそう遠くない場所にあるはずだった。

 阿部にできることは、車の後部に詰め込まれた電子機器を眺めるぐらいしかない。内部の壁には、何十というモニターテレビと、無数のスイッチを付けたコンソールがセットされている。

 阿部は身を乗り出し、運転席に残った自衛官に言った。

「緑人とやらに出会ったことはあるか?」

「いいえ。説明を受けただけです」

 不安と恐怖が滲み出ている。

「特攻隊に選ばれなくてよかったな。自分で見なければ、あいつの馬鹿力は信じられんよ。腕一本で、人を殺せるんだから」

「この車は、防弾ガラスと装甲板でガードしてあります。ロケット砲で直撃されても、生き残れますよ」

 自分に言い聞かせているようだった。

 と、フロントガラスが緑色の物体で塞がれた。〝それ〟は人間の形をしていたが、成熟したゴリラよりも巨大だった。声を上げる間もなくガラスが突き破られ、自衛隊員は喉を掴まれた。骨を砕かれながら、引きずり出されていく。

 緑色の巨人は身をかがめ、車内を覗き込んだ。盛り上がった緑色の肩に載っていたのは、卵型の黒いヘルメットだった。人間のサイズのヘルメットが、異様に小さく見える。頭部をすっぽりと覆った鉄の塊には、目の位置に細いスリットが入っていた。緑人は、ヘルメットの前を撥ね上げた。現れたのは、中島の顔だった。

 声は、ドナルドダックのように甲高い。声帯も変化したようだ。

「捜したよ、阿部さん。おびき出すためには、サツを襲うしかなくてね。怖がるな。命は狙わん。その代わり、命令に従え」

 阿部は、恐怖に身をすくませた。

「なんでそんな化け物に……」

「分かりきったことだ。貴様らを叩き潰すためさ」

「しかし、どうやって……?」

「コロンビアから、種を送らせたのさ。飲み込んだだけで、この通りだ」

「怪物にまでならなくても……」

「超人と言ってくれ。俺は、俺の意志でこのすばらしい身体をコントロールできる。誰も止めることはできない。世界は、俺のものだ」

 阿部は、小林の死に様を思い出し、気力を奮い立たせた。とっさの思いつきで言う。

「いつまでもそのままではいられんぞ。そのうち、頭まで化け物になる!」

 中島は、否定しなかった。

「俺は、別だ。押収したコカインはどこだ? 苫小牧港には行った。カナダからの原木には、隠し場所が彫られていた。コカインの臭いも残っていた。だが、中身は砂糖だ。すり替えたんだろう」

「そんな話は聞いていない。俺は、木村組で気を失ったんだ。お偉いさんに聞け」

「聞いたが、口を割らなかった。だから、死体になった」

「やっぱり貴様か……。けだものめ! 何と言われても、俺は知らん」

「調べろ。現場の指揮官なら、たやすく聞き出せる。明日の正午きっかり、ここに来い。仲間に悟られるなよ」

 中島は、巨大な手で名刺を差し出した。

「できるかどうか、分からん」

「女房と娘……別れても、他人じゃないだろう?」

「まさか……」

「二人は間もなく、手下が連れてくる。命令に背けば、俺のものだ。助っ人を呼んでも、挽き肉になることは分かっているな。待っているぜ」

 はったりだと笑い飛ばすことは、できなかった。

 阿部は、心の底から脅えた。

 別れた妻に対しては、負い目があった。彼女は、不規則な生活とストレスが原因で、神経を病んだ。阿部は、何日家を空けても平気でいられたが、その結果、妻の変調を見逃した。

 彼女は、覚醒剤の常用者と化していたのだ。

 それは、阿部が追っていた関西系暴力団からの警告だった。北海道に上陸して間もない彼らは、阿部の戦意をそぐために、妻の焦躁感に付け込んだ。ビタミン剤だと偽って覚醒剤を勧めたのは、隣の主婦だったという。妻は、疑いながらも、注射を射たせたと語った。そして、堕ちた。

 阿部は、妻を更正施設に収容させた。同時に、離婚が決まった。それは、わずかに正常な意識を残していた妻の望みだった。

 妻の不始末の責任が自分にあることを思い知った阿部は、辞表を差し出した。が、辞表は上司から恐怖の目で見つめられ、今だに机の引き出しで眠っている。阿部一人の引退が、対暴力組織の戦力を半減させると分かっている以上、認めるわけにはいかなかったのだ。

 妻の面倒は、二十歳になる一人娘が看ている。娘は、ただの一度も阿部を非難したことはない。

 策を弄した暴力団は、一月後に逃げ帰った。阿部を怒らせた代償だった。それでも阿部は、悔やんでいた。自分の無神経さを、責め続けていた。いつかきっと埋め合わせをすると、心に誓っていた。離婚は認めたものの、それが本心だった。

 妻と娘が捕らえられる……。その言葉は、阿部の身体を痺れさせた。

 そこへ、もう一人の緑人が現れた。彼は、普通の人間の大きさをしている。

 中島にすがるように、言った。

「言われたとおり、殺してきた。お願いだ、秘密を教えてくれ!」

 中島は、笑った。

「約束だからな。秘密は、これだ」

 中島は、相手の額を掴む。

「中島さん、何を……⁉」

「食うのさ」

 ぐいと、手首を捻った。男は、目を剥いたまま首をもぎ取られた。身体が、崩れる。

 中島は両手で頭蓋骨を割り、脳を啜った。

 阿部は、胃液を吐いた。その耳に、中島の甲高い声が届く。

「娘は、喰う前に犯す。気が狂うまで楽しませてやる。それが嫌なら、従え」

 中島は、トラックの天井を叩いた。厚い装甲板が、ブリキの玩具のようにへこんだ。

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