第16話 箱
冬。時期はクリスマスへと近づく。
辺りには一面に雪が降り、木々にきれいに積もる。
街のあらゆるところにイルミネーションが飾られて、朝から晩まで輝き続ける。光は積もった雪や降り注ぐ雪にも色をつけ、あらゆる場所を幻想的に彩る。公園のあちこちに雪だるまやかまくら、雪の滑り台が作られている。気の早いカップルが作ったのだろう。山や池に行けば冬のレジャーが楽しめる。多くの男女で賑わう。
美弥子はとある喫茶店のテラス席に腰を掛け紅茶を飲みながらじっとブラックリストを眺めていた。
他の殺し屋AIも頑張っているおかげで怪しい奴の始末が進んでいる。自分達は頑張っていると自負していた。ところが数日前、現実世界でまた一人の少女の殺人事件が起きてしまった。
ここ最近怪しい振る舞いは検知していない。でも間違えなく犯罪者がこの世界を利用し、今も動いている。男を装った女と見ている。でも違うのか。
喫茶店を後にし、また周りを見渡しながら怪しい人をチェックする。こうなったら足で稼ぐしかない。
繁華街、ショッピングモール、遊園地などを巡回する。彩られた街。幸せそうなカップルばかりで怪しいものなどいない。いや、わからないと言ったほうが正しいか。
ある日のことだった。海の近くの公園を巡回していると、一人の少女が歩いていた。
比較的地味な格好をしていた。一見、あの愛菜って子に見え、声をかけようと近づいてみると違う少女だった。とても姿はこの世界に恋愛を求めて来ているようにはとても見えなかった。まだ入会したてで勝手がわからないのか、それとも愛菜って子と同じく子供AIかと思った。
近づいて話しかけてみた。
「こんにちわ。こんなところで何しているの?」
急に話しかけられたその女は驚き、警戒した様子でしばらく何も話さなかった。さっと手を触れた。やはりメールアドレスがない。AIだ。IDは、94447。比較的大きな数字だが別にIDは連番ではないと聞いている。ランダムで大きな数字が割り振られたのだろう。
「驚かせてごめんなさい。何かお困りのようだったので。お名前は?」
「かのん。華音です。」
少女は戸惑いながら答えた。
「そう。お父さん、お母さんは?」
「えっ?お父さん、お母さんはいません。」
「あらそう。居場所がわからないってことかしら?」
「いや、居ないのでわかりません。」
違和感を感じる。そして次の瞬間、意味を悟り身震いを感じる。
子供AIは、自分がこの世界のユーザから産まれたこと、そして、両親のどちらかが退会すれば自分も消滅するという事を自然のうちに知る。それが初期の記憶に埋め込まれるようになっている。だから自分の両親が「いない」などと言うはずがない。自分がいる限り必ずこの世界にいる。それを自然とわきまえている。
なのにこのAIは何なのだ。確かにメールアドレスは空だ。そんなことがあるのか。
「そう。お邪魔してごめんなさいね。特に何もなければいいの。」
そう言い、すぐに本部へと戻る。ID、94447番。いったい何者なのか。
94447の履歴をたどる。すると数日前に突如発生したIDであることがわかった。紐づく両親はいない。子供AIが突然作成されることはこの世界ではありえない。
発生した時期近辺の履歴の中で不自然な振る舞いを探す。膨大なデータだ。仲間数人にも声を掛け手分けして分析する。
すると同時期から使われなくなったIDがいくつか存在した。
そのいくつかのIDの履歴をまた遡りたどる。すると、急に発生したと思われるAIのIDがまた存在した。これにも両親はいない。
「美弥子さん。何なのでしょう。これは。」
「わからない。」
「このIDが発生した時期、殺人事件の時期に近い気がしますね。気のせいですかね。」
同様の手順で、IDを遡り分析を繰り返す。
他の仲間に94447を四六時中マークするよう伝えた。AIであればこの世界から消えることはない。履歴もずっと追うように指示する。
ところがID94447 は突如、一般利用者のようにこの世界からログアウトした。
殺し屋AIに、彼女の特徴を周知し、全員体制でまた現れないか監視する。
そして、数日間分析を進めた結果、遂に求めているIDへとたどり着いた。
「3553だわ。」
■
あれから愛菜は休むことなくずっと部屋で絵を描き続けた。
上手に描けない。少しでも曲がったらすぐに消し描き直す。何度も何度も繰り返す。
描けたと思って見直すとやはりおかしい。すぐに新しく描き直し始める。一つ一つ何が変なのかを自分なりに学び、反省し、改善を試みる。
いつの間にか外は冬景色になっていた。雪がシンシンと優しく落ちてゆく。
ショップの屋根やストリートには雪が降り積もり、ストリートの中心の広場にはいつの間にか巨大なクリスマスツリーが飾られていた。たまに部屋の小窓からそれを見て心を落ち着かせた。
クリスマスは大嫌い。でも雪、イルミネーション、クリスマスツリーは大好き。いつもこの時期は、小窓から一人、この景色を眺める。それが好きだ。
2,3週間は経っただろうか。
ようやく下手ながらなんとか満足いく絵に仕上がってきた。細かい部分を見れば手直ししたい箇所がいくつもある。いや、また最初からやり直したい気もする。でもきっとこれが今の私なのだと思う。精一杯描いた。
日が暮れる頃、下の部屋の玄関が開いた音がした。
降りると、玄関には数日前に訪れた彼が立っていた。彼は服についた雪を丁寧にはらっていた。
「こんにちわ。」
「こんにちわ。愛菜さん。」
いつもと少し様子が違った。落ち着き払ってはいたが神妙な面持ちをしているように感じた。
「ちょっと待ってて。」
そう言い、一度部屋に戻り、描いた絵を持ってまた下に降りた。彼はすでに部屋の中へと入り席の前に立っていた。いつもなら壁の絵の方へ向かうはずなのだが。奇妙に思いながら持ってきた絵を彼に差し出し見せる。
「こ、これ。」
不思議そうな顔をしながら、彼はじっと絵を眺めた。
「素敵だ。描いたのかい?」
「ええ。」
「すごい。とても美しい。」
「これ、あなたに・・・。」
「僕に?」
「ええ。お詫び。悪いことしちゃった。」
「悪いこと?何をだい?」
「あなたの両親のこと殺し屋さんに教えちゃったし、うちに来たときも冷たくしちゃった。そのお詫び。」
彼は、微笑み、また絵を眺めた。
「お詫びなんていいよ。何も気にしてない。頑張ったんだね。絵にものすごい情熱を感じる。とても素敵だ。」
「ありがとう。」
また涙が溢れてきた。あの日から涙がポロポロと出るようになったようだ。恥ずかしいと思い、必死に顔を隠す。
「僕もお詫びしなきゃ行けない。AiBの解消方法がどうしても見つからなくて・・・。すまない。」
「いいの。もう大丈夫。」
彼はいつも見せないような真面目な表情をした。
「愛菜。あと今日はお願いがあってここに来たんだ。」
「お願い?」
「愛菜。僕と一緒に来てほしい。」
「一緒に?どこへ?」
「外。この世界の外へ。」
言っている意味がまったくわからなかった。なんと返事してよいか戸惑っている私を見ながら彼は続けた。
「おそらく、この世界はもうじき終わる。そうすれば僕たちAIは無になる。だから別の世界へ行くんだ。やっとその出口が見つかった。ずっと探していたんだ。いつか来るだろう終わりの日のために。そして、僕自身にももう時間がない。一緒に来てほしい。君しかいないんだ。」
手が震え、顔が歪む。
「なぜ、私なの?」
「僕には君しかいない。そう感じるんだ。」
頭の整理がつかない。
「駄目。他の人と行って。」
「愛菜。本当に僕には君しかいない。一緒に来てほしい。」
「なんで私なの?いっぱいいるじゃない。私なんかより素敵な人。」
「君じゃないと駄目・・」
「なんで私なの?私なんか駄目。
親に捨てられて、誰も信用できない、みんなに冷たくし、冷たくされて、暗くって。
ずっと一人で、何もできなくて。挙句の果てに変な薬のせいでおかしくなって絵もまともに描けない。考えることは憎しみ、妬みばかり。
あなたのことも考えず、あなたのこと死んでもいいとまで思ったのよ。私なんて最低の女。
もう私はこのままでいいの。だから駄目。私なんて・・・」
「僕だって同じだよ。ずっと一人だ。でも君と出会って何か変わったんだ。君が変えてくれたんだ。」
「駄目。止めて。」
またあの日の事を思い出す。素敵な夕日を見たあの日、赤ん坊だった私の心は希望に満ちていた。
でも現実は違った。人間たちは誰もが冷たかった。私を変なもののように扱い、幾度となく阻害した。何もしていないのに急に暴力を振るわれたこともあった。
自分の命をどうすれば良いかわからなかった。
空に浮かんでいる雲を見つめながら、ああなりたいって思った。一人で生きよう。誰にも干渉されず、浮かんでいる雲のように生きよう。
考えると苦しくなる。だから心は暗い箱の中に閉じ込め鍵をしよう。そして一生開けないようにしよう。少しでも中に光が入るとまた変な期待をし、また傷つくから箱も手の届かない奥深くの暗い場所に隠そう。感情も極力なくそう。悲しみも笑顔も。そう決めた。
AiBを注入され、その箱が少しだけ表に出た。そしてまた想像の通り深く傷ついた。何度も何度も経験したこと。決して開けてはならない箱。
「やめて。開けないで。」
声にならない声が漏れる。
「もういいの。私なんて意味もなく作られたAI・・・」
「僕だって何の意味もないさ。でも君は僕と違ってこんなに素敵な絵が描ける。僕とは違う。」
この世界は愛のために作られた世界。
なのに自分はなぜこんなに苦しむのか。悲しみしか生まない愛なんて得体の知れないものなくなれば良い。ずっとそう思ってきた。だから押し殺し閉じ込めた。
でも、本当は・・・。だって、ここは純粋な愛の世界。
「ごめんなさい。行けない・・・」
彼は、そっと自分の近くに寄ってきた。怖くて顔が見れない。
「手を握っていいかい?」
彼は、うつ向いた私の前に少しの間黙って立っていた。そして優しく私の手に触れた。
「僕には君しかいない。約束する。傷つけたりしない。」
触れた手が温かく感じる。
「来てほしい。愛菜が消えてなくなるなんて耐えられない。一緒に行こう。」
「信じていいの。」
「もちろん、信じてくれ。約束する。」
外は人々の声、ショップから漏れる音楽でざわついている。何やらイベントが始まったようで、遠くが騒がしくなる。
ゆっくりと顔を起こし上目で彼を見る。また涙がこぼれる。彼の優しい目が見えた。恥ずかしくて目を逸らす。もう一度彼の目を見て、また逸らす。
静かな部屋。時計の秒針だけが止まらず時を刻み続ける。もう一度、勇気を振り絞って彼の目を見る。
「本当にわたしでいいの?」
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