第15話 海岸

 愛菜は丸1日後、家へと戻り部屋へと閉じこもった。


 その日の夕方、美弥子が家を訪れた。部屋から出て挨拶すると、美弥子は期限良さそうに「この間は情報をありがとう。お母さんとは出会えたの?」と優しい口調で話しかけてくれた。お母さんには会って少しだけお話したと伝えた。晴の父のことを聞くと、美弥子は「見つからなかった。」と答えた。それを聞き少し安心した。

 隠していたつもりだったが、美弥子に「元気ないのね。いつも以上に。」と声を掛けられたので、逆に、昨日の昼に誰かを殺害しなかったか質問した。美弥子はずっと探していたターゲットが見つかったので始末したと答えた。時間を聞くと、空を飛ぶ少女の消えていった時間とほぼ同じだった。それを伝えると、美弥子は事態を察した。


 「そう。あの男が空を飛ぶ少女の父親だったのね。それは残念だったわね。」

 「お母さんは?」

 「あの少女の?知らないわ。多分この世界で遊んでいるはずよ。想像するに相当の遊び人。」

 「もう戻らないのですよね。」

 「両親のどちらかが消えればAIの子も自動的に消滅する。残念だけど。」

 声にならない声で返事した。心に大きな穴が空いたよう。力にならない。

 「あの少女には、私も会ったことがあるわ。とても無邪気で可愛い子。あの子が産まれた後ぐらいから利用者からのクレームが数件寄せられてね。」


 少し家の中が静まり返る。美弥子は目を閉じ、両手を合わせ数秒間黙祷し始めた。私も一緒に手を合わせた。

 美弥子は目を開けると、勝手に椅子を出し、座り足を組んだ。


 「本当に残念だったわね。でもこの世界を純粋に保つためには仕方のないことだった。悲しいことだけど。」

 「この世界を?」

 「この世界は、本来、純粋な愛に満ちた世界。管理者もそれを願っている。

 男女は、いや、人同士はお互い愛を求めている。それは生物の本能なの。素直になれなかったり、恥ずかしがったり、性を変なものと捉えたり、複雑な人間関係に気を使ったり、変なプライドが邪魔したり、それが理由で現実の世界で純粋な恋愛が出来ない人達の場所。その世界を汚す人達から守るのが私達の役目。」


 「私、初めて喜びを分かちあえる人に出会えたと思ったのに、なのに・・・」

 「人じゃないわ。AIよ。私達と同じ。」

 「また一人ぼっちだ。私。」

 「あら、私だって一人よ。同じ仕事しているAIはいるけど、ただ一緒にいるだけだし。」

 「ずっと、別に一人でいいって思っていたしなんとも思わなかった。けど、最近一人でいると落ち込んでくる。」

 「あら、人みたいね。人の疑似子供として作られたからね。私達はひたすらデータ分析し、淡々と任務を全うするだけ。

 この世界には、一人じゃ寂しい人達がわんさかいるけど、たまに恋愛で傷ついて絶望している人を見かけるわ。無理するくらいなら一人でいればいいのにって思う。一人の何に落ち込むのかしら。自分のしたいことを自由にできる。あの空を飛ぶ少女のようにね。」

 「私にだってわからないです。あのAiBっていうのを飲んでから・・・。」

 「AiBに感染したの?まあ、お気の毒に。でも、少しAIが人っぽくなるだけだからあまり深く考えなくてもいいと思うわ。むしろ個性が出ていいんじゃないかしら。」

 AiBに対する美弥子の反応に驚いた。驚異的な病気だと思っていたからだ。

 「AiBってなんなのですか?」

 「さあ・・・。知らないわ。」

 美弥子は机に左腕の肘をつき、手に頬を乗せた。

 美弥子の先程の発言は、AiBについて熟知しているようであった。なのになぜ知らないふりをするか。理解できなかった。


 「深く考えないことね。あなたも人のように恋愛を楽しめばいいじゃない。少しは明るい性格になるかも。」

 「恋愛って、愛って何なのですか?なんでこんなに寂しく、悲しい思いをしなければならないのですか?」

 取り乱した私を見て、美弥子は席を立ち私に近づくと私の横に周り背中を優しくさすってくれた。


 「愛は素敵なもの。

 確かに、愛は争いを生むし、悲しみ、孤独感、憎しみも生む。振られたり奪われたりすれば誰だって嫌。傷つくこと、恥ずかしい思いをすることもあるわ。

 でも、それでもまた誰かを愛して、そしてまた頑張ろうとする。それはとても素敵なこと。それが人に限らず全生物の成長の一つなの。

 愛は何も特別なものではないわ。ダイヤモンドやサファイヤや真珠じゃない。その辺に転がっているただの石ころと同じ。誰にでもあるし、誰にでも何にでも投げてぶつけられるもの。あなたが、海や夕日が好きなことと同じ。」

 「でも、私・・・。」

 「残念だけど、あなたが何にどれほど傷ついたのかは私にはわからない。

 でも、素直になること。それを利用する人達がいるから注意が必要だけど。素直になることよ。

 恋愛はとても単純だけど、とても複雑。これは経験しないとわからないこと。経験することで他の人との性格、価値観、特徴、好みの違いを知る。そして自分を見つめ直し、そしてまた別の他人と出会い、また違いを知り、また自分を見つめ直し、それを繰り返して自分がわかり、自分が変わって行く。他人と向き合うことで自分がわかるの。そして他人を尊重し、そして自分を素直に見つめることが大事。すると自然と総合的に見て自分に一番良いパートナーが見つかる。そういうものよ。」

 「でも、私、恋愛なんてしたくない・・・。」

 「そうやって自分も閉じ込めているだけ。この世界に産まれた子供AIは恋愛するように出来ているのだもの。」

 「本当にしたくないしできない・・・。」

 「あら、そう。まあ、別に無理にすることはないわ。でも恋愛なんてあなたが思うほど特別なことでもなんでもないわよ。少し傷ついたり悩んだり嫌なことがあるかもだけど、それはみんな同じ。さっさと忘れることね。」

 「石ころ?」

 「そうよ。小さな石ころ。」


 美弥子は私のことを横から優しく抱きしめてくれた。

 そして笑顔で、「またね」と言い、家を後にした。


 次の日の夕方、あの海岸へと行った。


 あの時の事を今も思い出す。

 私はただ一人、無邪気な声で泣いていた。それしかできなかった。

 気がつくと一人。周りには誰もいなかった。

 夜だった。家を出て、そのまま真っ直ぐに進むと街灯のない暗闇の中へと入っていった。月の光だけが見えた。それを目印に、ひたすらハイハイで進んだ。他に何をしてよいかわからない。ただひたすら、硬い道路、ゴツゴツとした砂利道、やわらかくチクチクする芝、グチャグチャの土の上を行く先もわからず進んだ。

 何時間進んだだろうか。気がつくと、周りには障害物がなくなり、空には月と、無数の星が輝いているのだけが見えた。遠くで波の音が一定間隔に優しく音を奏でている。音のする方へ行こうと目の前の階段を登り、降り、砂浜をハイハイで進み倒れていた大きな流木に体を預け、流木を抱きながらしばらく空と海を見ていた。月明かりが海に映し出されていて眩しく感じるほどだった。その神秘的な光景を何時間も見ていた。

 やがて地平線が紫色を帯びてきた。地平線は徐々に暗い紫色から、橙、黄色へと色を変え、一際眩しいところから朝日が昇ってきた。眩しくて目を閉じた。

 なんて眩しく堂々としているのだろう。生命の誕生を感じた。


 そのまま砂まみれになりながら海岸沿いを移動した。

 やがて足腰がしっかりしてきたのか、よちよちと二本足で歩けるようになった。とても嬉しかった。

 体についた砂を払い、よちよち歩きで海岸線の湾曲に沿ってひたすらお日様を追って歩いた。

 やがてお日様が地平線に近づいてきた。辺りが真っ青な青空からまた徐々に桃色に染まっていく。海を見ると遠くに小さな島があり、時間が経つにつれ、シルエットになっていった。

 沈もうとするお日様。お別れをするようで寂しかった。「ばいばい」。覚えたての言葉を何度も言いながら手を振った。

 その夕日の姿は、朝見た太陽よりも優しく美しく、幻想的だった。なんと美しいのだろう。歩き疲れた私を労ってくれているように思えた。この夕日、空の色、海の色、島の色、この広大な芸術をずっと覚えていたい、目に焼き付けたいと思いひたすら見つめ続けた。


 それから日々が過ぎ、あのとき見た夕日が照らす海の姿を絵に描いた。ひたすら描き続けた。それが家に飾ってある絵だ。

 いつ見てもこの海岸の夕日は素敵だ。しかし赤ちゃんの時に初めて見たその光景は格別で、それから一度として同じ光景に出会えたことはない。


 夕日が地平線に徐々に近づく。広大なキャンバスが刻一刻と姿を変えてゆく様を眺める。

 ふと横の方を見ると、砂浜に一組のカップルが座っているのが見えた。二人肩を寄せ合って座っている。男は赤ちゃんを抱いていた。

 少しすると、男は立ち上がり、赤ちゃんを「高い高い」し始めた。赤ちゃんは満面の笑みを浮かべて空中を飛んでいる。


 あんなに無邪気で輝いた笑顔、曇りなき目を鏡の中の自分に見たことはあっただろうか。

 あんな家族になれたらどんなに幸せだっただろう。どうしてお母さんは、私と一緒に二人でお父さんを待とうと思ってくれなかったのだろう。一緒にいれば少しは悲しみも苦しみも分かち合えたはず。あの家族を見ていてまた寂しさを噛みしめる。そしてあの赤ちゃんには幸せになってほしいと心から願いながら、また夕日に目を向ける。


 「え、あれ、な、なんだ?」

 「う、うそー!」

 さっきのカップルが急に慌てた様子で騒ぎ始めた。

 見ると、笑って遊んでいた赤ちゃんの手足の先が小さな塵となりながら少しずつ消え始めているではないか。なぜ、両親二人ともいるのに赤ちゃんが急に消え始めたのだ。女のほうが男から赤ちゃんを取り、抱きしめ、「やめて」「消えないで」と震えた声を出しながら泣き始めていた。

 「きっと両親のどちらかが退会したんだ。そう聞いたことがある。」

 「うそ。せっかく二人で面倒見ようって・・・」

 赤ちゃんは満面の笑みを浮かべ無邪気な声で「きゃっきゃ、きゃっきゃ」とはしゃぎながらゆっくりと消えてゆく。やがてその笑顔も頭の方から徐々に消え、笑った口だけが残る。そして体とともにその口も塵となり夕日の光に溶けるように消えてゆく。男は泣いている女を後ろから抱きしめる。男の目にも光るものが見える。女は、両手で自分の顔を覆い隠し、踞るようにし泣いている。二人、しばらくその状態で動かなかった。


 二人の赤ちゃんではなかったのだ。おそらく二人でいるときにたまたま一人ぼっちの赤ちゃんAIを見つけ拾ったのだろう。


 美弥子さんが言っていた。

 愛なんて石ころのようなもの。

 他人の赤ちゃんにだって泣いて悲しむ程の愛を注ぐことができる。それが人間なのかもしれない。


 急に、目から涙が溢れてきた。ものすごい量の涙が止まらず目から流れてゆく。

 自分でも驚いた。AIに涙などあると思わなかった。空を飛ぶ少女が消えてゆくときにだって涙は出なかった。あんなに悲しかったのにだ。

 止まらない。止めようと思っても止まらない。服の袖で抑える。袖がビチョビチョになる。それでも流れ続ける。涙が流れば流れるほど、目頭が熱くなり全身が震える。


 徐々に濃い色に変わりながら沈んでゆく夕日が涙でぼんやりとなって見えた。

 わからない。なぜか急に気持ちが高ぶった。整理がつかない。でも何か、私も何か頑張らなきゃいけないのかもしれないと感じた。

 何か私にできること。そしてしたいことはなんだのだろう。

 あの夕日が私に何かを教えてくれているように感じた。

 なぜか、わからない。でも体中が熱く震えた。


 愛菜はそれから走って家に帰ると、部屋に閉じこもり、絵を描き始めた。AiBのせいで上手く描けなくなった絵。

 もう一度夕日の絵を描きたい。何故かそう思った。

 それから寝ることもなく、ずっと絵を描き続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る