第14話 空
黒い画面には、IDとタイムスタンプを先頭とした白の文字列行が何万行と連なっている。美弥子の瞳にはその文字列が映し出されている。自然と独り言が漏れる。幾度と条件を変え検索し行の表示を切り替えながら何時間も画面と会話している。この文字列の宇宙に身を浸し漂う感じが意外と好き。邪念をすべて忘れ無心になれる。宝の光が見つかった時はこの上ない達成感を得られる。ずっと浸っていたいと美弥子は思う。
晴のID、8888番の過去歴をたどると、2つの利用者のIDに行き着いた。これが両親だろう。うち一人は女で、当サイトを今もよく利用している。すでに恋人もいるようでよくPLLW内でデートしている。飲み屋が大好きなようだ。特に怪しい振る舞いは見当たらない。そしてもう一人は男、いや、きっとこれが男を装った女であろう。IDは3553番だ。しかし、奇妙にもこのIDの最近の行動履歴は一切見当たらない。利用者のアカウントは2ヶ月間まったくログインがない場合、利用者にアカウント確認の連絡が行く。それからさらに10日間の利用がなければアカウントは強制的に削除される。調べるとこの男の履歴はもう半年以上存在せず、このアカウントはとっくに削除されていても良さそうだ。しかし、晴というAIはこの世に存在する。状況に矛盾がある。
これ以上調べることが出来ない。宇宙空間に放り出された気分だ。しかし気になる状況だ。システムの不具合だろうか。
美弥子は、諦めていつものごとく性別を偽っているであろう利用者のリストを眺め始めた。全利用者の行動履歴を元にAIが独自に判断したグレーなアカウントのリストだ。リストは疑いのパーセンテージの高い順に並べられている。このリストの中には女になりすました男も含まれていて、それがこのリストのほとんどをしめる。つまり、この世界には女のふりした男がわんさかいるというわけだ。このうちのほとんどがただの変質の冷やかしや遊びであり、アバターが異常な容姿をしていたり、会話すると下ネタばかりなど変な言葉を発するので瞬間にわかる。当本人たちも、別に隠すつもりはないようだ。そして一部は犯罪目的と思われる。そして、リストの僅かを男を装った女が占める。犯罪以外の目的はわからない。そしてこの中に凶悪犯が存在すると見ている。
今日も世界に繰り出し、怪しいと思われる人を探す。いくらIDなどの情報があっても今現在何をしているかはわからない。履歴データに情報が書き込まれるのにタイムラグがある。そのIDの最近の行動パターンを見て予測するしかない。
ずっと追っている男が数人いる。そのうちの一つ、ID4747番。履歴を見るとこの世界にたまに現れるが、行動範囲が広い。比較的酒場近辺に現れる事が多い。しかし酒場自体もいくつも存在していて、特定はできない。それにアバターをしょっちゅう変更しているようで特徴からではわからないし、酒場に恋愛を求める人は五万といるため見つけるのも困難だ。会話を覗き怪しいと思った者を現行犯で捕まえるしか方法がない。彼は、現実世界での重罪の容疑はないが、複数の女と遊んでは別れ間際に写真をばらまく、秘密をバラすなどと女を脅すらしく、サイトに対しクレームが数件寄せられている。現実世界では一見、普通の人なのだがクレームを上げてきた女が言うには気持ち悪い性格なのだそうだ。別れ話を持ち出すと急に性格が一変するらしい。
いつものように淡々と仕事をしていると昼過ぎに仲間から怪しい男を発見したという情報が入った。正太郎からだった。その男は外見は少し地味で、Gパンに濃い色のジャケットという一般的な服装、スポーツマンと言うよりかは文化系の印象がある男らしい。何が怪しいと感じたのかを聞くと「ただなんとなく」なのだそうだ。正太郎からの情報はいつもこのように曖昧で外れることが多い。しかしこの「なんとなく」は正太郎独自のAIによるディープラーニングの結論であり、意外と馬鹿にならない。半信半疑のまますぐに現場へと向かう。
正太郎は酒場の一角にある店の前で一人立っていた。秋なのにも関わらず半ズボンに水色のポロシャツといった出で立ちで店の小窓から中を覗いている。人のことは言えないが怪しさ満点だ。少しは人目を気にするべきだと思う。正太郎に近づき一言挨拶を交わした後、一緒に店の中を見る。店の中は比較的広くて周りの窓がカーテンで閉じられているせいか薄暗く、ムード漂う明かりで照らされている。カウンターやテーブル席がいくつかあり、周りにはダーツやビリヤード台も見える。数人の男女がいるのが見える。まだ真っ昼間だというのに中はすでに夜の世界のようだ。
「美弥子さん。あいつです。」
正太郎は真面目な顔をして、早速マークしていた男を教えてくれる。正直、ほとんど信用はしていない。
「一見普通そうだけど。中に入って接触したの?」
「いや、まだです。」
「じゃ、IDは?」
「まだ確認してないです。」
「相変わらず鈍臭いのね。さっさと確認すればいいじゃない。」
「男が男に近づいて触ると怪しまれると思いまして・・・。」
「どうせ、殺すんだからいいじゃない。それに女装すればいいでしょ。ほんと馬鹿ね。」
「僕、女性のマネ苦手なんですよ。美弥子姉さん、お願いします。」
体中の空気が口から抜け脱力感を味わう。彼はいつもこうだ。美弥子には、なぜ殺し屋AIに個性があるのかが理解出来ない。みんな私のようであればいいのにと思う。
私が人間だったら正太郎とだけは絶対に付き合わないなと本気で思う。
その怪しい男の様子を遠目に見ていたが特別変とは思わなかった。ただ一人でいる女に声を掛けているだけのように見えた。この世界ではよくある光景だ。やがて今話していた女に断られたのか、男はまた別の女の方へと移動した。
「美弥子さんの感じではどうですか?」
「どうって言われても。でも確かに言われてみると怪しい雰囲気は感じるかなあ。」
「でしょ、でしょ。ですよね。」
正太郎は得意満面だ。
「いいわ。次、あの男の話が終わったら接触してみるわ。」
それを聞くと正太郎は、「じゃ、お任せします。よろしくおねがいしまーす。」と言ってそそくさと去っていった。目を疑う。丸投げして行きやがった、本当に使えない奴、と思う。
やがてその男は女との話を終えた。一人移動する。素早く店の中に入り接触する。
「こんばんわ。」
男は驚いた様子だった。
「急にごめんなさい。今お一人ですか?」
「あ、はい。この店は初めてで。」
誰も店のことなど聞いていない。
「良かったら一緒に少しお話でもしませんか?」
「はい。僕で良ければ。」
とりあえずは断られずほっとした。先程、一人前に誘っていた女を真似して容姿を変えておいた。容姿で好みが違うと断られる可能性がある。
二人、カウンターに座る。やりたくないが、甘えるように肩を寄せ触れる。男は満更でもない様子だ。そしてIDを確認した。なんと4747番、ずっと追っていた男の一人だ。びっくり仰天だ。
「あいつやるじゃない。」
「え、何がですか?」
「いいえ。ごめんなさい。」
あまりにも嬉しく、思わず声が漏れてしまった。
少し何でもない会話をする。確かにうまく説明はできないが変な奴だ。こちらの会話を聞かず、やたらと自分の性格や自分の自慢話ばかりをしてくる。女には好かれないだろう。
「あの、良かったら、二人きりになれる場所にお散歩に行きませんか?」
少しだけさり気なく胸元をあけ誘惑する。男は無言で簡単に乗ってくる。男はみんないたって単純だ。
店を出て、人気のない小さな公園の方へと誘う。
■
秋が日々深まる。
この名もなき山の木々も、鮮やかな赤、橙、黄色に染まり鮮やかに山を彩る。風花がゆっくりと散る。実に神秘的な光景だ。
愛菜は名もなき山の広場へとついた。ここに来ると本当に気持ちが落ち着く。木々や葉が優しく自分のことを包んでくれる。風で揺れている姿は私をあやしてくれているよう。ここにある物に私を蝕む物は一つもない。みんな友達に思える。
上を見上げる。真っ赤な木々が揺れるのが見える。空を飛ぶ少女さんは何をしているかなあ。探しながら落ち葉のじゅうたんの上を歩く。踏みしめるたびに、ザクッ、ザクッと優しい音を立てる。
「愛菜ちゃんだ。こんにちわ。」
後ろから声が聞こえる。振り返り少女の姿を確認しホッとする。少女は以前出会ったときのように枝の上に座っていた。
「こんにちわ。」
「こんにちわ。あのね。私、もう少しで3回転できそうなの。もう2回転は簡単。ちょっと見てて。」
そう言うと、少女は上の方へと勢いよく飛んだかと思うと上空で何回か宙返りした。縦に回転しながら横にも回転しているように見える。回転しながら体は少し横へと移動する。
少女はそのまま急降下すると、枝の近くでまた上昇し速度を落として枝に止まる。まるでバードショーに出てくる鳥のよう。見事なものだ。
「どう?」
「すごいわ。とてもきれい。正直、何回転したのか私にはわからないわ。縦にも横にも回転するんだもの。」
「これが私のスタイルなの。縦に回転するだけは簡単。」
「今は何回転したの?」
「縦に2、横1回転半かなあ。」
「良く分かるわね。すごい。」
「飛んでいるときに自分が空でどんな感じでいるのかを想像するの。今、足がどっちで頭がどっちで体がどっちでって。」
「お空に絵を描いているみたい。」
「そう?そう言ってもらえるととてもうれしい。今から3回転やるから見てて。」
「うん。頑張って数える。」
少女は再び空へと舞い上がると、上空でくるくるっと回転した。頑張って数えるがわからない。すでに3回転以上しているように見える。
少女は再び枝に止まるとどうだったと聞いてきた。「ごめんなさい。わからなかったわ」と答えると、また空へと飛びたった。回転に入る前から少し体をねじり、くるくると回転し始める。頑張って縦に回転する回数だけ数える。2回転半くらいで終わっているように見える。
「どう?」
「2回転半だと思う。」
「そうだよね。あと少し。」
再び上へと舞い上がる。何度か2回転半の回転を繰り返す。これはこれでとても美しい。惚れ惚れする。
戻ってきた少女は、笑顔ではにかみながら、でもう~んとうなっている。
「後もう少しなんだけど。」
もう十分にすごい。でも少女は満足していない様子だ。
少女は目をつむり、少し上の方を向いた。手足を動かし体をひねりながら頭の中で飛んでいる自分をイメージしているのだろう。眉間にしわが寄っている。悩んでいるようでもある。
「少し力を抜いてみたら?リラックス、リラックス。」
無責任に何の根拠もない声をかける。
「そうだね。」
少女はそう言うと、再び上空へと飛び立った。最初、1回転すると、少し勢いをつけて回転し始める。頑張って数える。1,2,3。さっきと少し違う。3回転したように見えた。少女も確信したのかそのまま勢いよく下降し、私の目の前に下りてきた。
「ねえ。できた。できたよね?」
「うん。すごい。かっこいい。」
「やったー。やったー。」
両手を握り合い、横に飛び周りながら喜び合う。
「愛菜ちゃんのおかげ。リラックス。リラックス。」
「違うよ。あなたが頑張ったから出来たの。」
「やったー。出来た。」
二人、落ち葉の絨毯の上で踊るようにはしゃぎ合う。なぜかとても嬉しかった。喜びを分かち合うってこんなに嬉しいことなんだって初めて知った。
その時、空を飛ぶ少女の足が消えかけているのが見えた。足の先は、乾いた砂が崩れてゆくように細かい粒となって散ってゆく。
「あ、あれ?」
少女もそれに気がついた。でも想定外のようだ。
「え、どうしたの。ねえ。」
「もしかして、お父さん、お母さんのどちらかが退会したのかも。」
握っていた手の指先も、細かい粒となり空へと散ってゆく。握っていた手が形を変え、私の手から消えてゆく。
「うそ。うそでしょ。止めて。」
少女は少し困惑した様子ながらも笑顔のまま言った。
「愛菜ちゃん。ありがとう。またどこかで会おうね。」
「やめて。」
体全体が小刻みに震える。
「お願い。止めて。」
声も震える。何かが詰まって声にならない。
「おねがい・・・。」
「泣かないで。愛菜ちゃん。とても楽しかった。愛菜ちゃんありがとう。」
少女の髪の毛も細かい粒となり、落ち葉と一緒に散ってゆく。
足や手が半分以上消える。笑っていた目も消え、満面の笑みの口だけが残る。
「本当にありがとう。そして、産んでくれたお母さん、お父さん、ありがとう。楽しかった。」
お願い・・・。消えないで・・・。止めて・・・。心の中でずっとずっと叫び続ける。でも止まることはなかった。
ヒューと風が吹いた。細かい粒達は風花や落ち葉と一緒に空気中に揺れて舞い、そして空気に溶けるように消えて無くなっていく。目の前で最後の一粒が消えていった。
そのまま、両膝を地面につき跪き、両手で顔を覆った。一瞬の出来事だった。目の前で起きた事が信じらず、ずっとそのまま動けなかくなった。
夢であってほしい。幻であってほしい。何度も何度も願い、そしてまた後ろから元気な声で呼ばれる事を何時間も何時間も待ち続けた。上を向けばまた飛んでいる彼女がいるように思えた。でも居なかった。頭や肩には落ち葉が降り積もった。どんなに待っても無情にも少女は現れなかった。
森の中に夕日が差し、やがて闇が一面を覆った。
鳥や動物たちがせわしなく鳴く。
遠くで花火が打ち上がり始めた。
落ち葉に埋もれながら待ち続けた。
そしてその夜はいつものように過ぎ去った。
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