第13話 部屋

 晴は一人、遊園地をブラブラと歩いていた。

 周りがたまにこちらを横目で見てくるのがわかる。そんなにここに一人でいることが不思議なものだろうか。遊ぶもの、見ていて楽しいものが山ほどある。一人でも来たくなる場所だろう。晴はそう思った。

 周りは皆カップルばかりだ。確かにこちらから話しかけられそうな人はいない。そういう意味だとつまらない。ぼちぼちと別の場所にでも移動しようかと思っていると正面からスーツのような服装をした女が一人こちらに向かってくるのが見えた。あれこそ場違いだ。何者なのかすぐ想像はついた。こちらに向かってくるので少し忠告してあげようと思っていると、意外にもあちらかは話しかけてきた。


 「あなたがID8888番。間違えないかしら?」

 「僕のことをご存知で?」

 「ええ。地味な子に聞いて来たの。」

 「そういうあなたは殺し屋さんでしょう。IDを確かめたければ僕に触れていただいて結構ですよ。」

 手を差し出す。女はその手に自分の手を重ねる。

 「僕になにか用ですか?」

 「いいえ、別に。」

 そう言うとその女は、冷たい横目で僕を見ながら「お邪魔しました。」とだけ言い、その場から去ろうとした。

 「あの、すみません。」

 「何かしら。」

 「もう少し目立たない格好をされたほうが良いかと思います。」

 女は一瞬、機嫌悪そうな顔をしたが、すぐに元の顔に戻り「そうね。ご忠告ありがとう」と言い、その場を去っていった。


 数日後、晴はショッピングストリートへと向かった。

 例の絵が飾られている家へと向かう。家の前に着き様子を見ると、前回と同じく電気は付いておらず、机の上は整っておらず椅子も一脚倒れている。殺伐とした雰囲気だった。


 扉に手をかけるとまた鍵はかかっていなかった。そのまま中に入る。

 以前よりも散らかっている。壁に目を向けると、いくつか絵が増えているようにも思える。しかしどれも上手とは言い難い。

 奥の夕日が照らす海の絵の近くに行く。その絵は薄暗い部屋に佇んでいるのに輝いているように見える。実に美しい。この世界にこんな風景が実在することが幸せに思えてくる。


 「はああ。また鍵をかけ忘れたのね。嫌になっちゃう。」

 ため息交じりに、この間の女が出てきた。当然といえば当然だがイライラした面持ちでいる。

 「こんにちわ。お久しぶりです。」

 挨拶すると、女は誰にでも聞こえるようなため息をわざと吐いた。

 「ここは、お店じゃないの。前回も言ったはずですよね。そして、もうここにも来ないでとお伝えしたはず。さっさと出てっていただけますか?」

 「そうでしたね。失礼いたしました。」

 そう言っているにも関わらずその場を動かずしばらくまた壁の絵を眺める。女は、頭を抱え、近くの椅子に座りこむ。


 「本当に素敵な絵です。見ていて心が洗われます。」

 「あら、そう。」

 女は左足を上に足を組み首を傾げ下の方を眺めながら頭を掻いている。

 「この絵、私にも描いていただけませんか?」

 「はあ?」

 「こんな絵を私の家にも飾りたいんです。いくらでもお支払いします。」

 大きなため息と一緒に、女は呆れたような態度をする。

 「無理よ。」

 早く返ってと言いたいのを抑えたようだ。

 「そこをなんとか。」

 「書けないの。無理よ。」

 「書けない?でもこの絵はあなたが描いたものでしょう。」

 「そうよ。でも書けないものは書けないの。」

 晴は女の方を見る。

 「そう、それがとても不思議で気がかりでならなくって。壁に飾ってある他の絵もあなたが描いたものですよね。同じ人のものとは思えない。どうかなさったのですか?」

 「関係ないじゃない。書けないものは書けないの。早く出てってよ。」

 女は怒りを露わにし、大声で言った。


 「あなたも私と同じAIでしょう。以前にお会いした時は人かと思いましたが、人がこんなところで一人で絵を描いているなんておかしい。それにAIなら、確かにこんな繊細な絵も書くことができる。ところがこの絵の周りの飾られている絵はこの絵とは違った。それがとても気がかりでした。どうなさったのですか?もしかしてAiBの仕業ですか?」

 「AiBを知っているの?」

 女は立ち上がりこちらを見た。

 「ええ、噂で。AIにバグを仕込む物とか聞いたことがあります。」

 女は、目をこすったり、頭を抱えたりとどうにも出来ない気持ちを仕草で繰り返した。

 「そうだったのですね。こんな者誰が作ったのか。AIに人に近いような感情を植え付けるためのパッチだと聞いたことがあります。」

 「知らなかったわ。知っていれば飲まなかった。」


 女はまた座り、その場で頭を抱えながらうずくまった。晴はその女の姿をしばらく黙って見つめていた。壁の絵の中の海から波の音が聞こえてくるようだった。

 「僕の親のことを、殺し屋さんに話したかい?」

 女は少し驚くように頭を上げ少しこちらを見たあと、またうずくまった。そして「ごめんなさい。」と小さな声で言った。

 「謝ることはないさ。確かに、僕の父は女で男を装っていた。だから僕には父親は居ない。僕は女同士から産まれてきた。そして、その人はもしかするとこの世界で悪事を働いている。これは許されることではない。」

 「ごめんなさい。AIなのに父がいないなんておかしいと思って。」

 「いいさ。この世界が素敵なものになることのほうが大事だよ。それにこの世界ももしかするとそう長くない。」

 女はもう一度こちらを上目使いで見ながら小さな声で謝った。


 「僕がAiBを消す方法を探してみるよ。」

 女は無言で顔をあげた。眉が八の字で、眉間が少し寄っている。

 「君に、もう一度、素敵な絵を描いてもらいたい。見ているだけで心が洗われる気持ちになるんだ。この絵を見たとき僕は今まで感じなかったような信じられないような不思議な気持ちになったんだ。」

 「で、でも。そんな方法があるの?」

 「わからない。でも絶対にあるはずだよ。作れるのだから消す方法もあるはず。」

 女は無言のまま、口を小さく開けている。

 晴は、薄暗い部屋を壁伝いに静かに歩き出口の方へを向かう。靴が地面を摺る音が優しく部屋中に響く。優しく扉が開き、カランカランと乾いた音とともに影が光で和らぐ。

 「待ってて。きっと探してくる。最後に、名前を教えてもらえないかい。」

 晴の無邪気な声に女は躊躇いながら、自分の名前を小声で言った。

 「愛菜。」

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