第12話 喫茶店

 意外にも近くにいることがわかった。

 愛菜のID6981番の履歴を過去にさかのぼりたどってゆくと、2人の人物のIDに行き着く。うち1つはそこら中に定期的に現れ遊んでいるため、現在の居場所が特定できない。神出鬼没というやつだ。もう一方のIDもたまに現れるが、必ずと言っていいほど同じ場所に現れそこで数時間何をすることもなくじっとしているらしい。これがおそらく母親だろうという報告であった。そして、こんな同じところにずっといるような人は本当に稀で珍しいとの感想も書かれていた。


 ショッピングストリートを海側に進み途中、右の方へと曲がり進むとその先は登り坂となっている。その登り坂を登ると、高台から海が一望できる公園がある。公園は特別なものはない。芝生の広場や、小動物の動物園がある小さな公園だ。ピクニックに最適な公園だろう。その公園の近くにはコンビニエンスストアや雑貨のお店が数件ある。そして、その一角に小洒落た喫茶店がある。この喫茶店のテラスからも海を一望でき、カップルに密かに人気の場所だ。情報ではそこに母親と思われる人がいるとのことだった。


 怖かったが決断したことだ。愛菜は早速その喫茶店へと行くことにした。

 情報だと、午後の4時ころから7時頃までずっといるとのことだった。今はもう10月。午後6時近くになると辺りは暗くなり、海が見えないことはないが何時間も眺めているようなものではない。確かに遠くの夜景はきれいだが、そんなに派手な綺麗さはないし夜景を見たいのであればこの喫茶店でなくても良い。一体何をしているというのだろうか。


 午後5時頃、喫茶店に着いた。

 すでに海は薄暗くなり始めていた。海、空に浮かぶ雲が徐々に赤みを帯び始める。鳥たちが優雅に飛んでいる。家へと帰るのだろうか。

 喫茶店の中に入るとそこに一人の女が座っていた。着ている水色のワンピースが夕日の赤に半分染まっている。茶色の長くきれいなストレートの髪が海風でなびいている。テーブルにはコップと食べおいたであろうケーキの皿が置いてあった。頬のあたりに手を当て、動かずにずっと海の方を見ている。その様子を少しの間遠くから見つめる。その姿はなんだか寂しそうに見えた。

 静かに後ろから近づく。

 「こんにちわ。」

 少し驚いた様子で、女は反応する。

 「こんにちわ。どちら様?」

 とても静かなお嬢様といった印象だ。これが初めて出会う私の母親、そして私を捨てた人か。しばらく無言で見つめる。

 「私になにか用ですか?」

 「ええ。私が誰かわかりますか?」

 「いいえ。どこかでお会いしましたか?」


 やはり覚えていない。当然、数年もたち容姿も変わっている。わかるはずもない。

 「お聞きしたいことがありまして。以前、この世界でお子さんを産んだことはございますか?」

 「え、なぜそんな事を聞くの?」

 「そして、そのままその子は放置した。」

 女は困惑した様子を見せる。

 「あなた。誰?」

 憎しみが込み上げてくる。しかしながら目の前にいる女がそんなに悪意に満ちた人間にも見えない。どことなく寂しく、私と同じ雰囲気すら感じる。

 手をかざし、女に触れる。プロパティを確認し、教わったIDと同じことを確認する。間違えない。

 「あなたは私のお母さん。私はあなたの子供。」

 「えー!!!」

 女はひどく驚いた様子をみせた。頭から花火が上がる、何メートルも跳ね上がる、目からいろいろなものが飛び出す、そんなジェスチャーを繰り返した。なんだか、ふざけいているような、喜んでいるような様子にも見える。

 「えー、びっくり。SNSに産んだ子はさまよい続けるって書いてあったけど、本当なんだー。」

 やはり喜んでいる。あなたのせいで、こちらがどんなにつらい思いをしているのか伝えてやろうと思った。しかし、すぐに、女は寂しそうな顔に戻るとまた海を眺め始めた。

 「てことは、彼はまだこの世界にいるのね。もう退会したのかもって思ってた。」


 なにか思いを巡らせている。机にあるカップに一度口をつけてから私の方を向いて話し始めた。女の目には少し涙が浮かんでいるように見えた。

 「私ね、現実世界じゃ地味で、あまり自分にも自信ないから彼氏もできなくってさ。

 でもこの世界で彼と出会って、彼と付き合い始めて、彼と本当の恋のような体験ができて、私とても楽しかった。擬似的にだけど、Hなんかもして、子供までできたのもなにかとても不思議な経験で、なんだかすごく幸せだった。でもある時から、急に彼とは出会わなくなっちゃったの。急に連絡も途絶えちゃって。私、捨てられちゃったのかな。私、とても悲しくて、気が狂いそうになって、どうして良いかわからなくて。それであなたの面倒も見れなくなっちゃって。ごめんなさい。

 この喫茶店はね、彼と良く来た喫茶店なの。海を見てるとたまにクジラやイルカがはねたり、いろいろな鳥や恐竜が飛んだり、豪華客船が通ったり、虹がかかったり。とっても変わった海。二人で見ているだけでとても楽しかった。この海を見ながらこの喫茶店で彼と会話するのがとても楽しくて、とても幸せだった。

 たぶん他にも遊んでいる人がいっぱい居て、退屈な私に飽きちゃったのかも。ここでね、いつか実世界でも会って、こんな海を見ながら一緒にすごせたらいいね、なんて話もしてたんだよ。家族で来れたらいいね、なんて。

 だから、ずっとわたしここで待っているの。多分、彼のアバターは変わっちゃって私が彼を見ても、きっとわからないわ。でも私はずっとこの服装のまま。このワンピースは彼が買ってくれたの。彼が私のことを見れば絶対にわかってくれるはず。いつか私の事を思い出して、ここに戻ってきてくれて、また私に話しかけてくれることを待っているの。もう一度、王子様がお迎えに来てくれるのを。」


 はっきりとはわからないが、その様子からお母さんはずっとずっと泣いているようだった。何度も言葉が震えていた。

 徐々に海や雲が赤く染まってきた。海がゆっくりとゆっくりと薄暗くなってゆく。


 「本当にごめんなさい。子育て放棄なんて人間失格だよね。愛菜ちゃん。ごめんね。」

 名前は覚えてくれていたんだ。あなた達が私につけてくれた名前。

 お母さんも寂しかったんだ。もし、こんな母じゃなかったら、殺し屋に殺してもらい自分もこの世界から消えようと思っていた。

 「お母さん。逢えてよかった。またね。」

 「私も。元気で居てくれてよかった。本当にごめんね。駄目な母親で。」


 母を残して喫茶店を去った。薄暗く寂しさ漂う下り道を歩く。

 愛に満ちた世界。でも、なぜこんなに寂しい思いをし、悲しみ、苦しまなければならないのか。愛なんて必要なのだろうか。

 周りには、ライトアップされた品々を眺めるカップルの姿がある。ショッピングストリートの夜は昼よりも眩しく輝く。光を避けるように道を歩き、また一人ぼっちのくらい家の中へと入って行く。

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