成人の日の

甘木 銭

成人の日の

 青く晴れ渡る澄んだ空に、数字の「2」を模した形の風船が跳んで行った。

 体にフィットする割に伸びないスーツに身を固め、いつものスニーカーを履いている訳でもない僕は、その風船を追いかけることも出来ず、ただじっと見送ることしかできなかった。


 とはいえ、まるで知らない女性の手から放たれた風船を追いかける理由も無いので、例え普段通りの動きやすい恰好をしていたとしても、風船を取るべくジャンプ、なんてことはしなかったと思うが。


「なんで成人式に風船なんか持ってくるんだろうな」

「目立って待ち合わせスポットになるためだろう」

「本気で言ってるにしては馬鹿らしすぎるし、ボケているにしてはつまらな過ぎる。さて困ったぞ」

 会場で合流した高校時代の友人・田辺の疑問に素直な考えを述べたら、こちらが困るようなことを言われてしまった。


 田辺とは高校を卒業してからも定期的に遊んでいたが、別に今日会うつもりは無かった。

 成人式に少し参加したらまっすぐ帰るつもりだったのに。


 それに、今回の成人式は感染症対策のため、参加者は住んでいる地域ごとに午前の部・午後の部に振り分けられている。

 僕は午後の部で田辺は午前の部なので会うことは無いと思っていたのだが、写真を撮るからと午前の部が終わってすぐの時間に呼び出されてしまった。


 午後の部が始まるまでの時間は約一時間半。

 つまりその決して短くない時間を、僕は田辺との記念撮影に費やさなければならない。


 もちろん写真を撮るだけなら一瞬で終わってしまうので、残りの時間はおしゃべりに使われることになる。


 そうして暇をつぶしていると、午前の部が終わった後も会場付近に残り続けている新成人と、午後の部のため早めに会場付近にやって来た新成人で周囲がごった返してきた。


 感染症対策のために時間を分けた意味があるのだろうか。

 いや、意味など無くても構わないのだろう。

 もしも何かあった時に「自分たちは充分な対策を行っていました」と言い訳するための、「大人」達のポーズなのだから。


 先程の風船女子に目を戻すと、彼女は手放してしまった「2」を名残惜しそうに眺めていた。

 手元には「0」の形をした風船。


 恐らくセットで「20」になり、成人の年齢を表すものだったのだろう。

 装飾の多寡はあれど、同じように年齢を掲げた風船は周囲にいくつか浮いている。


 せっかく成人したのにゼロ歳になってしまった彼女はかわいそうだな、と思ってもいないことを思い浮かべながら、僕は会場となるスタジアムを見上げた。


 今年の成人式の会場は、普段はスポーツが行われる屋外のスタジアムだ。

 例年屋内で行われていたが、感染症の流行によって今年は屋外スタジアムになってしまった。


 このスタジアムは広い運動公園に併設されており、公園脇の芝生やレンガ敷の広場で、開場を待つ新成人たちがそれぞれに集まり、写真を撮ったり再会を喜び合ったりしている。

 そして僕と田辺も、新成人の人ごみの中に紛れ込んでいる。


 僕は成人式なんてめんどくさいし、旧友と再会したい気持ちも特にない。

 そもそも小中の友人で未だに親交がある者は地元を離れており、式に参加していない。

 地元にいても来なかったろうけど。


 要するに僕は会場に集まっている新成人達とは気分の上で大きな隔たりがあるのだけれど。

 しかしきっと、傍から見れば僕も浮かれた新成人の一部なのだろう。


 いや別に僕はこいつらとは違うなんて、すかした感じを出したい訳では無いけれど。


「寒いなぁ」

「すぐに話題が尽きるくらいなら早めに呼んだりするなよ」

「なら飯でも行こうか。式だったから昼飯まだなんだ」

「午後からなんだから、軽く食べて来てる。どこも混んでるだろうし、列に並んでる間に式が終わる」

 田辺の馬鹿な提案を正論で押しつぶす。


 僕の態度は人から見ればひどく冷淡に映ることがあるらしいが、これが僕たちの間では普通なのだ。

 田辺もあまり本気で言っている訳ではないし。


「式をサボればいいじゃないか」

「何のために来たと思ってるんだ」

「でも午前の部でも、会場に入らず外に居たってやつ結構いたよ」

 僕と会う前に中学の同級生とでも話したのだろうか。


 面倒なので式に参加したくない気持ちも分かるが、それなら最初から来なくてよかったんじゃないかとも思ってしまう。

 まあ人のことなんてどうでもいいけれど。


 空を見上げると、先ほどの風船が小さな黒い点になっていた。

 なんとなく携帯を取り出して写真を撮ると、UFOが写ったみたいになった。


 携帯をしまうと、派手な袴を着た集団が僕達の横を通り抜ける。

 その背中を見送っていると、派手なスーツと髪型の細身の男がいた。


 彼らも僕と同い年なのか、なんだかおかしな気分だ。

 もしかしたら彼らはエイリアンかもしれない。

 あのUFOから降りて来たのだ。


 異星人を見送りながら、僕は慣れないスーツのポケットに手を突っ込んだ。




 ---------------




『時間を過ぎると入場できなくなります。新成人の方は遅れずに入場してください』


 何度も繰り返されるアナウンスに従って、開場したスタジアムの中に入っていく。

 人の流れに従って、ぞろぞろと。


 通路には中学校の先生や地元出身の有名人からメッセージが書かれた紙が掲示してあったが、あまりゆっくり見る気分にもならなかった。


 開けた屋外スタジアムの観客席に、新成人たちが次々と座っていく。

 感染症対策のため席を一つずつ開けて座ることになっているが、僕はどうせ一人なので、感染症が流行しなくても僕の左右には一つずつ空席が有ったろう。


 集団の方々は、どうやって互いに近くの席に座るか、頑張って思案していらっしゃるようだ。


 さて、適当に席を見つけた僕は、座ると同時に携帯を取り出し、漫画を読み始める。

 開場から開会まではまだ少し時間がある。

 田辺はもう帰っただろうか。


 屋外フィールドが会場であると、いくつか問題がある。

 まず寒い。

 当たり前だ、冬なんだから。


 暖房も何もない上に、びゅうびゅうと吹き付ける寒風に吹かれるままなのだ。

 寒くて免疫力が下がってしまうではないか、とそれらしい理論武装をして心の中で反抗。


 さて、次の問題だが、気温の低さに反して、照り付ける直射日光が中々に熱い。

 暑いのではなく熱いのだ。

 黒のスーツは燦々と降り注ぐ日光をどんどん吸収し、特に太ももの辺りに熱をためていく。


 気温のせいで体はブルブルなのに、一部がジリジリ。

 これはどんな拷問か。


 こういう面倒な状況が発生するので僕は冬が嫌いだ。

 夏は暑いだけで済むからな。


 さて、しばらく漫画を読んでいたら開会の宣言がスピーカーから響いた。

 しかし僕は無視して黙々と漫画を読み続ける。


 面白すぎて目が離せない、という訳でも無いのだが。

 知らない人間のよく分からない話を聞くくらいなら漫画を読んでいようと思ったのだ。


 うーむ、僕も何をしに来たのか分からない。


 式の様子をチラリと見ると、観客席から見下ろせるグラウンドのトラックの辺りに、成人式実行委員会なる、同い年らしき面々が入場してきた。

 知り合いがいないかと目を凝らしてみるが、そもそも僕は小中学校の知り合いの顔なんかほとんど覚えていなかった。


 客席の正面にはいつのまにか、体育館のステージの上に置いてあるような演台が置いてあった。


 いや、もしかしたら最初から置いてあったのかもしれない。

 グラウンドの方なんてまともに見ていなかったので、見逃したのかも。


 実行委員長なる、恐らく新成人の一人であろう青年が演台に立ち、何やらスピーチをしている。

 その内容はいかにも過ぎて僕の心には響かず、一文字も記憶に残らなかった。

 まあ、みんなそんなもんだろう。


 委員長に代わり、次は横に座っていた市長が演台の前に立ち、話し始める。

 内容の頭に残らなさは委員長同様だった。

 その次には、市長の横に座っていた市議会議長が話し始めたが、そちらも同様。


 スタジアムに簡単に設けられたスペースにパイプ椅子が並び、そこに市長と市議会議長がぽつんと座っている光景は中々にシュールだ。

 二人の長は、胸にそれぞれ赤と白の花をつけていた。

 おめでたい。


 市長と市議会議長も、当然ながら感染対策としてマスクを着けている。

 市長のマスクは黒マスク。

 感染症が広がったことで、色付きマスクと布マスクはすっかり市民権を得たなと思う。


 どうせなら胸元の花に合わせてマスクの色も紅白にすればいいのに、などとどうでもいいことに思考が流れていく。


 ちなみに、二人の長はどちらも綺麗に禿げ上がっていた。

 身体的な特徴をネタにするのは気が引けるが、あえて言わせてもらう。

 見ているこちらが寒くなる。


 またしても漫画に目を通していると、「新成人として相応しい振る舞い」という言葉が耳に飛び込んできた。

 顔を上げると、スタジアムの大きなモニターに、テレビで見たことのあるスポーツ選手の顔が映っていた。


 新成人への応援メッセージのような物を流しているのだろう。


 今の僕の……成人式で話を聞かずに漫画を読んでいるという振る舞いは、きっと新成人としてふさわしいものでは無いのだろうが。

 んなこと知るかと、再び画面に視線を落とす。


 半ば意地だ。

 もう半分は退屈。


『成人とは、「人に成る」と書きます』

 スピーカーから聞こえる声が、また僕の意識を刺激した。

 僕は発言主であろう、モニターの中のおっさんを一瞥し、「やかましいわ」と心の中でつぶやいた。


 大人として、だとか、大人になれ、だとか。

 そういった物言いが僕は大嫌いなのだ。


 いつも読んでいる漫画をほとんど読み終わったところで、成人式が終わった。

 式自体は三十分と短いものだ。

 待ち時間の方が三倍は長かった。


 しかし、自分が大人になったという実感はないものだ。

 そもそも、大人らしさなんて一朝一夕で身につくものではないし、スイッチを切り替えるような訳にはいかない。


 二十歳を超えても、成人式を迎えても、結局僕は子供のままなのだ。

 そのことは今日の僕の振る舞いが証明している。


 となると、僕が本当の意味で成人……「人に成る」のはいつになることやら。


 ぞろぞろと会場を後にする人の波に乗っかって。

 僕は今日も人ごみの一部になる。














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