インアシュタット国篇

サウストフト島のエト

 少年エトの日課は、毎朝サウストフトの浜辺から朝焼けをを眺めることだった。その日課は、彼が十四歳になるまで欠かしたことはない。その日課に、時々エトの祖父母が付き添うこともあるが、大概の場合、それはエトだけの習慣だった。エトの朝は、朝焼けを眺めることから始まり、終わりは祖父母と同じ部屋で眠りに落ちる。そんな代わり映えのしない毎日に、ある日突然変化が起こった。


 お気に入りの海辺の岩に、いつものように腰を下ろして朝焼けを眺めていたとき、赤い布切れのようなものがゆらりゆらりと海の波間に見えたのだ。海の近辺で育ったエトの一番得意なことは泳ぐことだったので、エトは赤い布切れが気になってすぐさま海に飛び込んだ。速度を早めて、目当てのものに近づくにつれて、それは人間であるとわかってエトは息を呑んだ。


 「人間だ!どうしよう。早く岸に連れて行かないと」


 幸運なことに、その人間、少女はまだ息があった。漂流している際、体よりも小さいが木板に身を委ねていたからだろう。

 長い金髪はおさげで、目蓋が微かに震えている。


 「ここ、、、。ど、、、こ、、、?」

 うっすらと目を開けてそう呟く少女の顔を覗き込むと、青い海のような瞳があった。瞳の色を見せたかと思いきや、少女は再び気を失ったように脱力してしまった。「しっかりするんだ!」と、エトは励ますように言い、少女を抱き抱えて我が家へと走った。


 「おばあさん!女の子が、女の子だよ!まだ生きているよ」


 駆け込みながらそう叫んだエトの声に驚いて、おばあさんは目を見開いた。


 「おばあさん、この子海に浮かんでいたのにサメに食われなかったんだ。流石のサメも女の子には手を出さないんだね」


 「おやまあ!エト。早くその子をわたしのベッドに寝かしておやり」


 甲斐甲斐しくおばあさんとエトが世話をしたので、少女はすぐに落ち着き、次に目を覚ました時には顔色も良くなって身の上を話せるようになっていた。


 「お嬢さん、名前はなんていうんだい?」


 「わたしはニーナという名前です」


 水の滴が静けさの中、澄んだ音を出して溢れるような声音をしている少女だった。


 「この子はエト」


 エトはやぁと手を上げてみせた。エトにとってこんなに可愛らしい少女に出会うのは初めてのことだったので、エトはニーナに見入ってしまっていた。

 その間にもおばあさんとニーナの会話は続く。


 「わたしはエトの祖母だよ。いつもおじいさんもいるんだが、今は少し島の反対側に行っていててね、いないんだ。さて、何か大変なことがあったようだね。話せるだけ、話してくれないかい?」


 おばあさんの問いを皮切りに、少女は身の上を語り始めた。


「わたしはラクリエより西のルカの谷で生まれ育ちました。母と祖母は早くに他界してしまって、わたし父と祖父と貧しいながらも楽しく暮らしていたんです。でも、1年前のある日突然にラクリエのお役人さんがやってきて城に連れて行くって。それでわたし、無理やりに緑城に連れて行かれたんです。それから、よくわからないことを言われて、知らないことを白状しろ!だなんて責められて、わたし気が狂いそうでした。一年近く緑城の中で閉じ込められる日々が続いて、ついこの間インアシュタット国にわたしは連れていかれることになったんです。わたし早くうちに帰りたくて帰りたくて、脱出の機会を伺っていました。そうしたら、わたしを運ぶお役人さんがこう言うのを盗み聞きしたんです。インアシュタットには船で行く。陸を使うと得体の知れない組織に山間で殺されてしまうからって。私は山育ちで、川で泳いだ事は何度もありますけど、海で泳いだ事は一度もありませんでした。でも一か八か、海に飛び込んで、逃げれないかと思ったんです。それで、わたしは閉じ込められていた船室から見えた、船縁に添えてあったボートに飛び乗って、逃げてきたんです。針路なんて全くわからなかったけれど、とりあえず船尾の方向にボートを漕ぎました。そしたら、わたしがとボートが無くなったことに気づいたラクリエの船員さんが手探りに追いかけてきたんです。そのままボートに乗っていたら、見つかると思ってわたし咄嗟に海に飛び込みました。夜に脱出してあたりは真っ暗だったので、海に飛び込んだ事で見つかる事はありませんでした。そうしてここまで辿り着いたのです。

おばあさん、教えてください。ここはどこですか?ルカの谷の近くですか?」


 ニーナはすがるように、おばあさんに聞いた。


 「断念だけれど、ここはまだラクリエだよ。ラクリエ本土から少しばかし西にあるサウストフト島の東側さ。わたしはルカの谷を知らないんだ。

 ニーナ。体力が回復するまで、ここにいなさい。回復したら、ルカの谷を探すと良い。うちも貧しいがあなたの面倒くらいみられるよ」


 ニーナのすがるような瞳を真っ直ぐ見つめ、おばあさんは提案をした。その両手はしっかりとニーナの両手を握っている。


 「そうだよ。君の食べる分の魚なら、僕が捕まえてあげるよ!」


 エトも側に立ってニーナにそう言った。


 「あぁおばあさん、とても嬉しいです。でも、わたし今すぐにルカの谷に帰らなきゃいけないの」


 「どうして?」


 間髪入れずにエトが聞くと、ニーナは悲しそうにこちらを見て、俯いてしまった。


 「だって、おじいさんが生きているのかわからないのですもの。お父さんだって殺されちゃったかも知れない。わたし、一刻も早く無事を確認したいんです。あれから一年以上経っているし…」


 ニーナの最後の言葉に、エトは驚きを隠せなかった。

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