流れ着いた少女 〜少年エトの流離譚〜

子猫文学

序章

アルベリクの血祭り

雨暦 13△△年 インアシュタット国 首都キャティリィにて 東塔


 星の光だけが朧げに浮かぶ新月の夜。

 窓辺に座って、瞳の表面を潤しているのは、この国の第21代目国王アルベリクの妹リュシーである。彼女はここ東塔で過ごす最後の夜を、さまざまな感情を味わいながら楽しんでいるのである。


 「別宮からここに来たのはつい最近のことだけど、もっとここで過ごしてみたかったな」

 リュシーはそっとつぶやいた。


 いま、彼女のいる場所であるインアシュタット国の都キャティリィは、花で満ち溢れたところだった。塔のてっぺんにいても、王宮の庭で咲き誇る花々の香りが風に力で漂ってくるので、リュシーは塔の窓辺に頬杖をついて片足を折りながら座り、目を閉じながら、鼻腔いっぱいに夜の空気とともに花の香りを吸い込んだ。

 部屋の明かりといえば、寝台の脇に灯された一本の蝋燭だけ。そして、聞こえる音といえば、城下から響く街の音だけだった。


 その、ささやかな音に混じって、扉の外から足音が突如響き始める。軽い足取りで、表の階段をのぼるその若い足音の主はリュシーのよく知る人のものだった。その人は、人ひとりが通ることが精一杯の扉をギシギシと音を立てて入ってきた。


 「もう、どうしてここの扉はいつになっても直らないのかしら。侍従長様に何度も言っているのに」


 部屋への扉を開けながらそういうのはリュシーの侍女エレイナだ。彼女は不平を言いながら入ってきて、リュシーの姿を認めた瞬間呆れ顔になる。


 「殿下、明日は婚礼なのですよ。もうそんなところに座ってないで、早くお休みください。あぁ、それにもう!そういったドレスを着ながらそんな座り方をしないでください。仮にも国王様の妹君なのですよ」


 エレイナはリュシーよりも2つ年下の侍女である。元々王宮の下働きとして入宮して、別宮でインアシュタット国王の歳の離れた妹リュシーの目に留まり、第二侍女の職についたのが、彼女である。エレイナは第一侍女に昇格しても、その多い口数は減ることはなかった。エレイナはリュシーに対して尊敬の念を抱いており、リュシーの唯一無二の女友達だった。


 「それに、国王様も国王様です。リュシー様は十七歳違っても実の妹ですのに、どうしてこんな塔のてっぺんに閉じ込めるのでしょう。輿入れ前の女は輿入れ前の前夜が一番不安定になるというのに」


 エレイナはそう言いながら、窓辺のリュシーに手を差し伸べて、ベッドに行くよう催促していた。その催促を断ることは到底できないので、リュシーは素直にエレイナに従って、窓辺から淑やかに立ち上がった。


 「別に閉じ込められているなんてことはないわ。それに私は今不安定にもなってないでしょう?お兄様にも、お兄様の考えがあってのことなのよ」


 「ですが、リュシー様。ここは先先代の国王様の寵姫が監禁されていた場所とお聞きしました」


 先ほどから彼女がこぼしている通り、エレイナは国王からリュシーに対しての扱いに不満が隠せないでいる。 


 「お祖父様の寵姫が幽閉されていたのは西塔よ。ここではないわ」


対してリュシーの声音は終始穏やかだった。


 エレイナはリュシーの寝支度を手伝いながら、


 「だとしても、ただひとりの妹君なのです。もう少し厚遇してもいいと思うのです。なのに、婚礼は質素に行う予定であるし、リュシー様が嫁ぐ予定のお相手は十歳上のコグロワ国王です。コグロワ国の人々は野蛮であると聞きますし、すでに国王には側室に産ませた王子がいるとか。私はリュシー様がそんなところに追いやられるのかと思うと、悔しくて」


 「どうして?どうしてあなたが悔しいの?私は隣国へ嫁ぐこと、嫌じゃないわ」


 リュシーが言うと、エレイナはシュンとしてしまった。


 「お許しください、リュシー様。私はてっきりリュシー様はこの国の有力者のもとに降嫁して今まで以上に安泰な生活が送れると信じていたからなのです」


 「あなたがそう思うのも仕方がないわ。コグロワと婚姻関係を結ぶことはここ数年で決定したことですものね」


 一瞬の沈黙を挟んで、リュシーは再び続けた。


 「それに、お兄様とは一年に一回の祝賀会の時以外会ったことがなかったのだもの。今更親しくなろうと努力したところで難しいわね。お兄様の性格からも、私の性格からも」





 翌日、リュシーは婚礼衣装を纏って無事に隣国コグロワへと嫁いで行った。


 それから数年後のことだった。……


***


 インアシュタット国の王女リュシーが隣国コグロワに嫁いでから数年が経った。


 前々からコグロワ国侵略を謀っていたインアシュタットの国王アルベリクは、妹から帰ってくるはずの伝書鳩を、今か今かと待ち侘びていたが、一向に届く気配すらない。


 「オーロ!伝書鳩はまだか!」


 こう国王の正面で気難しい顔をしている男に言い放つ国王アルベルクの声は、日に日にその大きさを増していった。


 「まったく、十七も年下の妹の使い道として、隣国の王后という地位に就かせてやったにも関わらず、従順にならないとは一体どんな了見か。とんだ見込みちがいだった!しかし、あの娘を見捨てるわけにもいかない。北海の#舟__シュウ__#を攻略するためにも、リュシーが必要なのだから!」


 国王アルベルクは今年36歳を迎える男であったが、ここ最近の憤怒に寄って体調を崩しつつあった。


 「まぁまぁ陛下。少し落ち着いてくださいな。妹君からの手紙がそんなに遅いなら、妹君との架け橋としてどなたか陛下の腹心を送ればいいのではありませんか?そして、コグロワに侵略した際に使いを送り、その腹心を使って妹君を取り戻せばよろしいのです」


 体調を崩しつつあるアルベリクに最近付きっきりになった、国王の妻つまり王妃が国王の機嫌をとっている。彼女の提案は国王を鎮まらせることに成功した。


 「そうか、ではそうしよう。オーロ!リュシーに誰か信頼のおけるものを送れ。そしてコグロワの内情を伝えさせるのだ。これでコグロワは我が掌中におさまったも同然じゃの…」


 しかし、こう簡単に事は運ぶものではない。オーロを通して送られた、言わば間者は、数通の内情を知らせる手紙を送ってきただけで終わってしまい、再び国王アルベリクはコグロワの内情を把握できなくなってしまった。


 そのように、国王アルベルクが隣国攻略を計画する傍ら、とある日。インアシュタットの王宮に急使が駆け込んだ。

 急使が持ち込んだのは、突然のコグロワ国崩壊の報せだった。


 「崩壊!?」


 コグロワ国滅亡危機の報せに多少驚いた表情を見せた国王アルベルクは突如その表情を一変させた。

 

 「それでは、今すぐに兵を集めろ。コグロワへ侵略する」


 国王アルベルクはコグロワ国の危機を好機と見なして、兵の大軍を送ったのである。

 国王アルベルクの送ったインアシュタット王宮軍はコグロワ国都へと進む間にコグロワ民に対して大量虐殺を行った。王宮軍に恐れをなした民衆はコグロワ国の中心部の緑城に避難をして難を逃れようとした。しかし海に面した場所に位置する緑城のその向こうに逃げ切る事は難しい事であったため、コグロワ民を追い詰める軍策の中インアシュタット王宮軍の士気はますます高まっていった。


 この出来事は後々、「アルベリクの血祭り」と語り継がれていく。


 ここまで聞けば、「アルベリクの血祭り」は大量のは虐殺に始まり、アルベリク王の侵略成功を迎えて、最期を迎えたとインアシュタット国の民は思うだろう。しかし実際は拍子抜けの事実があったのである。

 インアシュタット王宮軍が逃げ惑うコグロワ民を追って都に入り、緑城入城を最も簡単に成功させた時、既に、コグロワ国王をはじめコグロワの有力者や都の民の半数は影も形もなかったのである。


 もちろん、アルベリク王の妹君リュシーの姿形も消えてしまっていた。


 「白の反対側は海、そんなに遠くに行ってはいないはずだ。港の船をつかえ!リュシー殿下を見つけた者には特別に褒賞を与える!」


 インアシュタット王宮軍に触れが出されて、皆血眼になってリュシーを探したが、とうとう彼女は見つからなかった。唯一見つかったのはリュシーの私物で、国王アルベリクが婚礼の際に渡した、象牙で作られた小刀だった。

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