第三話
事態は母の思惑通りに末路を迎え、それまでのいじめは一切止んでいた。その代償として教師からちやほやされるという災いが訪れたが、いじめに比べれば随分増しである。美術部への勧誘など鬱陶しいが、日々学校に通う憂鬱はやや軽減され、解放感にしばし満たされた。
引き続きクラスメートとは隔たりがあったものの、感じる視線は今までと違う。睨みから許容へと変わっていた。お前のことを認めてやる、とは上から目線もいい所だが、人にはそのような性質があるらしい。
そのまま順調に時が流れると思いきや、悪いことも続かなければ、良いことも続かない。暗雲はすぐそこまで、近づいていた。それは新たなる獲物の出現。奴の次の標的は、同じクラスの女子生徒となった。
その発端は机の中に置かれていたある紙切れ。すっと取り出すと、そこには目鼻口のある黄色い三日月のようなものが描かれていた。
次第に両手がプルプルと震え始める。下先端には血の流れる人の体が突き刺さっており、そこに矢印を指した上で、『アゴ コワイ』と書かれていた。
顔を真っ赤にして、泣きそうで、とても不憫だった。わざわざ人のコンプレックスを嘲笑うために時間を使い、手の込んだ仕打ちをする。そんなことを成し得る人間の思考がわからない。わからな過ぎて、彼女が貴様に一体何をしたのだと、問い質したい程である。
その子もまたはぐれ者だったことにより、慰める仲間もいない。それからエスカレートする過程は同様、近寄るな、触れるな、気持ち悪い、汚いに変化していった。
あの頃の我が身がそこに投影され、非常に胸が痛んだが、何をすることもできない。
『正しく生きろ』
という父の言葉が重く伸し掛かる。
何かしなければいけない、とは思うものの、ただ静観するしかなかった。やがて休みがちになると、哀れみが募る。心の中に芽生えるのは罪悪感。もし、自身がターゲットのままでいれば、この子はいじめられることもなかったのではないか。
瑞樹はそう考えるようになっていた。
「桜井くん、もう一枚傑作を出せば、高校入試も有利になるよ。」
デレデレ顔の担任は、更なる快挙を待ち侘びる。そこに不登校の生徒がいることなど、気にも留めないのか。問題には無視を決め込み、名誉には飛びつくこの大人のいやらしさ。
自分の身近にいた大人は皆素晴らしい人ばかりであった。だからそのギャップには戸惑いしかない。社会というものを悪い意味で知ることへの落胆。学校はくだらない所。そんな瑞樹の結論は、確信に変わろうとしていた。
中学三年になると少女は完全不登校となった。
主人のいなくなったその座席。初めのうちは出欠確認で名前を呼んでいた教師もやがてしなくなる。いないことが当たり前の状況を過ごす間に、自らも共犯者のような気にさえなるものだ。
高校受験を控えた皆々は、今やいじめに現を抜かしている場合ではなく、受験勉強で手一杯の様子。
「お前どこ行くの?」
などと話題は次の進路で持ち切りで、その子の人生が終わったことなど、正に他人事である。
瑞樹は個人的に学校などもううんざりであったが、母親のことを思うとそうもいかない。それほどまでにやりたいことがあるのならまだしも、何もない。中学を卒業したら就職すると言えば、大抵の親は愕然とするだろう。何故加害者が堂々と学校に通えて、被害者が放り出されなければならないのか。
そんなの理不尽極まりない。
そう思うのは、このクラスで僕だけなのだろうか。仕方なく進学を希望することになったが、目指すとなれば、公立一本の選択肢しか道はない。瑞樹は必死に勉強に打ち込んだ。思い返せば女子生徒のことなど、すっかり忘れていた。
自身も悪い人間への第一歩を踏んだような気がした。
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