第3話 指名本数ナンバー1 悠木菜奈
「今から朝礼を始めます」
店長の元気のいい声が、ホールにバラバラに並んだスタッフに響き渡る。
「今月から、指名本数を発表することにします。セールスマンの売上表みたいなものです。もちろんそれに応じて、店全体の売上のうちから、報奨金がプラスされます。水商売のように個人の売上の50%が給料というわけにはいかないが、頑張りに応じて報酬があります」
指名本数ナンバー1に輝いた人は、憧れの対象となる。
「しかし、間違ってもエスカレートしないように。その為に個人売上を禁止しているのです。そして、接するときは客の横に座るのではなくて、あくまでのテーブルを挟んだ向かい側。おさわりは握手程度。なぜならホストクラブのように客の横に座るときは、警察に届け出を出さなきゃならないから、わが社はあくまでヘルシーさを売り物にする中華料理店ですので。了解ですか?」
「はい」と店長が一斉に返事をした。
悠馬もできたら、金が欲しい。だから売上に直結できるホール周りがしたい。
でも成功するだろうか?
「ああ なに勝手に置き場所変えてるの。あんたは救いのないバカだ」
相変わらず、栗田は理不尽としか言いようのないおかしなことを言って、悠馬にケンカを売ってくる。
栗田は荷物運びが自分の仕事であり、悠馬が自分の身代わりになって荷物運びをしてくれているということに全く気がついていないようである。
しかしガマンするしかない。栗田を怒らせたら何をしだすかわからない。
栗田と喧嘩するということは、栗田と同じ土俵に立つということだということは、風俗行きを意味する。
「堕ちるつもりか、同じ世界へと。戻るしかない、元の世界へと」
悪魔のささやきが聞こえてくる。
また、材料を取りに一階へと上がっていった。
「あのさっきの人、栗田さんっていう人ですか?」
不意に声をかけられ、振り返ればそこには、制服姿の地味目の女子高生が立っていた。
「そうですけど、何か?」
「栗田ってとんでもない女よ」
そう言い残して、ラインをしながら女子高生は去って行った。
翌日、昨日の女子高生がホール採用になった。
昨日の地味めのイメージとは違い、金髪をアップに結い上げ、ばっちりとアイメイクをしてジャージー姿を除けばまるでキャバクラ嬢である。
そして胸にはパットでも入れているのだろう。やけに不自然な盛り上がりがワル目立ちしていて、グラビアアイドルとしても十分通用しそうである。
菜奈は客にはにっこりと愛想良く笑い、なによりタレント並みの華がある。
「菜奈ちゃん、3番テーブルご指名です」
店長の上機嫌の声が響く。ドラマで見たキャバクラの光景と似ている。
「はい、ご指名ありがとうございます。菜奈です」
そういってテーブル越しに三つ指をつき、中年の男性客と笑顔で握手をしている。
中年の夫婦だろうか。奥様風がやきもきして見ている。
「あっ、奥様でいらっしゃいますね。奥様とも握手させて下さい」
菜奈は、中年の女性客と握手をしたあと、手のひらをもみ始めた。
「奥様、肩が凝ってらっしゃるんじゃないですか。ここは肩こりに効くツボです。
私がマッサージして差し上げます」
女性客はすっかり上機嫌である。
「ああ、いい気持ち。よく気のつく子ね。こんな子が娘だったらいいのにね」
菜奈は、テストで最高点を褒められた優等生のように、にっこりと微笑んだ。
「光栄です。私のような者がそう言って頂けるなんて。僭越ながら私も母の面影を感じてしまいました」
まるでホームドラマのセリフのような甘い文句。
しかし言われて悪い気はしない。
「えっと、菜奈ちゃんだったわね。今度から、この子を指名するわ」
中年女性は、舞い上がったような笑顔で店を後にした。
すごいテクニック、これこそがプロの接客だな。悠馬はただ、感心したかのように見とれていた。
月初めの朝礼で店長は少々誇らしげに
「今月のナンバー1は悠木菜奈さんです。皆さんも、自分の個性を生かして接客頑張って下さい。お客様にまた来たいというリピートが増えますように」
朝礼の時間、店長の威勢のいい声がホールに響き渡る。
栗田はまるで敵対心を抱くような顔で、菜奈をにらみつける。
「おい悠木、いつか痛い目に合わせてやる」
「なにを言ってるんですか。あなたはいつも、自分の能力を棚に上げて、人のせいにする。だから、精神病にもなるんですよ」
栗田と菜奈の間に、なにがあったのであろうか?
栗田の人生を狂わせるような、重大ななにかがあったことだけは確かである。
ある日、店長が悠馬とナンバー1の悠木 菜奈を呼び出した。
「二人共栗田とはうまく対応していけるか?
栗田は厄介な困った存在だが、同時に困っている人生を送ってる可哀そうな人でもあるんだ。若い君たちにはまだ理解し難いし、ともすれば対岸の火事のような遠い存在かもしれないが、女性なら誰でも栗田のようになる可能性、いや危険性があるんだ。対岸の火事の火の粉は、いつ自分に降りかかってくるかわからないよ」
店長は、悠木 菜奈に尋ねた。
「栗田との間に何があったんだ。栗田と悠木とはどういう関係なのか教えてほしい」
菜奈はうつむきながら答えた。
「言いたくないことですが、正直に言います。
三年前、私の両親は自営業をしていましたが、資金繰りが苦しくなってしまいました。当時私は、私立高校へ通っていましたが、家庭の都合で授業料が払えなくなり、中退する羽目になってしまいました。そのとき、私の家族を金銭的に援助してくれたいわば足長おじさんのような人がいました。が、後からその人は今まで援助してやった金銭を一部返済せよと迫ってきたのです。
そこで私に自ら経営するスナックで働けと言ってきました。そこで私は一か月だけですが、スナックで働いていましたが、そのときの先輩だった人が栗田さんだったのです」
店長は、半ば感心したように聞いていた。
「栗田さんは、二年前スナックで働いていた当時は、いわゆる正常な人でしたが、客あしらいはお世辞にもうまいとはいえませんでした。まあ正直すぎて愛想のひとつも言えない人だったんですね。客からのツケを回収できず、いわゆる風俗のようなところで働かされていたという噂を聞いたことがあります。
栗田さんが精神異常なのも、性病の毒が脳にまわったからだという話です」
店長は、深刻な顔で口を開いた。
「それで君の借金は返済したの?」
「はい。スナックというと抵抗がありましたが、場末にあるカウンターだけの小さな店で、返済金額も五十万でいいと大目に見てくれたおかげで、すっかり返済できました。僭越ながら、私が勤めだしてから売り上げが増えたと言われ、今ではその人に感謝しています」
店長はため息をついた。
「まあ、僕もこの目で見たわけではないから、何とも言えないが、この話を信用するとするか」
「ところが、栗田さん曰く自分が客に騙されたのは、私が陰で仕組んだことだと誤解し続けてるのです。なんでも栗田さんは、元は田舎の山奥で生まれ育ったみたいで、いわゆる世間知らずだったんでしょうね」
「なるほど、ときどきある話だ。田舎出の人は、法律の知識にも乏しく、相談相手もいない。だから騙されやすいといいな」
「店長もご存じの通り、私は今、通信制高校の三年です。単位も取得しましたし、もうすぐ卒業の予定です。そうしたら、ディサービスを経営するのが夢です」
店長は、納得したように言った。
「まあ悠木は売上ナンバー1だし、これからの活躍を期待してるよ」
「有難うございます。ご期待に応えて頑張ります」
悠木 菜奈は笑顔で答えた。
栗田の悠馬に対する態度は、ますます異常ぶりを増してきた。
ひょっとして、栗田は悠馬を罵倒することでエネルギーを発散しているのだろうか?
一人でアホとかボケとかと言ってわめいたり、何か口を開くたびに、お前はバカで汚い女だと言って言いがかりをつけてくる。
美古都のスタッフは皆それを知っていて、栗田とは近づこうとはしない。
栗田もそれを知っている。だから、悠馬をサンドバック代わりに攻撃するのだろう。思えば、言い知れぬ孤独を抱えているのかもしれない。
悠馬は、風俗の世界がどんなものかは知らないが、恐ろしい世界、地獄、絶望、愛とは遠く離れた世界であるということだけはわかる。
栗田の心身共の苦しみは、悠馬の想像もつかない次元だろう。
ふと、この狂人もどきが哀れに思えてくる。
そして、女性だったら誰でも栗田のようになる危険性を持ち合わせているのである。いやひょっとして、そのときは今、この一瞬なのかもしれない。
栗田を救いたい。ひょっとして神様は悠馬に試練を与えるために、栗田をそばにおき、栗田を救いへと導くために、悠馬のそばに栗田を置いたのかもしれない。
栗田を救うことは、自分を救うことであり、強いては全女性を救うことかもしれない。
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