46.見えない所で起こっていた出来事(1)
◆◇◆◇
それは初めて怪物が出現する前日の事だった。
(今日も沢山怒られた)
(明日もきっと怒られるんだろう)
(殴られたりするのかな)
(顔じゃなければいいけど)
(顔は家族が心配する)
今日も長い1日が終わった。
時間は深夜0時を超えている。
通勤に自転車を使っている彼は他の社員よりも多く残業をさせられる。会社が交通費を節約する為それも仕方無いと思っていた。
家族は彼の体を心配し、そんな会社は辞めて他の仕事に就いては、と言っていたが「大変だけど、この仕事が気に入っているんだ」そんな嘘をついていた。
自分の能力では再就職出来ずに家族に迷惑がかかるのが目に見えていたからだ。
ふと目の前が暗くなり、フラフラと自転車の前輪が蹌踉めき、ガシャンと派手な音をたてて横に倒れてしまった。
(ああ、自転車に傷ついちゃったかな)
そんな事を考え、尻餅をついたまま、暫くの間呆然としていた。
(僕は……何の為に生きているんだろうか)
またその疑問に行き着いた。
学生時代を含め、これまでに何度もそう考えた事はあった。その度に家族の為、と歯を食いしばってきた。
だがついに心が音を立てて崩れ始める。
いや、とっくに崩れていたのだ。
それを誤魔化し誤魔化し、見せかけのハリボテの修復で生きていただけだったのだ。
(明日も怒られたら、死のう)
そう考えると心が軽くなった。
(実際に死に直面したら、僕はどうするんだろう)
(逃げるのかな)
『試してみるか?』
突然声がした。
それは物理的に鼓膜を通さず、頭に直接響いた声だった。
普通の状態であれば大声を上げて驚く所であろう。だが蒼太にはそれすらも億劫だった。
(遂に幻聴まで来ちゃったか。こりゃ放っておいても死にそうだな)
『死にはしない』
もう一度聞こえた。
(何だ……神様?)
『そうだ』
凛とした声。
だがそこからは神というほど神々しい雰囲気は感じ取れない。そう感じた瞬間、また声がした。
『神といっても、お前達が思う程善なる者では無いがな』
(なるほど)
投げやりにそう思った。
神でも悪魔でもどうでもいい。
聞こえてくる声は明らかに『安らぎ』からはかけ離れた印象を与える。
だが蒼太にとってそんな目に見えないものよりも怖いのは、また次の朝が来る事だ。社長や同僚の怒鳴り声、想像するだけで吐きそうになる。
『お前の人生の
全てを見透かした様にその声が言うと、いつの間にやら蒼太は両手のひらを上に向けていた。
その中で黒く光る卵程の大きさの不気味な球体が、少し浮いた状態で存在している事に気付く。
「これは……?」
思わず声に出した。
『なかなかハッキリと見えている様だな。それは
「どう、使えば……すみません」
当然分かる筈もない事だったがとにかく謝った。そうさせられていた彼の人生だった。
『それを取り込め。心の中で呼び鈴を鳴らせ。そうすればお前以外の全てを滅ぼす
「僕以外の……全てを滅ぼす……怪物」
『怪物は
『それは傍にいる者を全て破壊しながら召喚者の元へとやってくる。そこで怪物に命令を出せば怪物はお前の意のままに動く』
『召喚する度、怪物は強くなる。それで世界を滅ぼすがいい』
「そんな……事」
『お前が死ぬのも、お前以外が死ぬのも対して変わらないだろう? なら今までやられた分、やり返せ』
「無理です、僕には」
『それ程理不尽な目に遭っておきながら罪悪感があるとでも?』
「僕がいなくなるのが一番収まりがいいんです」
『そうか。ではこれを見て決めろ。明日のお前だ』
今度は目を通さず、直接脳にビジョンが映る。映画でも見る様に自分が延々怒られている姿が映る。
(あ……やっぱり僕は明日も怒られるのか)
動悸が激しくなる。
(フ、フゥ……あ、うわぁ。電卓? 痛そうだな……)
呼吸が乱れ、目が回りだした。
(あ、失神……おしっこ……漏れちゃったのか……みんな鼻を摘んで笑ってる……)
その後、蒼太は泣きながらそのビルの屋上から飛び降りた。
グリン!
明日も何の救済も無く、自分の身に振り返る理不尽な暴力と遂に迎えた自分の死を見た事で泡を噴いて白目を剥いてしまった。
と同時に
「ほんとクソな会社だな」
失神した筈の蒼太の目が開き、突然彼の口から生涯使った事が無いであろう言葉が発せられた。
「このまま
『これは驚いた。人間とは実に興味深い。お前に目星を付けたのは正解だった』
神と名乗る者ですら驚く状況だった。
稲垣蒼太の自我は極度のストレスの連続に耐えきれず、遂に一時的な休眠に入ってしまったのだ。
その代わりに出てきたのは第2の蒼太とも言うべき、怒りと憎しみを前面に出した人格。
鬱屈した人生に積もり積もった不満、怒りの体現者だった。
『いいぞ、そういう奴こそ
その声と同時に手のひらの黒い球状のものが一際妖しく虹の様な光を発し、蒼太の体へと吸い込まれていった。
「怪物か……そりゃいいな。俺が捕まらなくて済む……その代わり使い過ぎると命がなくなるとかそんな萎える事は言わねえよな?」
『勿論だ。好きなだけ使うと良い。副作用は使った後に少し頭痛がする程度だ。何、大した事は無い』
「そうかい」
『さっきのお前は折角の
それだけ言うとその声はしなくなった。
不意にその場で今まで眠っていた様な感覚に陥り、
(こりゃ、ダメだ。道端で寝てしまうなんて重症だな……)
彼の記憶に、この僅かな間の神との対話は残っていなかった。
翌日―――
またいつもの様に社長に叱責された。
「寝てるのかお前。貴重な仕事の時間を潰してお前の事を話してるんだぞ? 自覚あるのか?」
「いえ、すすす、すみません」
「全く、躾甲斐、いや教育し甲斐の無い奴だ」
だがその言葉ももはや蒼太には届かなかった。耳が遠くなり、眩暈がする。
全てのシーンがデジャブの様に感じられる。
あまりのストレスに一瞬、意識が飛んだ。
次の瞬間。
「死ね、クソ野郎どもが」
現れたのは
そう口の中で呟くと、ごくあっさりと心の中で
チリン。
体の中のどこかで確かに呼び鈴が鳴らされた音がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます