44.蒼太の選択

 階下では当然の如く、ルーヴルドが先に立ち上がり、怒気を滲ませながら蒼太へと近付いていた。


「蒼太! しっかりしろ!」


 ヴァレリオが叫ぶ。


「う、うう……」


 落ちた時に打ったのか、蒼太は痛そうに頭を押さえ、片目を瞑ってルーヴルドを見上げていた。

 その蒼太を見下ろすルーヴルドはフンと鼻を鳴らすとクルリと上を向き、ヴァレリオと目を合わせるとニヤリと笑った。怖いんならそこで観戦してろと言わんばかりだった。


「クソッタレ……」


 そう呟くヴァレリオの横から「あたしが行く!」そう叫んだアークヴィラが階下へと飛び込もうとした。


 ヴァレリオはすんでのところでそれを捕まえ、引き上げる事に成功した。


「今行っては死ぬだけです」

「ソータが死んでしまう! ヴァレリオ!」


 その取り乱し様はかつてヴァレリオが見た事が無いものだった。


 ほんの少し蒼太に対してジェラシーの様な感情を抱く。だが既にヴァレリオは蒼太を男として認め、この短期間で1人の人間として尊敬の念を持つまでに至っている。


(お前、アークヴィラ様にここまで言わせておいて……中途半端で死ぬんじゃないぞ。やるならとことんやれ。ケツは俺が拭いてやる)


 もはや腹を括ったヴァレリオが心の中でそんな事を思っていたその時。


 彼の目が大きく見開いた。


 だがそれは階下の出来事に対してではない。

 ヴァレリオの目はに向けられていた。


「な、な……」


 そんなヴァレリオの様子にアークヴィラは全く気付かず、下へ飛び降りようと彼の腕の中でひたすらもがく。


「ア、アークヴィラ様」

「何だヴァレリオ! 離せよ!」

「いや……逃げましょう」

「何だと……」


 アークヴィラの目が漸くヴァレリオに向けられた。

 それと同時にヴァレリオの目線が思ってもいない方向に向けられている事に気付いた。


「何だってん……ヒッ!」


 それはアークヴィラが、いや半神デミゴッドであるヴァレリオでさえも、かつて見た事がない生物だった。


 そもそもそれがまともな生物なのかすらわからない。少なくとも現存する地球の生物でない事は確かだ。


 この星にかつて王者として君臨していたと言われる恐竜を思わせる風貌。


 巨大な翼、長い尻尾、そして爬虫類独特の縦に細長い瞳孔がギロリとこのビルを睨んでいた。


 バッサバッサと翼を羽ばたかせるそれは、アークヴィラ達の方へ体を向けて僅かにホバリングしていた。


 誰一人として声も出ない。

 恐らくそれはルーヴルドも同じであったろう。


 だが巨大なそれは彼らが落ち着くのを待ってはくれなかった。


 ビルに向け、大きく顎を開くと喉の奥に途轍もない威力を秘めていると思われる火球がどんどん大きくなっていくのが見えた。


「チッ」


 ヴァレリオは弥生とアークヴィラを素早く担ぎ上げるとビルの窓を割り、躊躇無く外へと飛び出した!


「待てヴァレリオッ! ソータを……」

「間に合いません!」


 彼らが地面に着地する直前、巨大な雷が落ちた様な轟音が鳴り響き、ついでビルが吹き飛ぶ音がした。


「う、うわあああ!」


 悲鳴をあげるアークヴィラを転がりながら守るヴァレリオだったが更に熱風が彼らを襲った。


「クッ……」


 勿論熱風程度でやられるヴァレリオ達ではないが、あまりの突然の圧倒的な力の出現に成す術が無かった。


 ビルは一瞬でその形を瓦礫の山へと変え、蒼太とルーヴルドがいた2階より上は既に無くなっていた。


「馬鹿な……ソータ……ソータァ……」

「蒼太……」


 アークヴィラとヴァレリオの2人はただただ呆然とその様を見送る。


 その時突然、弥生が再び動き出した。


「再起動完了しました。死ぬかと思いました」

「ヤヨイ! 良かった……無事だったか!」

「はい。まだ検査中ですが基本機能は大丈夫です。装甲と体幹バランサはぶっ壊れちゃいましたが」

「弥生。あれが何だか、わかるか?」


 ヴァレリオが目の前の巨大な、未だホバリングで存在し続けるそれを指差して言う。


「あれは95パーセント以上の確率でドラゴンです。勿論ファンタジーの生き物で現実世界にいる筈のない生物ですが」

「ド、ドラゴン?」

「やっぱりそうか……」


 アークヴィラが腑に落ちた様に言う。


「お分かりだったので?」

「いやそうじゃない。ただ、あれも例の怪物の一種なんじゃないかと思ったんだ」


 その言葉にヴァレリオがアッと驚き、「成る程。言われてみれば確かに」口の中でそう呟きながら、ビルがあった場所辺りを睨む竜を呆然と見つめた。


「前にソータが言ってたな。その内ドラゴンが出て来そうだって……ハッそうだ、ソータ!」


 その名前を出して再び現実に戻る。

 ルーヴルドと蒼太は一体どうなったのか。


 少なくとも窓から逃げた様には見えず、従って2人ともあの凄まじい火球の直撃を食らった筈だ。


「大丈夫です。ソータ様は無事です」


 弥生が言う。


「ほ、ほんとか! 良かった……」

「ダーヴィットの反応はありません。死亡した様です。ですがルーヴルドは無事です。今し方、動き始めました」


 突然何を思ったか、ヴァレリオが弥生に向かって小声でボソボソと話す。


「弥生、今、何時だ」

「23時52分ですね」

「何だと……もうそんな時間か。マズいな。お前、もう戦えないだろう。0時の1分前になったら俺に教えてくれ」

「? 畏まりました」


 そんなやり取りを他所に、瓦礫の中から巨体がのそりと立ち上がる。


 ガラガラと小石をその身から落としながら血だらけになったその巨躯を見せた。勿論それはルーヴルドだ。


「てんめえ……何モンか知らねえが、俺様とやるってんならやってやるぜ」


 ビルがあったその場所から竜に向かって吠える。


 竜は少し後退り、ルーヴルドと距離を取ると再びその顎を大きく開ける。


「そう何度も食らうと思うなよ」


 ルーヴルドは竜が動くよりも圧倒的に早く、一瞬の内にその足元に辿り着くと、硬そうな鱗の足に向かって躊躇なく拳を叩き込んだ。


 激突音の後、竜の足先から緑色の体液が流れ出す。悲鳴に似た鳴き声をあげ、届かない程の距離、先程のビルの屋上位であろうか――― まで舞い上がると地面に向けてクワッと口を開いた。


 当然アークヴィラ達はそれを見てギョッとした。あんな位置から先程と同じ火球をぶつけられてはこの辺り一体壊滅状態になるのは確実だった。


 だがそれに怯まない男が1人いた。


 シェイドの王、ルーヴルドだった。


 彼は2メートル程の瓦礫を拾うと開いた竜の口の中に向かってブンッと放り投げた。


 その何十倍もの重さであろう、オーガの様な怪物を投げたその両腕から投げられたそれは、凄まじいスピードで竜の喉に直撃し、後頭部から飛び出さんばかりに突き刺さった!


 ゆっくりと竜が浮力を失い、ゆっくりと落下、やがて地響きと共に再び轟音が鳴り響いた。


「ざまあ、みやがれ」


 首をコキコキと鳴らし、腕を回しながら躊躇せず竜の顔に近付く。


「一体何だってんだ? このバケモンはよう……これも例の怪物達のひとつか?」


 そんな事をブツブツと言いながらも、避けられる恐れがない為に威力重視で大きく振りかぶり、必殺のパンチを振り抜いた!


 ところがそれと同時にそれまでの緩慢とした動きからは全く予想出来ない程のスピードで竜が鎌首をもたげ、ルーヴルドに向かって火球を放った。


 それは最初の一撃よりはかなり小さいものだったがルーヴルドの全身を焼くには十分過ぎるものだった。


「うああぁぁぁぁ!」


 恐るべきはルーヴルド、火球が来ると分かってなお、パンチを引っ込めなかった。その一撃は竜の鼻下を抉り、再び竜は悲鳴を上げた。


 それに負けじとルーヴルドも雄叫びを上げ、顎や鼻に向けてパンチのラッシュを浴びせる。

 その度に竜が小さく呻いた。


 やがてお互いに最後の一撃を放つ。


 竜はもはや首を上げる事すら出来ず、その場で口を開く。


 一方のルーヴルドももはや逃げる体力がなく、その前に息の根を止めてやるとばかりに最後の力を振り絞る。


 ドンッ!


 火球が放たれた。


 ルーヴルドは再び爆炎に包まれる。

 全身を焼かれたまま、竜の口内へと走り込み、喉奥を蹴り上げた。

 先程ささった巨大な瓦礫が更に押し込まれ、遂に後頭部から突き抜けた。


 数秒後、最後に一声鳴いた竜の姿は徐々に薄くなり、やがてガスとなって消え失せた。


 片や、ルーヴルドは立っていた。


 まだ所々燃えている。ブスブスと煙も立ち昇っている。


 フラッと意識が飛びそうになったのか、崩れ落ちそうになったが足を出して堪えた。


 グルリ。


 顔だけを後ろへ向けた。

 焼け爛れたその顔を見てアークヴィラがギョッとする。笑っているのだ。


 そのまま体も反転させ、ゆっくりと、しかし確実に怪我を治癒させながら歩いて来た。


「さあ準備運動は終わりだ。本番と行こうか、小娘、ヴァレリオ」

「なんて……奴……」


 アークヴィラは握り締めた拳の中が汗でぐっしょりと濡れているのを感じた。

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