41.今、脳裏に浮かんだのはどっちの顔ですか?
暫くそこで休息を取り、ロムウの刺し傷が治癒した所で漸くアークヴィラが立ち上がる。
「少しお待ち下さい。アークヴィラ様の血圧がかなり下がっています」
喋りながら弥生は腰の両横からいくつかの小さな赤いパックを取り出した。
「これは?」
弥生にそれを手渡され、首を傾げて見返した。弥生はニコリと笑い、
「クルジュ=ナポカであんな事がありましたので、念の為にと先日の健康診断の際、アークヴィラ様の血を抜いて臨時輸血用に冷凍保存しておいたものです。もう解凍済みですので牙から吸血下さい」
健康診断と聞いて少し首を傾げたが、すぐにあああれか、と思い出す。
「ソータと初めて出逢った日の昼間にやった検査だな。覚えてるよ。そのせいであたしはあいつの血を多めに吸っちゃったんだからな。あの時抜いた血か。それは、助かるな」
「昨日の失血には役に立たない量でしたのでソータ様にお願いしましたが、今はそうも言っていられませんので」
「そりゃそうだ。あいつはまだ夢の中だ」
ほんの500ミリリットル程度ではあったがその血は当然、拒否反応のひとつもなく、体の隅々に染み渡った。
「フゥ……さすがだヤヨイ。お前は本当に凄い奴だ」
「お褒めいただき光栄です! ルンルン」
「よし、行くか」
ヒシヒシと伝わってくる嫌な気配は明らかにルーヴルドがここにいる事を示していた。
意識すると同時に嫌な汗が噴き出す。
アークヴィラは辺りを見回し、天井を睨むと、
「上だな」
ポツリと呟いた。弥生も同じ様に上を向いて、「上ですね」と言った。
「あとどれくらいいる?」
「2体です」
「ルーヴルドとダーヴィットか」
アークヴィラは顎に手をやり、少し考えた。元々ほぼノープランで来た様なものだったが、いざヴァレリオでも手を焼くルーヴルドと対峙するとなると特攻戦術では勝機は薄い。
「よし。あたしがルーヴルド、お前がダーヴィットだ」
「それには反対です。失礼ながらルーヴルドはアークヴィラ様よりも強いです」
弥生にしては珍しくアークヴィラの言葉に異を唱えた。
「聞け……そうだ。悔しいがまともにやって勝てる相手ではない。だからこそ、だ」
少し弥生に顔を近付け、一際小さな声で言った。
「ヤヨイ、お前は強い。あたしよりも。ダーヴィットを速攻でやっつけ、あたしと2人がかりでルーヴルドをやるんだ」
「成る程。畏まりました!」
アークヴィラの言葉に納得が言ったのか、一転して弥生は笑顔になった。
―
階段を登り2階に上がる。
気配を探り、もうひとつ上だとわかる。
またも息を殺しながら3階へ向かう。
(クソッ。ビビってるな……足音を消そうが息を顰めようが、とっくに向こうはあたし達に気付いてるっていうのに)
近付くにつれ、ルーヴルドの闘気がアークヴィラを威圧する様に大きくなる。
(クソが。飲まれんな! 奴はあたしの一族を殺した仇! 奴を殺す為にここまで来たんだろうが)
本能的に足が震えようとするのを精神力で抑えつける。
ヴァンパイアの中ではヴァレリオから武術、闘術をしっかりと習ったのはアークヴィラだけだった。
その意味ではアークヴィラは歴代のヴァンパイアの中でも最強と言える。
そのアークヴィラでもルーヴルドには到底敵わない。
(大丈夫だ。ヤヨイもいる。こいつはあたしなんかよりよっぽどタフで強い)
(大丈夫だ。2人がかりならやれる)
(パパや皆をやられた怒りを思い出せ……)
意を決して階段を登りきる。
「ここだな」
「はい。その扉の向こう側かと」
薄汚れた扉の前に立つ。
震えようとする手を何とか押さえ、ノブに手をかけた、その瞬間!
ドンッ!
ギロチンの様な凄まじく鋭利な殺気が扉越しに飛んで来て、アークヴィラは避ける事も出来ず、ごく、あっさりと首を刎ねられた。
いや、それは現実ではなかった。
幻覚だった。
気付くとノブを持ったまま瞬きもせず、呼吸も止まっていた。
「プッ……ハァ……ハァハァ……」
息を荒げ、ペタリとみっともなく座り込んでしまった。
ドアノブに手を掛けていたのは一体どれくらいだったのか、数秒だったのか1分ほどだったのか。それすらも分からない。
幻覚を見たのは自分が恐れているからなのか、それともルーヴルドの途轍もない殺気による攻撃のひとつなのか。
大量の汗が湧き出し、アークヴィラがただドアを見上げていると、弥生が小声で囁いた。
「アークヴィラ様、怖い事は全く恥ではございません。私には無い、ヴァンパイアとしての
「ヤ、ヤヨイ……」
「幸いルーヴルドは動く気配がありません。体が動かないのであればここにいてヴァレリオ様がやって来るのを待つか、私が一旦館へとお連れしても構いません」
普段ならもし弥生がそんな事を言おうものなら笑って聞き流すか、激怒するかだった。
だがそのどちらも出来なかった。
ただ、そう言う弥生の目をじっと見返すだけだった。
暫く2人は見つめ合っていたが、やがて弥生はニコリとし、尻餅をついているアークヴィラの肩を抱き、
「アークヴィラ様……アークヴィラ様は
突拍子も無い事を言い出した。
「は……え?」
大きく目を見開いて弥生を見返す。
「残念ながらAIの私には自分の事としてそれを実感する事は出来ませんが……恋というものはとても良いものだそうです」
「……好きだなどという感情は、持った事はないな」
何故かこの状況でアークヴィラも素直に答えた。
「そうですか。それは残念です。恋をするとその人の為に命を捨ててもいいと思えるんだそうです。身近にそんな人が1人、いた様な、いなかった様な……」
顎に人差し指をついて首を傾げ、露骨に口角を上げた。
瞬間、1人の男の顔が脳裏に浮かび、アークヴィラは顔を真っ赤にして、弥生に詰め寄った。
「あ、あいつは関係無い。ただの主従、みたいな関係だし、第一、あたしはあいつの事なんか……」
「主従……さて問題です」
「は?」
「今、アークヴィラ様の頭にはどちらの
「ばっ……」
バカ! と言い掛けて口籠った。今更何を言っても言い訳になりそうな上、どうやらこの有能なヒューマノイドは何かに気付いている。
その証拠を弥生は自ら差し出した。
「これはまあ私が人間学のラーニングで得た情報ですのでヴァンパイアのアークヴィラ様には当てはまらないのかも知れませんが……基本的に女性の方から好きでもない方に、何の見返りも無しに口付けをする事は、ほぼ有りません。ウフフ」
最後の笑いは口に手を当て、目を細めて言った。
「お前!」
耳朶まで真っ赤になったアークヴィラが置かれている状況を一瞬忘れて弥生に掴みかかった。
「ああ、アークヴィラ様、こんな所であまり暴れてはなりません」
「う……」
その言葉で現実に引き戻される。
「……お前、あたしの命令を無視したな?」
「いえ、そんな事はする筈がありません」
「あの時、あたしは『あたしがいいと言うまであっち向いてろ』と言った筈だ。なのに……見たな?」
「いいえ。御命令通りずっと窓の方を向いておりましたよ。ですが音声は拾っていましたので……おふたりが暫くキスする音が……」
そこで何を考えてか、弥生は頰を赤く染め、そこに両手をそっと添えた。
「無駄に高度な表情の機能使ってんじゃあねえ! ……クソッ。そんな記憶は抹消しろ!」
「ご命令とあらば……ですが、ソータ様はアークヴィラ様が意識の無い時に自分の事の様に取り乱しておられました。ヴァレリオ様なら分かりますが、ソータ様は出会って数日というのに何故だろう? とずっと考えていて漸くこの結論に達した次第です」
「この結論、とは?」
「おふたりはきっと、相思そうあ……」
「黙れ、ポンコツ!」
アークヴィラは弥生の口を無理矢理手で塞ぐ。
「フゴフゴ……ポンコツは酷いです!」
漸くそれから脱出した弥生が眉を顰め、悲しそうな顔をする。
「プッ……フフッ。そうだな。お前はポンコツじゃない。それどころか凄い奴だ。でもこの件に関しては違う」
目線を落とし、少し寂しげな表情がアークヴィラの顔に浮かぶ。
「あたしの気持ちは……正直よく分からないが……あいつは違うんだ。あいつは今まで人とうまく向き合えていない。きっとあたしはあいつの中で異質だったんだろう。そういう意味ではあたしに惹かれたのかもしれないが……そんなものは恋愛感情とは違う、んだろう、きっと。あたしも知らんし!」
最後の方は投げやりに言った。
ふむう、と一瞬考えた弥生だったが、やがてウンと頷くと、
「そうですか……残念です。この戦いが終わったらひょっとしたら、おふたりにお仕えできるのかと楽しみにしておりましたのに」
「ブッ……ないない」
そこで漸くアークヴィラは自分に笑みが溢れた事を自覚した。
「お前、本当に凄い奴だな……そんな話までしてあたしの恐怖心を失くそうと?」
「え? いえ、単なる興味です」
キョトンとする弥生の顔を見て最早怒る気にもなれなかった。
「ハァ……よし、もう大丈夫だ、ヤヨイ。行くぞ」
「畏まりました!」
弥生は再び黒い剣を装着し、ポーズをとった。
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