38.アークヴィラ復活

 ◆◇◆◇


「久々に帰ってきたが、ここは変わらないな」


 窓に腰掛け、眼下に広がる魔力の濃い森、行き交うヴァンパイア達を眺めて言った。


 アークヴィラは幼い頃を過ごしたクルジュ=ナポカの居城にいた。


 側には最近大幅に性能の上がった弥生・ラクロワがメイド姿で畏まり、その隣にはヴァレリオが優しい目付きでアークヴィラを見つめていた。


 不意に彼らの背後にある玉座の方から太い声が響く。


「『久々』などと言うがたかが3年程ではないか。そんなもので何が変わろう」


 それはヴァンパイアの王であり、アークヴィラの父であるヴラドだった。


 立てばヴァレリオと背丈は変わらない。

 強靭な肉体を持ち、アークヴィラと同じ燃える様な真紅の瞳は慈しみ育てた我が子を愛おしく見つめる。


「今の人間の世界では3年も経てば全く別の世界という程技術が進歩するんだよ。

「ふむ、そうらしいな。ちょっと前まで裸同然で歩いていたというのに」


 上げた前髪から少し垂れた1束を指先で払いのけながらヴラドが言う。その言葉に思わずヴァレリオが低く笑う。


「今の人間の世に対応出来るのはお前だけだ、アキ。お前の母、マリも賢しかったがお前は顔も頭も彼女によく似ている」


 アークヴィラがヴラドの方を見るとその両隣にはいつの間にか腹違いの兄ラモンと姉ドミニクがいた。


 ラモンはヴラドの言葉に頷き、


「父上の言う通り。我らでは今の人間の劇的な技術進化に付いていけない。ダンピール(人間とのハーフの呼称)のお前こそヴァンパイアと人間を取り持つ希望なのだろう」


 目を細めて言った。ドミニクも優しい顔を浮かべ、


「この古いコミュニティは我らに任せ、お前は外で存分に学び、次の時代に備えてくれ、アキ」

「ああそうするよ、ドミニク姉さん」


 小さく笑ってそう答えた。


「よしじゃあ、また出掛けてくる」

「何だ、もう出掛けるのか。次はどこだ?」

「日本に行ってくる。付いて来い、ヴァレリオ、ヤヨイ」

「「畏まりました」」


 2人の従者の声が綺麗に重なる。


 アークヴィラはニヤリと笑い、颯爽と立ち上がると窓に足をかけた。

 弥生も体の至る所からジェットの噴射口を出し、飛行準備をする。


 だが怪訝な顔をしたヴラドが首を傾げる。


「日本……マリの故郷だな。一体何をしに?」

「何をしに……」


 何を今更、と言った感じで呆れた顔をし、そこではたとおかしな事に気が付いた。


「何をって……あれ? パパ達の仇を……」

「ア、アキ……」

「アキ……」


 突然の苦しそうな声にハッとする。


 先程まで穏やかだったヴラドの顔は苦痛に歪み、兄と姉は既に体の半分がガスとなって消えかけている。ヴラドは口から血を吐きながら震える声でヴァレリオに懇願する。


「ヴァレリオ、アキを……アキを頼む」

「畏まりました」

「パパッ!」


 ヴラドの方へ駆け寄ろうとするが体が動かない。ヴラドはみるみる濃い紫色のガスと化し、アークヴィラの目の前で消え去った。


「パパ! 兄さん、姉さん!」


 ふと窓から城下を見ると日本人、田村林太郎に擬態したシェイドのリーが嫌な笑いを浮かべて立っている。


 あの男だ、あいつがやった、そう思った瞬間、その隣にもう1人の巨漢が現れる。


 この距離でも周囲の景色が歪んで見える程の闘気を放っている。筋肉の化け物の様な男。


「ル、ルーヴルドッッ! 貴様ァァァ!」


 叫ぶアークヴィラをルーヴルドが下から見つめる。その顔は嘲笑している様にも思えた。


「殺してやる!」


 瞳の真紅は更に強くなり、白眼の部分は黄色く変色していく。牙が剥き出しになり、髪の毛のみならず眉毛をも逆立たせる。


 体が動く、と思った瞬間、足先から感覚が無くなっていくのを感じた。見ると自らの体も既にガスになり掛かっていた。


 ゾッとして全身から汗が噴き出す。


「うああ! あ、あたしも、死ぬのか」


 だが珍しくヴァレリオがニコリと笑う。


「いえ。アークヴィラ様は大丈夫です」

「な、に?」


 続いて弥生も体を前に折りながらにこやかに言う。


「アークヴィラ様にはソータ様がおられるではありませんか」

「ソータ? 誰だそれは……」


 聞いた事のある名前だった。

 だがこの居城に居る筈のない人物とも思われた。


「ソータ……」



 もう一度噛み締める様にその名を呟くとふと体に重みを感じた。



 気付くとそこは自分の部屋、しかもいつの間にやらクルジュ=ナポカではなく、日本の緑中ヶ丘にある館の様だった。


 ベッドに横たわっている自分の股間の辺りに1人の男が看病疲れの様に頭を置いて寝ていた。手は自分の手をしっかりと握りしめ、寝言でアキさん、アキさんと呟いている。


「ああそうか……ソータ。お前だったな」


 先程までの殺気を孕んだ瞳は消え、優しく、我が子を見る様な目付きでソータの頭を空いている方の手で撫でた。


 突然蒼太が起き上がる。


「アキさん。僕が貴女を絶対に助けます」

「ソー……」


 言い掛けたと同時に蒼太の姿がパッと消えた。


 ◆◇◆◇



「ソータ!」


 ガバッと起き上がるとそこはクルジュ=ナポカの居城、ではなく日本にある自分の館の部屋のひとつだとすぐにわかった。


「ソータ……ハァハァ……あ、あれ?」


 左腕に点滴の針が刺さっている。栄養を入れられている様だ。


 頭の上にある小さな丸いテーブルには輸血用のポンプがあった。

 右隣にはもう1つベッドが置かれ、そこに白い顔で横たわる蒼太を見つける。蒼太も彼女と同じ様に点滴を受けていたが、他にも色々な生命を維持する為の装置の様なものが取り付けられていた。


(待て、何だこれは。どうしてこんな事に?)


 必死に記憶を辿ろうとするがどうにも思い出せない。


 バージョンアップした弥生の自慢をしようとして意外に蒼太と話が盛り上がった位までは覚えているのだが。


 羽織っているのは黒いキャミソールとパンツだけだった。


 よく見ると点滴とは反対の右腕にも針で刺された痕があった。完全に治癒していない所を見るとかなり太い針だったのだろう。


 これは一体、と思った瞬間、


「あ、ああ! アークヴィラ様ぁぁ、お目覚めですね! よかったです!」


 頭の上から声がした。


「ヤヨイ……」


 そこで一旦フウと一息をつく。

 額に手をやり、


「あたしは一体?」

「アークヴィラ様は昨晩、シェイドが撒いたで倒れました」

「病原菌?」

「はい。その時のヴァレリオ様のご様子から、恐らくは一族の方々を滅ぼしたものと同じと思われます」

「体中の血が乾いて死ぬってやつか」


 徐々に頭がスッキリとしてくる。

 それをやられて生きているという事、そして自分と蒼太のこの状況で凡そ理解出来た。


「ソータ様は1ミリも迷う事なく、命を懸けてアークヴィラ様を助けて下さいました」

「……そうか」


 真っ白な寝顔の蒼太を見つめる。

 その合間に弥生が手際良くアークヴィラの点滴を外していく。


「ソータの、状態はどうだ?」

「良くはありません。ソータ様は急激に体の半分の血がなくなり、血圧が一時的にゼロに近くなっていました。今、人工的に循環させてはいますが」

「そうか」

「後はソータ様の『ワンチャン』に賭けるしかありません」

「ワンチャン?」


 ハイッと笑みを浮かべる弥生に苦笑しながらベッドから這い出る。


 思うように体が動かず苛立ちを覚える。だがピクリとも動かない蒼太の顔を見て、気合を入れ直す。


 そこで視線の先、蒼太のベッドの向こうにヴァレリオまでもが横たわっている事に気付く。


「な……ヴァレリオか?」

「はい。ヴァレリオ様も酷いお怪我で」

「何だと、あいつが?」


 それは予想だにしない事であり、アークヴィラの知る限り初めての事だった。

 何といってもヴァレリオの半分はである。その不死身性はヴァンパイアをも上回る。


 ヴァレリオのベッドの側まで歩き、火傷と傷だらけの顔を見て顔を顰める。


「一体……」


 布団を指先で捲っていくと更に酷い焼け爛れた皮膚と怪我が広がっているのが見えてきた。そっと布団を戻し、


「一体何があったんだ?」


 と聞いた。弥生は「これでも最初よりはかなり自然治癒されたのですが実は」と前置きして話し始めた。


「アークヴィラ様の輸血をしている間、この館を守っていただきました。シェイドの幹部2体と怪物2体が同時に現れまして」

「……」


 言葉が咄嗟に出て来なかった。


 成る程、それではヴァレリオといえど苦戦したに違いないと容易に想像出来たからだ。


「怪物が2体、出たか」

「強さは今までの比ではなかったです。幹部より怪物に手こずったようです」

「そうだろうな」

「かなり危なかった様ですが私がギリギリ間に合いました」

「そうか……それでシェイドの幹部共はどうした?」

「はい。とどめを刺そうとしていると見せかけつつ、新武装の追跡装置を付けておきました」

「何!?」


 弥生を睨み付ける様に睨んだ後、眉毛を逆立ててニヤリと唇の形を変えた。


「でかした、ヤヨイ」


 アークヴィラは笑みを浮かべると軽く屈伸をし、首や腕を回し始めた。


 蒼太の血を半分吸ってさえ、どうやら足りてはいないらしいと自分でわかる。

 貧血で体が重いのだ。

 ヴァンパイアにとって血は力であり、およそ貧血などとは無縁の生き物だった。それだけに腹ただしい。


「で、奴らのアジトは分かったか?」

「恐らくですが、今2人が止まっている場所かと思います。町の北側に区画整理予定のまま放置されたエリアがあります。そこの廃ビルですね」

「やったな。遂に尻尾を掴んだぞ。問題は奴らがいつあの装置に気付くかだな」

「時間が経つほど気付かれる可能性は高いです。気付けばアジトの場所は変わるでしょうし、我々が罠に掛けられる危険も高まります」

「そうだな。向こうには人間の文明に明るいリーもいるし……」


 蒼太の顔を見てアークヴィラは暫く考え込んでいたが、やがて弥生に向かって思いもしない事を言った。


「ヤヨイ……あたしがいいと言うまであっち向いてろ」

「畏まりました」


 両手をへその前辺りで重ね合わせ、姿勢良く言われた通りに窓の外を向いた。


 それを確かめると視線を蒼太に戻し、冷たくなった蒼太の顔を両手で挟む。


(有難うソータ。出会って間もないというのにお前はあたしの為に命を懸けてくれたんだな)


『僕は、僕が死んだらアキさんに泣いて貰える様に頑張ります!』


 彼がそう言っていたのを思い出し、アークヴィラは寂しそうに笑う。


(何でだ? 何でそんな事を思うんだ? ……あたしが好きなのか? ソータ)


(あたしは…………分からないよ)


 そこでもう一度蒼太が誓った言葉を頭で反芻し、


(すまないな。お前が命を懸けてあたしを助けたというのにあたしは……お前がこんなになっているのに涙も出て来ないよ。許してくれ、これがあたし達なんだ)


 冷たいまま動かない蒼太の顔にゆっくりと自らの顔を近付けた。


 やがて唇が触れ合う。

 だがそこからアークヴィラに伝わるのは死の感覚だった。


(お前とは何度もこうした気がしていたが、そうか。唇にキスしたのは初めてだな)


(そりゃそうか。ファーストキスなんだから)


 それを自覚すると急に羞恥が襲う。


は……お前からしてくれよ)


 暫く蒼太の下唇を食んでいたが、やがて顔を上げた。


 その目には決意が宿る。


「ヤヨイ。今夜あたしとお前で奴らを1人残さず抹殺する」

「畏まりました」


 アークヴィラは踵を返し、自分の部屋へと向かった。

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