33.アークヴィラ倒れる

 思ってもみない事だった。


 外傷は無い。

 怪物騒ぎの後、どこも打っていない事はヴァレリオの目で確認済みだ。


 ロシアで何か病気でも貰ってきたか?


 いや、ヴァンパイアの強靭な肉体、凄まじい治癒力に打ち勝つ病原菌など、ヴァレリオは知らなかった。



 だがひとつだけ。



「ア、アークヴィラ様。まさか……」


 ヴァレリオはひとつだけ思い当たる。

 それはヴァンパイアの故郷、クルジュ=ナポカで起こった、一族の全滅。


「まさか……シェイド……!」


 弥生がアークヴィラの体をすぐ隣の空き部屋へと連れて行き、寝かせる間にヴァレリオは急いで窓から出、屋根に登って周囲を見回す。


 暗すぎて普通なら見つける事など出来はしない。だがヴァレリオの目はその男を見つけ出した。


 山の木陰にいた1人の日本人。

 闇夜の森に気配を殺している男がいる。


 ヴァレリオはその顔に見覚えがあった。


「クソ野郎……やりやがったな」


 男を見つけた瞬間、ヴァレリオの全身の毛が逆立った。


 それはクルジュ=ナポカに訪れた日本人、田村だった。


 ヴァンパイア一族を根絶やしにした男。


(空港からここまでのどこかでアークヴィラ様を見つけ、尾行してきたか)


 すぐに殺しに行きたい衝動を必死で抑え、舌打ちをしながら館に戻り、アークヴィラの寝室へと向かった。


「弥生! 蒼太だ。すぐに蒼太を連れて来い。アークヴィラ様にあいつの血を輸血しろ」

「畏まりました」


 頭を下げるのもそこそこに、弥生はヴァレリオと同じ様に勢い良く窓から飛び出した。空中で瞬時に飛行形態となり、体中のジェットを噴射して蒼太の家へと向かった。



 僅か30秒程後。


 既に寝入っていた蒼太だったが突然部屋の窓から現れた弥生の言葉に驚いて跳ね起きた。


 寝た所を起こされたからだろうか、鋭い痛みが頭に走るがそれどころではない。


 アークヴィラに貰った黒のジャージのまま、弥生に抱かれて空を急ぐ。


「アキさんが倒れたって……どういう事ですか! 僕が帰る時は……さっきまであんなに元気そうだったのに!」

「私には分かりませんがヴァレリオ様は何かご存知の様子でした。ひょっとすると……」


 そこで何か異変を察知したかの様に弥生の目線が遠く、駅の方を向いた。


「あれは?」

「ん?」


 突然その付近が爆発したかの様に車や建物の一部などが舞い上がる。


 アクション映画の様なそのシーンは最近になって何度も見た光景だった。


「ま、まさかまた怪物が……」

「そうみたいですよ。遠くてはっきりとは分かりませんが馬に乗った、騎士の様な姿をしているようです。昨日の怪物程ではないですが、これもかなり大きいですね」


 弥生のセンサーはヴァンパイアの蒼太にさえ見えない怪物の姿を捉えていた。


 だが今はアークヴィラの問題が先決である。弥生が先を急いだその時、目の前に一筋の光が落ちた。次いで、


 ピシャッ!


「うわっ!」


 思わず蒼太が目を瞑り、手で顔を覆う。


 それは雷だった。


「雷雲などありませんのに……?」


 弥生がコースを変えつつ首を傾げる。辺りを見渡し何かに気付くと、


「ソータ様。もう1体、居ました」


 無表情のまま言った。


「え! もう1体!?」


 それは今までにない事だった。


 怪物は1日に1体しか出ない、誰もがそう思い込んでいた。


 弥生の視線の先に目を移すと杖を持った大柄な老人が通りの真ん中に立っていた。


「何で……一体この町に何が起こってるんだ……」


 体長4、5メートルはあろうかというその老人の様な怪物と一瞬視線が合った。

 禿げ上がった頭に反比例する量の白い髭がある。ローブの様な衣装を着込み、手には長い杖を携え、年老いた魔導師然とした装いをしている。


 弥生は超高速でそこを通り過ぎるが、背後で雷が連発で落ちるのを感じ、蒼太は背筋が凍り付いた。


「アキさんが倒れたのと初めて2体の怪物が出たのが同じタイミングなんて。何か関係があるんでしょうか」

「分かりませんね」


 弥生は短く答え、更にジェットを噴射し、加速した。



 程なく館に着く。


 弥生に案内された蒼太は息せき切ってアークヴィラが横たわる部屋へと駆け込んだ。彼女は黒いキャミソール1枚のみを羽織り、白い顔で横たわっている。意識は無い様だ。


「アキさん、アキさん……」


 どうして良いかわからず、アークヴィラの片手を握るがその手がとても冷たくギョッとしてその顔を覗き込んだ。


「アークヴィラ様の血圧が非常に落ちています。現在、収縮血圧36、拡張血圧12」


 弥生の言葉で蒼太の顔から血の気が引いた。


「え、それって……」


 聞いた事の無い数字だった。

 人間ならどう考えても死ぬ直前の数値である。死人の様な白い彼女の顔を見て改めて愕然となる。


「い、いやだ、アキさん、死なないで!」

「お前が命を差し出せば、アークヴィラ様は助かる」


 ヴァレリオが冷徹に言い放つ。意味がわからないとばかりにその顔を見返す。


「ヴァンパイアに人間の血を輸血する訳にはいかない。それにアークヴィラ様にはお前の血がよく。お前がその血を差し出せばアークヴィラ様はきっと助かる」

「……」

「嫌だと言っても力づくでいただくがな」


 ヴァレリオの言う事が理解出来た。


 魔力を高める必要が無かった為、アークヴィラは長らく人間の血を吸っておらず、久々に取り込んだのは蒼太の血だけだ。


 今度こそ自分は死ぬのだろう、蒼太はそう思ったが全く怖くなかった。


 人生の殆どが辛く悲しい事で塗り潰された彼にとって死ぬ事は恐い事では無かったし、最後に貴重な、幸せな時間をくれたアークヴィラの為に死ねる事はむしろとても嬉しい事だった。


「使って下さい。僕の命!」

「よく言った。やれ、弥生!」

「畏まりました」

「外に田村がいた。奴が薬を撒いたに違いない。殺してくる」


 弥生はアークヴィラの隣に置いた空のベッドに素早く蒼太を寝かせ、その腕を消毒し始めた。目線はそこを向いたまま、


「ご自分でおわかりとは思いますがルーヴルドにやられたヴァレリオ様の傷は、正直ただ塞がった、という程度です。お気をつけ下さい」


 思わず蒼太がヴァレリオの方を心配そうに見上げた。やはりヴァレリオは完治していなかったのだ。


 ヴァレリオは昨日シェイドの王、ルーヴルドにやられた胸の辺りをチラリと見て、鼻で笑う。


「ルーヴルドにやられるダメージだけは昔から回復が遅いのだ。だが……こんなもの、幹部相手にはハンデにもならん」

「幹部相手……そうそう、ヴァレリオ様」


 急いで部屋を出て行こうとするヴァレリオに思い出したかの様に声を掛けた。


「ご注意を。かなり強力そうな大型の怪物が2体、この町で暴れています」

「な、なに!?」

「こちらに来るかどうかは分かりませんが、先日の大型の怪物の例もございますのでお気をつけ下さい。輸血が終わればお手伝いに参ります。その間、この館だけはお守り下さい」

「……」


 呆れた顔で弥生を見返していたが、心配そうに自分を見つめる蒼太と少しの間目線を合わせ、やがてフフンと笑った。


「そこの貧弱な小僧でも命を懸けた。アークヴィラ様が生まれた頃よりお仕えしている俺が負ける訳にはいかない」


 まるでそこが出入り口かの様に、大きな窓に足を掛け、躊躇無く庭へと飛び降りた。

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