25.子供の癖に生意気だ

 蒼太の手をキュッと握ったアークヴィラが彼の側頭部に頭を軽くくっつけ、もたれかかる。それと合わせて蒼太の心臓はペースを上げて動き出す。


 アークヴィラの方は視点が定まらない感じで何となく前方を見つめていた。


「あたしは暫くロシアにいたんだ。ヤヨイのバージョンアップに立ち会う為に。1ヵ月前突然、クルジュ=ナポカに残っていたヴァレリオから連絡が来た」

「ヴァレリオさんから……どうしたんですか?」


 蒼太のその問いにアークヴィラの形の良い唇がキュッと締まった。


「ヴァンパイアの一族が、滅んだと」

「ええ!」


 話を聞く限り、人と交配しない限りは確かにその内絶滅しそうな印象を受けた。だがそれはシェイドという敵がいなくなった今、何万年も後の話かと思われた。


 だがそれは僅か1ヵ月前の話だと言う。


「一体、どどど……」

「あたしにも事情がわからず、ヤヨイを連れてすぐに帰った。城は特に攻撃された様子も無いが確かに誰もいない。王の間へ行くとヴァレリオがひとりであたしを待っていたんだ」

「……」



 ◆◇◆◇


「皆はどこに? 電話で滅んだって言ってたけど……何かの比喩かい?」

「比喩でその様な不吉な言葉は使いません。言葉通り、ここにいた方々は皆、灰となって消えてしまわれました」


 沈痛な面持ちのヴァレリオが項垂れる。その様な彼の姿を見るのは初めてだった。


 かつて少ないながらも活気に溢れていたこの広い王の間に、今は彼とアークヴィラ、そしてアークヴィラが連れて来た弥生の3人しかいない。


 アークヴィラは父が座っていた王座の背もたれの辺りを懐かしそうに手でさする。


「原因は?」

「シェイドの攻撃です」

「攻撃? 争った気配は見えないけど」

「はい。奴はシェイドの臭いを消し、日本人に擬態し、巧みにこのクルジュ=ナポカに潜り込みました」

「日本人か……考えたな。ママはもういないけどその子のあたしがいるから一族に入り込み易いと踏んだな」

「恐らく。特に王は熱心に今の日本の事を聞いておられましたが」


 そこで言葉を止め、歯をギリリと噛み締める。

 冷静に装っているが怒りは当然収まっていないのだろう。


「そうか。パパも気付けなかったか……」


 少し寂しそうに父が座っていた王座を見つめる。


「どうやらとも言うべき薬品を散布された様です。ヴラド様を始め、皆、血が干からびてしまいました」

「血が干からびる……シェイドめ。急に姿を消したと思ったらそんなものを作っていたか」

「空気に混ざり、無色無臭。それとすぐに勘付いていれば吸血する事で緩和出来たかもしれませんが……私や動物が死ななかったところを見るとヴァンパイアにのみ効力がある様です。風上から散布されたようで、気付いた時には私以外の方々が次々に……」


 ヴァレリオの唇から血が流れ落ちる。最も悲しいのはアークヴィラの筈、と自身は悔しさを吐き出さない様、堪えているのだ。


「如何なされますか」

「知れたこと」


 ギラリと真紅の瞳を輝かせ、ヴァレリオに向かって叫ぶ。


「今宵よりヴァンパイアの王はあたしが受け継ぐ。女王アークヴィラ・ハーメルンとして一族の仇はあたしが討つ!」

「ハッ! どこまでもお供致します」

「まずはその薬品を撒いた奴を地の果てまで追いかけ、ルーヴルド、いや全てのシェイドを根絶やしにする」


 ルーヴルドとはシェイドの王だ。既に齢五千を超えている。


「が、追跡といっても……」

「ヤヨイ!」

「はい! ここにおります!」


 それまで黙っていた弥生が元気に手を上げて返事をした。


「早速出番だ。昨日の出国者の内、日本行きの便で出国した日本人は何人いる」

「18人です」

「な……!」


 思わずヴァレリオは息を呑んだ。


「奴らも空は飛べんだろ。人間に擬態できるのだから飛行機という便利なものを使わない筈がない。事が済んだらここに留まるのはリスクにしかならん。従ってほぼ間違いなくその18人の内のいずれかだ」

「は……これは……」


 参りました、と頭を少し下げる。


 ここのところ弥生の開発に没頭していたアークヴィラは少し一族から浮いていたのだが、彼女が正しかった事が皮肉にも一族が全滅してしまってから証明されてしまった。


 思えばヴラドはアークヴィラを「先を見る目がある」と褒めていた。


 自分は全てを見通す目を持っていると言うのにあの日本人を疑いもせず攻撃を許してしまい、更には捕らえる事も出来なかった。


 かたやアークヴィラは最新鋭の文明の利器を使い、早くも逃亡先を特定しつつある。


(ヴラド王、鞠様。成る程、このヴァレリオ、完敗で御座います。せめてこの命を懸けてアークヴィラ様を御守り致します)


「よしヴァレリオ、面通しだ。今から弥生が映していく顔の中に見覚えがあれば言え」


 ヴァレリオが想いに耽っている間に特定作業は進んでいた様だった。


 空間に映し出される空港に設置されたと思われるカメラの映像。


 そこに日本人が次々に映し出される。


 そして12人目。


「こいつ……こいつです!」


 思わず怒りで毛を逆立てる。


 眼鏡をかけ、前髪が長く、温和そうな顔付き。人間の歳では30歳位だろうか。


「名前は田村たむら林太郎りんたろう、34歳です」

「その男を追跡」

「畏まりました!」


 とはいえ特に弥生に動きは見られない。ヴァレリオが小首を傾げるが、ほんの数秒後。


「町まで特定出来ました。後はカメラが少なく、そこに田村の姿は映っていません。この町から出ていない事は周辺市町のカメラで確認済みです」

「どこだ」

「東京都八王子市緑中ヶ丘町です」


 アークヴィラの唇が美しく歪む。


「ヴァレリオ、その辺りで景色の良い家を一軒即金で買え。すぐに行くぞ」


 ◆◇◆◇



 蒼太にはその時のアークヴィラの怒りが目に見える様だった。


「そのシェイドの名前はタムラ。勿論擬態した人間の名前だろうから本物はもう殺されている筈だがな。実行犯はそいつだが、命じたのはルーヴルドだ。奴は必ずこの手で殺す」

「……」


 ほんの少し、彼と指を絡めるアークヴィラの手に力が篭もる。


 アークヴィラは全く表に出さないが、ある日突然家族、そして長く共に暮らしてきた仲間達が殺されたのだ。


 その無念さは蒼太にも容易に想像出来る。蒼太には仲間というものはいないが、もし家族がと考えるとそれだけで気が狂いそうだった。


 彼女の方を向くと長いまつ毛と寂しそうな瞳が見えた。勝手に蒼太がアークヴィラの心情を決め付けたのかもしれないが……


 ふと初めて彼女の家に行った時に聞いた言葉を思い出した。


『ここまで笑ったのなんて、実際久し振り―――』


 ああ、何て辛い過去を乗り越えて来たんだ……と、思った瞬間、自分でも思いもしない行動に出てしまった。


 両手でアークヴィラの体を軽く抱き寄せたのだ。


「!!」


 思ってもいなかったのはアークヴィラも同じだった様だ。ビクッと体を震わせ、頬を赤くして飛び退き、キッと蒼太を睨み付けた。


「うわわわわっ! ごごごごめんなさい!」


 蒼太の方も驚いて横へと飛んだ為、2人の間には微妙な隙間が出来てしまった。


「……」


 口を閉ざし、冷ややかに蒼太を見詰める。


「あああ、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」

「じゃあ、どんなつもりだったんだよ」

「どどどどんなって言われましても……つつつい」

「……」


 不意に艶めかしい顔付きになり、ニヤリと悪い笑みを浮かべて蒼太ににじり寄る。


「ソータ」

「はははい」

「お前、今、あたしが可哀想だと思ったんだろ」

「え、いえ、いや、まあ、それは……すみません」

「何で謝るんだよ」

「いえ、僕なんかが……アキさんの事可哀想だなんて思うのは、何だか偉そうで」


 その反応に、アークヴィラはクックックと声を押し殺して笑う。


「おう。そうだな。偉そう過ぎだな。ソータの分際で」

「す、すみません……」


 更に肩口をぐいぐいと押し当て、蒼太をベンチの端に追い込む。


「生意気だ。ソータの癖にあたしが可哀想だって?」


 アークヴィラの顔が不意に蒼太の首元に近付いた。


「あたしの10分の1も生きてない癖に……子供の癖に、生意気だ」


 彼女の息がかかる。蒼太の胸いっぱいに薔薇の香りが充満する。


「あ、あの、ごめ、ごめんなさい」


 眉を逆立てたアークヴィラは蒼太の言葉は全く聞かず、彼に体を密着させた。


「そんな奴にはお仕置きが必要だ」


 言うが早いか牙を剥き出し、ガブリと首元に噛み付いた。


「アッ……ア、ア―――ッ!」


 夜の公園に蒼太の悲鳴がこだました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る