22.ルノシェイドの皮を被った倒すべき過去
「うああああああ! 稲垣ィィィィ!」
池からバシャンと跳ね上がる様に起き上がった澤井の様子が変だと思った。
さっきよりも体が大きくなっていないか。
「ブチ殺してやる。お前をブチ殺して、お前の家族もブチ殺して、その女もブチ殺してやる」
肩で息をしながら背中を丸めると突然着ているスーツが破け、黒い体躯が露わになった。
その黒く禍々しい姿に見覚えがあった。
(さ、澤井さん、ひょっとして……)
思い出すのは自分を殺したあの恐ろしい化け物。
アークヴィラはあれを『ルノシェイド』と言った。
それを思い出していた時、背後からアークヴィラの声が彼に飛んだ。
「ソータ! こいつらはシェイドだ。我らの宿敵の一族。お前には個人的な恨みもあるだろう。あたしもそうだ」
「え……」
その言葉を背に受け、驚きを隠せない。
澤井の徐々に変貌する姿を見てもしやとは思ったものの、中学の同級生がその様な化け物になっているという事が信じられない。
(いや、化け物はお互い様か……)
今や蒼太はヴァンパイアであった。
夜でも昼の様に見え、人間の十数倍の筋力と不死身といえる治癒力を持つ。
コンビニで一方的にやられた記憶は生々しく残っている。
だがそれを掻き消すほどの怒りと共に体中に沸き上がってくる力。そして恐怖でつい後退ろうとしそうな彼を背中から励ましてくれるアークヴィラの凛とした声。
「負けない……もう僕は。アキさんも家族も、みんな守る!」
「その意気だ。そっちは任せたぞ、ソータ」
背中で感じ取る。
アークヴィラも戦い始めた事を。
(そうか、きっともうひとりの男の人も、シェイドってやつだったんだ)
グゥルルルル……
もはや澤井が発しているのは唸り声、人間の言葉では無くなった。
ガッと一際大きく吠えたかと思うと目を吊り上げ、池の中から高くジャンプ、蒼太に襲い掛かった!
(ウワッ……人間の動きじゃ……)
目の前にいるのはルノシェイド、と分かっていたにも関わらず、まだ澤井の面影を引き摺っていた為、一瞬、出遅れた。
思わず顔を背け、倒れる様に横に転がった。
ヴァンパイアになったとて、突然格闘センスが磨かれる訳ではない。とにかく争い事を避けて来た蒼太にとって、戦いはゲームの中だけのもので決して自分でやるものではなかった。
「ヒッ!」
蒼太が今し方までいた位置に元澤井だったルノシェイドが大きな音を立てて降って来た。
ガルルゥ……
着地と同時に唸り、ギロリと瞳の無い黄色い目で蒼太を睨む。
「クッ」
また震え出しそうになる所をグッと歯を食いしばって耐える。
(これ以上飲まれちゃダメだ。アキさんに心配させちゃダメだ。大丈夫だと思ってもらわないと)
グゥアアアアッ!
その黒い化け物が両手を上げて蒼太に襲い掛かる!
蒼太の顔は焦りと怯えが入り混じっていたが、その
尻餅をついた状態から左の片足だけで跳ねると数メートル後方にジャンプ、自分で驚く。
(ななな何これ、凄い!)
体重に対して筋力の上がり方が異常である為、力を出すと想像もしない状態になる。
(これが……ヴァンパイア!)
そう思うと蒼太に致命的に欠けていた『自信』というものがほんの少し湧き出てきた。
だがルノシェイドの方も人間とは桁違いのパワーを持っている。コンビニで一方的に蹂躙された恐ろしい記憶を引っ張り出すまでもなく、目の前の澤井が再びそれを見せつける。
間髪入れず、唸り声を上げて再び蒼太に襲い掛かってきた。
蒼太は目を瞑りそうになるのを堪え、わざと地面に座り、タイミングを合わせて思い切り右足を蹴り上げた。
ウガゥッ!
それは見事に相手の顎にヒット、一瞬のけ反ったルノシェイドだったが勢いは止まらず、そのまま蒼太に覆い被さった。
(う……ううう……うわあ!)
バキィッ!
ルノシェイドの丸太の様な腕が振り下ろされ、蒼太の頰を捕らえた。
「アウッ!」
蒼太の鼻と口から同時に血が飛び散り、その衝撃は一瞬目が見えなくなる程だった。
ルノシェイドは蒼太に馬乗りになり、またも腕を振り上げた。
その体勢は蒼太が忘れたくても忘れられない、かつての暴力の数々を嫌でも蘇らせる。
自分を見下ろす黒い化け物の顔に10年程前の澤井の顔が勝手に重なる。
怯えて顔を守る様に両手を突き出すが、お構い無しに次々と拳が振り下ろされる。
恐怖と痛みに心が折れそうになりながら、
(ぐ、怖い、けど……大丈夫、耐えられる!)
それはヴァンパイアになったからというよりは、彼の背中を支えてくれ、一方で彼が護りたいと思えるアークヴィラの存在が大きかった。
徐々に拳の軌道を見切り、首を動かして避け始める。
そこにアークヴィラの声が重なった。
「いいぞソータ! そいつはルノシェイドの皮を被った倒すべき過去だ。お前が乗り越えるべき、忌々しい過去だ!」
最早彼の力の源といっていい、心の底から勇気が湧き出る声が響いた。
「力を解放しろ! お前はまだヴァンパイアの力をひとつも出しちゃいない!」
既に強くなっている事は体感した。
だがそれでも何ひとつヴァンパイアの力では無いという。
(これ以上アキさんの手を……煩わせるな!)
そう思った瞬間、視界が薄く赤く染まる。
とはいえ見えにくいものではなくむしろその他がクリアに彩られ、突如ルノシェイドの攻撃の動きがスローモーションとなり、その姿がボヤッと黄色い輪郭で浮かび上がる。
(こ、これは……これがヴァンパイアの本当の視界!)
同時に今までとは比べ物にならない程に溢れ出る力!
昨日弥生がそうした様に、ルノシェイドの右手を難なく片手で掴む。
体格差を全く感じさせず、腹筋だけで持ち上げ、
ズドンッ!
「ソータ……よくやった!」
真紅の瞳を輝かせた蒼太が大柄のルノシェイドを押し倒した!
―
その少し前。
「クックック。いつまでその下手くそな演技を続けているんだ? お前が殺したい相手はここにいるぞ? やっと出て来たんだ。ケリを付けようぜ?」
アークヴィラに正体を看破された中年のサラリーマンはニヤリと笑う。
「結局、女王……になったのか? ヴラドの娘、確かアークヴィラ、だっけか。何で分かった?」
フンッと忌々しそうに鼻を鳴らしたのはアークヴィラの方だった。
「テメーはクルジュ=ナポカに来た例の奴じゃあないんだろう。シェイドのくっせぇ匂いがプンップン漏れてるからな」
目の前の男に毒付くと蒼太の方を見た。
大きな罵倒の言葉を吐きながら池で立ち上がるルノシェイドを前に立ち尽くす彼の背中に声を掛けた。
「ソータ! こいつらはシェイドだ。我らの宿敵の一族。お前には個人的な恨みもあるだろう。あたしもそうだ」
「クソッタレのヴァンパイア如きが吠えやがって。ご希望通り、こっちも始めようかい」
男の体が一気に膨れ上がる。
さっきの澤井がそうだった様にスーツがバリバリバリと音を立てて裂ける。
目の瞳がスッとなくなる。正確には白目が黄色に、瞳が黄金色になった為にそう見えるのだ。
オールバックだった髪は静電気で弾け飛んだかの様に逆立つ。
澤井はルノシェイドとしてその本当の姿を表した後は個性の無い、黒い巨人という印象だったがこちらの男は違った。
今までの中年サラリーマンの姿はどこかの日本人の姿をコピーしていたのだろうか? それほど全く異なる外見の男に変化する。
身長は180センチより少しある程度だが面長で細い目付きと高く通った鼻立ち、薄い唇をしており、何より全身鋼の様な肉体をしていた。
これが彼のシェイドとしての本当の姿なのだろう。
「女王アークヴィラ・ハーメルン。こんな所でそんな雑魚吸血鬼とイチャイチャ遊んでいたのが運の尽きだ。このロムウ・アルバが切り刻んでやる」
ニタリと笑いながら名乗ると同時に一体いつの間にどこから取り出したのか、2本の西洋の剣を構えた。その名を聞いてアークヴィラが嬉しそうに笑う。
「ロムウ……幹部か。願ってもない」
アークヴィラの瞳が一段と深く紅く染まり、白目が黄色く輝いた。
彼女の視界の端で手を広げる蒼太が見えた。
「負けない……もう僕は。アキさんも家族も、みんな守る!」
恐怖を堪えてルノシェイドに立ち塞がる彼の背中に優しく笑い掛ける。
「その意気だ。そっちは任せたぞ、ソータ」
言い終わると同時に目を吊り上げ、牙を剥き出し、ロムウに向かって飛び上がり!
あっさりとその顎を強烈な膝蹴りで撃ち抜いた!
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