08.優しい女王

 ◆◇◆◇


 薔薇の匂いと心地良いを体中に感じて目が覚めた。


 あれだけ酷かった頭痛は綺麗に消えており、瞼を開けると同時に嫌でも女性、アークヴィラに気付く。


「ア……アキ、さん」

「ヤッホー、ソータ!」


 ヴァンパイアの女王、アークヴィラは蒼太の目と鼻の先で白い歯を見せ、快活な笑顔を振り撒いた。


「え、ななな何で僕の部屋に……何でここが分かったんです?」

「昨日ヴァレリオに送って貰っただろうが」

「あ、そういえば」


 精一杯首を傾けて彼女の姿を見た。


 昨日のラフなスタイルとは打って変わって、今日は黒を基調としたミニワンピースの上にサテン生地のマント……とまるで女性版ドラキュラのコスプレの様な衣装に身を包んでいた。


 角度的にアークヴィラのデコルテ部分がはっきりと見えてしまい、顔を赤くして目を逸らす。


 アークヴィラはそんな蒼太を見て目を細めながらフフンと鼻で笑う。


「全くエロいなお前は」

「う、エ、エロいのは、アキさんでしょ」

「あらぁ? 言うじゃんか。昨日の今日で何か心境の変化でもあったのかい?」


 蒼太は目を輝かせてコクコクと頷いた。

 彼女に今朝の事を聞いて欲しかったのだ。


「はい。今日、刑事が来てたくさん質問されたんですけど、負けずに受け応えしました!」


 よく意味のわからない言葉だったがそれを聞くと彼女は満面の笑みを浮かべ、小首を傾げた。


「そうか! 頑張ったじゃん、ソータ」

「は、はい! ……う、うう」


 たったそれだけの言葉だったが、誰かに認められるという体験が殆ど無かった蒼太にはこの上なく優しく、嬉しい言葉であり、自然に、そして止めどなく涙が溢れて来た。


「ううう、ううう、アキさん」

「おっとっと。なんだお前。情緒不安定な奴だな……よしよし泣くな泣くな。頑張ったソータ君にご褒美をあげようか」

「ううう……?」


 彼女はその整った顔を蒼太に近付けるとニコリと笑い、そして真っ赤な口紅が引かれているその形の良い唇を彼に優しく重ねた。


(ア、アキさん……アキさん!)

(ぼ、僕の人生で、ここここんな事があるなんて……)


「アキさん!」


 蒼太は夢中で彼女に抱き着いた。


 ◆◇◆◇



「アキしゃん!」

「プッ……クク」


 アークヴィラは我慢していた。


 だがもう限界だった。


「ブッ……プックックック……アーハッハッハ!」


 蒼太の部屋の窓から侵入した彼女は最初、寝言とは思えぬ、ハッキリとした物言いの蒼太に怪訝な顔付きで対応していた。


 だがどうやら寝ているらしいと分かると、大きな寝言で何度も自分の名を呼び、枕を抱き締めて彼女の指に幸せそうに吸い付く蒼太を見て遂に堪えられなくなり、笑い転げてしまったのだ。


「ふあ?」


 その笑い声で蒼太は今度こそ本当に目覚めた。


 寝ぼけ眼で腹を抱えて笑っているアークヴィラを見、天井を見、開いている窓を見、ここが自分の部屋である事を確認する。


「あ、あれ? ア、アキさん? あれ?」

「ヤッホー、ソータ」


 ひとしきり笑った後、アークヴィラは快活な笑顔を見せた。


「え……ちょ……」


 既に蒼太は気付いている。


 先程の彼女との口付けが夢だった事を。


 ただ、現実のアークヴィラが一体いつからここに居たのか?

 自分が寝言で何を言ったのか?

 そこが気になった。


 だがこれだけ笑い転げていたと言う事はきっと途轍もなく恥ずかしい事を寝言で言ってしまったに違いない。


「アキさん。その……いつから……いたんですか」


 蒼太は布団を鼻の上まで被り、ニヤニヤと笑う彼女を恨めしそうな目で睨んだ。


「あたしがここに来たら『何でここが分かったんです?』って結構ハッキリ言ってくるから起きてるのかと思ってさ。普通に受け応えしちゃったよ」


 それは彼が覚えている限り、先程の夢のほぼ最初から、だった。絶望と羞恥心で顔を真っ赤に染める。


 だが衣装のくだりは彼の創作であるらしい。彼女は厚手の赤いワイシャツに黒のスキニージーンズと、昨日とさして変わらないカジュアルな格好をしていた。


「その……僕……何か言ってましたか?」

「ブッ」


 また愉しそうに口を歪める。その仕草で何か言っていたらしいとわかる。


「結構ゴニョゴニョ言ってたよ? 刑事がどうとか」

「……!」

「あんまりよく分かんなくて取り敢えず声を掛けてやったら突然泣き出してさ」

「…………!」

「びっくりして暫く眺めてたら口尖らせるから取り敢えずあたしの指を置いてやったらめっちゃ吸い付いてくるし。もう可笑しくて」

「……死にたい」

「手を出してくるから枕渡してあげたら抱き締めるし、泣き続けるし、あたしの名前連呼するし……『アキしゃん』って言うし」

「……もういいです。帰って下さい」


 蒼太は頭から布団を被り、彼女に背を向けて丸まった。


 羞恥でとてもアークヴィラの顔を見れたものでは無かった。


「ごめんごめん、怒んないでソータ」

「怒ってません。死にたいだけです」

「死なないで? あたしが悪かったよ。機嫌直してさ、可愛い顔見せてよ」

「アキさんは悪くないですし、僕は可愛くもないです」

「ん――」


 困ったなという表情をしてひとつため息を吐いた。少し揶揄い過ぎたらしい。


 考えた末、アークヴィラは丸まった蒼太の背中に添い寝する形で横になった。布団の上からではあったが。


「なあソータ。さっきは正直よく分かんなかったんだけどさ、夢で言ってた刑事の話、ちゃんとあたしに話してみてよ」

「いいですもう。気にしないで下さい」

「そう言うなよ冷たいなあ」

「……」

「拗ねてんの?」

「……」


 蒼太は数秒考えて、布団から顔半分を出し、アークヴィラには背を向けたまま話し出した。


 恥ずかしさはあったものの、やはり彼女に聞いて欲しかったのだ。聞いて貰った上で下らない事だと笑われてもそれはそれで良いと思えた。


「僕は……昔から何をやってもダメなんです。人と話すとすぐ動悸が激しくなるし、何故か怒らせてしまうし」

「怒られるのが嫌でつまらない嘘で取り繕おうとして、でもそれも上手く出来なくて。結局やってもいない事で疑われたり、虐められたり」

「大学受験にも失敗してこれ以上家族に迷惑はかけられないと思って就職したんだけど、やっぱり何も変わってなくて」

「そんな時、あの怪物が突然やって来て、今の今まで僕を怒鳴ったり虐めたりしてた人が目の前であっさり死んで」

「怖くて僕はまた逃げ出した。今朝、刑事が聞き込みに来たのはその話だったんです」


 アークヴィラは昨日と同じ様に蒼太の話を真剣に聞いていた。


「正直に話すと殺人の容疑者になっちゃうんじゃないかと思ってどうやって誤魔化そうかと思ったんです。でも口から出た言葉は全部本当の話だった……面倒でも嘘くさくても、一から全部、実際にあった事を話して」

「それが良かったみたいで、最初は疑いの目で見られてたんですけど、最終的に納得して帰ってくれました。なんだ、本当の事を堂々と、胸を張って話せばそれで良いんだって。今更気付いたんです。それがとても嬉しくて。どうしてか、アキさんに聞いて欲しくて」


 話した後、ドキドキ……と鼓動が速くなるのを感じた。


 言ってしまってから、小学生でも分かる様な事を今更何言ってんだ? と自分で恥ずかしくなってきたのだ。


 だが。


 フワリ。


 布団の中に彼女の冷たい手が伸び、後ろからスッと抱き竦められた。


「そういう事か」

「……!」

「ソータ」

「は、はい」

「頑張ったじゃん。何がきっかけなのかあたしには分からないけど……成長したんだな」

「う……あ、アキさん」


 現実のアークヴィラは彼がさっき見ていた夢と同じく、優しかった。


 彼女のバックハグはこの世のものとは思えぬ程心地良く、母の胎内に戻ったかの様な安心を彼に与える。


 夢と同じく彼の意志に関係なく溢れ出る涙で風景が滲む。


「ヨシヨシ。泣くな泣くな。偉い偉い」

「う、ううううう」


 更に体をまるめて震わせると大丈夫だと言わんばかりに腕に力を込めて抱き締めてくれる。


 こんなに心の底から泣いたのはいつ以来だったろうか。


 赤の他人が自分を認めてくれ、褒めてくれた。

 ただそれだけの事だった。アークヴィラからすれば適当に褒めて宥めているだけなのかもしれない。


 それでも良かった。


「ふむ。お前が見ていた夢だとここでご褒美だとか言ってあたしがお前にキスしたんだな?」


 コクリ、と蒼太は素直に頷いた。


「フフッ。いいよ。こっち向けよ。キスしてやる」


 ドキリ、と一際心臓の鼓動が高鳴った。


 だがすぐに蒼太はフルフルと小さく首を横に振った。


「このままで……このままがいいです」


 それを聞くとアークヴィラは無言で口の端を上げ、コツリと自らの額を蒼太の後頭部に当てた。

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