05.恐怖のイケメン執事

 コンビニ横の路地から15分程、山の方へ歩くと殆ど民家の影は無くなり、人気も無くなる。


 彼女の家は茶谷山と呼ばれる山の中腹にあった。体力の無い蒼太に合わせ、30分程ゆっくり山登りをすると、突如3階建ての豪邸が視界に入った。麓からはそんな物があるとは想像も出来なかったものだった。


 大きな門の前に2メートル近くはあろうかという長身の男が1人、姿勢良く立っている。背が高い為に一見細身に見えるが黒いベストと白いワイシャツの上からでも二の腕、大胸筋とかなり発達しているのがわかる。


 男はアークヴィラを見つけると手を前にやり、深々とこうべを垂れた。


「お帰りなさいませ、アークヴィラ様」

「ただいま~~」


 アークヴィラは片手を上げて男の前を通り過ぎ、ひとりでに開いた門の中へと歩を進めた。


 一方の蒼太。

 男に近付くに連れ、月の光に照らされる彼の顔がとんでもなく整った、美しいとすら言えるものだという事がわかった。


 彼女に続き、「おおおお邪魔します」と頭を下げながら男の前を横切ろうとした。


 次の瞬間、着地する筈の足が空を蹴り、蒼太の体がを失った。


「えあ?」

「貴様、何者だ」


 遥か頭上にあった筈の男の顔が何故か蒼太の目の高さにある。

 青いメッシュが入った髪がゆらりと靡き、暗い青色の瞳が彼を睨んでいた。


「ひ、ひぃぃぃ!」


 首根っこを掴まれて持ち上げられているとわかったのは数秒後だった。


 全身の毛が総毛立ち、ガタガタと体中に震えが走る。アークヴィラが言っていた『鬼より怖い執事』とはきっとこの男の事なのだ。


 男は全く力を込めていないが、蒼太の首を骨ごと引きちぎるのに1秒も掛からないだろうというのは容易に想像出来た。


「ヴァレリオ。彼は私の客人だよ」


 前を行っていたアークヴィラが立ち止まり、助け舟を出す。だが、


「気に入りません」


 ヴァレリオと呼ばれた男は蒼太を睨みつけながらにべもなく言い返す。


「妬くな妬くな……大丈夫だよソータ」


 その言葉に渋々といった感じでヴァレリオが蒼太を下ろす。

 だがその眼光は変わらずギラリと蒼太に向けられ、光っていた。



 ―

 改めて、この町にこんな豪邸があったのかと思うほどの広い家、いや洋館だった。


 何となく日本人がイメージするヴァンパイアの館らしさ、額縁に飾られた芸術的な絵画や由緒有る彫刻品、金銀の装飾、六角形の漆黒の棺桶、などは皆無だった。


 ただ相当な値打ち物と思える真紅の絨毯が敷かれてあり、アークヴィラが1人で座るには大きすぎるソファとテーブル、そして燭台があった。


「いやぁ質素な内装で恥ずかしいんだけど……実は日本には先月来たばかりでな」

「いえ、これが質素だなんて……とんでもない。凄い豪邸で呆気に取られていま……」

「貴様皮肉か? 良い度胸だ」


 声と共に顎を掴まれ、凄まじい力で90度上に捻られると蒼太の首からバキバキバキと音が鳴った。と同時に上から見下ろす鬼の形相のヴァレリオと目が合う。


「い、いや、皮肉などではひにくなろれあ

「やめろヴァレリオ。人間は弱い。すぐに死んでしまうぞ」

「畏まりました」


 口ではそう言いながら、顎から手を離す間際にギロリと殺気の篭った眼光を放つ。


(こここ、殺される)


 首が折れたのではと恐る恐る顔の角度を元に戻す。


 その仕草の何が可笑しかったのか、またもアークヴィラが笑う。


「あ――もう、ほんとソータは面白いな!」

「そ、そうですか」


 ヴァレリオが一旦奥へと引っ込み、紅茶を持ってきて彼の主人の前に丁寧に置いた。


「やれやれ、全く……ソータにも持ってきてやれ」

「……アークヴィラ様がそう仰られるのであれば」


 アークヴィラはそう言う筈と分かっているのに手間を惜しまず、敢えて最初は持ってこない事でこれ程私はお前が嫌いだというアピールをしたのだ、と蒼太は思った。


「あ、あの、お構いなく……」

「何だと貴様、私の入れる茶が飲めないと!?」

「いいいえ、とても、飲みたいです……」

「フン、厚かましい」


(どう返事したら正解なんだ……)


 泣きそうな顔付きになる。


 蒼太に凄んでから2歩進んだところでヴァレリオはふと立ち止まる。


(……?)


 チラリと蒼太を睨んで口の端を歪ませ、歯を剥き出した。


(ひ、ひぃぃぃぃ……帰りたい……)


 そんな様子もアークヴィラには楽しくて仕方がないといった様だった。


 だが今まで多く、人の悪意に触れて来た蒼太には、彼女のそれには全く悪意が無い事が感じ取れた。


(といって居心地の良いもんじゃない。早く帰らないと……心臓に悪い)


 程なく蒼太の前にティーカップが置かれる。紅茶独特の良い匂いが充満する。


 頭を下げ、一口啜った。


 色々な事に気を取られて自覚がなかったが、長く寒い夜道を歩いて来た蒼太の体温は冷え切っていた。その前に血を吸われていたせいもあるかもしれない。


 生き返った気がして思わず感嘆の声が口から漏れた。


「お、美味しい!」

「何だと貴様!」

「何で!?」


 今度は両手で頭と顎を押さえ付けられ、顔を寄せられる。


「当たり前だろうが! 誰が淹れたと思ってるんだ」

「ははははい、当たり前です、当たり前です!」


 アークヴィラは腹を抱え、今度はソファに横になって笑い転げた。



「あ~~。おっかしかった」


 ひとしきり笑い終えた所でようやくアークヴィラは真面目な顔付きになった。


「さてそろそろ本題に入ろう。ずっと見てても飽きないがな。ソータもあまり良い気持ちはしないだろうし」


 引き際を心得ているのか、特に蒼太を睨む事もなく、ヴァレリオはスッと頭を下げ、アークヴィラの背後に立った。


「あんまり気を悪くしないでくれ、ソータ。ここまで笑ったのなんて、実際久し振りなんだ」

「そ、そうですか」


 この時の蒼太にはアークヴィラ達が一体、どれ程の辛い出来事を乗り越えて今ここにいるのかなど、想像もつかない事だった。

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