02.ひょっとして僕を追いかけてきてる?
ガゥルルル……
獣の呻き声のようなものが口というには大き過ぎる、耳まで裂けたそれから漏れ聞こえる。
「ひ……!」
「うわぁ!」
一瞬遅れて周囲から悲鳴が上がる。
(か、怪物っ! ……ガーゴイル……?)
学生時代から友達もおらず、部屋でよくゲームをしていた蒼太の脳裏にそんな名前が浮かぶ。
ギラリ。
怪物の目には瞳がないというのに、睨まれた気がした。
先程までノロノロとしか動かなかった体が身の危険を感じ、反射的に動き出す。オフィスのドアに向かって走り出した。
「あ!」
「うぎゃあっ!」
背後で同僚達の叫び声と机などの大きい何かがひっくり返る様な大きな音が聞こえた気がしたが、蒼太は逃げた。
―
(どどど、どうしよう)
(何だったんだ、あれは)
(ぼぼ、僕だけ逃げたら、僕が殺したと思われるかな……)
自転車で家へと逃げ帰る内、色んな思いが頭を掠め始めた。
5分程逃げた彼がふと自転車を止める。
急に不安になり、後ろを振り向いた。
そこには何も無かった。
ただいつも通りの緑中ヶ丘の静かな街並みが見えるだけだった。
怪物が突然現れて自分を怒鳴り、嘲笑った同僚を襲った ―――
そんな事が現実に起こったのだろうか。
幻を見ただけなのではないか。
ひょっとして自分は逃げただけなのでは。
そう思うと途端に寒気が襲う。
(も、もし逃げただけなんだったら……)
(もう僕は生きている資格が無い)
だが幸か不幸か。
車が1台、グシャリという嫌な音と共に数メートル、宙に浮かぶ光景が見えた。
悲鳴の様なものも聞こえて来た。
やはり怪物はいたのだ。
「ヒッ!」
安堵と恐怖が複雑に入り混じり、蒼太は再び自転車のペダルを踏んで家へと向かった。
時折振り向くも、確かに後ろで騒ぎが起こっている。蒼太の頭にある考えが過ぎる。
(ひょっとして……僕を、追いかけてきてる?)
人が空を舞っていた。
そんな事が出来るのはあの巨漢の上司を片手で軽々と持ち上げていた、あの怪物しかいない。
「なんで、なんで僕を!?」
半狂乱になりペダルを漕いだ。
―
30分後、蒼太は自宅に辿り着く。
もう後ろに騒ぎの気配は無い。
急いで玄関のドアを開け、もどかしそうに靴を脱ぎ、リビングに入ると制服姿の妹、
蒼太に気付いた彼女が驚いた表情を見せる。
「あれ
「凛子……学校は?」
「いや普通に終わってるし。何時だと思ってんの?」
言われて時計を見る。
17時だ。
成る程、確かに学校は終わっている時間だった。そこでハッとする。
「そ、そんな事より、今、ニュースでこの町の事やってないか!?」
「ええ? いや、一体何言ってんの……」
蒼太の必死の形相に違和感を感じ、上半身を起こす。
「何かあったの?」
「怪物が出たんだ!」
「はあ?」
凛子は眉を落とし、半眼になる。
「何を言うかと思えば……こんな時間に帰ってくるし……体調悪いの?」
埒が開かない。蒼太は自分のスマホを取り出し、検索し始めた。
「……!」
15分前のSNSの投稿に、それはあった。
壁にめり込む人、吹き飛ぶ車や人などの写真。凄惨な現場の画像がネットに上がっていた。それ程数が多くないのはこの町がいわゆる都会ではないからだろう。これが東京のど真ん中ならSNSは凄い事になっている筈だった。
「り、凛子! これを見て!」
「何なの一体」
面倒くさそうに言う凛子の動きがいくつもの投稿を見てピタリと止まる。
「なにこれ……え? 緑中ヶ丘って……マジ?」
「うん。僕はこれから逃げて来たんだ」
だがおかしい。
下校中の学生達から次々と上がる写真を2人で見る。
「これって……でも何でこうなってるの?」
吹き飛んだ車の屋根や、血だらけの人などを顔を顰めながら見ていた凛子がそう言った。
そう思う筈だった。
何故なら、
「おかしい……あの怪物が……映っていない」
どの画像を見てもあの恐ろしい怪物の姿が映っていなかったのだ。
「怪物って、マジなの?」
蒼太はスマホの画面を必死に見ながらウンと首を縦に振った。
画像に映ってはいないが、凛子は怪物なんている訳ないじゃん、とは言い切れなかった。画像投稿者達は確かに「怪物が暴れている」、「何故か写真に映らない」と皆、似た様な呟きをしているのだ。
そして遂にテレビニュースとして速報が上がり出す。
『速報が入ってきました。八王子市緑中ヶ丘町で不審者による無差別殺人事件が起こっている模様です……』
テレビの前で固まる2人。
その時、突然サイレンの音が近くでけたたましく鳴り響いた。蒼太と凛子がビクッと身を震わせ、見つめ合う。
(ま、まさか、ここまで追い掛けて……)
(ひょっとして僕がここにいたら凛子が危ないのでは……)
そう考えるに至った。
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