怪物とヴァンパイアの女王に囲まれて僕の人生は変わった

南祥太郎

01.怪物

「お前……またか! 何度言えばわかるんだよ!」


 狭いオフィスに轟く怒号。

 それと共に投げつけられたプラスチック製の電卓が彼の額に命中し、床に落ちて割れた。


「イッ……」

「痛いのはこっちだよ稲垣。お前が貴重な時間を使ってわざわざ作り込んでくれたこのバグのお陰でまたアップデートだよ……全くどれだけうちの会社に損害与えてくれたら気が済むんだ? え?」

「ももも、申し訳、ございません」


 稲垣いながき蒼太そうたは額から血が流れ出てくるのを感じながら口答えするでもなく項垂れた。


 怒鳴られる度に壊れそうな程心臓の動きが早くなっていく。鼓動の音が聞こえるのではないかと思う程大きく響く。

 唇と手足は震え、膀胱に力が入らなくなってくる。


 その彼を頭ごなしに怒鳴りつけている大柄な中年の男性はこの小さな会社の社長である。狭いオフィススペースには全員併せても6人しかいない。


 その中の誰一人として社長の行き過ぎた行為を咎める者はいない。


 それどころか、ああまたやったかぁ、何度目だよ、と小さいながらも彼にはしっかりと耳に入るボリュームで囁き合っていた。ニヤニヤと笑っている者さえいる。


「さて、じゃあいつもの罰だな……いやいつも通りじゃダメか。改善されてないもんな。便所掃除に加えて、そうだな……皆、何かいいアイデアはないか? 稲垣が一人前になる為の、だぞ?」


 揶揄う様にその男が周囲にそう投げ掛けると彼の同僚達は笑いながら意見を言い合った。


 そのどれもが聞くに耐えない悪辣なものであった。

 蒼太は顔から血の気が引いていくのを感じながら、ただ額から足の爪先に落ちる自分の血をぼうっと眺める事しか出来なかった。



 小中高とずっと虐められていた。

 成績も振るわない。

 友と呼べる人間はいなかった。

 そして大学受験に失敗した。


 家族に迷惑がかからない様、1年間独学でプログラミングを勉強した。


 そのまま大学には行かず、何十社と就職活動をし、ようやく地元の小さなソフトウェア開発会社に就職出来た。今年で社会人3年目となる。


 だが入った会社が悪かったのだろう。入社半年もしない内に彼に対するハラスメントは度が過ぎるものになった。


(学生の頃から僕は……何をやってもダメだな……)


 そう思い、改善しようとは思うもののどうすれば良いかわからない。


 職場には彼を育てようという空気はもはや無く、単にストレスの捌け口、サンドバッグを雇っている程度の扱いとなっていた。


 今回のバグもシステムダウンやハングアップに比べるとそこまで顧客に影響があるものではなかった。ウェブコンテンツの検索条件の変換に間違いがあり、ユーザが検索しても見つからない商品がある事がわかったのだ。


 無論軽微とて許されるものではない。だが先輩社員のダブルチェックをすり抜けている以上、彼一人に責任を押し付けて良いものではなかった。



「……稲垣、おい!」

「は、はい」


 ふと学生時代に受けていたイジメを思い出して棒立ちになっていた蒼太に再び社長の雷が落ちた。


「寝てるのかお前。貴重な仕事の時間を潰してお前の事を話してるんだぞ? 自覚あるのか?」

「いえ、すすす、すみません」

「全く、躾甲斐、いや教育し甲斐の無い奴だ」


 だがその言葉ももはや蒼太には届かなかった。耳が遠くなり、眩暈がする。


 全てのシーンがデジャブの様に感じられる。


 あまりのストレスに一瞬、意識が飛んだ。


 足がぐらつき、倒れそうになる。

 何とか踏ん張って耐えた。


 ふと窓から見える何かが目に入った。


 彼が働くオフィスは地上3階にある。従って窓の外にいるのは烏くらいの筈であるが、ボヤッと視界に入ったのはそんな小さなものでは無い気がした。


 それは人型の何か。


(あれ、遂に幻覚が見えてきたかな)


 そんな事を思い、窓の向こうに目を凝らす。


「聞いてるのかお前、いい加減にしろ!」


 大柄な体躯を震わせ、肩を怒らせて立ち上がった社長が比較的小柄な蒼太と窓の間に立ち塞がった次の瞬間。


 けたたましい叫び声とも鳴き声ともとれる声を発しながらガラス窓をぶち破り、それは蒼太の目の前にやって来た。



 黄色い目以外は黒と灰色で構成された体。

 鋭い爪を持つ手と足、そして大きく汚い羽根。



 蒼太はほぼ姿勢を変えず、ただ目だけを大きく見開いた。



 怪物としか形容し難いそれは、やって来たと同時につい今しがたまで蒼太を怒鳴っていた1人の人間を、あっさりとその太い右腕で貫き、軽々と持ち上げていたのだ。

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