最終話 メアリー

それは、ある晴れた冬の日の出来事。

彼らは教会にいた。

それはまるで運命のように。

「ノア、あれ、アイツがウィリアムだよな」

ジャックが指差す先には、瞳から正気の抜け落ちた画家がいた。

「ウィリアム、彼が、あのメアリーを描いた」

デイビットがそう呟いた。

「ねえ、メイ」

彼らの話題の中心にいたウィリアムはと言うと、意識がこの世界にないのか虚空を見つめ、握ったメアリーの手に力を込めた。

「僕ら、ここで死のう」

狂気的な笑みを浮かべ、メアリーを抱きしめる。

メアリーは、それを拒もうとすらしなかった。

「どうして」

メアリーは、デイビットを見つめ、呆然としていた。

何か、彼女の脳に電流でも流れたような衝撃があった。

「デイビット」

彼女は、確かに彼を認識した。

ウィリアムの手を、押しのけるようにして、メアリーは、デイビットの元へ駆け寄る。

「ジャックさん」

デイビットが、呟く。

「あぁ」

メアリー、彼女が、強く自分を魚だと認識していたのに、どうしてそうならなかったのか。

彼女がどうして、そして、デイビットが、何を見てどうして記憶が飛んだのか。

デイビットが世界中の人に、一時認識されなくなってしまったのか。

それを、手帳や、取り戻したデイビットの記憶から突き止めたジャックとノアは、彼を連れ、メアリーを探し、ある画家が描いたと言う、メイという名前の女性の絵にたどり着いた。

それは確実に、メアリーの絵で、決して、メイという女性を描いてはいなかった。

「メアリー」

「デイビット、あなたは」

せっかくの晴れた日だ。

ガスマスクをつけるなんて無粋だろうと、皆ガスマスクを外していた。

デイビットは、メアリーを強く抱きしめると、ウィリアムに目をやった。

彼は、狂ったように笑っていた。

ジャックとノアは、二人で、何かを読み上げている。

それは、手帳の最後に書かれていた、認識の王を払う呪文。

非現実的で、どこまでもオカルトチックな儀式だが、こうする事で、人々は、少なくとも、この場にいる人々は、認識の王は、封印されたと、認識できる。

認識の王そのものは、デイビットによって破壊されていた。

正確には、彼と、彼の父親によってだが。

手帳に、その存在を封印した彼の父親だったが、デイビットが危険に瀕した時、その弱い心に漬け込んで、認識の王は、デイビットの自己認識を認識の王に、変えてしまおうと試みたのだ。

彼は、それを受け入れる他の選択肢はなかった。

しかし、彼の父親が、どうしてそんな危険なものを彼に残したのか。

封印できるなら、他のものに封印しなかったのか。

それは、彼が生涯かけて研究してきた、メソポタミアの遺跡、その研究の全てがこの世界に存在したと、彼がこの世界に残したかったからだ。

残したかったにも関わらず、それを読んで欲しくなかった。

それが王を復活させることを彼はよく知っていたから。

そうして、認識の王が、この世界に存在したせいで、太古の世界に存在したような、自己認識の暴走による、体の変形が起こるようになってしまったのだが。

「ごめんね」

教会が爆発したあの夜、デイビット少年は、確実に王になった。

王は全て殺した。

そうすることで、自分の命が永らえると思っていたから。

自分を王と認識したデイビットは、他者にとっても、王になる。

これが自己認識の暴走。

したがって、王が元々、デイビットという、確かに存在する少年であったと誰もが忘れてしまったのだ。

王になった彼は、その後、王ではなくなる。

それは、どうしてか。

王は、アルデバランの星が出ているときにしか、存在できないから。

というと、語弊がある。

確かにその星が出ている時間帯は、力が強まるが、出ていないときに決してなくなるわけではない。

それは、ジャックの体が、いつまでも半身狼であることからわかるだろう。

「デイビット、どうして」

星が出ていない時、そのときに、彼はある絵を見た。

それが、メアリーの描いた、彼の絵だ。

そのとき、王は、自分の顔がこれで、自分はこれであったと認識したのだ。

その瞬間、王は王でなくなった。

しかし、元のデイビットには戻らなかった。

そこには、自分の顔が、この絵のものだ、そう認識しているだけで、他に何が自分を構成しているのか、自己認識できないデイビットがいたのだ。

「あぁ、メアリー」

王になったデイビットが、メアリーを殺さなかったのは、完全に王の気まぐれである。

そして、異物対策班の面々は、彼らの捜査対象である、神父は、異物を使い、怪物を作り上げ、そうして、それらに自分を主君だと思わせていた。

怪物の存在を知った対策班の面々は、様々な火器を持ち込んで突入するのだが、王となったデイビットによって、それらを悪用され、教会は爆発することになる。

「君のおかげで」

さて、王は、その夜そこで消えたはずだった。

しかし、メアリーの思考の片隅に、王の存在が焼き付いていた。

彼女は薄れゆく意識の中で、王となった彼を見ていたからだ。

そこに、王が存在してしまった。

彼女の中に王が存在した。

だから、彼女は、どれだけ自分を魚だと認識しても、そうはならなかった。

いつか、その王の姿を見た記憶が、彼女を飲み込み、王そのものになるまで。

その姿を守ったのだ。

「君のおかげで、俺は、俺を取り戻した」

デイビットは、一つ一つ言葉を選ぶように紡ぐ。

ゆっくり話す彼に、メアリーは根気よく付き合い、それを聞いた。

ウィリアムはと言うと、笑い疲れたのか、ただ、虚空を見つめていた。

視線の先には、ステンドグラスがあった。

それは、教会には似ても似つかわしくない、王の姿が描かれたもの。

この教会は、昔の教会をそのまま再現していた。

「だから、君の中から、王が消えて本当に嬉しい」

その時だった。

ウィリアムが激しい嘔吐を始める。

「ウィリアム、どうしたの、ウィリアム」

メアリーは、嘔吐する彼に駆け寄った。

ウィリアムは、その時、激しい自己喪失に襲われていた。

王は、自己喪失に陥った彼を取り込もうとしたのだ。

しかし、彼、ウィリアムが、創作をしていたのは、絵を描いていたのは、全て、自分を父親に、家族に認めてもらうためだった。

自分を認識してもらうために、絵を描いていたのだ。

それが原初の欲求だった。

そのせいか、自分に入り込む王の存在を強く否定した。

自分は自分であると認識した。

混じり合う自己認識の中で意識がまどろんで、全てが歪んでしまったのだ。

「ウィリアム」

メアリーが、彼に駆け寄る。

「メアリー、私は、私は」

混濁する意識の中、彼は確かに、彼女のことをメアリーと呼んだのだ。

「大丈夫?」

「すまなかった、私は、お前に、亡き妻を重ねて」

ウィリアムは、謝り続けた。

彼にとって、メアリーとメイを重ね続けていたことは、刹那的な救いでしかなく、眠るたびに、罪悪感に苛まれそれは、むしろ彼を苦しめていたのだ。

「メアリー、そうか」

デイビットは、力なく、そこに立ち尽くしていた。

この10年、自分が別の人間と結婚していたように、彼女にも彼女の10年があったのだ。

デイビットは急に、エマが恋しくなった。

彼女ならば。

そんな自分に都合のいいことばかり頭に浮かぶ。

デイビットは、そんな自分を自己嫌悪した。

こんな人間ならば、きっと、絵本を書いていた、彼のまま生きるべきだったのだ。

ジャックとノアは、儀式を終えた。

その瞬間、ここにいる全ての人間から、認識の王、そして、自己認識の暴走による身体の変化が、解けた。

崩れるように倒れ、目を覚ますと、メアリーには、目の前に倒れているウィリアムが見えた。

彼をゆっくりと起こし、頬を撫でる。

ジャックは、自分が完全に人間になっていることに、驚いている。

ノアは、そんなジャックを笑顔で見つめ、前の方が強そうだったなんて、冗談を言っている。

デイビットは、目を覚ますと、どうして教会にいて、隣にエマが居ないのか不思議に思った。

デイビットは、そこに居た女性に、つまりはメアリーに声をかける。

「そこのあなた、どうして僕がここにいるか分かりますか?」

「いえ、その。ごめんなさい。あなたが誰なのかも分かりません」

デイビットは、自分の着ているボロボロのコートを見て、どうしてこんなにボロボロのコートを着ているのだろうかと疑問に思った。

それを脱ぐと、一冊の手帳が落ちた。

彼には、それが、何か大切なものに思えた。

それと同時に、何故かそれを捨ててしまおうとも思った。

彼は、ゆっくりと拾い上げ、教会を出た。

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