第8話 発情

「あの国の王は、本当に愚かだな。エリスをまともに送り出していたなら、帝国からそれなりにおいしいエサが貰えたかもしれないのに」


 外の騒動が片付いたのか、再び動き出した馬車の中で、イザークが言った。


「アレが愚かなのは、昔から分かりきった事だ。それに、オレはとっくに廃棄された存在だからな」


「何だっていい。俺が大事にするから」


「勝手に言ってろ。むしろ、放っておいてくれ」


 どれだけ物好きなんだ。


「お前、本気でオレを嫁にする気か?」


「俺は、嘘は言っていない。エリスには嘘はつかない」


「男色としか思われないんだぞ」


「それも、問題ない」


「問題ないって……」


 イザークは至極真面目な顔で、相変わらず座席の隅を見つめている。


 目を合わせない相手と話すのも疲れるから、それから目的地に到着するまで無言を貫くことにした。


「着いたよ、エリス。部屋に行こう」


 馬車が停まった場所は、どこかの屋敷だった。


 ここは郊外からさらに離れた場所となるのか、豊かな自然景観が映り、休養地となるであろうこの屋敷も、皇族か貴族が所有しているものだろう。


 衛兵以外の人影は見当たらない。


 先に馬車から降りたイザークが手を差し出してきたから、パシっと振り払って一人で降りた。


 男同士の絵面は見れたものじゃない。


 とにかく一定の距離は保つつもりだったのに、案内されて客間に入り、イザークの前を通り過ぎた瞬間に、予想だにしなかったその異変は始まった。


 説明のしようがない良い香りがしたかと思えば、ドクンと、心臓が大きく音を立て、暴れ出した。


 ドクンドクンと胸の内側から殴りつけられるような衝撃に加え、肺まで圧迫されたかのような息苦しさに、思わず胸を押さえる。


 まともに立っていられなくなり、目の前にあった椅子の背に手を置いて体を支えた。



 何が、起きたんだ……



 全身の血が沸騰したように体が熱くなり、下半身から何かが這い上がってくるようなゾワゾワとした感覚に襲われる。


「ごめん、もしかして体に異変が?」


 はーっはーっと、呼吸を落ち着かせることで何とかわけのわからない熱を逃す。


「なぜ、謝る………」


 睨みつけるようにイザークを見ると、


「俺の、獣人の発情にアテられたんだと思う」


 はははっと、誤魔化すような笑い声を漏らした。


 謁見の時の威圧を放っていた時や、騎士達に指示を出していた時と違い、随分と年若い物言いになっている。


 そして、機嫌を窺うようにこちらを見ている姿は、どこか不安げだ。


「これは、何……」


 動悸が止まない。


 痛みが出るほどに心臓が激しく動き続けている。


「獣人の発情は、ある時期になると、好いた者に向けてを発するんだ。それは、強力な媚薬と同じだ。耐性のないヒトなら、辛いと思う。エリスを目の前にしてちょっと、我慢できなかった。ずっと、狭い馬車に二人っきりだったし……」


「どう言う事だ……」


「俺は獣人だから、無意識のうちに大好きなを誘ってしまったんだ。だから、これからエリスがどんな状態になろうと、それはエリスが悪いわけじゃない。俺の、獣人の特性のせいだ。でも、俺は、エリス以外をこんな風に誘ったりしない」


 椅子に上体を預けるように膝をついていると、イザークが近づいて来た。


「近付くな!!触るな!!」


 恐怖を覚えて反射的に叫ぶと、ピタリとイザークの動きが止まる。


 その場で、困ったように私を見ていた。


「俺は、エリスの命令には従わざるを得ないし、そもそも帝国に連れて行くこと以外は無理矢理何かをしたりはしないし、できない。ここに鎮静薬を置いておくから、それを飲んで休んでて。俺は抑制剤を飲んで離れた場所にいるから。明日の朝には、全て治まっていると思うし、ここには誰も近付かせない」


 イザークがぎこちない動作で、錠剤と水をサイドテーブルに置いた。


 言った通りにイザークは部屋から出て行き、私一人が残された。


 這うようにしてベッドに上がると、サイドテーブルに置かれた薬を見る。


 信用できない奴が置いていった薬など、怪しい事この上ないけど、今の私にはこれを口にする以外の選択肢が不思議と浮かんでこなかった。


 次に目覚めた時、自分がどうなっているのか。


 自分の尊厳を守る為なら死人が出ても構わないくらいには怒りが沸々と湧き上がっていた。



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