第8話 ラストアタックと謎の少女

習志野迷宮【二階層 ボス部屋】 


 時刻は18時半過ぎ。ラストアタックに来た。


 松明の火が灯り、部屋の最奥にいる魔獣の姿が浮かび上がる。

 そこにいたのは、大蝸牛…ではなかった。

 

 ウミウシのような漆黒の体色に淡い天鵞絨色の縦縞が入った胴、赤く染め抜かれたヒダと二本角は激しくその存在を主張している。

 極めつけは全身を包んだ紅の炎。大蝸牛よりも大きな炎の魔獣が悠然と佇んでいた。


「なんで!?」


「マズいっ! 一旦ボス部屋から離脱するぞっ!!」


 上水流がボスを見るやいなや即座に扉を開いて退路を確保する。流れるように素早く対応するプロ探索者の動きに押され、イレギュラーの事態が発生したと悟る。


「うん!!」


 促されるままに来た道を走って、二人で扉をくぐる。


「へぶっ」


 しかし、上水流は通れたのに僕だけ見えない壁のようなモノに弾かれ、体が室内へと戻される。


「夕陽っ……!!」


 僕の名を叫ぶ声が遠のいて地面に尻餅をついた刹那、扉がバタンと閉められた。


 そして次の瞬間には扉が跡形もなく消え失せた。円形に湾曲したただの壁にその姿が変わる。サッと全身の血の気が引いた。


「出口が!?」


 驚きに目を見開いたその時、ボオオオォ……っと激しい音を立てて炎が壁全体を取り巻く。部屋が紅く燃え上がった。


 ハッと振り返る。


 魔獣の膨張して膨らんだ赤い二本角から火が噴き出した。どこに目があるのかも分からないその巨体で僕を睨んでいる。


 「ここは水の迷宮で火属性は出現しないはず!!それに出現するレアボスだって大海蝸牛であるはずなのにお前は火属性の蝸牛。見た目とその大きさからしておそらく、大炎海蝸牛だ!!」


 炎海蝸牛はE級指定の魔獣。

 その上位進化先の大炎海蝸牛だとしたらそのランクは未知数!!

 炎海蝸牛までの情報しか僕は知らない。


「ふぅ、思い出せ。確かこの現象そのものは授業で習った。今ある情報だけでも把握するんだ」


 ヤツから目を離さずに、リュックからペッドボトルを引きずりだし、頭からその水をかぶる。塩くさい香りが鼻腔を掠めて、水滴が体を伝って床に小さな円模様を残そうと落ちた。


「少し頭が冷えた。冷静になれ。過度の焦りは身を滅ぼす」


 空になったペットボトルをそのまま、斜め前の壁炎へと投げる。

 ヘットボトルは燃え上がり、一瞬で灰になった。やはり、本物の高火力の炎。


 そして、上水流は離脱できたのに僕だけ閉じ込められた状況。


 随分前にD科の授業で語られた言葉。記憶の糸を辿って教師の言葉を思い出す。


『この現象化では脱出系カードも無効化されてしまいます。部屋から出る方法はただ一つ。死に物狂いで闘い、ボスを倒す事です。

 そうしなければ、みんなは屍にされてから部屋から弾き出されることになってしまいます』

 

 その現象名は……。


 「死を想わせる存在の誕生デットリィバース。迷宮ボスが特異変化を起こして弱者を殺そうとする現象か」


 F級迷宮での発生件数は全国で年に数件あるかどうか。けれどE級以降迷宮では良くあることで、新米探索者がその餌食になりやすいと聞く。


「なんで僕なんだ。くそっ。お前らは相変わらず新人好きか」


 落ち着け、ヤツはまだ僕の出方を伺っている。視線を逸らせば、その瞬間に間合いに入られる。


それに、ヤツを倒せばその魔石額は200万に達すると言われる。


「ヤツを倒せば僕は探索者になれる金を手に入れられる。ウタの一ヶ月分の治療費だって出る。それなら倒すしかないじゃないか!!」


 身につけていた青石の指輪を撫でる。

 今日も念のため身についていた雨雲を呼ぶ指輪だ。


「雨雲よ、来い!!」


 右の中指にはまった指輪を撫でた刹那、天井に白から黒へと染まりつつある雲が出現する。やがてシトシトと雨が降り出し、全てを濡らしていく。


炎が雨を浴びて爆ぜ、大炎海蝸牛が高音の咆哮を上げた。


「~~~~~~~~~~~~~~!!!」


大炎海蝸牛の唇から体液が放たれ、前足代わりのヒダを器用に使って床を泳ぐようにこちらに迫ってくる。体液で滑る道を生み出している。


「来いやああああああ!」


 リュックを放り投げ、腰に手を回し抜刀する。愛用の木刀を握りしめ、大炎海蝸牛に接敵する。

 体液の道は多少滑りづらいくらいで、靴が触れても溶け出すことはなかった。それならただ突撃するのみ。


 大炎海蝸牛が頭を下げて角を前に押し出し、頭突きのモーションを取る。


「させる前に、その角かち割ってあげるよ!」


 木刀は高く掲げ、下から迫り来る角の一本めがけて振り下ろす。しかし、剣先の方向が意思に反して左に湾曲した。


「また回避のスキルがっ」


 逸らされた勢いに振り回され、体の右側が大炎海蝸牛の胴を掠めていき床に転がる。固い床の感触と右脇への苛烈な痛みが同時に襲いかかってくる。


「あ゛づい!」


 慌てて起き上がり、自身の状態を確認する。


 雨に打たれたおかげて服全体には引火せず、どうにか僕の右脇から下の肌が焦げただけだったけれど、それでもかなりのダメージだ。


 シトシトと降り注ぐ雨が、露出して焼けた肌に当たる度に鈍い痛みが走る。


「くっそ」


 壁際まで床を滑りぬけた大炎海蝸牛が、身を翻して再びこちらへと迫る。それを右回りに走って回避する。壁炎の熱が熱風となって体に吹き抜けていく。


「速くなったかわりに、すぐ方向転換出来なくなったんでしょ」


 リュックまで駆けて中の物をぶちまける。


 塩、折り畳み式バケツ、塩水入りヘットボトル、ビニール袋、スタンガン、タオル、折り畳み傘、それからポケットの蝸牛。この中から使えるモノは……。


「炎海蝸牛は水の利を捨てて炎の力を得た魔獣。速さは猪突猛進で、体液は人肌程度の暑さにスキルは回避 火纏い 火球 泥棒もどき 頭突き。上位互換とはいえ、その元の本質は変わらないはず。今のは頭突きの動きだった。それに対抗するなら」


 電気はどうだ!? 

 火と電気は相反関係から外れているが、効き目はありそうだ。


 スタンガンをポケットにしまい、蝸牛のカードを床に置く。

 

「蝸牛よ来い!! 僕に奴に燃やされないよう、雨降りをかけてくれ!!」


 モンスターカードが蝸牛へとその姿を変える。両手サイズの蝸牛が床に現れて角を震わせる。宙へ出現した雨雲が僕の頭上を取り囲み、シトシトと雨が降り出した。


 その雨粒が体を濡らしていくと、僅かに力が奪われるのが分かった。けれど、暑かった熱気が冷気へと変わり、これなら大海蝸牛にタックルを仕掛けても少しはもちそうだ。


「ありがとう。蝸牛は燃えちゃうかもしれないから戻ってくれ」


 蝸牛は角を左右に振って応じてくれる。その身をカードへと変化させた。


 俺は再度猛追してくる大炎海蝸牛へと向き直る。


「塩で溶けなくても、海に棲んでる本物のウミウシさんと違って、迷宮の陸にいるあんたらは在るんでしょ? 目玉が! 塩は染みるよ!!」


 塩水入りペットボトルを拾い投げつける。ペットボトルの側面が熱に溶かされ、中身が顔面にぶちまけられた。大炎海蝸牛がその塩水をもろに浴びて、悲鳴を上げた。


「~~~~~~~~~~!!!!」


 その隙を逃さず、右手の木刀を構えてヤツへひた走る。

 大きく息を吸って、木刀を下から突き出す。ゼリーのように柔らかめで弾力のある感触が腕に走り、木刀がヤツの顎に突き刺さった。


「~゛~゛~゛~゛~゛~゛~゛~゛~゛!!!」


 すぐさま両手を離してスタンガンを手に取る。そして間髪入れず、身もだえるヤツの顔面へと電気を浴びせる。


「入った」


 バチバチと周囲に音が響いて鮮やかな黄色の線がスタンガンから飛び出し、感電が起こる。大炎海蝸牛が激しく胴を揺さぶって、その顔面が僕に直撃する。


「ぐああああああ」


 僕も少し感電するが、耐えられない程じゃない。


 気を失うんじゃない僕!!


 カランとスタンガンが手から滑り落ち、体が後ろへとよろけるのを踏ん張り転倒を堪える。


「お前もまだ動く余力があるか」


 眼前で二本角が火を噴き、その火の粉がこちらの頭髪をチリチリ燃やして水滴に消されていく。雨が降っているというのに凄まじい火力だ。

 

 大炎海蝸牛が吠えた。


「~~~~~゛~゛~゛!!」


 刺さったままだった木刀が燃えあがる。

 灰が床に落ち、水を吸って黒く変色していく。


「丸腰だってやれるんだよ。お前の炎なんか怖くない!!」


 拳を握って、ヤツを迎え撃つ。同然、俺の拳は最初と同じように左へと逸らされてしまう。


 けれど……。


「同じ手には乗らない!!」


 すれ違いざまに右足をその胴へと繰り出す。ゼリー状の燃える胴体へとキックが入った。そのまま、一気に真横へと振り抜いていく。


「あああああああ」


 足が胴を擦っていき、足首とふくらはぎ、太股へと靴で守られていない柔肌へとヤツの体熱が伝播していく。


 左足の軸を失って半回転した体が後方へよろけた瞬間、怒り狂った大炎海蝸牛が身を曲げて角が迫ってくる。全てがスローモーションになって炎を帯びた二本角が僕の下腹部へと一直線に刺さった。

 

 衝撃に備えて息を吸って、腹に力を込めた。


 ブゥン…と、空気が唸る音と共に、角から力が伝播していき僕は上へと突き上げられる。


 風がうねり、体が遠くへと吹っ飛ばされる。空気抵抗と共に体が落下する浮遊感を全身に感じる。その数秒後には、僕は地面に触れていた。


  

 ガシャアアアアン。


 背中が地面に叩きつけられて激しい音が鼓膜を揺さぶり、肺の空気が全て吐き出される。


「がはっ……!!」


 その1秒後には四肢が地面に打ち付けられる鈍い音が耳に響いた。

 遅れて背中に何かが刺さったままヌルッと何かが流れ出る感触があり、恐怖する。


 痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


 目尻に溜まった涙が堰を切ったようにあふれ出す。僕が敵うはずがない。丸腰で炎野郎に立ち向かうなんて僕はなんて馬鹿なんだ。


 本当の僕は臆病者で弱者で、痛いことは大嫌いな中学生だってのに。


「痛い」


 下から上へと吹き飛ばされた反動は、僕をリュックを置いた場所まで容易に届いていた。


 涙で滲んだ世界の端に僕がぶちまけた荷物の一部が映る。アレはタオルと折り畳み傘。

 折り畳み…折り畳み式バケツは確かプラスチック製だった。


「ま、さか」


 力むだけでも痛み、何かが滴る上半身を無理やり起こす。背中に腕を回して刺さっている何かを強引に引き抜く。


「うぁっっっ゛」


 それは紛れもなく折り畳み式バケツの破片で、それについている赤色は。


「あ…ああ…僕の血だ」

 

 叫ぶ度にポタリ、と血が床へと滴る。


 振り返ると、砕け散って原型を留めていないプラスチック片と血溜まりが床を汚していた。 

 雨に打たれて血溜まりに幾つもの波紋が生まれては消えを繰り返している。


「僕は死ぬのか」


 脳裏に此処ではない所、昔の僕の姿が唐突に蘇ってくる。走馬灯のようなそれは弱い、凄く弱い僕が普通に生きていく為に、心の奥にしまい込んだトラウマだった。


 あれは僕がD科野外学習で気乗りしないのに、無理やりE級ダンジョンに潜った時の景色だ。


 クラスメイトに図られて手傷を負いながらダンジョン内を彷徨い歩き、ゴブリンの群れに襲われた時。何匹ものゴブリンが手にした武器が僕を殺そうと振り下ろされ、死を悟った時の僕。


 咄嗟に駆けつけた上水流によって窮地から助け出された後も、トラウマに襲われ続けてその恐怖に耐えきれず、絶望のままに部屋に引きこもった時。


 ダンジョンもD科の授業も、クラスメイトも全てが怖くて逃げ出したくて、消えてしまいたくて僕は壊れてしまった。

 平日の夕暮れ、僕は変わらず部屋のベットの中でうずくまっていた。何日も風呂に入らず、薄汚い格好をして。


 そんな僕の耳に響いた声と扉をカリカリ引っ掻き続ける音。


「にゃおおおおおん」


 あの日もずっとベットの中にいて、ウタの餌をやり忘れていた。だから、その鳴き声と行動はただ餌の催促だったのかもしれない。


 それでもその一声は愚かな僕の心に深く響いた。扉を開けると、さっと部屋に入り込んで足下にすり寄るウタが僕に生きる希望を与えてくれた。それはもう大声で泣いてウタと一緒に生きようと思った。


 翌日、僕はやっと通学路を歩けた。ウタは僕の救世主で、大事な弟だった。

 

『今はとにかく痛みを和らげて、体力を回復させてあげるしかありません。ポーション併用治療に切り替えてあげれば痛みも緩和されて今よりずっと楽にしてあげられると思うのですが親御さんのお考えもあると思います。今の医療で出来る限りの事をしてみましょう』

 

 医者の言葉と衰弱していくウタが心に重く残って、僕の目に強い光が宿る。


「僕はもっともっと稼いで白のポーション買ってウタの病を治すって決めただろ。こんな序盤でくじけてどうする。俺は弟分を助けるんだろ」


 軋む肢体で立ち上がる。床に散らばる破片から一番大きいものを選んで、掴む。

 

 また突進を仕掛けてくる大炎海蝸牛の滑る音が近づいてくる。血が滲むほど強くその破片を握りしめて、ヤツの方へ振りかぶる。


「僕から攻撃すればそれは逸らされる。でもヤツが攻撃してきて当たってしまう分にはその限りではないだろう!!」


 目を逸らすことも瞑ることもせず、じっとヤツを待ち構える。雨の音が妙に大きく耳に届いて、緊張が高まっていくのが分かる。


 深く頭を下げてヤツが頭突きのモーションに入った。滑る床音と風が僕の五感を刺激していく。深く息を吸ってツバを飲み込んだ。


「~~~~~~~~~~~!!!!」


 二本の膨張して炎を帯びた角が振り上げられ、僕の下腹部へと直撃する。その反動を利用して握った破片をヤツの角へと突き立てる。


 ピシッと音がして、ヤツの角の一部にヒビが入った。それは小さな、小さなヒビであったが確かにヤツに傷をつけた。


「僕はウタを助けるんだ。それを成し遂げるまでは死ねない」


「~~~~~~~~!!!」


 体が宙へと放り投げられ、空中で無理やり体を捻って足から着地を図る。


 数秒後、両足が地面に着いて激しい衝撃を感じる。体がその威力に押されて前のめりに崩れた。膝を床についてどうにか転倒を堪える。


「はっ、凄い力だ」


 武者震いの笑いが口から漏れる。さっきの破片はまだ手元にある。僕は負けない。


「何発でもかかってこいよ。その度にご自慢の角をボロボロにしてやる。諦めの悪い弱者は強いって覚えときな」


 そう叫んだ刹那、こちらを振り向いた大炎海蝸牛の角のヒビが大きくなる。やがて、全身にヒビ割れを連鎖させてその巨体が崩れはじめた。


 パキンパキンと音を出して全てが割れた。


 けれどその破片は一つも地に散る事なく、空中で人型を形成する。人型はやがて本物の人間へとその姿を変えた。

 

「はっ!?」


 銀の長髪をなびかせ、両目を瞑った少女がそこに降り立った。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る