第4話 ボス戦

 F級迷宮のボス、大蝸牛はその巨躯をノッソリ動かしてこちらへと近寄ろうとする。僕が対面する初めての巨大ボス魔獣。今まで見てきた魔獣とは全く比べものにならない。その大きさに思わず威圧される。


 しかし、あまりにもその速度は遅く、部屋を横断するだけで数十分は費やしような鈍足であった。弱い僕が唯一敵うとするならば、その一点に賭けるしかない。


「行ってこい夕陽ゆうひ!」


「らっしゃあ!!」


 バケツから水風船がこぼれぬよう駆け足で近づく。大蝸牛が十分に射程距離まで入ったのを確認して水風船を殻からはみ出た生身の部分へぶつけていく。


 バシャンッ、バシャンッ、バシャン、バシャン、バシャッ!


「~~~ッ!!」


 水風船が当たる度に大蝸牛がその身をくねらせて悶える。しかし、休む隙は与えず風船を全てぶつける。


バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ。


 何発かは外したが、殆どが大蝸牛の皮膚へと命中する。運動会で毎年玉入れやらされた僕を舐めんなよ。


バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ、バシャンッ。


「ぜ、全然倒れない。耐久値高すぎですか」


 風船は使い切った。だというのに大蝸牛の肌は溶けてすらいない。それどころか、いつの間にか天井を雨雲が多い、シトシトと雨が降り出している。レインコートがなければ体温を奪われていたところだ。

 雨水に当たって松明の炎がジュッ…と音を立てる。


 咄嗟に後退して、背負っていたリュックから塩と木刀を取り出す。そして、バケツとリュックを上水流かみずるに渡した。


「上水流! 荷物任せた!」


「あいさー」


 振り返ると、大蝸牛は憤慨したのか、頭の角から湯気を出してその顔も心なしか赤い様相を呈していた。

 こちらに向かってのそり、のそりと確実に距離を詰めてくる。


「攻撃はさせない」


 塩を一握りして、大蝸牛へとぶつける。初撃は躱されてしまうが、二回目の塩撒きが当たった。


「~~~~~ッッ!!!」


 雨脚がいっそう強くなる。大蝸牛が殻からはみ出た脚を上下に振り、バシンバシンと鈍い音を奏でる。粘液がその脚から周囲に飛び散った。


 バサッ、バササッ!!


 さらに塩を投げ続けると、大蝸牛はもんどりを打ってこちら側へと倒れ込むように迫ってくる。


「速いっ!」


 さっきとは桁違いにスピードが出ている。まるで暴走するトラックだ!

 慌てて横へ飛び退くと、僕がさっきいた所へ大蝸牛が着地している。


 体力が限界に近づくと一時的に俊足になり突進してくる、とダンジョンアプリで読んだ情報の通りであったがこれは反則だ。突進を食らっても、その威力は打撲程度で骨折する程ではないと記載されていたが果たして。


「夕陽!!突っ込んでくるぞ!!」


 ハッと大蝸牛を見やると、膨張して大きくなった角をこちらに向けて猪突猛進する大蝸牛の姿があった。


「うわあああああ」


 慌てて壁際まで走って退避する。しかし、後ろからぐんぐん風が迫ってくる!

 

「僕の足遅くなってる!? 大蝸牛の雨降りスキルのせい!?」


 角が背中を掠めた刹那、思い切って横にダイブした。


 固い地面を転がると、床を露出した肌が擦った。咄嗟に手をついて勢いを相殺する。刹那ガツンッと背後で鈍い音が響いて、衝撃の振動が地面を通じて伝わってくる。当たったらヤバい。


 死ぬかもしれない。本気でそう思った。


「はぁっ、はぁっ」


 立ち上がると荒い息が口から零れた。冷たい汗が背中を伝う。


 木刀を拾って振り返ると、壁に大蝸牛の角が刺さっていた。深く深く、壁に穴があくほど角がめり込んでいる。


「これでF級……。当打撲どころで済む話じゃない」


 大蝸牛が首を振って壁から角を外そうと足掻く。大蝸牛の動作に呼応して、天井から落ちる雨粒がよりいっそう激しくなる。


「勝ちたい。負けるもんかっ」


 考えるよりも速く、床に転がる塩袋に手を伸ばす。

 木刀に塩を振りかけて、地を蹴って大蝸牛の巨躯へと斬りかかる。


 柔らかな嫌な感触がして大蝸牛の首に木刀で切った浅い痕ができた。

 すぐさま跳躍してその痕掛けて木刀を刺す。マシュマロのようにその肌は柔らかで、容易く木刀が肌に突き刺さる。

 刹那、耳をつんざく轟音が部屋中に響き渡った。高音が鼓膜を揺らし、雨が雷雨へと変わる。


「〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」


大蝸牛が断末魔を叫んで身を振り回して逃れようとする。


 距離と取る時間はないっ!!


 咄嗟に刺さったままの木刀に腕を回して必死にしがみつき、振り回される巨体に潰されないよう抵抗を図る。

 それでも体が宙ぶらりんになり、僕の全体重が筋力の低い腕にのしかかる。当然何分も保つ訳がなく木刀から滑り落ちて、体が床に沈んだ。


「~~~~~~~~~~~ッ!!」


 その巨躯が僕を押し潰そうと目の前に迫る。潰されるっ……。

 大蝸牛の二本角は真っ赤に膨張し、木刀を外そうと首が左右に振り回されて巻き上がった激しい風が僕の頬を掠める。その姿は勇ましく、生存本能の抵抗そのもので。


 刹那、ハッと気付いた。


「そうか、お前も死にたくないんだよね」


 口をついて出た言葉に反して、大蝸牛へと高く跳躍する。刺さったままの木刀を掴み、深く、深く全体重をのせて捻るように奥へと突き刺す。


 ヌプリ…と嫌な感触がして木刀の隙間から体液が零れ出す。大蝸牛の暴れ方がいっそう激しさを増した。僕が死にたくないように、ウタを死なせたくないように、こいつだって死を恐れている。


 けれど、僕はこれから一つの生命を奪う。


「ごめんなさい。死んでください。僕はウタの命を何よりも優先するんだ」


「〜〜~~…………」


 ピシッ、パキン。


 大蝸牛の体が光の粒子へと変わっていく。コトリと半透明の魔石と宝箱を残してその姿は無になった。


 重さを失って木刀が床に落ちた。僕もそのまま床に滑り落ちて膝から崩れ落ちる。


「殺した」


 倒した喜びだけではない、もっとドロドロとした感情が胸に渦巻く。大蝸牛を刺した感触がいつまでも手に残り、耳に聞こえるはずのない声がこだまする。


 知性ある生き物をこの手で殺めた罪悪感が頭を支配する。なんて残酷なのだろう。


 僕はどこかゲーム感覚でダンジョンに潜って、狩って、それを楽しんでいた。倒すということに何の疑問を抱かず、虫を潰すかのような気軽さでただ金を稼ぐために。


 しかし、ダンジョンに潜るというの殺し合いだ。魔獣も意思を持って、生きている。僕はそんな彼らを狩らなければならない。


「お疲れさん。よくやった」


 背後から上水流かみずるに肩を叩かれ、我にかえる。

 これが日常になるんだ。ウタのために俺はこの手で……。


 歯を食いしばって立ち上がり、木刀を拾う。いつの間にか雨は止んでいた。


「夕、泣いてんのか?」


「雨のせいでそう見えるだけだよ」


 顔を拭う。もう、決めたじゃないか。

 鬼が出ようと、邪が出ようと、僕はダンジョンに潜って金を稼ぐ。ウタだけは決して死なせない。


 上水流から受け取ったリュックからタオルを出して、バケツと木刀にあてがって念入りに水気を取る。それから、全部しまってリュックを背負うと、ペットボトルの重みのせいかズシリと重圧感があった。


 黙々と作業した僕に何か感じたのか、上水流はポツリボツリと呟くように言葉を投げかけてきた。


「俺は夕より感受性には欠けてるかもしれねぇが、魔獣の断末魔と足掻きだけは嫌なもんだな。んでも、最近はそれにも慣れちまって寧ろ…狩ることを楽しんでる節すらあるけどよ。探索者シーカーってのはその位じゃねえと心が保たねえ」


「うん。僕も慣れなきゃいけないや」


 やがては人型だって、猫型魔獣さえ相手にするかもしれない。その度に、その悲鳴に一々立ち止まっていれば、間に合わなくなる。


「あんま気負いすぎるなよ。夕は生き物…特に動物には感情移入しすぎる節があるからな。でもな、一つだけ探索の先輩として言っとく」


 上水流と目を合わせる。彼の淡いブルーの瞳が陰りを帯びた。


「魔獣を狩らなけりゃ魔獣厄災が起きる。そん時、ダンジョンの外に出ちまった魔獣に襲われて犠牲になるのは、俺たち人間だ。だから、魔獣がたとえ知能と意思を持っていたってな、明確な俺たちの"敵"なんだ」


 一つ息をついて応える。


「分かってるよ、大先輩。僕は魔獣を倒して進む探索者シーカーになる。そしてウタを助けるんだ」


 生命を狩る者の業なのか、はたまた覚悟なのか。上水流は僕と同い年なのに物言いはもう大人で、精神もきっと僕より何十歩も先を進んでいる。

 覚醒者として満七歳で颯爽と探索者デビューしてしまった上水流は、ずっと年上の人達に囲まれた環境で僕とは全く違う経験を積み上げて生きてきたのだろう。探索者だけでなく、人間としても僕の大先輩で大親友だった。


 二人で静かに微笑み合う。

 もう、迷いはなかった。


「じゃ、気を取り直してお楽しみタイムと行こうぜ」


「うん。良い物入ってるといいな」


 上水流に促され、宝箱を開ける。

 蓋を開くとそこには、指輪と1枚のカードが入っていた。


 指輪は青の宝石と雲型の模様が施されたモノ。昨日ダンジョンアプリで、これと同じデザインの指輪を見た。その名は。


「雨雲を呼ぶ指輪だ」


「おー、まあまあの当たりじゃねーか」


「当たりなの?」


「雨雲は使い道が結構あるからな。水属性モンスターに使わせてもいいし、火属性魔獣にデバフとして邪魔かけてもいいし。デザイン的に日常着用してもいい」


「へ〜そんなに使い道が。ちなみにお幾らになる?」


「んー、大体500円ぐらいだった気がする。ま、お目当てのモノじゃなくて残念だったな」


「物欲センサーが作動したかなぁ」


本当のお目当ては大蝸牛の角であった。低ドロップで、その値段は一本一万円。売れば今後の資金の足しになる。


「カードの方は?」  


「えーっと、モンスターカードだね」


 カードは魔獣を召喚して使役出来る、所謂モンスターカードであった。迷宮の生き物は魔獣、人間に使役される魔獣はモンスターと区別して呼ばれている。だから、モンスターカード。


 カードの上部には小さな渦巻殻を背負い、角をこちらに向けるモンスターの姿が描かれていた。


【小蝸牛】 lv.1


属性:水 


体力:2  魔力:10

魔防:5  攻撃:1

耐久:2  敏捷:1

器用:1  知力:3


スキル:初撃回避 雨降り 

 

「ユニークスキルもないから普通の小蝸牛ショウカギュウみたいだよ。確定ドロップの」


 カードを上水流に見せると、難しそうな顔をされた。


「それなら売却かね。一応最短1週間でE級まで成長したって記録があるが、育成はおすすめではないな。通常個体なら成長速度も遅いと思うぞ」


 確かに一理ある。うーん、しかし。

 小蝸牛のカードの単価は1枚30円。売るのも微妙すぎる。


「ライセンス条件のカードの選択肢の一つとして育てようと思う。初めてドロップしたカードだし、大海蝸牛までいければね。だけど」


「「弱いんだよね(な)」」


 蝸牛は通常、極小蝸牛→小蝸牛→蝸牛→大蝸牛→海蝸牛→大海蝸牛と進化する。


 ウミウシのような姿をした海蝸牛カイカギュウまで育てれば、やっと通常攻撃スキルを覚えてくれるようになるという。そして大海蝸牛タイカイカギュウに進化すれば味方を補助するスキルも増えて、晴れてE級モンスターの仲間入りを果たせる。


 しかし、運が悪ければE級スライムの一撃でもロストする危険がある程弱く、補助スキルもあまり使い勝手が良くないらしい。そんなわけで戦闘よりも観賞用のペットとして使われる子の方が多いという現状があった。


「おいで小蝸牛」


 絵に描かれたモンスターを召喚する。


 カードを持っていた手のひらに小さな小さな渦巻き殻を背負った、小蝸牛が姿を表した。湿った唇を肌に擦りつけて、声を上げられずとも外界に出られて喜んでいるのが伝わってくる。


 僕の気持ちなんてつゆ知らずに、ぷるぷると歓喜に身を震わせている。


「可愛いな」


「うん。ペットとして飼われるのも納得だね」


 リュックから、一昨日倒したフロッグの魔石を取り出す。

 モンスターは基本、魔石orマジックアイテムを吸収するか、魔獣を倒す事で成長する。ダンジョン外の物、例えば野菜やペット用飼料を食べることも可能ではあるがあくまで嗜好品といった具合で機嫌は取れても成長には発展しないという。


「お食べ」

 

 魔石を小蝸牛へとそっと近づける。

 白と黒のストライプ柄の角が魔石へ触れた瞬間、小蝸牛の体が光った。

 

 光がおさまると、小さかった体が二回りほど大きくなっている。

 ゆっくり角を揺らしてはしゃぐ姿に、ほっと胸をなで下ろす。大きさからして、蝸牛に進化したようだ。


「カードに戻れ蝸牛」


 カードに戻すと、二本の角をピンと伸ばして少し大きくなった渦巻き殻を背負い、横向きになったカタツムリそっくりの姿が描かれている。種族はやはり蝸牛であった。


「まあ、耐久低い子にならないよう頑張るよ」


「そーか。そんなら育成頑張れ。この後はどうする?」


 腕時計で時刻を確認すると十九時を回っていた。帰りを考えると、そろそろ引き返した方が良い。

 

「今日は予定通りに切り上げて勉強しよ」


「げぇー」


 スライムを帰りがけに狩りつつ、ダンジョンから帰還する。


 ゲート横の男性職員に通行証を渡して探索証明書を貰い、駅近のマックへと上水流を連れて行った。

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