第6話『魔法少女、魔法少女に会う』
時刻は少しさかのぼる。
昼休み開始直後のこと。
「あれ? 玲ちゃんは?」
隣のクラスからやってきた千里が、開口一番、律花に尋ねた。
千里と有真は1年A組。律花や玲のB組とは隣のクラスだ。普段、昼食を食べるときには律花と玲のいるB組に千里が来て、3人集まって食べているのだけれど、今日は玲が見当たらない。
「ん~? ほんとだ。確かにいないね」
ハムエッグサンドの包装を破りながら玲の不在を認める律花。けれど、別に3人揃わなければ昼食を取ってはいけない、なんて決まりはない。それに何より空腹だ。「そのうち来るでしょ」と、サンドイッチをかじり始める。ペースト状の玉子の甘みと、ハムに塗られたマスタードマヨが良いアクセントだ。
「そっか。それもそうだね」
千里は頷き、適当な椅子と机を借りてきて律花の席にがっちゃんこ。二つ繋げて大きな正方形のようにした机の上で、持ってきた弁当を広げる。
「うっわ、相変わらずだね千里」
それを見て、律花は思わず感嘆の声を上げる。
視線の先には、今まさに千里が広げた弁当箱が。その数なんと……3つ。それも、スリムな三段弁当箱などではなく、食べ盛りの運動部員ががっつくようなワイド型タッパーが、3つだ。それぞれにぎっしりと、ごはん、おかず、フルーツが入っている。この間、千里は律花に「よく食べるね」と言ったけれど、あんまり人のことを言えないと思う。
「そう? お昼だし、しっかり食べなきゃ!」
いやいや千里、それってしっかりってより、がっつりって言うんじゃないの?
律花の言外の突っ込みなんて知る由もなく、ターゲットを目前にしたハンター……じゃない、空腹を前に昼食にありついた千里は、ただでさえ大きな瞳を、更に爛々と大きく輝かせながら弁当を食べ始める。その様子は、さながら食いしん坊なリスやハムスターを彷彿とさせた。
「いただきまーす」
大きく口を開けて白米をほおばる千里。
量こそ多いが、千里の弁当の内容はいたってシンプルだ。煮物だったり、お肉だったり、サラダだったり。何の変哲もないラインナップなはずなのだけれど、千里があまりにもおいしそうに食べるものだから、律花たち3人での食事の際にはきまって千里のところから「一口ちょうだい」合戦が始まる。
今日も今日とて、タッパー内のハンバーグに目星をつけた律花により開戦の火ぶたが切って落とされようとしたちょうどその時。
「あれ、もう食べてたんだ」
黒髪眼鏡の優等生、玲が姿を現した。
「玲」
「れいひゃん」
「ちゃんと飲み込んでから話しなさいね、千里」
「んぐっ……はあい」
「ほら、玲も座りな」
既視感のあるやり取りの後、律花が開いている椅子を引いた。玲は「お言葉に甘えて」とその席に腰掛ける。
「どこ行ってたの?」
千里が尋ねる。
「図書室よ。今日の昼休みまでに返さなくちゃならない本があって」
「へー、何の本借りてたの?」
「『サメと台風、その関係と相補性について』」
「うっわー、絶対面白くなさそう」
「面白かったよ?」
「玲とは本の趣味が合わないからなー」
そんなことを話しながら3人で昼食を食べていると、そうだ、と玲が何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば律花、
「燈山……先輩?」
誰だっけ、と首をかしげる律花。
律花はそもそも帰宅部だ。先輩後輩の付き合いは薄い。呼び出されるような知り合いはいないはず。
ピンと来なくて、眉間にしわを寄せていると、横から千里が助け舟を出してくれる。
「燈山先輩ってあの人じゃない? 高等部生徒会の副会長さん。ほら、あの、よく朝の挨拶運動とか、服装検査とかしてる先輩、いるでしょ?」
「んん……? いたような……いなかったような……」
「はあ。律花、生徒会の顔くらい覚えておきなさいよね」
「んもーうるさいなあ玲おかあさんは」
「誰がおかあさんよ」
「ママ」
「ママでもない」
ぴしゃりとおでこをはたかれる。いたい。
「いてて……ええっと、その燈山先輩ってどんな人?」
「そうね、本が好きで、図書室に行けば大体いる人ね」
「アバウトだなあ、もっとなんかないの? 実は読モとか」
「そんなわけないじゃない。あのお堅い生徒会副会長がそんな派手な格好をしているところなんて、想像がつかないわ」
「ふうん、地味めな人なんだ」
「そうね、どちらかと言えば目立つタイプじゃないかも」
そこで、律花はそもそもの疑問を呈する。
「っていうか、なんで私はその先輩に呼び出されたの?」
玲は眉を下げて、困ったように、うーん、と呟く。
「それが、ただ『連れてきて』としか言われてなくて。どんな用事かまでは、さっぱり」
「そっかぁ、うーん、謎だね」
なんかちょっと面倒くさいし、いっそのことフケちゃおうかな……なんて、そんな考えが一瞬律花の脳裏をよぎる。
「でも、律花ちゃん」
律花の脳内を覗いたわけでもないだろうが、箸を止めた千里が先回りするように言う。
「燈山先輩は副会長さんでしょ? わざわざ呼び出されたってことは、何か大切なお話があったりするんじゃないかなあ」
「そうね、私もそう思う」
千里の言葉に、玲も同調する。
「大切な用事、か……なんだろう? 髪かな?」
律花の髪はもともと、変身していなくても色素が薄く、褪せた金髪に近い。中等部のころは比較的校則が緩く、それで指導を受けたことはないけれど、高等部はまた違うのかもしれない。
思いつきで言ってみたけれど、玲は「うーん」と、スクエア眼鏡の縁を押し上げて否定的な意見を述べる。
「それはないと思う。だって律花、入学の時からその色だったでしょ? 今更そんな事で呼び出されるかしら」
「律花ちゃん、中等部の時から髪染めたりしてないもんね?」
「してない」
こんな色でも立派な地毛だもん。律花は頷く。
千里は腕を組み、少し考えた後、訝しげに尋ねる。
「律花ちゃん、何かやらかしたとか、思い当たることはない?」
「やらかした、かあ……。教科書忘れたときに勝手に弟の机から持ってって使ってるとか? ……というか千里、なんか私が怒られる前提で話進めてない?」
千里の偏見による勝手な決めつけに眉をひそめる律花。しかし辛辣な友人は、もう一人の友人と顔を見合わせる。
「だって、律花ちゃんがわざわざ呼び出されて褒められるってよりは……」
「まだ、何かしらの説教を食らう方が説得力がありそうに思えるかな……」
「ああ、そう……」
私って、そう思われてたんだ……。
内心、ちょっとしたダメージを負った律花に追撃するように、玲の口からおそろしい言葉が漏れる。
「燈山先輩、普段はそうでもないけど、結構堅物……と言うか真面目なところがあって、怒ると厳しい人なのよね」
「へ、へえ……そうなんだ……」
怒られるのか、という意識が律花の脳裏をかすかによぎった瞬間、つうっと嫌な汗が頬を流れる。
注意されたり、指導されたりするような心当たりは全くないけれど、それでも厳しいと聞いた人に会いに行くのは少し気後れする。というか、心当たりの全くないことで怒られることほど嫌なことも(いや、まだ決まったわけじゃないけどね)なかなか無い。なんだか、さっきとは違う意味で行きたくなくなってきた。
「ち、ちょっとトイレ……」
緊張からか、軽くお腹が張る感じがする。形のないもやが、お腹の中に居座っているかのようだ。律花はふたりに声をかけ、女子トイレへ駆け込んだ。
「うーん……」
用を足し、手を洗った律花は、鏡越しに自分の髪を見ていた。まっすぐに下ろしている髪が目に触れ、耳にかけなおす。
「ねえ、エス?」
周りに誰も居ないことを確認して、独り言のように小さく口に出す。ヘアピンとなって前髪に留まっているエスが答える。
『なんにゃ?』
「あの呼び出し、どう思う?」
『どうもこうもないにゃ。行けば良いと思うにゃ』
「適当だなあ……」
まあ、それもそうだ。エスはシグマニオン。人間社会に生きているわけじゃない。
先輩からの呼び出しの理由なんて見当付くはずないか。そう結論づけた律花は、あまりひとりで喋るのも変だし、と、早々にエスとの会話を打ち切った。
そのまま鏡を見ていた律花は、ふと思い当たって、自分の髪を持ち上げてみた。両手の人差し指と親指でそれぞれ輪を作っておさえるような格好だ。簡易的なツインテールが出来上がる。
「……やっぱ、この年でツインテはなあ……」
なんか、子供っぽい気がするしちょっと恥ずかしい。変身した時に綺麗な金色になるのは素敵だけれど、それでもやっぱり自分のセンスじゃないなあ、と思う。まるで、昔見た女児向けアニメの主人公そのものだ。『文句言うにゃ』と脳内に響いた声は無視した。
変身、と言えば……。
昨日出会った魔法少女、ハニーを思い出した。
彼女の髪も、綺麗だった。というより、鮮やかだった。灰色の空の下、降りしきる雨に濡れても、それすら彼女の色を際立たせる要素になっていた。あの、嫌味のない派手さを鮮烈に覚えている。
律花は一旦両手を放して髪を下ろし、再び持ち上げた。今度は、頭のてっぺんで1つの輪を作る。頭頂部から背中にかけて、たおやかなロングポニーが揺れる。
鮮やかなオレンジのアップポニーは、どうやら律花には真似出来なさそうだ。律花の髪質はどストレート。どんなに頑張っても、重力に逆らってはくれない。
「ま、ああはならんかあ」
律花が鏡の前の1人ヘアサロンごっこを楽しんでいると、いつの間にか横で手を洗っていた女子生徒が、律花の後ろを通って行った。何の気なしにその女子生徒を認識した律花だったが、彼女にすれ違いざま、思いもよらぬ言葉をかけられる。
「放課後、図書室でね」
「えっ!?」
慌てて振り返るが、彼女はもうすでにそこにはいない。トイレを出てしまったようだ。
律花は急いで彼女を追い、トイレを出た。彼女のものと思われる後ろ姿が2年棟へ歩いていくのが見えたが、すぐにほかの生徒たちに紛れて見失ってしまった。
今のが燈山先輩? 何か用事があるなら今話せば良いんじゃ……いや、ここで要件を言わないってことは、相当長くなるって事かもしれない。とすると……やっぱり説教!?
「うわああああどうしよ私何したっけ!? なんか怒られるかなどうしようせめて服装しっかりしていった方がいいかな……!?」
『落ち着けにゃ』
呆れたようなエスの声も聞こえないほどにテンパって、小声で叫ぶ律花。
トイレの目の前で、慌ただしく体のあちこちを探る仕草をほかの生徒が見たらきっと、お気に入りのハンカチを失くした哀れな女子生徒に見えるに違いない。
自分が傍からどう見られているのか。そんなことに意識を払う余裕もなく、居ても立ってもいられなくなった律花は廊下を小走りで動く。焦ってしまって、どうにも落ち着けない。目的もなく、校舎内を早足でうろつく律花。
闇雲に動いていると、見知った背が目に入る。これ幸いとターゲティングした律花はそちらへずんずんと進んでいき、無防備なその肩をガシッと掴む。
「有真!」
見知った背の主、有真はビクッと肩を震わせ、一瞬硬直した。こちらを振り向いたその表情は、友人と一緒にいたところに水を差されたためか、それとも律花が急に話しかけたからか、あるいはその両方か。不満の色を如実に表していた。
「びっくりした……なんだよ律花」
その表情に違わず、ぶっきらぼうに話す有真。律花はそれに構うことなく、自身の混乱を無責任にぶつけるかの如く言った。
「せ……先輩に、呼び出された……! どうしよう」
どうしよう、などと有真に言って、どうにかなる問題ではないのは冷静に考えればわかる事だったが、今の律花は全然冷静ではなかった。蜘蛛の糸をも掴む気分だった。
有真は神妙な面持ちになり、「律花……」と呼んだ。
「なに……?」
永遠のようにも感じる一瞬の後、有真は冷徹な一言を放った。
「焼きそばパン売り切れるからさっさと行って良い?」
「ちょっと!?」
ぱつん、と、心中で律花が握りしめていた蜘蛛の糸が無慈悲に切れた。
この人でなし! 姉がこんなに困ってるのに、焼きそばパンを優先するってどういうことだ愚弟よ! 内心憤慨する律花を置いて、そのまま有真は友人と連れ立って行ってしまった。釈迦も仏もありゃしない。
とまれ、廊下の真っ只中で感情の行き場を失ってしまった律花が出来ることはといえば、
「どうしよぉ~……」
と、情けない声を上げて立ち尽くすことだけだった。
そんなこんなで迎えた放課後。
午後の授業時間中、ずっと呼び出しのことについて考えていた律花が出した結論は、「考えても何もわからないから、結局行くしかない」という身も蓋もないものだった。腹をくくったと言うべきか、思考停止したと言うべきか。気持ち的には前者、実質的には後者である。
一周まわって何だか妙に吹っ切れた律花は、図書室の扉の前に立つ。
──そういえば、図書室ってちゃんと入るの、初めてかも。
あまり熱心な読書家とは言えない律花にとって、図書室はかなり縁遠い場所だった。こんな機会でもなければ、自分から図書室に入る事なんて、無いかもしれない。そう思いながら、ドアに手をかける。
「失礼しま~す……」
何かの面接を受けるかのような心持ちで、ゆっくりとドアを開ける。
多くの本がある場所特有の、古臭さのような、懐かしさのような、何とも言えないノスタルジックなにおいが律花の鼻孔をくすぐる。静謐な空間に、紙や衣擦れ、呼吸の音だけが穏やかに響く不思議な空気。図書室に通う人は、こういう雰囲気を求めて来るんだろうか。律花は、今まで想像もしていなかった人の感性に対して初めて寄り添った気になる。
図書室は放課後も解放されているが、実際に利用している生徒はほんの一部だろう。現に、図書室には今、貸出カウンターで本を読んでいる女子生徒がひとりいるだけだった。
図書室は静かだった。まるで、本に音そのものが吸い込まれているかのようで、自身の呼吸の音すら大きく聞こえる。
静寂に響いていた、ペラ、ペラ、という定期的にページをめくる音が、ぱたん、と一際大きな音を最後に止まる。貸出カウンターからだ。
そちらに視線を向けると、本を読んでいた女子生徒がちょうど顔を上げた。彼女の掛けている眼鏡のレンズ越しに、目が合う。
「あの」
「髪、下ろしてるのね」
あなたが燈山先輩ですか、と律花が尋ねようとした矢先、本を読んでいた女子生徒は唐突に口を開いた。質問できなかった律花はたじろぐ。
「え?」
「ほら、さっき。トイレでいろいろ髪形を試行錯誤してたでしょう? あれ、素敵だったわよ。特に、ツインテールがね」
先ほど、鏡の前で髪をいじってたことを言っているらしい。それを知っているということは、昼休みにトイレで声をかけてきた女子生徒はこの人……燈山先輩だったということだ。
なんだか気恥ずかしくて、曖昧にお礼を言う。
「ああ、えっと、ありがとうございます?」
「ふふ、なんだか、あなたにはお礼を言われてばかりね。そんなに畏まられると、こっちの方が緊張するわ」
「お礼ばかり……ですか?」
はて。燈山先輩とは今日初めて会話するはずなのに、お礼ばかり、と言うのはどういうことだろうか?
燈山先輩は、もしかして、と軽く目を見開いた。
「気づいて……ない、感じかな?」
「気づく、って何にですか?」
「ああ、やっぱり、気づいてないのね。じゃ、自己紹介」
んん、と軽く咳払いをした燈山先輩は、滔々とした口調で言った。
「私は
燈山先輩は、ほんの少しいたずら気な笑みを浮かべる。
「そして、魔法少女。ファニー・ハニー・スタンピー。よろしくね。素敵なツインテールの魔法少女さん」
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