第5話『金色は曇天に靡く』

 「あらよっと!」


 ぶん、とピコピコハンマーが空を切った。

 ハニーの攻撃はビッグフットの顔面スレスレを通り過ぎ、風圧でめくられた濡れた顔の体毛からは、生気の無い眼が彼女を呪うようにぼぅと見つめていた。

 ビッグフットは彼女の後ろに僅かに仰け反って回避し、その態勢からぐるんと身体を翻す。そこから放たれた回し蹴りは、ゆったりと、しかし確実にハニーの水月を射貫かんとしていた。

 

 「おっとと!」


 ハニーはピコピコハンマーの片面で蹴りを受け止め、ガードすると同時に飛び退いて上手く衝撃を逃がす。

 彼女の身体がふわりと宙に舞う。

 だが大トカゲが着地狩りをするように、ハニーの回避先に大口を開けて、飛び込むのではなく身体を地面に滑らせて突進した。視界の端にそれを捉えたハニーは、片手にハンマーを持ったままもう片方の手で地面に手を付いて力を込め、鮮やかなロンダートを披露した。


 文字通り滑り込んだものの、綺麗に避けられてしまった大トカゲは泥水を巻き上げながら身体全体でブレーキをかけ、静止。爬虫類のような見た目をしているとは思えない、獰猛な獣が出すであろう声で鳴き、ビッグフットも呼応するように遠吠えにも似た雄叫びを上げる。

 

 「さ……て。もうちょっと本気でやらないとダメそうね」


 ハニーはハンマーを担ぎ直し、ふぅと息を吐く。

 彼女の武器は見た目の通り、攻撃モーションがタイミングが相手に読まれやすい。当たれば攻撃力は抜群だが、当たらなければ隙が大きく、その後のリカバリーが難しい。

 

 「派手だからこういうところじゃやんないようにしていたんだけど……やるか!」


 彼女の中で何か覚悟が決まったのを見計らったかのように、ビッグフットが投球フォームのように身体をグググっと曲げて拳を振るう。

 するとあろうことか、ビッグフットの肘から先がしなやかに、限界まで押しとどめられたバネが反発するように急激に伸びた・・・

 思いもよらぬ攻撃にハニーは驚きから身体がほんの一瞬こわばり、回避や防御に行動を移すまでにためらいが生まれた。

 その一瞬のうちにビッグフットの毛むくじゃらの腕が、先ほどハンマーでぶん殴られたお返しとばかりに、今度は彼女の顔面目がけて推進した。

 驚愕から目を大きく見開き、避けようにも身体が動かず、ただただ迫り来る一撃を覚悟するのみだった。


 コンマ秒の後、ハニーは自分のすぐ横から一筋の旋風を感じた。

 それと同時に二種類の音が自身の鼓膜を揺らした。鈍い音と、破裂音。

 視線を横へ向けると、自分の顔の横には細腕が一本、力強く伸びていた。


 視線を後ろへと向ける。

 そこにはピンクと黒を基調としたブレザーベースの衣装を身に纏い、金色のツインテールを揺らす女の子が拳を突き出して、立っていた。

 到底一般人がしないであろうその格好は、半ば何かのコスプレにも見える。

 ビッグフットの方にちらりと目線をやると、伸びきった腕はだらりと垂れ、拳は赤黒く滲み、明らかなダメージを受けていた。

 恐らくは目の前の彼女がやったのだろう。くわえてそこから彼女の正体に検討が付いたハニーの口から、結論が無意識にこぼれ出た。


 「魔法少女……」


 ぽつり呟かれた正体に、ツインテールの女の子はにかっと笑みを浮かべ、言った。


 「そうだよ! 大丈夫?」



△▼△▼△▼△



 『間に合ったにゃ!!』

 『ギリッギリじゃん……』

 「んー、今回は一発で倒せなかったかー……昨日のアイツの時よりなんか力でない感じする」


 変身した律花は力の出力に違和感を感じながらも、ビッグフットの攻撃を相殺してダメージを負わせられたことから、まぁいいかとそれ以上気にする様子はなかった。

 

 「ありがとう、助かった」

 ハニーは律花に笑みを返しながら感謝を述べると、自分の頬をパン!と一つ叩いて気合いを入れて見せた。

 「あの毛むくじゃらはウチがやる! アナタはあのトカゲをお願い!」

 「おっけー……さっき私のこと殺しかけたこと、後悔させなきゃ……!」

 「えっ……もしかしてアナタ―――」

 

 何か言いかけたハニーだったが、大トカゲとビッグフットが自分たちを無視するなと訴えるように吠えた。

 律花に対し、気になることがあったハニーだったが、それは後でいいやと割り切って再度、ハンマーを構えた。

 やっちまえ、と精神世界で有真が律花に発破をかける。呼応した律花はぬかるんだ地面を踏みしめて走った。

 ハニーもそれに合わせて交差するように走り出し、各々の担当と対峙した。


 大トカゲは先ほどハニーに仕掛けたように泥を巻き上げながら大口を開け、律花目がけて地面を滑る。

 『律花!』

 心の中で叫ぶ有真に対して「分かってる」と答えた律花は、トップスピードのまま跳躍し、跳び箱を跳び越えるように大トカゲの上顎に手を置いて攻撃を躱した。

 背後に回った律花は大トカゲの尻尾を両手でがっしり掴み、力一杯持ち上げた。


 「ハニーさん!」

 ビッグフットと対峙しているハニーは、大トカゲを持ち上げる律花の声に気づくと「オッケー!」と呟いた。

 振り抜かれるビッグフットの攻撃をしゃがんで回避し、一歩踏み出すと同時に腹をハンマーでぶん殴った。それも律花の方へと吹き飛ぶように。


 「プレイボーーーールっ!!」

 ハニーの言葉と一緒に吹き飛ばされたビッグフット。律花はにやりと笑い、大トカゲをバットに見立ててビッグフットにジャストミートさせた。泥水のしぶきと共にベチィン!!と音が響き、律花が手を離したおかげで二匹一緒に彼方へと仲良く飛んでいった。


 「サヨナラ逆転ホームラン、ってね。野球分かんないけど」

 水たまりに落下する二匹。すでにハニーは落下地点へと走り出していた。

 二匹は先ほどの衝突でかなりをダメージを負ったのかぐったりとして動けない様子だった。


 ハニーは二匹の上空へとジャンプする。

 そして空中でハンマーを掲げると、なんとハンマーがぐんぐんと巨大化していった。見た目がピコピコハンマーだけに、普通の鉄製のものより威圧感と異質感を放ちながら。

 

 「ギガントぉぉぉ…………!」

 ハニーはグルグルと縦回転しながら落下し、高らかに叫ぶ。

 「スタンッッッッピィィィィイイイッ!!!」


 巨大化したハンマーの痛烈な一撃を食らった二匹は断末魔を上げることすら叶わずに霧散した。

 ハニーはハンマーを元のサイズに縮めると、律花にVサインを向けてニカッと笑った。

 律花もVサインを返し、お互いに色々聞きたいことを話そうと口を開きかけた矢先、校舎から一般生徒らがざわめきをひっさげてやってくる気配がした。どうやら今の騒ぎを聞きつけたらしい。

 それどころか、校舎の窓から外をうかがっている生徒もちらほら見受けられる。


 「やば。見られてる」

 「おー、確かに。折角だから色々話したかったけど……いったん避難しよっか。一緒だとアレだし、別行動ってことで」

 「あ、はい。分かりました! ハニー……さん」

 「ハニーで良いよ! じゃ、また――」

 「あ、あの」

 「?」

 「さっき、助けてくれて……その、ありがとうございました!」


 深々と頭を下げる律花と、精神世界で同じポーズを取る有真とエス。

 ハニーはふふっと笑うと、律花の頭にポンポンと手を当ててこう言った。


 「お互い様。じゃあ、また明日ね!」

 「はい、またあし…………明日?」


 律花が疑問符を頭に浮かべて顔を上げたときにはすでにハニーは遠くへ走り去って行った。

 その去りゆく後ろ姿を、呆けたまま見送っているとエスに『律花も早く隠れるにゃ!』と急かされ、律花も急いでその場を後にした。



△▼△▼△▼△



 「ふぅ……」

 その夜、有真は自室のベッドに寝転がってため息交じりに本日のあれこれを思い返していた。

 あの後変身を解除した律花と有真は互いに教室と部室に戻り、律花は無断で有真の教室から指定ジャージを奪い去って着替えていた。放課後、ジャージがないことに気づいて焦った有真が、自分のジャージを着ている姉を目撃したときは流石に「せめて一言さぁ!?」と怒っていた。

 有真はお風呂上がりの火照った身体のまま、しばらく仰向け状態で天井を見つめていた。

 本日のハイライトであるネガシグマニオンとの戦闘、そしてそこに至るまでの経緯を律花から聞いていた有真は、こんなことを思っていた。


 本当にこのままで良いのだろうか……と。

 律花が大トカゲに殺されそうになったことと、部室での緒島の言葉。その二つが彼の中で「律花をこのまま戦わせるのはどうなのだろうか」という考えをふつふつと煮立たせていた。

 律花が初めて変身したときも有真は律花に戦って欲しくないと本音を吐露しており、元々律花に危ない橋を渡って欲しく無いという考えが大きかった。

 結果論としてハニーが紙一重のタイミングで助けてくれたから律花は生きているが、もしそうでなかったらと思うと背筋が凍る。


 緒島の言葉を借りるなら、単なる幸運だったから・・・・・・・・・・、だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 カチ、コチ、カチ、コチ。

 枕元の目覚まし時計の秒針がやけに五月蠅く感じる。思考が上手く整理できないで居ると、部屋の戸がガチャリと開いた。


 「有真―、これの新刊って買ってたりしない? 今週発売だった気がするんだけど」

 寝間着に着替えて髪を結っている律花が、普段と変わりない様子で漫画の新刊を求めてきた。

 今更ノックをされないことに対して特に何も思わないし言わない有真だが、このいつも通りの姉が自分の知らぬうちに死にかけていたと考えるとゾッとして、心臓がキュッと握られるような感覚があった。


 「有真? 聞いてる?」

 「あぁ……ごめん考え事してた……」

 「おやおや、さては好きな子でも出来たか? 弟」

 「違う。あと、それの新刊は来週発売」

 「あー、一週間勘違いしてたか。めんごめんご。んじゃ」

 「律花」

 「うん?」

 

 何か言いかける有真。

 「やっぱなんでもない」

 しかしそれ以上を言語化することはなかった。

 「そ?」

 それを特に訝しくこともなく律花は有真の部屋を後にする。

 カチャリとドアが閉まり再びため息を吐く有真に、いつの間にか侵入してきたエスがベッドによじ登って喋りかけた。


 「何か悩んでるのかにゃ?」

 「エ……ゴンザレス」

 「素直にエスでいいにゃ! 何で言い直したにゃ!?」

 「だってゴンザレスじゃんお前痛い痛いすねを殴るなすねを」

 「みぃが気を利かせて、悩める青少年を救おうとしているのに……全く」

 「別にエスに相談するほどじゃないから、大丈夫だよ」

 「じゃあ話したくなったら話すにゃ。ほら詰めるにゃ詰めるにゃ」

 「ちょ……勝手に人のベッド占領しようとするな。てか律花の部屋戻れよ、昨日そっちで寝てたろ」

 「今日はこっちの気分にゃ。寝比べてから決めるにゃ。それにみぃも気になることがあるのにゃ」

 「気になること?」


 エスはのしのしと有真の身体を踏みつけながら枕元で身体を丸めて「気になること」について話し始めた。


 「今日、みぃと律花だけじゃ変身できなかったって言ったの、覚えてるかにゃ?」

 「そう言えばそんなことも言ってたな」

 「でも有真と一緒になった途端、変身できるようになった……この意味、分かるかにゃ?」

 「……オレが、変身のキーになってるってこと、か?」

 「多分そうにゃ。なんでなのかはなーんも分かんにゃいんだけどにゃー」

 「お前大体のこと分からないのな、ゴンザレス」

 「うにゃ!!」

 「いった!?」


 最後の一言にむっとして高速猫パンチを繰り出すエスと、額にクリーンヒットされた有真。

 さすりながらエスの今の発言を、有真は頭の中で反芻していた。

 変身したときは会話の流れでたまたま変身・・というキーワードが律花と有真の二人の口から発せられたため、さしてその違和感に気づけなかったが、言われてみればその通りだ。


 「ということは、もしまた、今日みたいなことがあって、オレが近くに居なかったら……」

 「その時は最悪のケースも考えられるにゃ」

 「……」

 「考えすぎても、いいのは思い浮かばないにゃよ」

 「そんなことは分かってるよ」

 「まぁ、律花の他に魔法少女がいるってことも分かったにゃ。それにまだ魔法少女になって二日目……知らないことが多すぎるにゃ。今は心配しすぎるのも良くないにゃ」

 「うーん、それも一理ある……のか?」

 「てことでみぃは寝るから枕もらうにゃ頭退けるにゃ!」

 「このアホ猫……!」


 結局その日はエスに枕を奪われた有真だったが、ほのかに温かい体温と無駄に良い毛並みの心地よさから次第にウトウトしてしまい、律花の今後を考えきる前に微睡みへと沈んでいった。


 翌日、学校の様子はさして変わりなかった。有真の担任である昼日中は今日も今日とて怠そうだった。


 朝のホームルームが終わり、少々の間を開けて本日最初の授業の始まりを告げるチャイムが学校中に響く。

 天気は晴れ。昨日降った雨でグラウンドに大きな水たまりがいくつか出来ていた。

 今日の体育は外で体力測定の予定だと聞いたがこれじゃあ出来ないな、放課後までに干上がらなければ運動部も今日は屋内での練習になるだろう。教師がチョークで板書している最中、有真はそんなことを考えながら窓の向こうを眺めていた。


 何一つ変わりない日常、そう言って差し支えなかった。

 やがて昼休みになると、いつも通り達人に誘われて購買へ向かう。

 が、約一名普段通りでない人間が、有真の肩を勢いよく掴んだ。


 「有真!」

 律花だった。普段学校で振りまいているクールな雰囲気が崩れ、何やら動揺している様子だった。

 「びっくりした……なんだよ律花」

 有真は少々ぶっきらぼうに返す。

 しかし律花はお構いなしに続ける。


 「せ……先輩に、呼び出された……! どうしよう」


 有真はその言葉を聞くと突然神妙な顔をしだした。

 表情の変化を見て内心の不安が大きくなる律花、キョロキョロと二人を観察する達人。

 やがて有真はシリアスな顔つきのまま、律花に対しててこう発言した。


 「律花……」

 「なに……?」

 「焼きそばパン売り切れるからさっさと行って良い?」

 「ちょっと!?」


 昨日の悩んでいた姿はどこへやら、どうせ大したことないだろうと雑に扱う有真だったが、この呼び出しの内容が、律花の、ひいては自分やエスにとって重要な分岐点になろうとは、とても想像できなかった。

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