第13話『決意』

 カチ……カチ……カチ……カチ……

 壁に掛けられている時計の秒針が五月蠅く、部室に響く。

 実際にそんな大音量で鳴っている訳ではないが、ファニーを除いた場の全員がそう錯覚するほどの静寂が確かにあった。

 死ぬか、戦うか、その二択を迫られている弟の様子を律花はただただ黙って見守ることしか出来なかった。

 何か言葉をかけてあげたいが、如何せんなんと言えば良いのか分からなかった。それは律花の膝上に佇むミスター・キャットも同意だ。

 紫とファニーは有真の返答を待っている、そして当の本人―――陽咲有真は黙り込んだままだ。

 しかし、どうにも有真からはの気配が感じ取れなかった。

 俯いて一言も発さぬままではあるが、その表情からは、何か、どこか観念しているようにも見えた。

 

 「そ、う、なん、だ」

 『先ほどのワタシの発言に疑問点があればお答えいたします。質問はございますか?』

 「あー……じゃあなんでオレがネガシグマニオンに狙われやすいか、聞いても?」

 『お答えします。まず前提としてネガシグマニオンがシグマニオンや魔法少女を積極的に狙うというのはご存じのことかと思います』

 「すみませんそこからの説明を、お願いします。初耳です」

 『承知しました。ではネガシグマニオンの行動原理から説明しましょう。その後、質問の回答に移ります』


 再びスマートフォンの画面からスマイルマークが消え、画面上に箇条書きの文字が三つ縦に並んだ。

 一つ目は「ネガシグマニオンの行動知識」、二つ目は「陽咲有真の質問に対する回答」そして三つ目は「????」となっている。

 早速三つ目の箇条書きについて問いたかった有真だったが、そこはぐっと堪えた。

 一つ目の箇条書きの文字が点灯し、強調されると、相変わらずの機械音声でファニーは説明を始めた。

 

 まず、ネガシグマニオンは高濃度のシグマニウムを求めて行動する。

 この行動原理について詳しいことは分かっていないが、ファニー曰くそういうことらしい。このあたりについて有真たちは納得するしかないため、深掘りせず先に進んだ。

 次に高濃度のシグマニウムに値する存在だが――これはシグマニオンと魔法少女が該当する。

 シグマニオンとは言ってしまえばシグマニウムの塊であり、魔法少女という存在は言うなれば人間とシグマニオンのミックス――――先のファニーの言葉を用いるなら「シグマ体」というのが正しい。


 ―――魔法少女の身体であるシグマ体は、シグマニオンと同程度のシグマニウムによって構成されている。


 しかしシグマニオンはともかくとして、魔法少女の場合、その要素を持ち合わせるのは変身時だけだ。変身を解除すれば当然、魔法少女本人が直接狙われる可能性は低くなる。もっとも、常にシグマニオンと行動を共にしているためリスク自体は変わりないのだが。


 ここまでを有真の質問に対する前提知識として説明したところで、いったんファニーは質問の有無について有真たちに聞いた。

 律花と有真は顔を見合わせ、揃った声で「ないです」と回答。一つ目の箇条書きの光が消灯すると今度は二つ目の箇条書きが点灯した。

 

 『では、ここからが本題です。通常、魔法少女本人及びそのパートナーとなるシグマニオンが狙われた場合、魔法少女へ変身すればネガシグマニオンに対抗しうる力を得ることが出来ます』

 「私の場合パンチ一発でどうにかなるね」

 『イエス、陽咲律花。貴女と陽咲有真、ミス―――エスの三名で行動をしていれば、不意を突かれない限り抵抗が可能です』

 「うんうん」

 『しかし、これが陽咲有真の単独行動となれば話が変わります。結論から申し上げますと、現在貴方の体質は常時と酷似しています』

 「え、じゃあ有真って今もしかしてめっちゃ強い?」

 「いや……多分そう言うことじゃないと思う。単純に、魔法少女に変身している時と同じってことだから、めっちゃ狙われやすいってことじゃない?」

 「あー、なるほど」

 『推察通りです。そして重要なことはもう一つ、陽咲有真個人には戦闘能力が皆無だという点です』

 「……死ぬか、戦うかっていうのは、やっぱり、オレ個人はネガシグマニオンに狙われやすいくせに、自衛できる手段がないって意味で合ってますか?」

 『こちらも推察通りです。陽咲有真』


 有真は前のめりだった姿勢を戻し、今度は深く、パイプ椅子に腰を落とした。

 そうして彼は今、一種の自己嫌悪に苛まれていた。

 自分がいかに無防備で無力な人間であるかをファニーに突きつけられたことより、自分のせいで姉を、律花を危険な目に晒してしまう可能性が激増したことが

 以前エスに吐露したように、有真はこれ以上律花に危険な目にあっては欲しくない、そう思っている。だからといって戦いを避け、助けられるはずだった犠牲を増やすことも是としていない。一言で言えば、有真は「正義感の強いやつ」なのだ。


 自分が多少犠牲になって姉を、人を助けることができるなら彼は躊躇わず行動できるだろうし、それを誇りに思うだろう。

 が、今回のように自分が原因で誰かが傷つくのは、有真の考えの真裏にある事象だ。

 当然、火の粉が自分の一番身近な存在に降りかかるとなれば、尚の事。さらに言えば、自分自身ではどうすることもできない、これは最悪だった。

 かといってここで「死ぬ」という選択肢を選んだ場合、残された律花はどうなるだろう。

 たとえエスと一緒にいても有真がそこにいなければ律花は変身できない、つまるところ、有真同様何もできず死んでしまう可能性が跳ね上がる。


 二択問題に見せかけた実質的には一択しか選べないこの問い。

 有真にはもう、「戦う」という選択肢しか残されていない。

 そのことは本人も十分わかっていた———けれど、それを口に出してしまったら、絶対に後戻りはできない。それが怖かった。



 だが……だが……それでも……

 律花や、律花の家族を、エスを、友人らを、残して死ぬわけには行かない。

 なにより有真自身、死にたくなんかないのだ。


 「———戦う!」

 「有真……」

 「有真君、別に今、決めなくてもいいのよ? もう少し時間を置いても———」

 「いえ、大丈夫です、先輩。ここで逃げても律花が死ぬ危険性が上がるだけです」

 「それはそうだけれど」

 「大丈夫ですよ先輩」

 「律花ちゃん」

 「私と有真って大体いっつも一緒にいますし、何かあれば私が守ります。これでも強いですから!」

 「晴れてる日だけだけどにゃ」

 「いらんこというなー」

 「……強いのね。2人とも———律花ちゃん、今から


 律花のスマートフォンが震え、紫からのメッセージがバナーに反映された。

 メッセージアプリを開いて確認すると、紫がファニーに指示した通り、一件の地図情報が送信されていた。


 「律花ちゃん、前に伊織坂の魔法少女と会うって話したの覚えてる?」

 「覚えてます。でも確か、まだいつ会うか決まってませんでしたよね」

 「そうだったんだけど、この前、連絡来てね。来週の土曜日に直接、ICDPに出向くことになったわ。律花ちゃんのことも伝えたら、一緒でも問題ないって」

 「来週の土曜ですね、分かりました。だってさ有真」

 「了解」


 と、その時、紫が本来持っているスマートフォンの通知音が鳴った。

 ちょっと失礼、と断りを入れて紫はメッセージアプリを開き、通知内容を確認した。

 途端、紫は小さく「えっ……」と声を漏らすと、ファニーをスタンドから持ち上げた。


 『マイハニー。どうか?』

 「ごめんね二人とも、わたし、帰らないといけない用が出来ちゃって……また、来週ね!」

 「あ、はーい、お疲れ様ですー……」


 何故か少々落ち着かない様子で帰り支度を始め、気の抜けた律花の返事をそのままに、部室を出た。


 「なんか大事な用なのかな?」

 「多分…… 急いでたみたいだし……」

 「じゃあ、みぃたちも帰るにゃ。今日はヘトヘトにゃ」

 「そうしよっか」


 と、帰り支度を始めた律花たちだったが、今度は律花がスマホの画面を見て「あっ……」と声を漏らした。

 「どした?」

 有真が怪訝な表情で問うと、律花はずいっとスマホの画面を見せた。

 「これ……」

 見てみると、律花のメッセージアプリに、玲と千里からおびただしい量の不在着信が届いていた。

 「……そういや、真っ直ぐここ来たから2人になんも言ってないな」

 「有真ー」

 「とりあえず、電話かけ直したら……?」


 律花は玲に電話をかけると、電話越しにこれでもかというほど心配された。

 どうやら二人は律花たちと別れた後、先に帰ろうにも気が気でなかったため、この近辺のファミレスへ場所を移し、連絡を待っていたのだという。

 時刻は午後七時半を回ったあたり、二人の待つファミレスへ到着した律花と有真(とエス)は、若干涙目の玲と千里にしこたま心配されるとともに、しこたま怒られたという———。



△▼△▼△▼△



 時刻は遡り、律花たちがモーニングモールから部室へ移動をした後。

 モール内の戦闘跡地には、空サメ———モールの屋上に立つ少女の言葉を借りるなら、イータが爆散した残骸である風の塊が未だ存在感を放っていた。

 ただただそこに滞留するだけだったそれは、突然もぞもぞと蠢き始めた。

 風塊の至る所が盛り上がり始める、その様子は、まるで幼虫が卵を突き破って生まれるようだった。


 屋上の少女がその光景を眺めながら怪しく微笑み、呟く。

 「さぁ……産まれなさい! シータ!」


 彼女の言葉に呼応するように、風塊から、空サメの口腔内から発射されていたのと同じ子サメ———シータが次々と顔を突き出し、勢いよく空へと飛び出した。

 そのことを確認した屋上の少女はガッツポーズを取り、1人喜んでいた。


 「グッジョブですわ! さぁさぁ! そのまま、野良シグマニオンをネガにぶち侵してやるのですわ!」


 律花たちの戦いでは確認できなかった、子サメ———シータの能力。

 それは、という恐ろしい能力だ。

 少女が、本命はそっちじゃない、つまり空サメ「イータ」ではないと発言したのはこの能力が起因している。

 ネガシグマニオンはシグマニオンに引き寄せられる、つまり一度野に放たれれば、あとはオートでシグマニオンを探し出し、襲い、ネガシグマニオンにできるというわけだ。


 シータは次々と産まれ、空へ解き放たれていく。少女は順調にシータが誕生するのを見届けると、折りたたみ式の携帯電話を取り出し「むかえにきてくださいまし」と誰かへ連絡を入れた。


 大満足、そんなホクホク顔の少女だったが、次の瞬間それは一変した。

 空へ解き放たれたシータ、そしてその素である風塊が、同タイミングでした。呆気にとられる少女は一言「はぁ!?」とがなるとすぐさま頭を抱えた。

 凍結したイータが空から地面へと落下し、割れていく。

 その様子を見届けているのは、少女だけではなかった。


 「瞬間冷凍いっちょ上がり、ってな」

 「相変わらず、化け物じみてるというか、なんというか」

 「おいおい、凍りたい願望があるならさっさと言えよな」

 「んなもんねぇわ」


 モールの陰、草臥れたスーツ姿の中年男性と、制服を着崩した少女―――昼日中と緒島が、人目につかぬよう佇んでいた。

 緒島がパチンと指を鳴らすと、凍結していたイータたちがパシャリ、水へと姿を変え、あっけなく全滅した。

 先ほどのイータらの凍結、それも緒島の仕業だ。緒島はイータらを構成するシグマニウム、それから彼らを取り巻く、シグマニウムによって発生する風諸共を「氷」へと変換し、さらに「水分」へと変換させた。


 もちろんそのことを知る由もない屋上の少女は今もなお頭を抱えている。

 その背後にが現れた。その空間の中から「帰るぞ」と少女を呼ぶ声がし、少女は苦虫を噛み潰したような顔のまま、もやの中へ入っていく。

 瞬間、緒島は勢いよく屋上へと顔を向けた。誰もいない屋上だ。


 「どうした?」

 「いや? なんでも」

 「しっかし、今回のはよくわからんやつだったな。この辺で適当に暴れてただけみたいだったし、変な置き土産残してるし」

 「なんだ、見えてなかったのか? バリバリ戦ってたろ」

 「戦ってたって、何が何とだ」

 「……うーんにゃ、なんでもねぇわ」


 帰ろうぜ、と緒島は踵を返し、昼日中はその後を追った。

 昼日中は「また訳のわからんことを言っているな……」という程度に、先の発言を受け止め、それ以上聞くことはなかった。

 緒島は、自分の目にはっきりと写っていた金色とオレンジの少女が巨大なサメと戦っている映像を頭の中で思い返していた。

 スマホを取り出し、SNSをいじってみても、自身の見た存在と合致するような情報はない。色々と派手だったにも関わらず。



 「ふーん……普通の人には見えない、か」

 緒島は手を頭の後ろに組み、意味深に呟いた。



 

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