第3話『予測の外』

 有真と律花(とエス)は下駄箱で上靴に履き替え、特に会話も無く、別れ際に「じゃ」と短く言葉を交わして各々の教室へ入った。

 昨日の出来事や朝の会話が全くの気のせいだったように、クラスメイトたちはいつもと大して変わらぬ様子だった。

 授業が始まり、有真の担任で社会科教員の昼日中ひるひなか光太朗こうたろうは、無精髭をなぞりながらいつも通り気怠そうに粛々と授業を進めている。

 有真は今朝のことがあったにも関わらず、やっぱり昨日のことは夢だったのではないかと、降りしきる雨に耳を傾け、ぼんやり思っていた。

 


 キーン……コーン……カーン……コーン……

 キーン……コーン……カーン……コーン……


 やがて、午前中最後の授業から昼休みへの遷移を告げるチャイム音が校内に響き渡る。

 有真が購買に昼食を買うために教室を出ると、誰かが肩をポンポンと叩いた。

 

 「よ。昼飯買いに行くんだろ? 一緒に行こうぜ」

 

 達人が、いつもと変わらぬ様子で有真の後ろに立っていた。

 昨日の出来事、あれほどの怪我、流石に病院に運び込まれてしばらく入院するものかと思っていた有真は目をまん丸にしてきょとんと呆けていた。もしかしたら本当に「きょとん」と言っていたかもしれない。

 いや、よく見ればあちこちにガーゼや絆創膏を貼っているがぱっと見それほど大怪我したようには明らかに見えなかった。

 ネガシグマニオンのあの攻撃を食らって、打撲や切り傷、その程度のいわゆる軽傷としか言えないもので済むだろうか。


 「え、なんだよ、俺のこと忘れたみたいな顔しやがって」

 「おお……悪い。あんまりにもピンピンしてたからさ」

 「……? あ、この怪我か?」

 「そう、それ」

 「いやーそれがなんか思いのほか軽く済んでよ! 俺、自分で思ってたより身体丈夫らしいわ!」


 吹き飛ばされた上にコンクリに叩きつけられて軽く済むのは、身体が丈夫という言葉で片付けられるのだろうか。

 有真がそう返すよりもワンテンポ速く、達人は「お前らこそ大丈夫だったのかよ」と、次の会話のボールを投げた。

 曰く、あの後気絶していたことはなんとなく分かるがその後のことは全然覚えていないらしい。

 

 じゃあ律花が変身したことも覚えていないのか。

 一瞬その言葉が有真の口から出そうになったが、すんでのところで飲み込んだ。

 可笑しなことを言ったと思われて別方向から心配されても面倒なだけで、余計に話をややこしくしてしまっては敵わない。


 友人が無事だったということ、そして本人が大事だと思っていないのであれば、ひとまずはそれでいいかと、有真は比較的楽観的に捉えて購買へ共に向かった。


 購買は今日も変わりなく盛況である。



△▼△▼△▼△



 「あー……んぐ……むぐ……」

 「相変わらず一口大きいわね。律花」

 「んむ? ふぁってほららへっへ―――」

 「メロンパンくわえながらしゃべんないの」

 「……ん。だってお腹減ってたから」

 「律花ちゃん、よく食べるもんね……!」

 「千里ちさと。口にケチャップ付いてるから……こっち向いて。拭くから」

 「えっ、ほんと? れいちゃん」


 一方、ざぁざぁ、と降りしきる雨をバック・グラウンド・ミュージックにしながら教室で昼食を取る、律花とその友人二人。

 ショートボブにスクエアのメガネが似合う高身長スレンダー美人、氷見ひやみれいはスカートのポケットからティッシュを一枚、二枚と取り出した。

 そんな玲に口元を拭われているのは、ツヤツヤのロングヘアが似合うほんわか可愛い小柄女子、旅村たびむら千里ちさと

 二人のやりとりを律花はメロンパンをまた一口齧ってぼんやりと眺め、今度はきちんと飲み込んでから話し始めた。


 「玲ってさ、ほんと千里のこと好きだよね」

 「むしろこんな可愛い子好きじゃない人が居る? いいえ居ないわ」

 「り、律花ちゃん。私可愛いって……!」

 「まー千里が可愛いのは事実だけど」


 玲は名前の通りクールで見た目の通りビューティーな女の子だが、可愛いものに目がないという誰よりも女の子らしい一面がある。可愛いものオタクとでもいうのだろうか、その手の話題になると熱量とセリフ量が増加することが多々ある。

 いつの日だったか、旅村千里親衛隊隊長などと言い始めたときがあり、流石の律花も頭を抱えたことがある。


 なお可愛がられている当人の千里は氷見に甲斐甲斐しく世話を焼かれ、いつも「えへへ……!」と幸せそうにしているから余計に深く律花はツッコめないでいるのだが。

 と、口元を拭われた千里が話題を昨日のことに切り替えた。


 「そういえば昨日、商店街の方に出たんでしょ? シグマニオン」

 「しかも結構大きかったらしいわね。あちこち被害出たって聞いたわ。大友の怪我もそれらしいし」

 「律花ちゃんと有真君も一緒に居たんだよね? 怪我しなくて良かったね!」

 「うん、まぁ……そだね」


 ぶん殴ってそいつぶっ倒したけど、と言おうか一瞬迷った律花だったがめんどくさそうになるだけだと判断して、適当にお茶を濁した。このあたりの思考は有真と似ている。

 

 「なんというか、ここ最近、シグマニオンの出る頻度高い気がするわね」

 「あ、私も思ってた。なんか……十年前みたいだね」

 「そっか……もう、十年も経つんだ」


 十年前、この朝久市を襲った未曾有の大災害―――朝久市空裂事件、及びシグマニオン侵攻災害。

 通称『空裂災害』と呼ばれるそれは、この街を復興不可能かと思われるレベルにまで被害をもたらした。

 長ったらしい名称の通り、ある日突然、空に亀裂が入るように裂け、多数のシグマニオンが大型小型問わず街に溢れだして暴れ回ったというものだ。

 空が裂けるというのは比喩のそれかではなく、むしろ直喩である。街の住民たち誰もがその目でハッキリと、ガラスが割れるように空にヒビが入り、決壊するのを見たのだ。

 その異様な光景は瞬く間にインターネット上に拡散されてこの街以外の人たち、ひいては国際的なニュースとして取り上げられていた。公民館や図書館には当時の新聞記事が何枚も飾られている。


 そんな大災害に見舞われたこの朝久市を復興にまで導いたのが、『伊織坂グループ』という大企業だった。

 元々は古物商や物流を主として研究や製薬など幅広く展開している一企業グループに過ぎなかったが、件の災害の折、円滑な物資の供給や医薬品の提供など、多大な貢献を果たしたことから国内外から一躍注目を集めて今なお成長し続けている。


 そしてシグマニオンによる被害の対応には伊織坂グループ直轄の警備部隊、通称『伊織坂警備』が怪我人の治療や街の被害の調査・修繕に当たるということになっているし、実際そうなっている。

 シグマニオンが暴れ始めた時にはその鎮圧活動に当たることもあり、四~五人ほどの小隊が度々目撃されている。

 十年前の災害からめっきり人口が減少したこの街にはなくてはならない存在、それが伊織坂グループである。


 

 ふとその時、律花のヘアピン、もといヘアピンに擬態しているエスが律花に語りかけた。

 


 『律花』

 「うぇ?」

 「どしたの律花。変な声だして」

 「いやいや、ちょっとしゃっくりが……なんの話してたっけ」

 「十年前の災害の話」

 「あー、そうだそうだ」

 『律花! 無視すんにゃ!』

 「うぅわっしょい!」

 

 急に大きな声を出した律花に玲と千里だけでなくクラスメイトたちから視線が集まる。

 律花は咳払いを一つして、飲み物を買ってくると言い、いったん教室から出た。

 人気の無いところまでくるとヘアピンを取って床に置くとエスは元の猫の姿に戻った。

 「エス、急に話しかけないでよ。びっくりするじゃん」

 律花はしゃがんでエスのおでこを軽く小突くとエスは小さく呻いた。

 「すまんにゃ。でも緊急事態なんだにゃ」

 エスは毛並みの良い尻尾をフリフリと左右に揺らしながら、小突かれたところを前足で押さえてそう言った。

 それを聞いた律花は「あー……」とため息にも似た反応をすると、今度はエスを指さしてずばり言った。


 「もしかしてネガシグ?」

 「あ、律花もそう略すのにゃ……まぁ当たりにゃ。小型が二匹にゃ」

 「え、そこまで分かるんだ。すご、エスパーじゃん」

 「律花も大概だけどにゃ。みぃたちシグマニオンは、他のシグマニオンの気配がなんとなく分かるからにゃ。ともかく変身するにゃ」

 「でもちっちゃいんでしょ? なら放っとこうよ、誰か気づいたら伊織坂警備呼ぶでしょ」

 「そんな暇無いにゃ! 真っ直ぐ向かって来てるのにゃ! 学校に!」


 そこまで言うと、エスは勢いよく近くの窓に飛び乗った。

 エスは律花が自分の後ろに来たことを確認して、鼻をふんふんと鳴らして窓ガラスの奥の外を見るように促した。

 律花が目を凝らして外を見ると確かによく分からない生物が二匹、学校の方へと向かってきていた。


 「うわ、ホントに来てるじゃん!」


 片方はトカゲを巨大化したような見た目、もう片方は全身毛むくじゃらの大柄な人間のような見た目だった。

 しかし律花からしてみれば、どちらも昨日戦ったネガシグマニオンほど強そうな気配は感じなかった。


 「……でもなんか、昨日より弱そうだしイケそうだわ」

 「決まりにゃ」

 「でもここで変身するとバレちゃうな。マジカル☆律花ちゃんの存在が」

 「じゃあ外に行くしかないにゃ」

 「仕方ない……水も滴る良い女子高生といきますか」

 「なんでもいいからさっさとするにゃ」


 尻尾を垂らして呆れるエスを、移動中目立たないように再びヘアピンの姿にして装着する律花。

 メロンパンのエネルギーを脚力に変え、大胆かつ隠密に律花は学校を駆け、裏門から外へ出た。

 ネガシグマニオンらは無防備に出てきた律花に気づくと、ターゲットを完全に定めてバタバタと走った。


 「うし、いくよエス」

 「合点! にゃ!」


 律花は昔テレビで有真が見ていたヒーロー者の変身ポーズを真似た格好で呟いた。


 「―――変身」


 ……が、降りしきる雨足が強くなるばかりで、待てど暮らせど、律花の姿はずぶ濡れ女子高生から変化しなかった。

 想定外の自体に思わず「なんで!?」と驚愕した。

 

 しかしそんなことをしている間にネガシグマニオンらはすぐ目の前まで迫ってきていた。

 トカゲのような見た目をしたネガシグマニオンは、奇妙なポーズで慌てふためいて何もしてこない律花目がけ、大きく跳躍した。

 


 生身の律花を、ネガシグマニオンの凶爪が襲った―――!

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