其の九(杜からの警告と傲慢ゆえの暴挙)
「あきれちゃうぐらい自分たちにだけつごうのいいかってな言い分だよね。大人なのにはずかしくないの?」
本来ならいまこの場で聞こえるはずもない、舌足らずでありながら辛辣さと皮肉な響きしかない声に、男たちが驚愕にバッと上を振り仰げば、背の高いぶなの木の枝にちょこんと座った幼い少女。
白く小さな足をゆらゆらと揺らし、その黒々とした瞳がじぃと眼下に立つ彼等を見つめている。その無邪気な様子からは、とてもそんな言葉を口にしたようには見えない。
「子ども…?!」
驚きざわつく彼等に頓着せず、また全員が刀を構えていることにも怯えた様子なども見せることなく小さな娘は淡々とした表情で言葉を紡ぐ。
「杜で血を流しちゃだめってみんな知ってるのに、どうしておじさんたちはあらそってるの?」
不思議そうにことりと首を傾げる少女にどこか可愛らしいものを感じて、こんな状況だというのに惟之はくすりと笑みを漏らした。聞き咎めた滝田のもの言いたげな視線もどこ吹く風だ。
「おのれ、さてはきさま狐狸妖怪の類いか…!?」
警戒し声を荒げる者たちの中に混じり、だがあくまでも冷静に桜夜を観察していた濃島は、早々に彼女の髪に咲き誇る樹霊としての特徴に気づいて内心で舌打ちを漏らした。
同時に瞳の色も素早く見てとったが、簡単には油断することなく用心深く確認するように周囲へ視線を流す。
枝にちょこんと腰掛ける桜夜へと視線を定めて、濃島がゆっくりと口を開く。
「どうも見たところ、君は樹霊のようだ。私は樹霊を見るのは初めてだが、君たちはそうそう人前に出ることはないと伝え聞く。何故出てきたのかな。…もしやとは思うが護り手殿からの警告を伝えに来たとでも言うのかね?」
「なっ…護り手の?!の、濃島殿っ…まずいのでは…!?」
噂に聞く、鎮の杜に住まうという樹霊。そのうえ護り手の使いの可能性もあるやもしれぬと聞き、動揺のあまり一層ざわざわと騒ぎ出す同輩には見向きもせず、濃島は顔に笑みを貼り付かせたまま突如現れた少女を観察する。その視線を受けて彼女もまた暫し濃島をじいっと見返していたが、やがて興味が失せたのかふいっとばかりに目線をそらした。
気まぐれな猫がやるようなその仕草に、やはりなんとも可愛らしいものを見る思いで、そんな場合ではないとわかっていながらも惟之はつい目元を和ませてしまう。
「…答える必要はないということか。」
そんな少女の態度に矜持を刺激されでもしたのか、これまでの余裕ある態度とは違いどことなく苦々しげに呟く濃島は、だがすぐに嘲りを隠そうともせず口元を余裕に歪めた。
「まあいい。君が何のために出て来たのであろうと、我々は目的を果たす。今からでは誰を呼んだとしても間に合いはしないし、樹霊とはいえ子どもにやれることがあるとも思えない。せいぜいそこで何もできずに傍観だけしているといい。それとも怖いものを見ぬように目を閉じて耳を塞いででもいるかね?」
「おのれ濃島、この外道がっ…!」
再びじりじりと包囲の輪を狭めはじめた襲撃者たちに、滝田とともに背中合わせで応戦する体勢を取りながら惟之が桜夜に向かって叫ぶ。
「樹霊の娘よ、どうかお頼み申す!こやつらの狼藉を護り手殿と社にいる他の紅丞の者へと伝えてくれぬか?!」
その必死の叫びに彼女はすぅと目を眇め、ゆるりと首を傾げた。
「…今から行ったのじゃ、おそいかもしれなくても?」
まるで先ほどの濃島の言葉をなぞるかの如く、惟之自身を試しているようなその言葉にも彼は怯むことなくにやりと不敵な笑みで応じる。
「構わん!それに紅丞の男と生まれたからには、この程度のことなんなく堪えてみせようぞ!」
惟之の意志を確認するように暫し目線を合わせていた桜夜が、音を立てない猫のような動きで枝の上にするりと立ち上がった。だが何としてでも行かせまいというのかその真下、桜夜の動きの延長線上に刀を構えた濃島が立ち塞がった。
「おっと、たとえ幼子とはいえ樹霊は樹霊。行かせるわけにはいきません。まったく、惟之様もまこと無駄なあがきをされますな。……しかも他の者どもを呼ぼうなど、無理なことを。」
やれやれと言わんばかりに呆れた様子であからさまに馬鹿にしていることを隠そうともしないその態度に、滝田の
「貴様!樹霊の、それも幼子にまで刀を向けるとは…それでも武人の端くれか。恥を知れこの愚か者が!」
「なんとでも。我らとて覚悟の上での行動です。決して失敗できぬからこそ、如何なる不安要素であろうと見過ごすことなどできぬのですよ。」
「…濃島。貴様、他の者たちを呼ぶことが無理だと言ったな。どういうことだ、よもや他の供人たちにまで何か危害を加えたとでも云うのか!」
到底聞き逃すことのできない濃島の不穏極まりない発言に、惟之が謀略に巻き込まれた者たちを案じて吼える。
「人聞きの悪いことを云わないでいただきたいですな。計画の邪魔をされるわけにはいかないので、薬で少々眠ってもらっているだけのことです。」
悪びれもせず、淡々とその独善的な考えに基づいた覚悟を述べる姿に、惟之は噛み砕かんばかりに強く奥歯を噛み締めた。そのまま事態が膠着して停滞するかに思えた時、あからさまに大きく呆れを滲ませたため息がその場を割った。
「むだなあがきかどうかを決めるのは、おじさんじゃなくてその人だと思うの。それにしてもほんとうに人って、どこの世界でもいつの時代だろうとやってることはたいしてかわらないのね。」
幼く
「さっきからずっと自分たちにつごうのいい勝手なことばかり言ってたけど、杜でころさなければいいってものじゃないのよ。ちょっと血が流れるだけでもほんとはぜんぜんだめなんだから!」
栗鼠のようにぷくりと頬を丸く膨らませて、小さな少女がぷんすこと音がしそうな勢いで大人たちに文句を言う。
それは普通ならばなんとも可愛らしく微笑ましい仕草であるはずなのに、見た目からして幼いはずの彼女から滲み出してくる周囲を圧倒する気配に圧されてか、誰も何を言うこともできない。
その中で、やはり茫然と事態を見守っていた惟之の眉尻が困ったようにへにょりと落ちた。
「や、誠に申し訳ない。まさか俺もこやつらがよりにもよってこの杜でこのような暴挙をしでかすなどとは思わなくてなぁ…。」
「どうしてお兄さんがあやまるの?私がおこっているのはお兄さんじゃなくてそこのおじさんたちにだから、お兄さんがあやまるひつようはないと思うの。」
「そ、そうなのか?」
「そうなの。」
それを聞いても相変わらず眉尻が下方へと引き下げられている惟之に、首を傾げたまましゃらりと返して頷き、桜夜が当の「おじさんたち」に向き直る。
「まわりに人が少ない今ならだいじょうぶって思ったのかもしれないけど、この杜をその場所にえらんだのがそもそものまちがいだと思うの。おとなしくあきらめてね、おじさんたち。」
「なんだとっ…!」
あくまでも小さな子どもの舌足らずな口調で、辛辣にしか聞こえない言葉をすっぱりと告げて情けを見せることもなく一刀両断すると、桜夜は睨みつける襲撃者たちには構うことなくふわりと浮かぶように枝から飛び降り、そこから地面までの距離を見比べ目を丸くして驚く惟之と滝田の近くへとことこと歩み寄ろうとした。その、刹那。
「…この、小童がっ…!」
激昂した襲撃者の一人が容赦のない力で小さな肩をがしりと鷲掴み、手繰るようにその胸元を引き寄せて吊り上げ、着物から覗く細い首筋へと刀を宛がった。
「なっ…?!」
「三井殿っ!?」
あまりにも予想の範囲外である行動を取った男に、惟之や滝田のみならず濃島までもが驚愕を露わにする。
だが男の片腕で吊り上げられ息が詰まっているはずの桜夜自身は苦しむ素振りを見せるどころか、何やってんだこいつと云わんばかりに大いに呆れの滲む白けた眼差しを向けていた。幸いというべきなのか、その場にいる男たちの誰にも気づかれてはいなかったが。
「三井殿、早くその娘を離しなさい。いくらなんでも、樹霊を手にかけたとあってはこの杜から生きて帰ることなどできませんぞ…!」
僅かな焦りを見せながらもあくまでも冷静に諭そうとする濃島に、しかし三井と呼ばれた男は未だ憤りを抑えきれぬ様子で桜夜の胸ぐらを掴んだまま怒鳴り返した。
「だが濃島殿!このままでは埒があかぬ!おまけにこの小童、樹霊とはいえ我等を愚弄するようなことばかり言いおって…!」
ますます強く胸ぐらを掴み絞める三井に、流石に苦しいのか少女の表情がちりりと歪むのが惟之の目に入るが、すぐには解放してやれぬ悔しさにぎりりと血が滲むほどに唇を噛み締める。
「…っ」
「馬鹿者!如何に愚弄されたと感じたからとて、幼い子どもに乱暴を働くとは…それが貴様らの言う世の流れか。そんなことが正しい道だとでも云うのか!」
怒鳴る惟之の言にもまったく耳を貸さず、三井は憎々しげに桜夜を睨めつけた。
「三井殿。」
再び発された濃島の、咎める意を多分に含んだ声に大きく舌打ちをし、如何にも渋々といった体で三井が掴んだ手を緩めて突き飛ばすように桜夜を解放した。
「これに懲りて二度と人に生意気な口をきくでないぞ小童が!」
吐き捨てる言葉にも反応せず、けほけほと咳き込む桜夜に慌てて駆け寄ろうとした惟之は変わらず向けられる刃に進路を阻まれる。
「くっ…!」
桜夜の身を案じるも近づくことのできない現実に顔を歪める惟之と、その背後を守る滝田へ濃島が刀を鍔鳴らしゆっくりと歩を進めた。
「さて、いい加減に下らぬ時間稼ぎはしまいにしましょうぞ惟之様。」
同時に他の者たちも、じりじりと動いて包囲の輪を狭めていく。
襲撃者たちの本気とどうあっても退く気のない覚悟を感じとり、主従二人の額にツと冷や汗が流れた。
この上は最後まで力の限り抵抗してやろうと、未だ咳き込む桜夜を気にしながらも、ぎちりと音がする程に刀の柄を握りなおす。
きん、と極限まで張り詰めた静寂。
どのような拍子にその箍が外れるか知れず、今はただ弦が弾かれるのを待つばかり。
ぴるるるる…
長い飾り羽根を持つ小鳥がばさりと飛び立ち、高く美しい鳴き声をあげた。
動いたのは双方同時。
ギャリンッ!と刃鳴りとともに激しく火花を散らして、両者が激突する。
背中合わせで互いの背後を守りながら敵と相対する主従に、襲撃者たちの殺意が幾筋もの苛烈な攻撃に身を変えて怒濤の如く襲い来る。
両者ともに一歩たりとも退くことなく、激しい剣戟と位置を変えては入り乱れる複数の足音とが梢を渡り葉草を揺らし、鎮の杜へと響きわたる。
互いに命を懸けて、裂帛の気合いをもって刃を交える両者だが、対照的なのはその戦い方。最終目的を惟之の行動不能、ひいては意識不明からいずれは死に至る大怪我を至上とする襲撃者たちとは違い、惟之と滝田は峰打ちで簡単には目を覚ますことができない程度に昏倒させる方法をとっている。
技量はもちろんのこと、どちらがより困難にして神経や体力を消耗するかは火を見るよりも明らかだ。既に半数以上を昏倒させているとはいえ、未だ数では劣るのも厳然たる事実。必然的に呼吸が大きく荒くなり、身体の動きが反応が鈍ってくるのを抑えきれるはずもない。
鋼同士の擦れる高く硬質な音を立てて、刀同士がぶつかりそのまま鍔迫り合いへと移行する。刀越しに火花が散る程に睨み合い、どちらもまた機会を伺っていたその時。
「惟之様お覚悟っ!!」
ほんの一瞬だけ、惟之と滝田二人ともの死角になっていた間隙から惟之目がけて凶刃が振り下ろされた。
「…っつ!?」
「ぐぉっ?!」
咄嗟に正面にいる相手の腹に蹴りを入れ、その反動で鍔迫っていた刃を弾き返して危うく斬撃の軌道から逸れた惟之はだが大きく体勢を崩し、更に間の悪いことにその勢いのまま地面に転がっていた拳大の石に足をとられて後方へと倒れ込んだ。
「ぬぁっ?!」
「もらったぁっ!!」
「惟之様っっ!!?」
相反する激しい感情の込められた叫び声が杜に交錯する。
驚愕と快哉と悲嘆の入り交じったそれが辺りへと響き渡り、眼前に迫り来る凶刃にせめても抵抗しようと惟之はきつく握り締めたままだった刀を辛うじて身体の前に滑り込ませようとしたが、握り締めていたが故に一瞬遅れたそれが到底間に合うわけもなく。
己が身を切り裂かんと襲いくる太刀に反射的に身を固くし、それでもけして目を反らすことだけはしまいと惟之はぐっと眉間に力をこめて目を見開いた。
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