其の八(事件勃発とおねだりスマイルのもたらした(笑)劇的な効果)

 まさか桜夜がそんな気の抜けそうなことをこっそり考えているとはつゆ知らず、春継は真剣な眼差しで彼女が侵入者たちの探知を終えるのを待つ。

 やがてふぅとため息をついて桜夜が目を開けると、眼前の春継を見据えてとても言いにくそうに重い口を開いた。


 「今は、かし(樫)のおじさんのそばのかぐらでん(神楽殿)近くまで来ちゃってるみたい…。」


 「なんと。既にそんな奥にまで入り込んでしまっておるとは…どうにもまずい事態ですな。」


 大きく眉をしかめる春継に、桜夜もまたその幼さに似合わぬ苦虫を噛み潰したような顔で頷く。


 「これ以上は、行っちゃだめ。わざとかどうかなんてわからないけど、奥に行くほど結界同士のはざまに知らずに入りこんじゃって、このままじゃかえってこれなくなっちゃう。」


 小さな眉間に皺を寄せたまま桜夜がすくと立ち上がり、気持ち早足になりながら濡れ縁の方へと足を進める。


 「行かれますかな?」


 「はい。ほんとはあんまり人前に出ちゃだめだけど、止めないととりかえしのつかないことになっちゃいそうだから…。」


 ものすごく気は進まないが他にどうしようもない、とため息混じりに草履へと足を入れたところで、部屋に近づいてくる気配にふと顔をあげた。ついでぱたぱたと無作法にならぬぎりぎりで急ぎこちらに向かってくる足音が聞こえだす。


 「咲が戻ってきたようですな。」


 「んと、わたしかくれるのでごまかしてもらってもいいですか?」


 了承を示す春継を確認する間もなく念のためにと物陰へ移動し、小さな手で瞬時に印契いんげいを結ぶと意識を集中して隠形おんぎょうする。同時に、がたりと音をたてて襖が開かれた。


 「お祖父様、桜夜ちゃん!わかりました!」


 逸る心を抑えながらもできる限り急いで戻ってきた様子の咲に、春継が真剣な顔を向ける。


 「ご苦労だったね、咲。ひとまず落ち着きなさい。さあこれを飲んで。」


 胸を押さえて少しばかり乱れた呼吸を整える咲に、湯呑みを差し出して春継はその背中をさすった。

 湯呑みに満たされている少し冷めた濃緑の茶を一息に飲み干す咲を物陰からこっそり眺めつつ、あのお茶わりといいもののはずなのにあんなに一気に飲み干しちゃってもいいのかなぁなどと、どこかずれたことを何ともなしに考えてしまう。

 まるで他人事のような感想だなと我ながら思うけど、この後に確実に待ち受けているだろうごたごたを思えば多少の現実逃避ぐらいしたくなっても仕方ないと思うんですよ…。

 そんなことを考えている間に何とか人心地ついたらしい咲が、部屋を見回して不思議そうな表情を浮かべるのが目に入った。


 「あら?お祖父様、桜夜ちゃんはどちらへ…?」


 「桜夜殿ならやはり心配だからとつい今しがた一足先に杜へ向かわれたよ。翁殿のところへ行ってみるそうだ。」


 「そうでしたか。でもこのような事態ですし、仕方ありませんものね…。」


 少しばかり残念そうに納得したような顔を見せる咲に、春継が身を乗り出して問いかける。


 「咲、それでどちらの国の方々が来られていたのかわかったのかね?」


 「あ、はい!確認しましたところ、いま来られているのは琥元国こげんこくのご一行でした。しかも一刻程前に御嫡男の惟之のぶゆき様が供の方を連れて散策に出られたとか。」


 強張った表情の咲に、春継もまた固い顔のまま何かに思い至ったように口を開く。


「…先日のことだが、行商の者より少々聞き及んだことがある。それによると琥元国の総領である紅丞こうじょう家では御嫡男の惟之様を擁立する者たちと、次男の惟充のぶみつ様を擁立する者たちとの間で対立が起きているらしい、と…。」


 「ではまさか…!?」


 「うむ。あくまでも推測の域を出ないことではあるが、惟充様を擁立する一派が供人の少ない今を好機と見て動いたのやもしれん。」


 「なんという、愚かなことを…」


 眉間に深い皺を刻んだ春継の、恐らくは間違っていないだろう推測と、貪欲なまでに己が利権を望む者たちの形振り構わぬ凶行に、咲が茫然と座り込む。

 その肩を抱き、既にこの場を離れているだろう幼き護り手を思い、春継は障子の外に広がる杜へと視線を向けた。


 「私たちにできることはそう多くはないが、今はせめて桜夜殿と翁殿が間に合ってくれることを祈ろう。」


 「…はい、お祖父様。」


 悄然と頷いて何もできない己に歯がゆい気持ちを抱えたまま彼女もまた、恐らく今ごろには木々の間を翔けぬけているだろう子どもを思い、真摯に想いをこめて手を握りあわせる。

 どうかこの祈りが届き、小さな樹霊の子が間に合いますようにと。



 背丈の低いつつじの繁みを飛び越え、目の前に迫った大岩を軽やかな足取りのまま蹴りつけた反動で踊るようにくるりとかわし、とうとうと流れる小川に小さな波紋のみを残して桜の娘が息も切らさず杜を翔けぬけていく。

 先導するようにその前を行くのは、途中で合流した艶のある灰色の毛並みをしたまだ若い狼が一頭と、蒼く白く燃えて輝く大人の拳大の鬼火がひとつ。

 猛き獣の低い唸りも苛烈なる鬼火がごうごうと燃え盛る音も、桜夜には等しく言葉と聞こえる。


 「…っじゃあ、おじいちゃんと楠波があの人たちをかくれてけんせいしながらかんししてくれてるの?!」


 『うん。おかげでどちらも多少の手傷は負ってるけど、今のところはまだ誰も死んだりはしてないみたいだ。』


 『あいつらも杜の掟があることで少し躊躇ってはいるみたいだけど、ありゃかなり危ないね。いつ均衡が崩れてもおかしくないぜ。』


 がぅると狼が吠えれば、鬼火がぼぅぼぅと火の粉を飛ばして現状を桜夜に伝える。


 「どっちにしてもあまり時間はなさそうだね。とにかく急がなきゃ!」


 きり、と唇を噛み締めて間に合えとばかりに更に翔ける速度をあげていく。

 そうして見えてきたのは、今まさに殺伐とした命のやり取りが行われているその舞台。


 『桜夜!見えた、あそこだ!翁たちもいる!』


 視界の端に捉えた幾人かの男たちの姿に、咄嗟に速度を落として即座に隠形をかけなおす。そのまま滑るように空を渡って、少し離れた場所から手招きしている翁と楠波の元へと降り立った。


 「おぉ、来たかね桜夜。お前たちもご苦労じゃったの。」


 「よかった、桜夜も何とか間に合ったようだね。」


 「ほんとに間に合ってよかった。おじいちゃん、楠波。あの人たちの様子はどう?」


 迎える二人に答える間ももどかしく、いまだ火花を散らして小競り合いを続けている男たちに厳しい視線を向ける。


 「今はまだ大事に至ってはいないが、それも最早時間の問題じゃな。多勢に無勢、もうぞろ圧されてきておる。」


 言葉の先に繰り広げられるは、一合、二合と激しく刀を打ちあい鍔迫り合う剣戟の音に、慌ただしく位置を変え右へ左へ入り乱れる男たちの姿。人数の少ない方…恐らくはあれが嫡子であるという惟之の側なのだろう。

 数人に浅くはない傷を負わせている様子とはいえ、たった二人でこの人数相手によくもここまで堪えたものだ。


 「すごい。あの二人、強い…。」


 「うむ。あそこまでの武を誇る者は人の中にもそうはおるまい。」


 「えぇ、ですがそれもそろそろ危うい。流石に疲れが出てきているのか、息が上がりはじめてきています。」


 目をやれば確かに、苦しそうに肩で息をする若武者の姿。その背中合わせに刀を構える幾らか年嵩の青年もまた、息があがるのを抑えきれなくなっている。


 「…もう、二人ともげんかいみたいだね。おじいちゃん、目の色はまだかくしておいた方がいいよね?」


 「それはもちろんじゃが…。桜夜よ、もしやあやつらの前に出る気なのかね?」


 よもやあそこに行く気なのかと翁が確認するのに、うんとはっきり頷く。その彼女の表情に眉間の皺を深くしつつもどこか諦めの滲んだ息をひとつ吐いて、翁は桜夜の目を覆うように手を翳した。


「危険です、桜夜!樹霊の子だからといって、あの者たちが手を出してこないとは限らないんですよ?!」


 「まったくじゃ。何もお前さん自ら出んでもええじゃろうに…。」


 『いや、だからってあいつらをこのまま放っとくわけにもいかねぇだろよ。』


 『え、でも桜夜の他に社の人以外の前に出れるような樹霊って翁と楠波ぐらいしかいないんじゃ。と言っても翁が出たらどう転んでも大事になるし、楠波が出てもヤツらを変に刺激しかねないし…。』


 鬼火や狼のツッコミかつわりと冷静な分析も聞こえていない様子で、ただ大切に思う少女を危険な目に遭わせまいとばかりに反対する楠波と、術をかけ終わってもまだぶつぶつとぼやく翁へ向け、桜夜はゆるりと間をとり少し上目遣いになってほわりと柔らかに微笑む。


 「うん。でもこれも杜を守るためだし、あの人はまだ死んじゃいけない人だと思うの。それに二人がちゃんと後ろにいてくれるって思えば安心できるから…。ね?おじいちゃんも楠波もお願い。」


 秘技・純真おねだりスマイル☆ミ

 その魅了効果は絶大だ!

 きらきらと虹やら星やらのエフェクト効果幻覚でもついていそうな桜夜の笑顔が樹霊大人二人の心を完全に支配する。


 『…ありゃ完全にオチたな。』


 『だよねー。どう見てもあっさり一発でしょ。…チョロん”っんん!』


 気持ち小首を傾げて放たれたそれに、一瞬硬直したあと見事なまでに溶け崩れるように相好を崩した二人を見て、っしゃ!と勝利を確信する。脇で目立たぬよう小さく形作られたガッツポーズのキレも冴え渡っている。

 傍らで見守っていた狼と鬼火のどこか疲れの滲んだ呟きがぽとりと地に落ちたのは敢えて拾わず見ないことにします。むしろポイしちゃいますよ?

 イッタイナンノコトカナー。ワタシチョーットワッカンナイナー?


 そんな傍から見たら脱力してしまいそうな樹霊たちのやりとりの間にも、状況は刻一刻と惟之たちに不利な方向へと進んでいく。


 ガキィンッ!と硬質な音とともに、ぎりぎりと鍔迫り合いをしていた二振の刀が互いに弾かれた。その勢いのままたたらを踏んで、青草と土の上で草履がざり、と音を立てる。


 「…くっ。惟之様、お怪我は?」


 「大事ない、かすり傷ばかりだ。お前こそさっき手傷を負っただろう。暫くは俺に任せて少し休んだらどうだ。」


 「ご冗談を。まさかお一人で愉しまれるおつもりですか?なに、こんなものそれこそかすり傷です。ご心配なさらず。」


 苦しい息の下でも何てことはないとばかり軽口をたたき合う主従に、この襲撃の首謀者が呆れた息を零す。


 「惟之様、誉れ高き紅丞の嫡男ともあろう方がいつまでも往生際が悪うございますぞ。滝田殿もこの上は、しかと覚悟なされて無駄な抵抗はおやめなさい。」


 「おのれ、濃島っ…!まさか貴様までもがこのような愚行に加担しているとは…恥を知れ!」


 「愚行とは随分な仰りようですな。これもまた世の流れというもの、惟之様は確かに紅丞の御嫡男ですが、現当主であられる惟辰様が殊の外可愛がっておられるのは弟君の惟充様であるのは周知の事実。ならば、となるのは当然お解りかと思うのですがね。」


 「だからこのような行動に出たとでも言うのか!しかもよりにもよってこの杜でとは。貴様とてこの鎮の杜に争いごとを持ち込むことも、ましてや人を殺めてはならないという掟を知らぬわけではあるまい?!」


 暗にこれも世の習いである、と傲慢な考えに歪んだ笑みでのうのうと嘯く濃島に、惟之の激昂が飛ぶがその態度が改まることはない。


 「もちろんのこと存じておりますとも。ですが物は考え様。要は此処で死ななければよいだけの話です。」


 「なんだと…?」


 いきなりの不可解な言葉に惟之と滝田、二人の眉が訝しげにしかめられた。


 「おや、いけませんな。こんな簡単なこともお解りになりませんか?つまりは死ぬのがこの杜でなければいい。一生起き上がることのままならない、やがては死に至るだろう怪我を負っていただければ、それで良いのですよ。」


 くつくつとさもおかしそうに嘲笑う濃島にその目的を悟り、血が出る程に強くぎりりと拳を握り締めて惟之が獰猛に唸る。


 「貴様…!」


 その横で滝田は、最早これ以上聞く価値すらもないとばかりにじゃきりと刀を構えた。その体勢のままふと思い出したように口を開いた。


 「だが他の場所ならばいざ知らず、この杜には多くの樹霊がいる。それこそ護り手と呼ばれる存在やあやかしの者たちがな。これだけの騒ぎだ。姿は見えずとも、恐らくはいまこの場にもいるだろう。その者たちが真実を明るみにするやもしれぬことを忘れてはおらぬか?」


 苦し紛れかはたまた余裕か、ないとは言い切れない可能性を示唆する滝田の言に若干の怯みを見せる共犯者たちとは違い、濃島は慌てる様子もなくすっと上げた片手のみで仲間の動揺を静めてみせた。


 「確かにこの杜には樹霊もあやかしもいるのでしょうな。だがしかし、そのどちらも人前には滅多と姿を現さず、当代の護り手もまた在るとは言われているものの、その姿をしかと見たという話もない。例えいまこの場を見られていたとて、彼等から露見する可能性は事を仕損じるよりも低いというものですよ。」


 自分たちの企みが白日の元に晒される可能性があるかもしれないというのに、濃島はいっそ淡々とした口調で滝田の思惑をあっさり否定する。そしてお喋りは終わりだとばかりに、腰に佩いていた刀をすらりと抜きはなった。

 濃島の背後で油断なく刀を構えていた者たちもまた、呼応するようにざざと動いて二人を逃さぬと取り囲む。

 すべては一瞬で動き、一瞬で決する。

 きん、と張り詰めて緊迫した空気の中、彼等の頭上から唐突に柔らかな響きを持った幼くあどけない声がかけられた。

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