其の四(幼女のお目覚め。しかして現実はノンストップなジェットコースターです)

 ―――ぷわり、ぷかり。


 水の中で生まれた小さな泡がゆっくりと水面を目指して浮かびあがっていくように。ゆりかごの中で眠っていた赤ん坊がふとした拍子にふわりと小さなあくびを漏らすように。


 一番最初に覚醒した時よりはずっとゆっくりと、でもとても自然に意識が浮上していくのを感じる。

 うっすらと瞼を開け、醒めきらない夢の名残にまだあまりよく見えていない目でぼんやりと辺りを視界に映して。

 いまだ強く残り続ける眠気にふわわと大きな欠伸をひとつ。

 ぐにぐにとまだ少し霞んでいるような目を擦りながらゆっくりと身体を起こして…どこかで経験したような覚えのある違和感にばっちり睡魔が吹き飛んだ。



 あーえーうーおー…。

 もうやだ、ほんとやだ。なんなのこの微妙なくせに放っておくわけにもいかない感じの既視感デジャヴ


 背筋を這い上るとってもうやんでいやんな予感に、半ば以上諦めを感じつつも自分の手をそうっと目の前に広げた。

 うん、なんかもう既視感どころの話じゃありませんでした。むしろ既視感だけで済んでくれてた方がまだずっとなんぼかマシでした。

 うわぁーい、成長してるって普通なら十分に喜んでいいことのはずなのに、この場合まっったく嬉しく思えないのはなんでなのかなー…。


 「なんか…あきらかに、こないだより大きくなってる…よね?」


 眠りにつく前までは、確か指も手のひらももう少しだけ小さなものだった、はず。

 よろけたりしないようにゆっくりと立ち上がって改めて周囲を見回してみれば、視界もほんの少し高くなっている気がする。

 最初の時が1~2歳ぐらいなら、今は多分だけど5~6歳あたりってところかな…?


 え。てことはじゃあまさか私、3~4年ぐらいは寝てたってことになるの?!

 いやでも、いくらなんでもそんな馬鹿な。

 だけど木が生長するのには数年…どころかともすれば数十年とかかかるし、それを考慮に入れたら場合によっては下手すりゃ十年以上、とか…。


 いやいやいやいやいや。

 確かに身体は少し大きくなっているみたいだけど、完全にそうだと結論づけるにはまだ早過ぎるよね。そうだよね。

 うんうんそうだよ。大丈夫、まだ慌てる時間じゃない。

 それに目覚めたばかりの樹霊がよく寝るったって、十年単位とかそれはいくらなんでも寝過ぎじゃないかと思うんデスヨ!?

 あまりにもあまりすぎるイヤな感じが山盛り満載バーゲンセールの予感に、いつのまにか傍に来ていた檜の翁に挨拶することも忘れて滲み出る冷や汗でだらだらとガマの油状態のまま一人愕然と立ち尽くす。

 こんなところでこんな形で油をこってり絞られるガマの気持ちなんざまったくもって知りたくなかったです。ほんと頼むからマジ勘弁してください。


 「おぉ、起きたかね桜夜。おはよう、もうそろそろ起こさねばならぬ頃かと思っておったところじゃよ。」


 何ら変わった様子もなくそばへと歩み寄り、にこにこと笑って私の頭を優しく撫でつける翁を呆然と見上げ、意を決して口を開いた。


 「えと、おはよう、ございます。あの…おじいちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」


 「うん、どうかしたかね?」


 「んと…わたし、なんだかすごく大きくなってるみたいなんですけど…一体どれだけねてたんですか…?」


 ちなみにどうして檜の翁と呼ばないのかというと、あからさまになんかしょんぼりされる+ナ行がまだうまく言えないからです。有り体に言えば噛むからです。

 そりゃもうばっちりと、にゃとか言っちゃいます。

 無駄な意地を張ったあげくに舌足らずのせいで噛みまくって恥ずかしい思いをするよりは、おじいちゃんと呼ばせてもらう方がまだなんぼかマシというものだ。

 …どっちにしろどこかで何かしら噛んじゃうだろうことはわかりきってるんだけどもね!

 成人の自覚と自我のある見た目は幼女とかなんという羞恥プレイ。

 今なら某ちっちゃくなっちゃった高校生探偵を尊敬できそうな気がしなくもない。

 羞恥で死ねるって多分こんな感じなんじゃないかなと思うけど、もう敢えて考えないようにしてるよね!というか考えちゃだめだよね!


 「…ふむ、そうじゃの。わしら樹霊は幼き苗が若木へ生長するまでは、人の赤子よりも多く数年から数十年ほどの期間を眠って過ごし、それとともに身体もまた見合った姿へと変わるのじゃよ。…はて、言うておらんかったかね?」



 ………聞いてねぇよ!?



 あ。いや、待てよ…?

 そういえば最初の時だったかにそんなようなことをちらっと聞いた気も…。


 「せいちょうのためによくねるとは聞きましたけど…目が覚めたら思ったよりも大きくなってたから、なんかすごくびっくりしちゃって…」


 眠るより以前に聞いたことを少しずつ思い返しながらそう告げると、翁もなるほどと納得したように顔を綻ばせた。


 「おぉ、それもそうじゃの。かつて人の子としてあったのならば、それだけ寝て過ごすなどと言われたら驚くのも無理はない。」


 うんうんと頷く翁に、そうなんですよね…と、少しの安堵と納得混じりのため息をついて眉がへにょりと下がる。ふぅ。


 「うむ、確かに樹霊にしても随分と長き眠りではあったが…。そうさの、ざっと三…年といったところかのぅ。」


 「え?」


 その瞬間タイミングがいいのか悪いのか、風がざざんと木立を波のように揺らしたせいで肝心な部分がしっかりとは聞き取れず。

 しかし、いま眼前に出されているのは立てられた三本の指。

 指が三本、ってことは、それが示していることはつまり。


 「確かにものすごくよく寝た感じはありますけど、そんなに寝てたんですかわたし…。いや。でも十年単位とかじゃなくてまだよかったと思うべきなのかなぁ…?」


 予想よりは短かったらしいその期間にほっと胸を撫で下ろしたが、それでも年単位で眠っていたらしいという事実にかなり微妙な気分になる。

 どんだけ眠かったんだよ私。明らかに寝過ぎだろ。これも樹霊という存在になったからこそってやつ?

 なんかもう、樹霊クオリティ色々とぱねぇ。

 あれ、でもいまおじいちゃんが樹霊にしてもずいぶんと長いって…。

 い、いやいや、きっと私の聞き間違いだよね?うん、そうだよ。……そういうことにしておこう。

 私は何も聞いてない、聞いてないぞー。気のせい気のせい、大丈夫だ、問題ない。


 だがしかし。


 必死に自分に言い聞かせていた私は、この時まだ人としての物差しでしか判断していなかったんだと思う。何故なら樹霊という存在の不思議さに多少は慣れてきたと思っていたその認識がまだ、ジャムを乗せたパンケーキに蜂蜜とメープルシロップをぶっかけたぐらいだだ甘かったのだということを直後に思い知らされることになったからである。


 「楠波くすは、桜夜は何をぶつぶつ言っておるのじゃね?」


 「…うーん。恐らく、ではありますがどうも何か盛大に勘違いをしているのではないでしょうか?」


 音自体は低めなのに爽やかで甘い張りのある初めて聞く青年の声にふと顔をあげると、緑がかった淡い黒褐色の髪に穏やかな表情を浮かべる青年がいつのまにか翁の横に佇んでいた。


 あら。多分初めてみるお兄さん。

 おぉ、ほんとに髪がちょっと緑がかってる。みどりの黒髪っていうのともまたちょっと違う感じだけど、不自然じゃなくきれいな色だなぁ。

 この人も見るからに樹霊なんだろうけど、声も姿もどことなく涼やかでかっこいいですねお兄さん。

 ……イケメン爆発しろ。


 でもほんといつの間にそこにいたんだろう?

 とゆーか、いま勘違いがどうとかなんか非っ常ーに不穏な言葉が聞こえた気がですね。


 「初めまして、桜夜。君はずっと夢うつつだったから、多分わからないとは思うけど…僕の名前は楠波というんだ。よろしくね」


 にこりと柔らかで穏やかな笑みを浮かべる彼につられ、自然と頬がほにゃりと綻ぶ。

 うむ、どうやらあっちは初めてじゃなさそうだけどこっちは初めて会うも同然なんだから第一印象は大事です。挨拶はちゃんとせねば。

 ぺこりとちゃんとお辞儀から。


 「楠波、さん。えぇと、桜夜です。これからよろしくお願いします。」


 「楠波でいいよ。僕も桜夜と呼ばせてもらってもいいかい?」


 気さくに笑ってぽふぽふと柔らかく頭を撫でてくれる指の長い大きな手の心地よさに、自然と笑顔で頷いて。なんだか妙に安心してしまった。

 イケメンについ反射的に拒否反応がほの沸いたけど、木の精霊だけにマイナスイオン的なものでも出してるんですかね?

 いいぞもっとやりたまえ。


 「えと。じゃあ、楠波。さっきからかんちがいとか言ってたのってなんのことですか?」


 優しく髪を梳いてくれる手が気持ちよくて、猫のように目を細めながら先程疑問に思ったことをそのままに口に出してみた。


 「あぁ、うん。桜夜が眠っていた期間のことなんだけど…」


 「あ、はい。えぇと…(途中ちょっと聞き取りにくかったけど)三年、なんですよね?」


 確認するように首を傾げて楠波の顔を見上げた。ら。

 え、何?

 ちょっと待って、なんでそこでやっぱりかとでも言いたげにこっち見たあとで妙に気まずそうにそっと目を逸らすの?!

 背筋を震わすイヤな予感に否定が欲しくて慌てておじいちゃんにも目をやると、何の話をしてるんだと言わんばかりに不思議そうな顔をしている。


 イヤな予感更に倍率ドンでアップです。


 そろりそろりと楠波に視線を戻してみれば、脳内で太鼓型の某マスコットキャラがいい笑顔でフルコンボだドン!と宣言するのが聞こえた気がした。


 楠波さんや、そのなんかとってもまずいことに気がついたみたいな顔はいったいどういうことなんでしょうか…。


 「…く、楠波?あの…」


 「いや、なんて言うか…。やっぱりさっき、しっかり聞こえてなかったんだなと思ってね」


 「え、それって一体、なんの…」


 大量の嫌な予感が徒党を組んでひゃっはー!とノリノリで最終宣告をしに襲来しやがりましたよ。来んなお前らと力のかぎり全っ力で拒否りたいんですけども!?


 平静を装おうとしても、頬がぴきりと引き攣ったのがよくわかる。

 え、ちょ、ほんとちょっと待って。ものっすごくいやんな感じしかしませんよ…!? やばい、真面目になんかこれ 以上は深く聞いちゃいけない気がする。とってもする…!

 大丈夫、今ならきっとまだ間に合うはず。

 可及的速やかにとっとと耳をふさぐんだ私…!!


 「…あのね桜夜。まずは落ち着いて君の桜をよく見てごらん。」


 言いにくそうに言葉を継いだ楠波の様子に訝しみながら、反射的にくるりと振り返って己の桜をその視界におさめた…ところで、知らず知らずのうちに限界までその目が見開かれた。

 内心泡を食いまくった大恐慌状態のまま耳を塞ぐべくあげかけた手は、その前に落とされた特大の爆弾によりびしりと固まり目的地まで届かず。


 目の前に堂々とそびえ立っていたのは、太くしなやかな枝葉を大きく広げて高き天へと伸ばし、見事に咲き誇る白に近い淡い紅色の可憐な花びらを惜しげもなくはらはらと風に遊ばせて花吹雪を作り出している一本の桜の巨木。それはまさしく幽玄にして夢幻。


 大人が数人かがりでようやく手がまわりそうな、太く立派な幹をした大木が大地にどっしりと深く根を張っている。

 堂々たる威容を誇るその姿に圧倒され、ただただ降りしきる花びらの雨に目を奪われた。


 「うそ…でしょ?これ、この木…私の、桜?なんで、こんな」


 確か眠りにつく前まではまだまだ小さくて幼い、苗といってもいいような若木で、花が咲くのも十数年はかかるだろうと思われる状態だったはずだ。

 それが一体全体何がどうしたらこんな樹齢を何百年と重ねたかのような威風堂々たる巨木になっているんでしょうか、楠波せんせー…。


 「うん、つまりね。結論から言ってしまうと君は三百年もの間、ほぼずっと眠りについていたんだ」


 「…はい?」

 


 …………………………さんびゃくねん?って、なにそれ?え、どういうこと?




 ……………さん、びゃく、ねんーーーーー??!!

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