其の二(テンプレにも限度ってものがあると思うんですよ。さらば常識、おいでませ異世界)

 さわさわとざわざわと、風が遊ぶように葉を揺らして空へと巻き上げ吹き抜けていく音がする。


 私の部屋は中心地から少し離れた街にあるごく普通のアパートで、周りにある木といえばせいぜいが道の両端に申し訳程度に植えられた街路樹ぐらいだから、森の中をびゅうびゅうと勢いよく抜けていくような部屋の中まで聞こえてくるほどのこんな大きな風の音が到底するわけもなく。

 それなら滅多にないことではあるが、テレビでもつけたまま眠ってしまったのだろうか?

 深夜だか早朝だかにやってるようなそんな環境系の番組なんてあったっけ?

 あれ、でも私たしか学校帰りだった気がしたけど、あれも、夢?

 ふわふわと柔らかく濃密な心地よさで誘う睡魔に霞がかってとりとめもない意識のまま、うっすらと目を開けてぼんやりと視線を廻らせる。


 見渡すかぎりの濃い色をした葉を風に遊ばせている木々と、場所によって色の濃淡が映える小さな花咲く下生えに果実の実った藪や木立。

 葉と葉の隙間をゆらりととおる金色の木漏れ日や、高い声でさえずりあいしなやかに羽を翻す小鳥たち。羽音を響かせて勢いよく飛び交う虫の群れ。

 木々に腰掛け、あるいは宙に浮かび、思い思いの姿勢をとる淡く光る人のような影。

 内緒話でもしているのかさわさわと葉擦れのような音が聞こえるが、耳まで届く音にはなりきらない。

 風にさんざめく木立が立てるみたいな、密やかな笑い声が響くのが優しい音楽のようで、なんだかほろりと小さな笑みがこぼれる。

 霞む目に入ったそんな不思議な情景が、なんだまだ夢の中にいるのかと、とろりとろりと蕩ける蜜に身を浸すように瞼を閉ざした。


 ――否、閉ざそうとしたのだ。


 身動いだ拍子にか、背中へと流れていた髪の一房が見ろと言わんばかりに目の前へと落ちてくるまでは。顔にばさりとかかったそれを邪魔に思い、仕方なく払い除けようと薄く目を開けようよう指を動かそうとして、その色に気づいた。


「…なに、これ…」


 それはいつも見慣れた、毛先の少し荒れた焦げ茶とは似ても似つかない柔く艶やかな黒。

 陽光に透けて淡く輝いて見えるほどに、荒れたところの見あたらないみどりの黒髪に目を見張り、今度こそその手に取った。


 そこでまた、ふたつめの事実に気づく。


 「…なんで、てがこんなに、ちいさいの…?」


 呆然と目の前に手を広げ、思わずまじまじと凝視しながら殆ど無意識に呟いた。

 ふくふくと柔らかく、ほんのりと淡い桜色をしたまだ薄い小さな爪がついた、これはもしかしなくても幼児の手ではないだろうか?

 多分、だけどせいぜいが2~3歳ぐらいといったところじゃないだろうかと思う。


 まさかそんなはずがあるわけない。自分はまだ学生の身分ではあるけれど、とうに成人もすませている年齢だというのに。

 いやそれ以前にそもそもの問題として私がいるここは、この場所はどこなのだろう。

 どこまでが夢で、どこからが現実なのか。

 夢だとばかり思っていたけれど、できることならそう思っていたかったけれど、もしもそうではないのだとしたら、この状況は一体なにが起こっているというのか。


 「ほぅほぅ。次代を継ぎし子はもう目覚めたか。未だ幼き萌芽の時分に目覚めを迎えるとは、これはまたなんとも珍しや」


 「…ぇ。だ、れ…?」


 「ふむ、どうやら意識だけでなく自我もそれなりにあるとみえる。ますますもって希有なことよの。…次代の護り手を継ぎたる吾子よ。」


 「まもり、て?」


 なんだそれは。いったいぜんたいどこのファンタジーだ。

 しかもこの言い方からするに和製ですか?誰得?

 いや、私もわりと結構そのへん好きだったりしますけど。

 そしてわかりたくないけどなんとなーくものすごーく重要そうな役どころに聞こえちゃったりするんですけど。

 私自身のことが。

 いま自分のことで手いっぱいなんで、そういうのほんとちょっと勘弁してもらえませんかね。マジで空気読んでくださいお願いします。

 聞き慣れない響きについそのまま言葉を繰り返し、未だに睡魔と混乱から覚めやらない頭で反射的に脳内ツッコミ(ゆるめ)を入れつつ、誰とも知らない声のした方へのろのろと顔を向けて。


 それはもう自分でもびっくりするぐらい、とっても激しく後悔した。

 他に選択肢なんてなかったし仕方ないっちゃ仕方ないんだけど、でもやっぱりなんだってここで振り返っちゃったのかな私…。


 それともあれか。ファンタジーでないならこれはタチの悪い冗談とか、はたまた昔懐かしい何かのドッキリとかか。

 カメラとスタッフはどこに隠れてるんだ、その辺の木陰あたりから例のなんか派手な感じの看板でも持って出てくるのか?

 見るからにパンピーな私を騙しても大して面白くないと思うんですよ。

 というかむしろ、全力で何も見なかったことにしちゃ駄目だろうか。

 この時の私が本気でそう思ってしまったのも無理はないと思いたい。


 だってそこにいたのは長い髪と長い髭、魔法使いが持つような大きな杖をつき、ずるずるとしたローブだか長衣だかを纏った一人のおじいさんだった。

 そりゃもう、どこの白の魔法使いさんですか旅の仲間はいないの?と問いかけてしまいたくなるくらいの。

 そのずるずる長い髪やらどこからみても魔法使いくさいその格好はともかく、境目がわからないぐらいにほぼ一体化している髪と髭にさりげなく自然と溶け込むように生えた葉っぱだとか、目の色が人ではありえないほど妙に鮮やかできれいな碧でさえなければな…!

 うん、人間ではありえない色っていうかどう見ても光って見えますねわかります。


 だがしかし、ここには何か知っていそうでかつまともに話ができると思われるのはこの老人しかいそうにない。

 少しづつ色々と思い出してはきたけど、まだまだわからないことだらけだ。

 学校から家へと帰る途中だったはずの私が何故こんな深い森の中にいるのか。

 何故手が…いや、恐らくは身体全体が幼児だった頃に戻ってしまったように小さくなっているのか。

 そもそもいま私の目の前にいるあなたは何者なのか。

 正直なところ、なんかものすごーくとんでもなーく聞きたくない気持ちでいっぱいではあるんだけど聞かなきゃどうしようもない気もする。

 あぁぁぁぁ…でもやっぱり聞きたくはない。だけど、それでも。


 「あの、わたし、どうしてこんな、ところに…」


 口を開いた途端に少し目を見開いて驚いた様子を見せる老人に、何か変なことでも言っただろうかと首を傾げてじっと見遣る。


 「…もしや。お前さん、この森で目が醒める前のことを覚えておるのかね?」


 その言葉に、何故だか周りの木々が風もないのにざわりさわさわとさざめいた気が、した。それを不思議に思いながらも、こくりと頷く。


 「…え、はい。わたし、は、さやと、いいます。えぇと。たしか、がっこうのかえり、で、じこに、あって…」


 自分の口から無意識にするりと出た言葉に、ぞわりと首筋が粟立った。

 そうだ。私、あの時、車に、はねられ…


 視界を埋め尽くしたまばゆいヘッドライト。耳をつんざいて響くブレーキ音。目の前に迫った大きなトラック。ぶつかった時の身体がばらばらになったかと思うほどの激しい衝撃。跳ね上げられた身体が容易く宙を舞ったその瞬間。


 …ぐしゃりと音を立てて地面に落ちて転がり、心臓が鼓動を打つ度に強くなって身体中に広がる激痛と徐々に狭まる視界。訪れくる暗闇。

 恐ろしいほどの勢いでひたひたと流れてあふれ続けるまっかな血。

 そしてはらはらとはらはらと零れ落ちる…わたしの、命。


 「…ひっ…ぅあ…あぁぁっ…?!」


 すうっと一気に血の気が引いて、がんがんと割れんばかりに鳴り始める耳鳴りがうるさい。あたまが、いたい。

 喉が引き攣って狭まりひゅうひゅうと呼吸が掠れて、迫りあがる何かに更に息が詰まる。おこりにでもかかったように恐ろしいほど身体ががたがたと小刻みに震えだす。

 抑えようもなく悲鳴が漏れ出て、一息に脳裏へ蘇った光景に、幻の痛みに、全身が過敏に反応するのを止めることができない。


 「いかん!?」


 雪崩をうつようにフラッシュバックするいたみの記憶に、翻弄される虚ろな意識のまま知らない誰かの焦りを写した声を遠いところで聞いた気がした。

 ばしん!と強く背中に響いた衝撃に、知らず知らず詰めていた呼吸が急激に吐き出される。


 「ひゅ…げほっ…ごほっ、かはっ」


 げほごほと激しく咽せる身体がふわりと浮き、不意に何かあたたかく大きなものに抱きあげられて包まれた。

 そして。

 とくりとくり。命を刻む、鼓動が聞こえはじめる。


 「………?」


 未だ止まらないむせこみに朦朧として、涙目になりながらもうっすらと目を開けると、自分を抱き上げてくれた誰かの肩が見える。


 「よしよし…大丈夫じゃよ、さや。此処にはお前さんを傷つけるものは何もない。…ゆっくりと、少しづつ息をするといい。」


 柔らかな声と暖かな手が、なだめるように背中をぽんぽんと優しく叩く。

 ゆったりと一定のリズムをとるそれに、次第に呼吸と動悸も落ち着いて。

 するとまだ名残でもあったのか。思考をぼやけさせる睡魔が、瞼までもゆるゆるとあたたかな波に誘って蕩けさせようとしてくる。

 なんとか抗おうとしても、安定したリズムの前にそれも難しく。

 ふわりと漏れ出たあくびに目を覚まそうとして頭をふるり振っていると、優しい手が頭を撫でてゆっくりささやいた。


 「構わんよ、今は少し休むがいい。起きてからでも話はできる。」


 「…は、い…」


 柔らかな声に安堵してこくりと頷いたあと、意識はたやすくするりと解けて夢のなかへと沈んでいった…。


 「やれ、此度の護り手は、望むと望まざるとに関わらずどうにも波瀾の生を送ることになりそうじゃのぅ…」


 混乱からようよう落ち着き、一時的に眠りの世界へと旅立った幼子を抱いたまま樹霊の翁は大きな息をついてひとりごちる。


 もちろん、そんなことなどこの時の私は知る由もなかったのだけど…。

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