第58話
皇子とイングリット・ツー・オストフリースラントが恋仲に。学園はその話題で持ちきりでした。婚約者もおらず、今まで恋愛のれの字すら感じられなかった皇子と皇帝派の家とはいえども接点がほぼ無いイングリット嬢の馴れ初めは学生のみならず貴族達の興味を大いに引きました。なぜならば帝国トップレベルのヤベー奴ことアンジェリークの紹介で恋人になったからです。
アンジェリークは最近の学園では『遭遇したら視線を反らせ、決して視線を合わせるな』という半グレみたいな扱いをされています。まさかそんなアンジェリークが男女の仲介役をするなんてと、メインのはずの二人よりも多く話題に上がりました。
この件に関して親たちは様々な反応をしました。まず、イングリット嬢の父、オストフリースラント侯爵は娘が最良の状況で皇子と恋仲になった事に喜びつつ主導権争いをしているはずのザクセン家からアシストに、すわ陰謀かと疑心暗鬼に陥っていました。皇帝はアンジェリークに陶酔しているように見えた息子が真面そうな子と結ばれて安心しつつも結んだ相手がアンジェリークということに大層な不安を覚えていました。ザクセン公爵はカップルはともかく何故アンジェリークがと疑問に思い、自分の身内の魔力主義者達が皇子とくっつけようとする事に対する牽制かなと正解を導き出していました。
ヤベー奴の紹介で取り急ぎ始めた交際ですが、かなり順調に進んでいました。最近は貴族同士でも恋愛結婚が増えてきているのですが、基本的に結婚相手は親が決めるのが今の帝国です。ゆえにイングリット嬢も皇子も政略結婚上等、相手を自分で決められたというだけでもかなり嬉しいことでした。その上で互いの相性なのですが、悪くない、というかむしろ良いのではと二人して思っていました。
皇子ことルーファス・カロリングはゲーム『星の流れた夜に』ではかなり捻くれた性格をしていました。腐っている帝都の貴族やらやる気の感じられない騎士達や酷い状況のスラムなど、そして国の皇族であるにもかかわらず何の対処も出来ない無力な自分、そんな状況を見せ続けられたがゆえに捻くれてしまったのですが、現実の皇子はかなり真っ直ぐ育っています。人を殴るのを楽しんでいた頃のアンジェリークが殴ってもいい相手を捜し求めた結果、腐った貴族はドンドンと殴られ、貴族に骨抜きにされかけていた騎士は立ち直り、うっかりマフィア大爆発によりスラムに皇命による騎士の巡回が入った事で治安が回復、つまり捻くれた原因が全て解消されたのです。面倒見の良い立派な好青年という、ゲームであったら凡庸すぎて主役キャラとしてつまらないですが現実では最良と言うべき男に育ったのです。体がデカくて迫力はありますが、顔が良く性格も穏やかで気遣いもできる皇子にイングリット嬢はすぐに惚れました。
対してイングリット嬢ですが、完璧令嬢と呼ばれていた頃のアンジェリークに憧れを抱き目標としていたため侯爵令嬢としてかなり優秀であります。そして何より、極々普通の女性でありました。
皇子の最も身近な異性といえばアンジェリークとローザになります。二人とも皇子にとって頭が上がらない、勝てない存在です。続いて例の集まりのメンバーとなりますが、紙作りをライフワークとし、時々紙を囓ったり草木を囓ったりしているミコトは根本的に価値観が合いません。アレクサンドラはアンジェリークの身内です。そしてマリアンネは一見普通の令嬢ですが実体は逆光源氏計画を成し遂げた女傑、その雰囲気からアンジェリークに通じる物を感じ取って苦手意識を持っていました。
そんな皇子に真っ当な貴族令嬢であるイングリット嬢はとても好意的に映りました。思いついたように反社を襲撃しないし暴力の付随する説教はしてこないし草木を集めてブツブツ呟かないしアンジェリークの身内じゃないし妙な迫力も有していないのです。イングリット嬢とお茶を飲みながらの穏やかな会話は実に新鮮で何よりも楽しいものでした。
「最近、皇子が鬱陶しい」
正に幸せの絶頂というにこやかな皇子を見ながらアンジェリークは呟きました。
「貴女が引き合わせたんでしょうに」
「鬱陶しくなるとは想像してなかったんです。久しぶりに誰か殴りに行きたくなってきました」
不機嫌なアンジェリークの隣を期待した様子で歩いていたリヒャルトのボディが打たれ、恍惚とした表情でその場に崩れ落ちました。一瞬響いた音に皆が目を向けますが、ハンカチでも噛みそうなアレクサンドラ以外はすぐに興味を失っていました。ちなみに、皇子と付き合い始めた直後はイングリット嬢もこの部屋に来ていたのですが、突如カオスと化す空間は刺激が強すぎたのかすぐに来なくなりました。
「最近、この辺りの治安の悪い所をうろついても誰も近寄ってこないんですよねぇ」
「例のおじさんと暴れたからでしょう? あの人、この辺りの裏では有名だったって話じゃないですか」
例のおじさんはこの辺りでは敵なしの強さだったため裏社会ではかなりの有名人でした。そんなおじさんを雇っていたマフィアが潰れた事件に関わってた上におじさんと連んでいたともなれば警戒して当然でしょう。
「そんなに暇なら教団でも叩いてくれば良いじゃないですか」
「叩けるなら叩いてますよ。第一騎士団ならともかく、この辺りの騎士じゃ死人が出ますからね。ハットリ様から情報が入り次第私と皇子とローザで向かう計画です」
学園のお膝元ゆえに決して騎士の練度は低くないのですが、骨折しても治せば良いじゃないで訓練してる帝国第一騎士団と比べればどうしても劣ります。
「しれっと私巻き込むのやめてもらえますか?」
「ローザがいないと隠れ教団員が見つからないから根切りにしないといけなくなるんですよ」
「あの、アンジェリーク様、お聞きしたいことがあるのですがよろしいですか?」
マリアンネの逆光源氏計画の犠牲者であるオリバーが珍しく、本当に珍しくアンジェリークに問いました。逆光源氏計画の影響か、彼は自ら主張することがありません。いや、このクラブなのか愚連隊なのかよく分からない集まりの中だけかもしれませんが、受動的であり続けているのです。そんな彼からのと言うかけにアンジェリークは少し目を開いて驚くと、いいですよと続きを促しました。
「教団の討伐に私は行けるのでしょうか?」
「駄目ですね」
アンジェリークは即答しました。
「一定以上の実力か、ローザのような特殊な能力があれば別ですが、今のあなたでは足手纏いにしかなりえませんし、足手纏いを抱えながら相手できるほど弱くはないです」
「では、ここのメンバーで行けるのはお三方だけですか?」
「いえ、他にはハットリ様とミコトなら大丈夫ですね」
全員の視線がミコトに向けられました。学生どころか教師ですらなく、卒業生だということ以外に学園に一切関わりがないにも関わらず当たり前のようにいるハットリ君はともかくとして、山羊の如く草を食み紙も食む自分を常識人だと思っている変人であるミコトがアンジェリークに認められるほどの戦闘能力を有しているとは誰も思わなかったのです。
転生者でありこの世界の知識のあるミコトはいずれ来る禍に備えて幼い頃から備えていました。幸い、主役の肉体であるため魔法の才は飛び抜けているのは分かっていたので鍛えていましたし、アンジェリークという特異点と出会っても念のためと鍛錬は続けていました。アンジェリークは目聡くそのことに気付いていたのです。
「身体能力はともかく、魔法は魔法戦闘団でもトップ並です。教団のアレ相手でも十分に戦えます」
「嫌ですよ、私。アレ魔法効きづらいから疲れるじゃないですか」
「……分かるんですか」
「え? だって見たら分かるじゃないですか」
ミコトは小首を傾げました。当たり前のように言っていますが、アンジェリークは火焔で燃やし、観察して気付いた事です。
「はいはい注目!」
全員が困惑と疑問符を浮かべる中、アンジェリークは手を叩いて全員の注目を集めます。
「今聞いたことは誰にも話さないように」
「すまんが、ハットリとミコトなら大丈夫だってアンジェリークが言った後、俺はちょっと考え事してて聞いてなかったな」
アンジェリークはミコトの保護を決め、皇子がそれに賛同しました。ミコトの魔法の才は本人の努力もありますが特異な能力が関わっている可能性が出てきました。それを帝国に知られてしまえば酷い扱いはないにせよミコトの人生は決まってしまうでしょう。アンジェリークは当然として、皇子もミコトに情を抱いていたので守る方向に動いたのです。
とりあえず後でマリアンネに事情聴取だな、とアンジェリークが考えた所で部屋の扉が開かれました。そこにいたのはイングリット嬢の御付きのように振る舞っているベティーナでした。彼女は若干顔を青くしながら問いかけました。
「イングリット様を知りませんか?」
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