第35話 殺せ! 殺せ! 殺せ!

 帝国の一大穀倉地帯として知られるザクセン家でこの時期見られる景色と言えば地平線の先まで広がるような青々とした小麦畑です。他派閥の貴族が来ると歯噛みするような光景なのですが、他派閥の伯爵の御曹司であるリヒャルトは羨ましさどころか住民や騎士達に同情すら感じていました。何故かと言えばこの異様な実りが黒の森が理由であり、黒の森の恐ろしさを身をもって体験したからです。

 冒険者ギルドでの一件の翌日、ハットリ君も含めた六人で黒の森に向かったのですが、リヒャルトとミコトは森から出てきたゴブリン相手に大苦戦したため森に入らず帰るという事件があったのです。どうやら黒の森と他で出るゴブリンというのは似て非なるものらしいのです。地元では問題なく倒せていたというリヒャルトと同じく他のゴブリンと比べて明らかに強いというミコトの証言から判明しました。アンジェリークは「だからあんな簡単に木剣が折れたんだ」と納得し、それを聞いたリヒャルトとミコトはこの人木剣片手に黒の森に行ったのかよとドン引きしました。

 そして今はアレクサンドラを含めた七人で学園へ向かって徒歩で移動しているところです。何故徒歩かと言えば学園から乗ってきたオンボロ馬車で帰ろうとしたのですが、途中で車軸が折れた為です。馬は無事なので近くの町まで行って馬車を買おうという事になっています。なだらかな登り坂をアレクサンドラは馬に乗り、他六人は歩きで登っています。


「……とりあえず、君らはアンジェをリーダーにして動くのを止めるべきだね」


 馬上からアレクサンドラが呆れたように言いました。車軸が折れたことで「家の馬車を借りるべきだった」とブチ切れからアンジェリーク一行のコレまでのあらましを聞いた感想です。


「他にリーダーって役柄が居ないからね」

「いや、貴方がやらないでどうするんですか」


 ハハハと言った皇子に対してアレクサンドラは呆れたように突っ込みました。最初の方はしっかりと貴族らしい対応をしていたアレクサンドラですが、あまりにも気安すぎる皇子にいつの間にか慣れてしまっていました。


「リーダーというか自ら動くのが今のところアンジェぐらいしかいないだけですね」

「自らみんなを引っ張ってますし、この集団はアンジェ様がリーダーだとは思いますが」


 ザクセン領に来ること自体アンジェリークの提案であり、ザクセン領での行動は全てアンジェリークが主導で動いているのでリーダーと見なして当然でしょう。

 そんな話をしている中で、リヒャルトがアンジェリークに向かってぽつりと呟きました。


「……どうすれば強くなれますか?」

「アンジェにそれを聞くのは止めた方が良いですよ」


 ローザが食い気味に言いました。実績として手足が飛ぶのが日常茶飯事の騎士団方式があったためです。覚悟があって騎士になった騎士団員ならともかく、学生の思いつきには劇薬が過ぎます。

 ローザの反応に笑いながらアンジェリークは答えます。


「簡単です。体を鍛えて武術を修め魔法の練度を高める、それの繰り返しです」


 アンジェリークの答えにリヒャルトは納得していないように口をへの字に曲げます。


「何事も近道は存在しません。地道な訓練の繰り返しこそが人を最も強くします。とは言っても、何も考えずがむしゃらに鍛える、ひたすらに剣を振る、ただただ魔法を覚える、では駄目ですけどね」

「何かコツがあると?」


 アンジェリークは首を振ります。


「そうではなく、何のために訓練をしているのか意識するんですよ。例えば、剣筋のブレを減らす為に上腕を鍛えるだとか、常に相手の存在を意識して剣を振るだとか、自身の戦法の長所を伸ばす、あるいは欠点を減らす為の魔法を学ぶだとか。明確に目的を定めるとより効率的に訓練ができるでしょう。私なんかはどう足掻いても皇子のようにはなれませんから、如何にして自分を生かすか考えて今があるのです」

「……確かにアンジェはそういうやり方してますね」


 遠い目をしてローザが呟きました。


「ローザ様は何か御存じなんですか?」

「ええまあ。私の治癒術はアンジェの存在があってこそなので」


 ローザの脳裏に浮かぶのは帝都での日々、現物を利用して体のあらゆる構造を覚えさせられ、治癒術を使うたびに何を考えていたのか何を意識していたのか魔力の動きはどうだとかメモをされ、効率的な治癒術の使い方を研究させられていました。今だからこそあの苦しい日々がどれだけ重要だったのか理解ができます。治癒術を効果的に使用するコツは人体構造と患者の怪我の具合を把握することだからです。


「アンジェリークの言うことはもっともだけど、筋力を鍛えるなら良い方法があるだろ」


 ほら、と皇子が言うとアンジェは一瞬考えた後あっと手を叩きました。


「ああ、アレですか。あれは正直お勧めできないんですけどね。具体的にどこを鍛えられるか分からないので」

「もしかして失敗した疲労回復術ですか?」


 ローザが聞くと二人は頷きました。使い物になる魔法や治癒術が生み出されるためにはいくつもの失敗が存在しています。皇子が言ったのはそのうちの一つです。疲労は回復するのですが、暫くすると激しい痛みが襲ってくるのです。


「アレはかなり筋肉がついたからな。私は二度とやりたくないが」

「皇子が嫌がる辺り本当に痛いんですね」

「お願いします!」


 頭を下げるリヒャルトを見てアレクサンドラ以外がうわっとドン引きしました。アレクサンドラは辛い痛みを得てでも強くなりたいんだなと感心していました。

 ローザは無表情にリヒャルトに疲労回復術をかけました。リヒャルトが確認するように体を動かします。


「体が軽い!」

「疲労回復術ですからね。後遺症が酷いだけで」


 白けたような空気が広がる最中、前を歩いていたハットリ君が軽く手を叩いて全員の注目を引きました。


「待ち伏せされています」


 アレクサンドラとリヒャルトとミコトは理解ができずに不思議そうな顔をし、ローザは面倒くさそうに顔を顰め、アンジェリークは前方上空を指さし、皇子はハットリ君に問います。


「何人ぐらいだ?」

「少なくとも斥候は六名です。他がいれば稜線の向こうでしょう」

「いやまさか相手は賊だと仰るんですか!? ここはザクセン領でも中央よりですよ!?」


 アレクサンドラが声を上げました。皇子がそれを押しとどめるように手を上げます。


「まず馬から降りろ、弓で狙われる可能性がある。ハットリ、賊の可能性はあるのか?」

「一般的な賊の可能性は皆無です。我々が向かっている先はそこそこ大きな町でそこが襲撃されていれば半日以内に領主に連絡が飛びます。館を出る前に確認しましたが、特にそのような情報はありませんでした」

「つまり、あるとすれば私やアンジェリーク、アレクサンドラを狙った暗殺か誘拐か」

「おそらくは。であるならば、稜線の向こうに敵がいると考えた方が宜しいかと」


 平然と状況を確認していく二人にアレクサンドラが絶句していました。


「だったら早く逃げましょう!」

「それは下策です。こちらには足がありませんが、向こうは馬が何頭も居ると思われます。背中を見せれば良い的です」

「あ、これは乙女の勘ですけど、丘の向こうに百人以上が待ち構えてます」


 ぬっと入ってきたアンジェリークが何でもないように言い放ちました。


「そうか……多いな」

「問題ないでしょう。有象無象でしょうし」

「待って下さい。アンジェの勘が当たっている前提で進めるんですか?」

「こういうときのアンジェリークの勘は外れないからな。仕組みはよく分からんが」

「乙女の勘ですよ」


 アレクサンドラは絶句しました。リヒャルトとミコトも百人と聞いて不安そうにしましたが、「私全然見えないんだけどどの辺りにいるか分かる?」と他人事のように話し掛けてきたローザを見てコレは大丈夫な事態なんだなと理解をしました。


「で、アンジェリーク、どうする?」

「挟み撃ちにしましょう」





 アンジェリーク達がある程度まで近付くと、丘の向こうからわらわらと如何にもな男達が現れました。


「アンジェリーク様お待ちを。もう少し近付くか、向こうから何か言ってきてからです。こちらには教会の治癒士がいるのですから」


 太刀に手を当てたアンジェリークにハットリ君が言いました。信仰を失えば術が使えなくなるという理由もあって教会の治癒士や祓魔師の発言は信頼が重いのです。

 男達はニヤニヤと笑いながら近付いてきます。楽な仕事だと思っているのでしょう。アンジェリーク達は先頭にアンジェリーク、少し離れて皇子、その後ろにリヒャルトとハットリ君が横並び、次にアレクサンドラでその後ろにローザとミコトという順で並んでいます。アンジェリークが攻撃で皇子が守り、ハットリ君が後ろから皇子のフォローをし、万が一抜かれたらハットリ君とリヒャルトがどうにかし、実戦経験はないけど剣術を学んでいるアレクサンドラの後ろに純魔法使いのミコトと致命傷でもなんとかしてくれるローザという並びです。アンジェリークが最前線と言うことでアレクサンドラが抗議をしましたが、アンジェリーク当人と武人でもある皇子とハットリ君の反論に何も言い返せず涙目で黙りました。


「何をしている! 早くやれ!」


 丘の上で叫ぶ男の声を合図にアンジェリークが飛び出しました。


「ギァァァアアアアア!!!」


 リヒャルトが悲鳴を上げながらのたうち回りました。突然のことに素人のミコト達はもちろん、ハットリ君や皇子も動揺します。


「あっ、筋力量で効果時間が違うのね。やっぱり皇子だけじゃデータが少なすぎるわ」


 ポンと手を叩いてローザが言いました。


「アッハハハハハハハハハハ!!!」


 皇子が膝を叩いて大笑いを始めました。完全にツボに入ってしまったようで敵の方を見つつも笑いが止められません。そして完全に想定外の状況にハットリ君が露骨にオロオロし始めました。

 リヒャルトが歯を食いしばって立ち上がりました。この状況はマズい、完全に自分の失態だと思ったのです。待ち伏せは想定外だったとはいえ、後遺症があるにもかかわらず自分が望んだ結果だからです。実際、リヒャルトにこの状況の責任があるかと言えば否ですが、あまりの痛みのためリヒャルトは頭があまり働いていませんでした。その働いていない頭で失態をどうにかしようとリヒャルトは叫びました。


「俺の後ろには何があろうとも通しません! たとえこの命が失われようとも!」


 皇子はさらに駄目になりました。アレクサンドラは自分の目の前でまるで自分を守るかのような体勢で叫んだリヒャルトを、驚いたようにジッと見つめました。

 アレクサンドラ・フォン・ザクセン。幼少期から剣を学び、今まで振り続け、それに合わせて動きやすいように男装をしてきた彼女ですが、実は十三歳ぐらいから男装を止めたいと思っていました。剣を振るために男装をしたら格好良いと褒められ、調子に乗って普段から男装をするようになったのですが、流石に思春期に入り男の目が気になるようになったのです。しかしながら、いきなり男装を止めたらまるで男を欲しているようで、淑女としての教育を受けているアレクサンドラにとってそれはそれは恥ずかしく、そのままズルズルと今の今まで男装を続けているのです。似合っていなかったらそれを理由に止められましたが、アンジェリークと同じく胸が薄く、アンジェリークと違い身長の高いアレクサンドラはそれはそれは似合っていたため同い年の令嬢達からもキャーキャー言われ、余計に止めづらかったのです。

 そんなわけで男装しつつも心は普通の乙女なアレクサンドラは、それ故に乙女な趣味にとても憧れ、安く流通するようになった恋愛小説を大量に隠し持ち、夜はひっそり妄想に勤しむようになりました。特に男に守られてそのまま恋に落ちるというベターなシチュエーションが好きで、ヒロインを自身に投影して楽しみ、今ではこっそり創作までし始めるという、立派な夢女子と化していました。

 そんな夢女子の前に訪れたこの状況、色々頭おかしいですがアレクサンドラの憧れに近いとも言える状況はアレクサンドラの乙女心にずっぷしと突き刺さってしまいました。

 皇子が使い物にならなくなったため魔法の準備をしていたミコトは、アレクサンドラを見てコイツマジかよとドン引きしました。その隣でローザは微笑みの鉄仮面を被り腹を抱えて転げ回るのを堪えていました。

 そんな感じにコントが繰り広げられている一方、百人の賊の方は地獄絵図と化していました。多勢に無勢とは言いますが、無勢の方が機関銃を持っていたら話は別です。副団長が上手く誘導してなんとか攻撃を当てられるというアンジェリークを有象無象が捉えられる訳がありません。コレは無理だと逃げようとすれば氷柱が背中に突き刺さり、人質を取ろうとしたら人質予定の方から火球が飛んでくる、そして立ち向かえば斬られるのです。楽だと思っていた仕事は地獄への招待状でした。

 その招待状を出した男は最初の方で両足を斬られて転がされています。彼はアンジェリークによって破滅させられた宮廷貴族の一人で、死なばもろともとアンジェリークに復讐を誓ってこの襲撃を実行しました。普通であれば彼のような復讐者が出ないように追い込みすぎないようにするものなのですが、アンジェリークはそんなこと気にすることもなく完膚なきまでに叩きつぶしました。

 現代社会では無敵の人と呼ばれるような状態ではあるのですが、彼らが無敵であるのは相手が真っ当な社会人であるからであり、真っ当さの欠片すらない相手からしたらただの弱者でしかないのです。

 アンジェリークは賊を斬り終えると笑い転げていた皇子をボコボコにし、やたらモジモジしているアレクサンドラを不思議に思いつつもその場を後にしました。完全に忘れ去られていた復讐者は呪詛を呟きながらアンジェリーク達を匍匐で追いかけましたが、血の臭いにつられてやってきた獣に生きたまま食われてしまいました。

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