第34話 布教活動

「面倒ごと増やさないで下さいよ」

「私は絡まれただけですよ」


 半目で睨むローザにアンジェリークはほほを膨らませました。特に冒険者ギルドに用事のなかったローザは教会で最新の治癒術の教科書を配布していたのですが、冒険者ギルドから教会に治癒士の支援があったことで大体を察しました。現地で手本を見せると言って治癒士を引き連れてギルド前の広場に来たのです。


「珍しく面倒くさそうですね。いつもなら喜び勇んで斬りそうなのに」

「私は暴力は好きじゃないですよ。理由があれば暴力も辞さないだけで」

「首狩り貴族、来てくれ」


 審判役のペーターがアンジェリークを呼びました。面倒そうにアンジェリークは広場の中心へと向かいます。

 広場は野次馬で溢れかえっていました。元々は冒険者ばかりだったのですが、冒険者が集まったがゆえに何の見世物だと他の市民も集まってきたのです。

 絡んできた冒険者は完全に酔いが覚めたようでかなり緊張したようすで立ち尽くしています。


「試合のルールは一つ、殺しは無しだ。それと治癒士が必要な場合は負けた方が教会に心付けを払うことだ」

「教会への心付けは必要無いですよ。私の親友がここの治癒士への実演にしますから」


 チラリとローザを見ると冒険者の治癒士も集めていました。この世界の治癒術には信仰心が必要なため技術を広めることに基本は抵抗がないのです。ローザは最初、技術の会得方法が邪道過ぎる上にアンジェリークの考えが正しいか不明という理由で秘匿していましたが、個人で研究を進め教科書を作り上げて帝都で理論の実証に成功したため積極的に広めるようになったのです。


「一つ確認なんですが、死ななければ良いんですよね?」

「それはそうだが……狙って後遺症の残る怪我をさせるのは避けて欲しいんだが」

「わかりました」


 それだけいうと、アンジェリークは酔いの覚めた冒険者に一礼しました。相手も慌てて一礼します。そして相手が得物の長剣を抜いたのに対し、アンジェリークは左手で達の鞘を触る程度で特に構えもしません。

 ペーターは数秒アンジェリークを見やり、それが構えなのだと判断し、それでは、と右手を挙げました。


「始め!」


 勝負は一瞬でした。ペーターの右手が振り下ろされた瞬間にアンジェリークは高速で接近、相手に反応する間も与えずに居合いで体を上下に裂きました。

 寸止めで済ませると思っていた野次馬も審判もその結果に絶句しました。まさかの事態にミコトとリヒャルトも青い顔をし、平然としているのは皇子とローザぐらいです。


「殺しは無しだと言っただろう!」

「死ななければいいんでしょう?」


 掴みかかるペーターをつまらなそうに見ながらアンジェリークは斬った相手を指さします。上下に分かれたはずの男は信じられないという顔で切れたはずの自分の腹を触っていました。腹には傷一つなく、上下に分かれた男の防具だけが斬られた痕跡となっていました。


「アンジェ、それじゃ実演になりません。せめて腕を落とすぐらいにしてください」

「コイツのせいでこんな面倒な事になってるんだから鬱憤ぐらい晴らしたっていいでしょう?」


 平然と行われるやり取りに周囲は絶句しました。治癒術、というのは深い傷は時間をかければ治せて内臓まで達した傷や切断された手足などは腕の良い術士が複数人で掛かってなんとかなるというのが今までの常識なのです。それが触ることすらせずに遠距離から腹から真っ二つに分かれた人間を治したのです。帝都最新鋭の治癒術というお触れはありましたが、まさかここまで劇的だとは誰も思っていませんでした。


「帝都ではこんな治癒術が使われているのか……」

「いや、ローザが特別で、ここまでやれるのは帝国でも彼女だけですよ。ぶっちゃけ、彼女並になれるのは一握りかと」


 若くして祓魔師に成り上がった天才に異世界の医学知識を持った狂人が沢山の犠牲者の元に仕上げた結果が今のローザです。少なくとも、ローザの年齢でローザ並みに達する術者は新たなる技術革新が訪れない限り現れないでしょう。


「しかし、どうしましょうか。もう一回やって今度は腕でも落としますか?」

「いや、僕がやろう」


 真っ青になっていた冒険者を守るようにペーターが前に出て言いました。


「君の実力に合わせるなら僕だ。僕の仲間が審判をするから問題はない。どうだい?」

「……まぁ、いいですよ」


 澄まし顔で答えたアンジェリークは大物が釣れたと内心喜んでいました。弱い者イジメは好きではないですが強い相手と戦うのは好きなのです。

 ペーターに呼ばれて出てきたのはローブを着た身長の高い女性、明らかに魔術師でしょう。仲間というだけあって相当な実力者であるのは間違いないのに、ペーターと同じく凡夫に見える辺り狙ってやっているとしか思えません。

 二人が距離を取り、構えます。ペーターは槍を緩く中段に構え、アンジェリークは太刀を抜いて脇構えです。


「……始め」


 囁くような審判の声と同時、アンジェリークが飛び出しました。先ほどの試合よりも速い速度にも関わらずペーターはそれに合わせて突きを放ちました。アンジェリークはそれを太刀で受け流しながら跳ね上げて前に出ます。しかし、槍の妙な軽さに嫌な予感を感じたアンジェリークは攻撃を諦め、膝から崩れ落ちるように全身を沈めました。そのアンジェリークの頭上を石突が通過していきました。アンジェリークはそのまま転がるように前転し、足をついたところで氷の足場を作り出して捻りながら再度攻撃を図りますが、それを読んでいたかのように再度石突きが回り込んできました。咄嗟に地面を蹴り石突きと同じ方向に飛び、太刀で衝撃を殺しながら受けます。石突きの勢いと身体コントロールを駆使して鉄棒前転の要領で上向きに跳び、ペーターから離れた位置へと着地しました。

 あまりにもハイレベル過ぎる攻防に周囲は一瞬の静けさの後に大きな歓声が上がりました。アンジェリークの本気を初めて目にしたリヒャルトとミコトが目を丸くしています。


「アンジ……御嬢は速いとは聞いてましたけど、まさかここまでとは。これなら騎士でも上位というのは納得できます。」


 事前に決めていた呼び方をなんとか思い出したリヒャルトは呆然と呟きました。彼自身、地元の騎士や冒険者のスピード自慢を何人も見てきていますが、そのスピード自慢が亀に思えるほどにアンジェリークは速かったのです。

 

「あいつの強さは速さよりもそれを使いこなせる反射神経にあるぞ。俺があの速さで動けたとしても不測の事態に対処するのは無理だ。最初の石突きでやられてる」

「確かにアレを避けたのは凄まじいですね。石突きを受けて高く跳んだのも異常ですね」


 皇子の言ったとおり、アンジェリークの反射神経は異常で、ハッキリ言ってしまえば人間を超えています。どうして超えられるのかと言えばアンジェリークが神経伝達の仕組みを理解しているからです。人間は神経を通して電気信号を脳から筋肉に伝えることで体を動かしています。しかしながらこの神経伝達、実はかなり遅いのです。銅線で電気を送る場合は光速とほぼ同じですが、神経による伝達速度は音速の三分の一程の速さになります。その理由を簡単に説明すれば銅線と違って神経は細胞一つ一つでクッソ複雑な工程を踏んで電気信号が流れているからです。ゆえに、脳が命令を下してから実際に手足が動くまでにおよそ0.1秒ほど掛かるのです。

 日常生活であれば支障のないタイムラグですが、アンジェリーク並の高速戦闘ではあまりにも大きすぎるタイムラグとなります。悩んだアンジェリークは神経の代わりに全身に巡る魔力で命令を伝達できないかと閃きました。結果としてそれは成功し、今のアンジェリークは戦闘時に身体能力の強化と脳機能強化による体感時間の圧縮、そして魔力による身体への命令を同時に行っています。まあ、実はそれ自体は一定以上の強さに到達した者は無意識に行っていたりするのですが、アンジェリークの場合は明確に意識することで高効率高機能化させているため皇子が驚くほどの反射神経に達しているのです。その辺りはローザの治癒術と理屈は同じです。


「……二人とも良く目で追えますね。あの速さを」


 純魔法使いたるミコトは呆れたように呟きました。ミコトにはペーターがクルクル回ったと思ったらアンジェリークが飛んでいったとしか見えませんでした。とてつもなく速く動いているという事ぐらいしか分かりません。


「アンジェリークほどではないにせよ、速さが強みって奴は結構いるからな。ある程度は目で追えなきゃ前衛は務まらん」

「僕も一応は実家では前衛として鍛えられましたからね。魔法戦が主でも接近戦が駄目では話にならんって」


 国境を守る辺境泊家は魔法が得意だとか騎馬が強いだとか特徴はあれども基本はどこも武闘派です。当然、その子供もある程度は鍛えられ、リヒャルトも例に漏れず鍛えられています。出会い頭がアンジェリークだったため弱そうなイメージがありますが、戦闘能力は学園でも上位に位置していたりします。

 三人がそんな話をしている間にも戦闘は進みます。とはいえども、細かい違いはあれどアンジェリークが突っ込んでそれをペーターが躱し反撃するというのがパターンばかりですが。アンジェリークが速すぎるためペーターが前に出づらいというのが主な理由です。アンジェリークに対し積極的に攻勢を仕掛けられるのは今のところ副団長ぐらいなものでしょう。

 何度目かの攻防の後、アンジェリークが顔を顰めながら手を上げました。


「私の負けです」


 上げられた手は前腕の中央辺りが大きく斬られて今にもブラブラと揺れ出しそうになっていました。アンジェリークがありがとうございましたと頭を下げると周囲から拍手と歓声が上がりました。


「コレなら手本になりますか?」

「十分なりますけど、もう少し痛そうな顔をしたらどうですか?」


 腕をパカっと広げてみせるアンジェリークに溜息をついて言いました。ちなみにですが、アンジェリークは麻酔と同じように脂質ラフトを破壊する事で痛みを遮断しています。麻酔と同じなので戦闘中は使えないのが玉に瑕ですが。

 アンジェリークの腕が治療される様子を治癒士達が食い入るように観察しているのを眺めているペーターのところにパーティの仲間が集まってきました。


「アレは洒落にならんな」


 小柄な獣人の男が言いました。それにペーターが頷きます。


「あれだけの戦闘を見せておきながら手の内を全く見せてこない。殺し合いだったらまず負けてた」

「確かに余裕が見えたからな。それとメチャクチャな動きに見えて型がしっかりしていた辺り、少なくとも何処ぞの剣術の師範並には研鑽を積んでいる」

「あの武器、刀はかなり扱いが難しい。それを完璧に使いこなしていた。帝国で学べる場所は限られているはずだが……」


 男達が熱心に分析を行います。戦闘に従事するだけに未知の武術に関する興味は人一倍どころではありません。興味を持って自身に取り込むなり対策を練るなりできなければ七つ星冒険者などにはなれないでしょう。


「あの魔法の使い方が私は気になった」


 男達の隣で色気のある声がぽつりと呟かれました。


「魔法を使ってたのか?」

「使わないとあの加速は無理。地面に取っかかりがないと滑る。あの子は魔法で一瞬だけ足場を作ってた。あの魔法の使い方は目から鱗」


 審判をしていたローブの女性の視線はアンジェリークに釘付けです。


「あの子に師事したいぐらい」

「お前にそこまで言わせるか」


 魔法の腕一本で七つ星になった彼女の魔法に関するプライドは非常に高いのです。例え魔法戦闘団団長相手だろうと師事したいなどと言うことはないでしょう。


「彼女の魔法は難しくない。私どころかあなた達でも頑張ればできる。ただ、あの魔法を生み出した発想が欲しい。私は固定概念に縛られてないと自負していたけど、間違いだったと悟ったわ」


 ギリギリと歯軋りが聞こえてきそうな言い方でした。

 そんな一同のところに皇子が近付いていき、声をかけました。


「あの、もし良かったら俺とも試合をしてくれませんか?」


 首狩り貴族の仲間だろうけどあからさまに浮いている男の頼みに一同は顔を見合わせました。


「……よし、俺が相手をしよう」


 首狩り貴族の仲間、という点に興味を引かれた獣人の男が手を上げました。次の試合の予感に、周囲の熱気が膨れていきます。

 その日はアンジェリーク達以外にも幾度も試合が行われ、この例外的な祭りはその後教会からの支援もあって定期的に行われるようになりました。

 ちなみに、獣人と皇子は皇子が体格に物を言わせて一撃で獣人を地面にめり込ませて終了し、アンジェリークから「試合なんだから勝つんじゃなくて盗め」と皇子が尻を蹴飛ばされていました。

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