第32話 アンジェリーク、負傷する

 門番の仕事とは基本的に怪しい者を通さないことにあります。特に上位貴族などの暗殺の可能性がある人物の屋敷の門番は些細なことでも逐一確認するぐらいの神経質さが求められたりもします。

 なので来客の予定がないのに公爵家の客にふさわしくないオンボロの馬車が屋敷に接近してくれば守衛を呼び武器を構えて囲うなど当然の話です。アンジェリークがにゅっと顔を出したので慌てて引っ込めましたが。

 帰ってくるなら連絡を寄越せこんなオンボロな馬車で来るな貴族らしい格好をして貴族らしい馬車で来い、守衛主任はそう怒鳴りつけたい気持ちを抑え込んで馬車を敷地内へと入れました。

 敷地内に入れたとは言え即座に自由とはいきません。当然ですが乗っている人間を確かめる必要があります。中からぞろぞろと出てきたのは魔法学園の制服を着た四人と修道女が一人と従者。修道女は何度か来ているローザであり、制服の一人はアンジェリーク、従者はともかくほかの制服三人はどうするべきかと守衛達は悩みました。

 アンジェリークが連れてきた魔法学園の学生なのですんなり通しても問題ないのですが、公爵の屋敷に制服を着るような平民を素通りさせるという前例を作って大丈夫なのかという役人的な悩みです。悩んだ守衛主任は自分たちの上役に投げることにしました。

 上役としてやってきたのは執事の一人でした。古くから公爵家に仕える家の生まれで爵位も持っていて簡単な政治的判断も行えるため呼び出されました。

 彼ら公爵家の使用人達の不幸は公爵が休養のためブルヒアルト侯爵領へ行っていたことでしょう。もし公爵がいたならばアンジェリークが友達を連れて帰ってきたと報告が来たら間違いなく自分の目で確認しに向かったでしょう。そうすれば学園の制服を着ている皇子の存在に気付くこともできました。


「ルーファスです」


 執事を見た皇子はすぐに立ち上がって挨拶をしました。お忍びを何度も繰り返した結果、服装に合わせた言動をすることを皇子は覚えていたのです。まさか皇子が学園の制服を着ているとは思ってもいない執事は平民にしてはしっかりとした振る舞いだと感心しました。ルーファスという名前もそこまで珍しいものではないためここで気付けというのが無理です。

 

「リヒャルトです」


 続いてリヒャルトが挨拶をしました。なんで皇子が執事に挨拶を? と疑問には思いましたが皇子がやってるしと思ってそれに続いたのです。


「ミ、ミコトです」


 馬鹿でかい公爵の屋敷に今更ながら緊張し始めたミコトが声を上擦らせながら続きました。十五年という年月は身分制度を身に染み込ませるには十分な期間です。

 目の前で色々とマズい間違いが発生しているのに当然ローザは気付きました。が、私が被害を被るわけじゃないし、と諏訪神社のしめ縄の如き図太い精神でスルーしました。忍のくせに普通の精神しか持ち合わせていないハットリ君は全力で気配を消していました。

 屋敷への訪問はアンジェリークの「家に何かしようとする人を連れて来るわけないでしょ」という一言でOKが出ました。アンジェリークがおかしくなって三年、色々メチャクチャなことをしてきましたが公爵家に疵がつくような事態にならず、それどころか実利のあることが多かったのでその辺りは計算していると使用人に理解されていたからです。

 五人は屋敷の客間へと案内されました。途中、私は従者だから馬の面倒をと言って抜け出そうとしたハットリ伯爵家次期当主がアンジェリークに掴まったりしましたが。五人の歓迎を使用人に任せると目的である姉のところへと向かいました。

 姉がいるのは執務室、休養している父の代わりに仕事をしているとのことです。それを聞いたアンジェリークは大きな溜息をつくとノックもなしに執務室へと入りました。公爵家でありえないような入室に驚いている姉に向かってアンジェリークは言いました。


「お姉様、一体何を考えているんですか?」

「……それは私のセリフだアンジェリーク」


 姉はすぐに平静を取り戻してアンジェリークを睨みます。アンジェリークの変異のあまり実家に怒鳴り込んだアレクサンドラですが、家で詳しく話を聞きて半月ほどでなんとか現実を飲み込むことに成功しました。


「お前のやっていることは公爵家の者がすることじゃないだろう?」

「四六時中男装しているお姉様が言えたことですか」


 アンジェリークの切り返しに使用人達はそっと顔を逸らしました。もはや当たり前になっていて誰も突っ込まないアレクサンドラの男装ですが、公爵令嬢としては非常識極まりないのが事実です。


「私よりもお姉様が問題です。まさか当主でも狙っているのですか?」


 アンジェリークにジト目で言われ、アレクサンドラはうっと黙ってしまいました。

 この世界で貴族は強力な魔力を有するものが殆どです。これは貴族達の祖先が魔力を有する者として占いや武力などで集落を率いていたからです。それ故に昔から一定以上魔力が強い者が次期当主となるべきという思想が貴族平民問わず存在します。特に魔物や隣国との国境線沿いなど、戦う事の多い領地にこの傾向が強く、黒の森に接しているザクセン領も当然魔力重視の傾向が強いです。

 当然ながらこの魔力というのは度々後継者争いの火種になっています。特にザクセン公爵家は長男パトリックの魔力が弱くて第二子のアレクサンドラは強く、末子のアンジェリークに至っては皇族に匹敵するためそれぞれを推す声があるのです。まぁ、周りが何を言おうが後継者を決めるのは公爵であり、魔力が弱いと言っても公爵としてはというレベルでありアレクサンドラも公爵としては強いという範囲、そして貴族としては例外的に家族仲のよいザクセン家はパトリックが継ぐというのが満場一致で決まってはいます。しかしながら権力というしがらみが存在する以上、周りの声を無視などできるはずがありません。ゆえにパトリックは権威で魔力不足を補うために帝都の魔法戦闘団へと入団しているのです。

 そんな状況でアレクサンドラが内政もしっかりできるということが周知されてしまえば、アレクサンドラを推す声が大きくなり本人同士がどう思っていても派閥化し対立する可能性が出てきてしまいます。それがアレクサンドラも分かるがゆえに、指摘され呻いてしまったのです。


「狙ってない。分かっているだろう?」

「ええ、ですがそう言われても仕方ないでしょう?」

「……そう言われたとしても、今父が倒れる方が家にとって大問題だからこうしている」


 ヴィドキント・フォン・ザクセン公爵。魔力量は公爵としては平均的で地理的に対魔物戦の経験が豊富であり、良心的でやや小心なところがあるというのが世間の評価です。しかし、小心者ゆえに気配りが上手く大派閥であるザクセン派をしっかり纏め上げているのです。

 そんな父がかなり参っている様子にアレクサンドラは仕事を代わるから少し休んだらどうかと提案しました。最初は後継者争いのことを考えて渋りましたが、家臣や使用人達がアレクサンドラの味方に回ったことで折れて休暇としてブルヒアルト侯爵領へ向かったのです。

 アレクサンドラはそのことをアンジェリークに説明しました。特にアンジェリークが原因だという部分を強調して。


「……みんながお姉様の味方についたというのなら本当にお疲れだったのですね」


 自分が原因という部分を完全にスルーするアンジェリークにアレクサンドラはイラッとしました。


「だから、アンジェリークはこれ以上お父様に心配をかけないようにしなさい」

「お断りします」

「お前!」


 激昂しそうになったのをアレクサンドラはグッと堪えました。考え無しではないというのは今の会話だけでも十分理解したからです。


「お姉様ですら次期当主なんて話が出てるんですよ? 私なんてどれだけ推されてたと思いますか?」

「……それは、凄かったとは聞いてる」


 魔力は皇族並、魔法も幼い頃から上手で完璧と言われるような令嬢、それがアンジェリークでした。ゆえに次期当主にという声が一番多かったのもアンジェリークなのです。ゲームでアンジェリークが皇子の許嫁となっていたのは皇室との繋がりを保つことと公爵家の後継者争いの種を潰すためとも捉えられます。皇族並みの魔力の持ち主を次期当主にすれば独立を疑われる可能性もあります。皇帝と公爵がツーカーでも対立派閥が騒ぎ立てるのは間違いないです。


「その声が今は全くなくなったそうです」

「まあ……だろうね」


 公爵家や諜報を握るハンゾウ家がどれだけ頑張ろうとも情報を全て隠しきることなど不可能です。帝都で暴れ回っていたこともありアンジェリークの噂というのは帝国で広く広まっています。とはいえども、完璧令嬢じゃなくてかなりのお転婆である、という内容が主ですが。事実があまりに荒唐無稽すぎるため対立派閥の流したデマだと思われているのです。

 しかし、本拠地である公爵領やその周囲では比較的正確に伝わっています。一昔前ならそれでもアンジェリークを推す声があったでしょうが、今では他の能力も吟味される程度には魔力主義も穏やかになっています。下手したら自分がぶん殴られかねないアンジェリークを神輿に担ごうというのは少なくとも有力者の間では皆無になりました。

 これは公爵家として考えれば実はアンジェリークが皇室に嫁ぐよりも良い結果と言えます。すでに皇族と親しいザクセン公爵家がこれ以上近くなるのは他派閥との強烈な対立を招く可能性があるからです。後継者争いが発生するよりは遙かにマシなので嫁がせるのはアリですが。


「昔みたいに御令嬢やっても面白くないって気付きましたしね。お姉様と一緒ですよ」

「お前と一緒にするな」


 アレクサンドラは口調と男装以外は割としっかりと御嬢様をやっています。剣術に関しては建国の英雄の一人、女騎士ユリアーネという偉大な前例がいるため帝国では令嬢が嗜んでいても割と受け入れられていたりします。ユリアーネは男装していたという記録はないですし、令嬢の剣術も普通は護身程度でアレクサンドラのようなガチめなのは割と奇異ではあるのですが。


「……まあ、お姉様が今後当主を目指すかどうかはともかく、学園に戻らないのは駄目ですよ。私ですら卒業したのに、なんて評価がつきますよ」

「それは……分かっている。だが今すぐは無理だ。せめてお父様が帰ってきてからだ。もしくはお前が仕事を代わるか」

「しょうがないですね。お父様が帰ってくるまで待ちましょう。私も領内でやりたいことがありますし」 


 食い気味に言ったアンジェリークに、こいつ本当に家を継ぐとか興味ないんだなとアレクサンドラは安心を覚えました。昔のアンジェリークならば継ぐつもりがないのは分かっていましたが、あまりにも人格が変わりすぎていて少々不安があったのです。

 そして誤魔化すようにニコニコ笑うアンジェリークは以前と全く変わらないように見えて、今まで感じていた焦燥感のような感情が一気に抜け落ち、変わってしまったけれども改めて妹として受け入れられるようにアレクサンドラは思えてきました。


「あ、御姉様。私の友達を連れてきているんですけど、挨拶しますか?」

「それはもちろん。元々、仕事に一区切りついたら顔を出すつもりだったしね」


 仕事は中途半端でしたがアレクサンドラは立ち上がりました。集中力が完全に吹き飛んでしまったので軽く気分を変えようと思ったのです。

 お互いの近況を話しながら客間へとたどり着き、アンジェリークの友達というと、報告にあった修道女ローザか、昔よくお茶会をしていたマリアンネ嬢かな、と予想しながらアレクサンドラは客間へと入りました。最初に目に入ったのは当然ガタイが良くてクソ目立つ銀髪色黒マッチョマンです。石になったかの如くピタリと固まり、無言で退室しました。そしてアンジェリークの両肩をギリギリと掴みます。


「何故皇子がいる!?」

「友達連れてきたって言ったじゃないですか」


 アンジェリークは平然と答え、客間で当然のように平民用のお茶を飲んでいるのが皇子だと知った周囲の使用人達は全員顔から血の気を失い、アレクサンドラは怒りのあまりアンジェリークに頭突きをかましました。まさか姉から頭突きをされるとは思っていなかったアンジェリークはモロに食らって倒れます。


「キィィィィィエエエエ!!!」

「御嬢様! 落ち着いて下さい! 御嬢様!」


 そのままアンジェリークに馬乗りになって殴りかかろうとしたアレクサンドラに周囲の使用人が慌てて止めに入ります。部屋の外での騒ぎに客間にいた皇子達も様子を見に出てきます。


「スゲえ、アンジェが馬乗りされているなんて初めて見たぞ」

「これが良い薬になれば良いですね。三歩で忘れるでしょうが」


 公爵家令嬢の激しい姉妹喧嘩を見て皇子とローザはそう感想を述べました。

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